おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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最終章 幸せにできるのは俺だけだから

2.妊娠

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「妊娠五週目です」

「え……」

医師の言葉に自分の耳を疑う。

検査キットでは陽性が出ていたけれど、でもまだどこかで、なにかの間違いじゃないかって思っていた。

病院からの帰り道、ひたすらどうしたらいいのか考えた。

池松さんにこんなこと、言えない。
それに、いまの池松さんの気持ちがわかっていながら、なあなあで済ませていた自分も悪い。

「どうしよう……」

考えすぎて吐き気がしてくる。

堕ろしたくない。
池松さんの子供なら、産みたい。

でも、いまの池松さんに受け入れてもらえるかはわからない。

「話すしかないんだよね……」

軽率だった自分の行動を、呪った。


翌日、池松さんを喫茶店に呼びだした。

「どうした、改まって」

話なら家ですればいいのに、外に呼びだされて池松さんは怪訝そうだった。

「その、あの……」

妊娠したって言えばいいのはわかっている。
けれど言ったあとの池松さんが想像できなくて、なかなか言えない。

「えっと、その……」

「どうした?」

心配そうに眼鏡の下の眉が寄る。
言えば池松さんはどうするのだろう。

喜ぶ?
怒る?
悲しむ?

やっぱりどれも、想像できない。
でもいつまでも、黙っているわけにもいかない。

「……妊娠、しました」

「は?」

池松さんの目が、真円を描くほどまん丸く見開かれた。

「えっ、あっ、そうか。
うん、そうか。
そうか、そうか」

落ち着かないのか、せわしなく上下左右を見ながら、右手で、左手で、池松さんはあたまを掻いている。
やっぱり迷惑、だったのかな……。

泣きたくなって俯いた。
もしかしたら心のどこかで、喜んでくれると思っていたのかもしれない。

「うん、じゃあ行こうか」

「……え?」

池松さんは伝票を手に、すでに席を立っている。
なんだかわからなくてぽかんと見ていたら、強引に腕を引っ張られた。

「役所、行くだろ。
婚姻届、出さないとな」

これは、子供ができたから責任を取るということなんだろうか。
そんな、義務感だけで結婚なんてしたくない。

「あの、別に、責任取ってくださいとか言うつもりはないので」

「は?」

いつまでも私が立たないでいると、はぁーっとため息をついて池松さんは椅子に座り直した。

「その、……嬉しいんだ」

「嬉しい?」

「ああ。
パパに、なれるのが。
……愛するはさ……詩乃との間の子の、パパになれるのが、嬉しいんだ」

ぽろり、涙がこぼれ落ちていく。

「詩乃?」

ぽろり、ぽろり。
こぼれ落ちていく、涙。

「えっ、あっ、その。
……嬉しくって」

「……うん」

慌てて、落ちる涙を拭う。
笑って池松さんを見た。
彼は眩しそうに目を細めて私を見ていた。

「十四も年上のおじさんとか嫌かもしれないが。
――結婚してほしい」

真摯に、池松さんが私を見つめる。

「知ってましたか?
私って意外と、おじさん好きなんです。
だから宗正さんを好きになれなかった」

「そうだったな」

今度こそ、池松さんに促されて席を立つ。
その足で役所に行って婚姻届を出した。

「これからよろしくな、詩乃」

「はい」

いろいろ……本当にいろいろあったけれど、これから私は、この人と幸せになる――。



指環は買ったけれど、式は挙げないことにした。
質素にしたいっていうのが、池松さんの希望だったから。

ウェディングドレスを着たくなかったかっていわれると嘘になる。
でも池松さんと一緒になれただけで十分だった。


すぐに、池松さん――和佳さんの家へ引っ越した。

「詩乃は座ってていい。
俺が全部やるから」

私のアパートに来て和佳さんは袖捲りし、やる気満々だけど……大丈夫、なのかな。

「でも……」

「大事な身体なんだ。
無理はするな」

私を座らせて、和佳さんはてきぱきと荷詰めをはじめた。
といっても、下着なんかを詰めてもらうのは気が引けるし、私じゃないと判断つかないことも多い。
でも、私がちょーっと重いものを抱えようとしただけで、すぐに止められた。

「ダメだって言っただろ」

「はい……」

でも、本当にいいのかな。
会社でも忙しかった次の日、和佳さんは腰が痛そうだった。

無事に荷造りは終わり、池松さんのマンションへ借りた車で運ぶ。
家具はほぼ全部リサイクルショップに頼んで処分した。
なので私の荷物はほんの少しだし。

荷物の運び入れも私はさせてもらえなかった。
荷解きしていても怒られたくらい。
過保護な和佳さんがちょっとおかしい。

「これで詩乃と夫婦だな」

くいっと眼鏡をあげた和佳さんの耳は赤くなっている。
そういうのは凄く可愛くて……幸せだな。

――ただ。

翌日、和佳さんは酷い腰痛で、湿布を貼ってあげたけど。



毎日は穏やかに過ぎていく。
まだ生まれてもないのに和佳さんは毎日、おもちゃやなんかを買ってきた。

「名前、どうするかな」

私を後ろから抱きしめて、愛おしそうに和佳さんがお腹を撫でる。

「そうですね……」

「どっちだって?
あ、いや、生まれるまで知らない方が楽しみが増えていいか?」

真剣に悩んでいる和佳さんはとっても可愛い。

「俺が子供を持てるとか夢にも思わなかった。
ありがとう、詩乃」

くぃっ、和佳さんが眼鏡をあげる。
きっと世理さんと結婚したときはいろいろ諦めていたのだろう。
そんな池松さんの夢を叶えてあげられて、嬉しいな。


幸せな毎日を過ごす。
本多課長がとうとう身体を壊して退職し、和佳さんは課長に昇進した。

「俺は課長の器じゃないんだけどな」

そんなこと言って笑っているけれど、あそこは和佳さんのおかげで回っていたようなものだから、向いていると思うんだけどな。
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