昨日、彼を振りました。

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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2.振った相手にときめくなんてあっていいのだろうか

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次の日、二日酔いでもないのにあたまが重かった。

……どんな顔して荒木さんと会えばいいんだろ。

せめて違う部署だったらいいのに、一緒の部署。
会いたくなくても顔を合わせる。

「もう会社、休みたい……」

しかしこんな理由で休めないのはわかっている。
嫌々準備をして重い足を引きずって会社に向かった。



「おはようございます……」

いつもなら、一番に声をかけてくれる人は今日はまだいない。

……もしかして休み、とか。

それはそれで助かる。

「おはようございます」

始業時間ぎりぎりに駆け込んできたその人に心臓がどくんと大きく鼓動した。

……あれ?
なんで?

なぜかどきどきと速い鼓動。

そんな私におかまいないしに、その人――荒木さんは私と目があうと、いつも通りにこっと笑った。

「おはよ、三峰。
昨日はちゃんと帰れたか?」

「ああ、はい。
大丈夫です」

朝礼が終わり、昨日のことなんてなかったかのように荒木さんが話しかけてくる。
意識しないようにしても、つい意識してしまう。

なぜなら。

「……どうしたんですか、今日。
眼鏡なんて」

「ん?
ああ、昨日あれからやけ酒して。
起きたらぎりぎりでコンタクト入れる時間がなかった」

ばつが悪そうに笑う荒木さんにすぐ近くできゅんと音が鳴った。

「おまえこそさっきから変だぞ?
今日からまたいままで通りだって言っただろ?
意識すんな。
……って難しいよな」

今度は困ったように笑う荒木さんに胸がきゅんきゅんする。

……いや、そういうことを意識しているんじゃなくてですね。
その、あの。

「えっと。
……気をつけます」

「うん。
悪かったな、変なこと言って。
じゃあ、今日も頑張ろう」

「はい」

やっと荒木さんが自分の席に着き、ほっとため息。

……って、あれなんですか!?

荒木さんの顔の上には黒の、上部が太いタイプの眼鏡。
それがシャープな印象の、荒木さんの顔をよりいっそう引き立たせる。

しかも、そのレンズの奥の切れ長な目が目尻をくしゃっとさせて笑ってよ!?
もうきゅん死できるから!

でも、相手は、昨日振った相手、で。
そのうえいままで通りの関係を望んだのは私、で。
ときめくとかあっちゃいけないのに。


目があうだけでどきどきしてしまうので、荒木さんには昨日のことを気にしているんだと誤解された。
いや、気にしていないかって言われるとあれだけど、もう眼鏡の荒木さんにそれどころじゃないっていうか。

不審な行動をとりつつ、……翌日。
荒木さんの顔の上からは眼鏡が消えていてほっとした。



それからしばらくは普通に過ごしていた。
荒木さんとの関係も元通り。

……一応。

荒木さんは前と同じに私と話してくれるし、だから私も告白されたことはなかったことにした。

でも、考えてしまう。

もし、私に好きな人ができたら荒木さんはどうするんだろう。
もし、荒木さんに好きな人ができたら私はどうするんだろう。

荒木さんが私を好きだってだけで、この関係が変わってしまうのが怖かった。

もし、もしも。
私が本気で、荒木さんを好きになってしまったら。

……そのとき私は、どうするんだろう?



街路樹がすっかり葉を散らし、コートが厚手のものに代わりはじめたころ。

……またもや私にとって大問題発生。

荒木さんが仕事中、……眼鏡をかけ始めたのだ。
いわゆるPC眼鏡、って奴。
このあいだかけていたのとは違って、黒縁の下だけフレーム。

「どうしたんですか?
その、……眼鏡」

「ん?
最近、目の疲れが酷い気がしてさ。
夕方になるとコンタクト乾いて痛いし。
少しでも軽減できればなーって」
レンズの奥の目が緩いアーチを描いてにっこりと笑う。

……眩しすぎます!!
ううっ、なんで荒木さんに眼鏡がプラスされただけで、こんなにどきどきするんだろ?

PC眼鏡なので、パソコンの前でしかかけていないのが救いといえば救い。
直視しないように気はつけているけど、たまにしてしまって無駄にときめいてしまう。
おかげでなんとなーく荒木さんを避け気味になってしまい、……その日。

「なあ。
最近俺のこと、避けてない?」

給湯室でお茶を淹れていたらとうとう、壁ドンされた。
見上げた荒木さんは……眼鏡あり。

「さ、避けてない……デスヨ」

眼鏡の奥を直視できなくて、斜め下の床を見る。

「ならなんで、目、逸らすんだよ」

「そ、それは」

……荒木さんが眼鏡をかけているから。
眼鏡の荒木さんになぜか、ときめいてしまうから。
こんな莫迦な理由、話したらどうするんだろう。

「そういう関係になれなくても、おまえに嫌われるよりいいって思ってた。
なのに避けられたら俺、どうしたらいい?」

苦しそうな声にゆっくりと視線をあげると、レンズの向こうに潤んだ瞳が見えた。
とたんに、ナイフが心臓に突き刺さったみたいに、ずくりと胸が痛む。

「さ、避けてるんじゃなくて、その」

「なに?」

荒木さんの壁についてない方の手が私の顎を掴み、上を向かせる。
いままでこんなこと、されたことなかった。
見上げたレンズの先にはなぜか、艶を含んだ瞳。

「あ、荒木、さん?」

「やっぱ無理。
おまえにキスだってその先だってしたい」

「えっ、あの、えっ!?」

少しずつ、荒木さんの顔が近づいてくる。

……キ、キスなんてやだ。

怖くて目を閉じた瞬間、ちゅっ、頬に柔らかい感触。
おそるおそる目を開く。
視線のあった荒木さんが見たことのない意地悪な顔で、にやりと右頬だけを歪ませて笑った。

「いまはこれで勘弁しといてやる」

熱を持った左頬を両手で押さえると、ずるずると背中が壁を滑ってそのまま座り込んだ。
気がゆるんだせいか、涙がぽろぽろ出てくる。

「泣くなよ!?」

「だ、だってー」

はぁーっ、大きなため息をつき、荒木さんは私の前にしゃがみ込んで、まるで子供をあやすかのようにわしゃわしゃとあたまを撫でた。

「悪かった。
そうだ、泣かしたお詫びじゃないけど、今日はメシ、連れていってやる」

……その言葉に。
簡単に誤魔化されてしまう私がいる。

「……イタリアン」

「は?」

「イタリアンがいいです」

「了解」

あたまをぽんぽんして、荒木さんはいつも通りの笑顔になった。
私も安心して笑顔で返す。

食事で簡単に誤魔化されるなんて、いいように弄ばれている気がしないでもないけど。


夜は荒木さんとイタリアン。

「もう悩むのはやめた。
泣かれてもこれからはがんがんおまえを攻め落とす」

「そーですか」

会社じゃないからノー眼鏡の荒木さんはぜんぜん怖くない。
なにされたって、平気だもん。

「ん?
なんかおまえ、昼間と反応、違うくない?」

「そーですかねー」

グラスに残ったワインをくいっと飲み干し、余裕の笑みで返す。

「可愛げ三十パーセントオフ?
……いてっ」

「失礼ですよ、それ」

思わず、フォークを口に運ぼうとしていた荒木さんの足を、テーブルの下で蹴飛ばした。
言われたこともムカつくし、なんか意地悪そうなあの顔もムカつくし。

「でもなんか、違うぞ。
昼間のおまえはいままでと違ってこう、泣くまで苛めてみたくなるっていうか、なんかそんな感じだったのに、いまはいつも通りあたまをがしがし撫で回したい感じ」

「わけわかんないですよ」

新たに注いだワインを飲んで笑う。

……確かに。
そうかもしれない。
眼鏡の荒木さんに迫られると思考が麻痺する。

「まあ、三峰ってだけで可愛いんだけどな」

グラスに残っていたワインをぐいっと一気に飲み干した荒木さんの顔は、酔っているのか照れているのか、赤かった。


仕事中に眼鏡の奥から向けられる荒木さんの視線にどきどきしながら、食事に誘われて迫られてもノー眼鏡だから余裕でかわす。
荒木さんには悪いが、いまはまだこれでいいと思っていた。

……私には、自分がどうしたいのかわからない。

荒木さんのことは好きだ。
慕っているっていって間違いない。

笑っている荒木さんの隣で笑っているのは、酷く居心地がいい。
ずっと、こうしていたいっていうのがやっぱり、正直な気持ち。
でも、ぐらぐらと気持ちが揺れていることも事実。

……荒木さんにもっとふれられたい。

何度、自分のそんな気持ちを否定したことだろう。
きっと荒木さんの眼鏡姿を見なければ、こんな気持ちになることはなかった。
ずっと、隣でなにも考えずに笑っていられた。

けれど。
気付かされてしまった自分の気持ち。
それでもまだ、関係が変わってしまうことが怖くて必死で足掻く。

……なのに。
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