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女優
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「今日のゲストは女優の式島果耶さんです」
「こんにちは」
インタビューアーの女性に紹介され、にこやかに挨拶を返す。
「いや、ほんとにお美しい。
お肌とかつやっつやで私なんかよりずっとお若いし。
これで四十歳だなんて全然信じられません」
まだ二十代の彼女が、大袈裟に驚いてみせる。
いくらなんでもやりすぎだろうと苦笑いが漏れたが、悪い気はしない。
「ありがとうございます。
たゆまぬ努力のたまものです」
カメラ写りを計算し、僅かに微笑んで謙遜してみせた。
「いやー、私も式島さんみたいになれるように頑張りたいです。
さて、新作映画……」
続いていくインタビューに打ち合わせどおり答えていく。
私、式島果耶は年齢不詳、永遠の二十四歳として売っていた。
もっともすでに実年齢は公開していたが、それがさらに私の神秘性を増していた。
肌や身体の手入れにはこれ以上ないほどお金も力も入れている。
そんじょそこらの小娘に私が負けるはずがない。
私はこれからも老いず衰えず、永遠の美女としてやっていく……はずだった。
「え?」
取材が終わり、メイクを落としながら違和感を覚えた。
まさか、そんなはずはない。
そう思いながら近づけた鏡をこわごわのぞき込む。
「嘘……でしょ」
鏡を持つ手がわなわなと震える。
私の目もとにはうっすらとシミができていた。
疲れ果ててすぐに眠りたいときでも、きっちり時間をかけてお手入れした。
しっかり日焼け止めも塗り、外に出るときは必ず遮光性の高い日傘に帽子で防御もした。
なのに、シミができるなんて!
「ありえない」
が、何度見てもそこにシミはある。
しかも見ているあいだにも濃くなった気がするくらいだ。
「対策、対策しないと!」
私は美白クリームをそこに、しっかりと塗り込んだ。
しかしそんな私を嘲笑うかのごとく、シミは濃くなっていく。
さらにはその隣に新しいシミも発見してしまった。
「イヤーッ!」
減るどころか増えるシミに私は発狂寸前だった。
これが老化というヤツなのだろうか。
外見だけではなく、食べ物にも気を遣ってきたのに?
本当は食べたいのにジャンクフードも焼き肉も我慢して、身体にいいものばかり摂ってきた私が老化なんてありえない。
いらいらと携帯の画面に指を走らせる。
シミや老化に効く化粧品や薬、食品はもうほとんど試したものばかりだった。
「なにか、なにかないの」
無意識に親指の爪をガリガリと噛んでいた。
普段なら爪が痛むこんなこと、絶対にしない。
けれど今はそれほどまでに苛々としていた。
情報は次第に胡散臭いものへと変わっていく。
若い女性の血を浴びる、胎児の生き肝。
超えてはならない一線だとわかっていながら、ほんの少しの弾みでそちらへ踏み出してしまいそうな私がいた。
「これ、これよ……!」
しかしそのうちついに、法的にも倫理的にも問題のない方法に辿り着く。
それが――〝人魚〟だ。
いや、人魚の肉を食べれば不老不死になるという話自体は知っていた。
けれど人魚など伝説の生物、存在しないと思っていた。
しかしそれが、ごく稀に上がる漁港があるというのだ。
速効で連絡を取った。
運のいいことにその漁港は思いの外近く、車で二時間ほどの距離だ。
人魚が上がったら知らせてくれるという。
ただ、酷く珍しがられたのが不思議だった。
連絡は予想よりもずっと早く来た。
私が大金を約束したので、過去に人魚が上がった辺りに重点的に網を仕掛けてくれたらしい。
逸る気持ちを抑え、漁港へと車を走らせる。
これで事故を起こしては元も子もない。
「……で。
これが人魚なの?」
初めて対面する人魚は恐ろしく醜かった。
よどんだ沼のような色の髪には貝殻がたくさん絡まっていた。
ドブ色の肌はぬめっとしている。
下半身は魚に似た形状だが鱗はなく、どちらかといえばイルカやクジラを彷彿とさせた。
手には水掻きがついていて、フジツボが所々ついている。
唇は分厚く、ぶよぶよとしていた。
鼻梁はなく穴だけが空いていて、小さな目は左右に離れてついている。
もはやそれは人間というよりも魚だ。
そしてなにより。
「……臭い」
鼻を摘まみたくなるほど、いや口で息をするのすら憚られるほど臭い。
濃いアンモニア臭というか、掃除もせずに放置された公衆トイレの臭いをさらに凝縮したような臭いがした。
「本当にこれを食べるんですか」
年嵩の、漁師の男は懐疑的だが、これを食べるなんて信じられない気持ちはわかる。
上がったら写真すら撮らず速攻で海にリリースするというのも納得だ。
「え、ええ。
罰ゲームに使うのよ。
でも、このままじゃ持って帰れないから、適当にバラして肉だけちょうだい」
ハンカチで口と鼻を押さえながらも、なんでもないように演じる。
「罰ゲームね。
それなら納得です」
漁師はほかの人間を呼び、人魚を運んで解体し始めた。
臭いの届かない場所にまで行って、ようやく息をつく。
本音でいえばあんなもの食べたくない。
あのように醜いものの肉を身体に入れるのは抵抗があるし、それにあの臭いだ。
けれど食べなければ私に未来はない。
「お待たせしました」
そのうち、漁師が解体した人魚の肉を準備してきていたクーラーボックスに入れて渡してくれた。
密封されているはずなのに、うっすらと臭う。
「ありがとう。
じゃあ、これ」
準備してきていた封筒を漁師に渡す。
「確かに。
またなんかありましたらよろしくお願いします」
彼は中を確かめてにやっと笑った。
それに背中がぞくっとする。
もしかして私が式島果耶だと気づかれているのだろうか。
いや、この変装で今まで誰にも気づかれたことはない。
きっと、思い過ごしだ。
帰りも慎重に車を走らせた。
幸いなのか、臭いはうっすら臭う程度だった。
「これ。
調理して」
「はい」
家に帰り、お抱えの家政婦にクーラーボックスを渡す。
中を確かめようと彼女が蓋を開けた途端、一気に臭いが広まった。
「うっ」
手で鼻と口を覆い、臭いの元から離れるように凄い速さで彼女が私のところまでやってくる。
「本当にあれを食べるんですか」
彼女は漁師とは違い、心底私を心配しているようだった。
「そうよ。
どーしてもあれを食べなきゃいけないの。
お願い」
両手で彼女を拝んでみせる。
「わかりました。
なんとかします」
はぁーっと重いため息をつき、彼女はクーラーボックスまで戻っていった。
長い付き合いの彼女だ、きっと私に深い事情があるのだと理解してくれたのだろう。
なんとなく臭いが染みついている気がして、シャワーを浴びた。
お気に入りのシャンプーで髪を洗い、お気に入りのボディソープを泡立てる。
ふと見た鏡の中の私は、またシミが増えていた。
「これももうすぐなくなるし」
酷い臭いなど忘れ、私は上機嫌になっていた。
浴室を出るとキッチンのほうからあの臭いが漂ってきてたじろいだ。
「できました」
ダイニングの椅子に座った私の前に、家政婦が皿を置く。
換気扇どころか窓を全開にし、家中のサーキュレーターを外に向けて回しているのに、それでも鼻が曲がりそうだ。
「精一杯頑張ったんですが、これが限界でした。
すみません」
すまなさそうな彼女の目は真っ赤に充血していた。
ずっとこの臭いの中にいたせいだろう。
反対に私のほうが無理を言って申し訳なくなってくる。
「ううん。
だいぶマシになったわ。
これなら食べられそう。
ありがとう」
彼女にお礼を言い、とりあえず休んでくれと下がらせたものの、これでもまだ食べるのに勇気がいりそうだ。
臭い消しなのか人魚の肉はスパイスやハーブをたくさん入れて煮込んであった。
「うっ」
スプーンを口もとまで持ってきたものの、顔を背けてしまう。
漁港で嗅いだときよりもマシになったとはいえ、やはり臭い。
トイレの臭いを百倍濃縮だったのが、七十倍濃縮になった程度だ。
それでも私は、これを食べねばならない。
鼻を摘まんで目をつぶり、思い切って口に入れる。
すぐに口の中いっぱいに恐ろしいほど酷い臭いが広がり、味など一切わからない。
吐き気が込み上げてきたが、覚悟を決めて飲み込んだ。
「うぇーっ」
吐き出しそうになったが水で流し込み、添えてあったパンを口に詰めて中和してなんとか耐える。
ひとくち食べたのだからこれで効くのではと思うが、具体的にはどれくらいと調べた情報には書いていなかった。
念のためにこの一皿くらいは食べるべきか。
「ううっ」
あまりの臭さに涙を流し、ときには嘔吐きながら少しずつ食べ進める。
こんなみっともない姿、誰にも見せられない。
しかし近い将来、もっとみっともない姿を晒さないためには食べ切らなければならない。
翌朝。
起きたらいつもより身体が軽い気がした。
「あら」
鏡で確認したらあれほど悩んでいたシミがなくなっていた。
それどころか肌が十歳くらい若返った気がする。
「無理して食べた甲斐があったわ」
肌だけではなく気持ちまで若返り、上機嫌だった。
「今日のゲストは最近ますます美に磨きがかかり、若返ったんじゃないかと噂されている式島果耶さんです」
「えっ、若返ったってそれはいくらなんでも褒めすぎですよ」
まんざらでもないくせに謙遜して笑ってみせる。
「えー、以前より絶対、若くなってますって!
あ、でも、十年前の式島さんに戻ったというより、年は十年前、姿はさらに美しくって感じですね!」
「もー、そんなにおだててもなにも出ませんよ」
おかしそうにけらけら笑いながら、自尊心が満たされていく。
世間から若返った、魔女だと言われるたびに得意になっていた。
「どうしたら式島さんみたいに若く美しくなれるんですか?」
「それはですね……」
わざと声を潜め、インタビューアーと視聴者の興味を引く。
「秘密、です」
唇に人差し指を当て、カメラに向かって悪戯っぽく片目をつぶってみせる。
途端にスタジオにいる全員が、ぽっと頬を赤らめた。
「……あっ、すみません!
あまりに式島さんが素敵で、魅入ってしまってました!
それでは……」
一瞬あと、我に返ったインタビューアーが再び進行を始める。
それに心の中で満足の笑みを浮かべていた。
世間の評価に私は有頂天になっていたし、それになによりあれから、今まで時間をかけて丁寧にやっていたお手入れの一切が必要なくなった。
いくらジャンクフードを食べようと、夜更かししようと、肌はつるつるのまま。
こんがりと日焼けしようとシミもできない。
本当にあれを食べるのには苦労したが、食べてよかったと思う。
……ただ。
「……なあ」
「……うん」
一緒のエレベーターに乗りあわせた人が、ちらちらと私をうかがう。
ドアが開くと同時に人を押しのけて降り、逃げるように控え室に飛び込んだ。
「はぁ、はぁ」
置いてあった消臭スプレーを掴み、全身にこれでもかというほど噴きかける。
最近、うっすらとあの、人魚からした臭いが私の身体からする気がするのだ。
それは次第に強くなっていっているように感じるが、気のせいだろうか。
【終】
「こんにちは」
インタビューアーの女性に紹介され、にこやかに挨拶を返す。
「いや、ほんとにお美しい。
お肌とかつやっつやで私なんかよりずっとお若いし。
これで四十歳だなんて全然信じられません」
まだ二十代の彼女が、大袈裟に驚いてみせる。
いくらなんでもやりすぎだろうと苦笑いが漏れたが、悪い気はしない。
「ありがとうございます。
たゆまぬ努力のたまものです」
カメラ写りを計算し、僅かに微笑んで謙遜してみせた。
「いやー、私も式島さんみたいになれるように頑張りたいです。
さて、新作映画……」
続いていくインタビューに打ち合わせどおり答えていく。
私、式島果耶は年齢不詳、永遠の二十四歳として売っていた。
もっともすでに実年齢は公開していたが、それがさらに私の神秘性を増していた。
肌や身体の手入れにはこれ以上ないほどお金も力も入れている。
そんじょそこらの小娘に私が負けるはずがない。
私はこれからも老いず衰えず、永遠の美女としてやっていく……はずだった。
「え?」
取材が終わり、メイクを落としながら違和感を覚えた。
まさか、そんなはずはない。
そう思いながら近づけた鏡をこわごわのぞき込む。
「嘘……でしょ」
鏡を持つ手がわなわなと震える。
私の目もとにはうっすらとシミができていた。
疲れ果ててすぐに眠りたいときでも、きっちり時間をかけてお手入れした。
しっかり日焼け止めも塗り、外に出るときは必ず遮光性の高い日傘に帽子で防御もした。
なのに、シミができるなんて!
「ありえない」
が、何度見てもそこにシミはある。
しかも見ているあいだにも濃くなった気がするくらいだ。
「対策、対策しないと!」
私は美白クリームをそこに、しっかりと塗り込んだ。
しかしそんな私を嘲笑うかのごとく、シミは濃くなっていく。
さらにはその隣に新しいシミも発見してしまった。
「イヤーッ!」
減るどころか増えるシミに私は発狂寸前だった。
これが老化というヤツなのだろうか。
外見だけではなく、食べ物にも気を遣ってきたのに?
本当は食べたいのにジャンクフードも焼き肉も我慢して、身体にいいものばかり摂ってきた私が老化なんてありえない。
いらいらと携帯の画面に指を走らせる。
シミや老化に効く化粧品や薬、食品はもうほとんど試したものばかりだった。
「なにか、なにかないの」
無意識に親指の爪をガリガリと噛んでいた。
普段なら爪が痛むこんなこと、絶対にしない。
けれど今はそれほどまでに苛々としていた。
情報は次第に胡散臭いものへと変わっていく。
若い女性の血を浴びる、胎児の生き肝。
超えてはならない一線だとわかっていながら、ほんの少しの弾みでそちらへ踏み出してしまいそうな私がいた。
「これ、これよ……!」
しかしそのうちついに、法的にも倫理的にも問題のない方法に辿り着く。
それが――〝人魚〟だ。
いや、人魚の肉を食べれば不老不死になるという話自体は知っていた。
けれど人魚など伝説の生物、存在しないと思っていた。
しかしそれが、ごく稀に上がる漁港があるというのだ。
速効で連絡を取った。
運のいいことにその漁港は思いの外近く、車で二時間ほどの距離だ。
人魚が上がったら知らせてくれるという。
ただ、酷く珍しがられたのが不思議だった。
連絡は予想よりもずっと早く来た。
私が大金を約束したので、過去に人魚が上がった辺りに重点的に網を仕掛けてくれたらしい。
逸る気持ちを抑え、漁港へと車を走らせる。
これで事故を起こしては元も子もない。
「……で。
これが人魚なの?」
初めて対面する人魚は恐ろしく醜かった。
よどんだ沼のような色の髪には貝殻がたくさん絡まっていた。
ドブ色の肌はぬめっとしている。
下半身は魚に似た形状だが鱗はなく、どちらかといえばイルカやクジラを彷彿とさせた。
手には水掻きがついていて、フジツボが所々ついている。
唇は分厚く、ぶよぶよとしていた。
鼻梁はなく穴だけが空いていて、小さな目は左右に離れてついている。
もはやそれは人間というよりも魚だ。
そしてなにより。
「……臭い」
鼻を摘まみたくなるほど、いや口で息をするのすら憚られるほど臭い。
濃いアンモニア臭というか、掃除もせずに放置された公衆トイレの臭いをさらに凝縮したような臭いがした。
「本当にこれを食べるんですか」
年嵩の、漁師の男は懐疑的だが、これを食べるなんて信じられない気持ちはわかる。
上がったら写真すら撮らず速攻で海にリリースするというのも納得だ。
「え、ええ。
罰ゲームに使うのよ。
でも、このままじゃ持って帰れないから、適当にバラして肉だけちょうだい」
ハンカチで口と鼻を押さえながらも、なんでもないように演じる。
「罰ゲームね。
それなら納得です」
漁師はほかの人間を呼び、人魚を運んで解体し始めた。
臭いの届かない場所にまで行って、ようやく息をつく。
本音でいえばあんなもの食べたくない。
あのように醜いものの肉を身体に入れるのは抵抗があるし、それにあの臭いだ。
けれど食べなければ私に未来はない。
「お待たせしました」
そのうち、漁師が解体した人魚の肉を準備してきていたクーラーボックスに入れて渡してくれた。
密封されているはずなのに、うっすらと臭う。
「ありがとう。
じゃあ、これ」
準備してきていた封筒を漁師に渡す。
「確かに。
またなんかありましたらよろしくお願いします」
彼は中を確かめてにやっと笑った。
それに背中がぞくっとする。
もしかして私が式島果耶だと気づかれているのだろうか。
いや、この変装で今まで誰にも気づかれたことはない。
きっと、思い過ごしだ。
帰りも慎重に車を走らせた。
幸いなのか、臭いはうっすら臭う程度だった。
「これ。
調理して」
「はい」
家に帰り、お抱えの家政婦にクーラーボックスを渡す。
中を確かめようと彼女が蓋を開けた途端、一気に臭いが広まった。
「うっ」
手で鼻と口を覆い、臭いの元から離れるように凄い速さで彼女が私のところまでやってくる。
「本当にあれを食べるんですか」
彼女は漁師とは違い、心底私を心配しているようだった。
「そうよ。
どーしてもあれを食べなきゃいけないの。
お願い」
両手で彼女を拝んでみせる。
「わかりました。
なんとかします」
はぁーっと重いため息をつき、彼女はクーラーボックスまで戻っていった。
長い付き合いの彼女だ、きっと私に深い事情があるのだと理解してくれたのだろう。
なんとなく臭いが染みついている気がして、シャワーを浴びた。
お気に入りのシャンプーで髪を洗い、お気に入りのボディソープを泡立てる。
ふと見た鏡の中の私は、またシミが増えていた。
「これももうすぐなくなるし」
酷い臭いなど忘れ、私は上機嫌になっていた。
浴室を出るとキッチンのほうからあの臭いが漂ってきてたじろいだ。
「できました」
ダイニングの椅子に座った私の前に、家政婦が皿を置く。
換気扇どころか窓を全開にし、家中のサーキュレーターを外に向けて回しているのに、それでも鼻が曲がりそうだ。
「精一杯頑張ったんですが、これが限界でした。
すみません」
すまなさそうな彼女の目は真っ赤に充血していた。
ずっとこの臭いの中にいたせいだろう。
反対に私のほうが無理を言って申し訳なくなってくる。
「ううん。
だいぶマシになったわ。
これなら食べられそう。
ありがとう」
彼女にお礼を言い、とりあえず休んでくれと下がらせたものの、これでもまだ食べるのに勇気がいりそうだ。
臭い消しなのか人魚の肉はスパイスやハーブをたくさん入れて煮込んであった。
「うっ」
スプーンを口もとまで持ってきたものの、顔を背けてしまう。
漁港で嗅いだときよりもマシになったとはいえ、やはり臭い。
トイレの臭いを百倍濃縮だったのが、七十倍濃縮になった程度だ。
それでも私は、これを食べねばならない。
鼻を摘まんで目をつぶり、思い切って口に入れる。
すぐに口の中いっぱいに恐ろしいほど酷い臭いが広がり、味など一切わからない。
吐き気が込み上げてきたが、覚悟を決めて飲み込んだ。
「うぇーっ」
吐き出しそうになったが水で流し込み、添えてあったパンを口に詰めて中和してなんとか耐える。
ひとくち食べたのだからこれで効くのではと思うが、具体的にはどれくらいと調べた情報には書いていなかった。
念のためにこの一皿くらいは食べるべきか。
「ううっ」
あまりの臭さに涙を流し、ときには嘔吐きながら少しずつ食べ進める。
こんなみっともない姿、誰にも見せられない。
しかし近い将来、もっとみっともない姿を晒さないためには食べ切らなければならない。
翌朝。
起きたらいつもより身体が軽い気がした。
「あら」
鏡で確認したらあれほど悩んでいたシミがなくなっていた。
それどころか肌が十歳くらい若返った気がする。
「無理して食べた甲斐があったわ」
肌だけではなく気持ちまで若返り、上機嫌だった。
「今日のゲストは最近ますます美に磨きがかかり、若返ったんじゃないかと噂されている式島果耶さんです」
「えっ、若返ったってそれはいくらなんでも褒めすぎですよ」
まんざらでもないくせに謙遜して笑ってみせる。
「えー、以前より絶対、若くなってますって!
あ、でも、十年前の式島さんに戻ったというより、年は十年前、姿はさらに美しくって感じですね!」
「もー、そんなにおだててもなにも出ませんよ」
おかしそうにけらけら笑いながら、自尊心が満たされていく。
世間から若返った、魔女だと言われるたびに得意になっていた。
「どうしたら式島さんみたいに若く美しくなれるんですか?」
「それはですね……」
わざと声を潜め、インタビューアーと視聴者の興味を引く。
「秘密、です」
唇に人差し指を当て、カメラに向かって悪戯っぽく片目をつぶってみせる。
途端にスタジオにいる全員が、ぽっと頬を赤らめた。
「……あっ、すみません!
あまりに式島さんが素敵で、魅入ってしまってました!
それでは……」
一瞬あと、我に返ったインタビューアーが再び進行を始める。
それに心の中で満足の笑みを浮かべていた。
世間の評価に私は有頂天になっていたし、それになによりあれから、今まで時間をかけて丁寧にやっていたお手入れの一切が必要なくなった。
いくらジャンクフードを食べようと、夜更かししようと、肌はつるつるのまま。
こんがりと日焼けしようとシミもできない。
本当にあれを食べるのには苦労したが、食べてよかったと思う。
……ただ。
「……なあ」
「……うん」
一緒のエレベーターに乗りあわせた人が、ちらちらと私をうかがう。
ドアが開くと同時に人を押しのけて降り、逃げるように控え室に飛び込んだ。
「はぁ、はぁ」
置いてあった消臭スプレーを掴み、全身にこれでもかというほど噴きかける。
最近、うっすらとあの、人魚からした臭いが私の身体からする気がするのだ。
それは次第に強くなっていっているように感じるが、気のせいだろうか。
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