人魚を食べる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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永遠に生きる

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恋人が病にかかった。
風邪などすぐに治る病気ならいいが、あと数ヶ月の命だという。
だから俺は――友人を殺そうと決めた。

「ちょっと出掛けてくるな」

「いってらー」

軽い調子で彼が俺に手を振る。
穏やかな様子からは余命幾ばくもないなんて見えない。
しかし病はもの凄い速さで、彼を蝕んでいた。
昨日はひとりで立てたのに、今日は俺の支えがないと立てない。
もう、時間はいくらも残されていないのだと感じさせた。

「おおーい」

掲げたレジ袋を振り、暗い海へと声をかける。
まもなくしてぴちゃんと水音がしたかと思ったら、水面から男の顔が覗いた。

「ひさしぶりだね」

「そうだな」

すいすいと泳いできた彼が波打ち際に座る。
俺もその隣に腰掛けた。

「恋人の調子はどうだい?」

「あー、思わしくない」

答えながらレジ袋の中から缶ビールを出し、彼に渡す。
彼はカシュッといい音を立ててプルタブを起こし、ぐびぐびと喉を鳴らしてビールを飲んだ。

「あー、おいしー。
海の中にはこんなものないからね」

「そうだな」

苦笑いしつつ、俺も缶ビールを開けて飲む。
上半身全裸の男の下半身は魚で、彼はいわゆる人魚というヤツだった。

知り合ったのは少し前、釣りをしていた俺の針にかかった。
そのときは驚いたというより、驚きすぎて反対に釣り針にかかる間抜けな人魚がいるのだと可笑しくなった。
彼は人間の世界に興味津々で港や桟橋に近づいているらしい。
それで運悪く、俺の竿にかかった。
目をキラキラさせていろいろ聞いてくる彼が面白くてそれ以来、親しく付き合っている。

「僕も人魚の薬が人間に効かないか調べてみたんだけど、反対に毒になって殺してしまうらしい。
役に立てなくて申し訳ない」

本当にすまなさそうに彼が詫びてくる。

「いや、いい。
こっちこそ、気を遣わせてすまないな」

それに人魚の薬が役に立たなくても、彼には俺の役に立つ方法がある。
しかし俺はそれを切り出すのを迷っていた。

「君には本当にお世話になったから、どうにかしてやりたい気持ちは山々なんだけどね……」

二本目のビールを飲みながら、はぁーっと酒臭い息を彼が吐く。

「……なあ」

まるで決まらない心のように、手の中で缶を弄んだ。

「もし、オマエにしかできないことがあるんだ、とか頼んだら、やってくれるか」

彼が承知してくれなければ、恋人の命はもうすぐ尽きるのだとわかっていた。
それでもどこかで、嫌だと断ってくれと願ってしまう。
俯いていた顔を上げると、眼鏡のレンズ越しに見えた彼は真剣な表情をしていた。

「ほかならぬ君の頼みだ。
どんなものでも承知するよ」

重々しく彼が頷く。
……ああ。
どうしてオマエは、そんなにもいいヤツなんだ。
だから俺は、オマエとの時間を失いたくないのに。

「……じゃあ。
恋人のために死んで、くれ」

自分からでた声は緊張からか酷く掠れ、震えていた。
人魚の肉を食べれば、不老不死になるという。
だから俺は、恋人に彼の肉を食べさせようと思っていた。

「いいよ」

まるで今日の夕食リクエストを承知するかのごとく、軽い調子で彼が答える。
それは俺の考えを知っているかのようだった。

「ほんとにいいのか!
俺は死ねと言ってるんだぞ!」

つい、彼に怒鳴っていた。
断ってくれれば彼を殺さない口実ができる。
彼を殺すなんて恐ろしいことをしないで済む。

「いいんだって。
君の釣り上げられたとき、本当ならどこかの研究機関にでも売られて死んでいるはずだった。
でも君は僕に人間世界の話をしてくれ、人間の食べ物を食べさせてくれた。
しかも、友達とまで呼んでくれる。
そんな君に、報いたんだ」

彼の手が、俺の頬に触れる。
そのとき初めて、自分が涙を流しているのに気づいた。

「それに君が、こんなに悩んでくれたってだけで十分だよ」

俺と目をあわせ、にっこりと彼が笑う。
それでようやく、決心がついた。

しかし、いざ殺そうとすると手が震える。
そんな俺を見かねて、彼は自分の首を掻き切ってくれた。

「ありがとう。
愛してる」

それが、彼の最期の言葉だった。

どこの肉が効果があるのかわからないので、漢方ではだいたい効能のある肝と腹の肉を切り取り、持ってきたクーラーボックスへと入れた。

「本当にすまない」

残りの死体を、彼の希望どおり海へと流す。
今度生まれ変わったら、人間になれるようにと祈った。

「ただいまー」

「おかえりー」

家に帰ると恋人は、だいぶ調子がいいのかベッドで半身を起こしタブレットで本を読んでいるようだった。

「すぐにメシの用意をするな」

「メシの用意って、僕はもう食べられないの知ってるだろ」

忘れているのかと彼が呆れる。

「わかってるけど、気分の問題」

それに笑って返しながら、キッチンへと立った。
友人の肉は、固形物を受け付けなくなった恋人のためにポタージュ状に加工する。

「ほら、メシ」

「はいはい」

彼は諦めたかのようにタブレットを傍らに置いた。
簡易テーブルを置き、その上に料理した友人の肉を並べる。

「これなら少しは食べられるだろ」

「そうだね」

恋人が食べてくれそうで、安心した。
しかしスプーンを持ったものの、すぐに下ろしてしまう。

「ねえ」

「なんだ?」

「これは君が、食べるべきだと思うんだけど」

じっと、恋人がレンズ越しに俺と目をあわせてくる。
どう見ても彼のための料理なのに、なぜこんなことを言うのだろう。

「これ。
君の友達の肉だよね?」

彼の指摘で、背中が大きく震えた。

「そんなこと、あるわけねーだろ。
だいたいなんで、俺が人間の肉なんかオマエに食べさせるんだよ」

誤魔化して見せながら目が泳ぐ。

「人間じゃなくて人魚の肉、だよね?」

一瞬、心臓が止まった。
どうして彼は、知っているんだ?

「前にね、君が海辺で誰かと話しているのを見かけた。
お酒を飲んでて、本当に楽しそうだったよ。
声をかけようと近づいて、相手がただ者ではないのがわかった。
だから僕は、知らないことにしたんだ」

恋人が俺と友人が話しているのを見ていたなんて知らなかった。
しかもそんな、気を遣わせていたなんて。

「これはあの、彼の肉だよね?
だったら君が、食べるべきだ」

しかしそれと、この肉を俺が食べるべきだというのがわからない。

「これを食べれば病気が治るんだぞ?」

そのために俺は友人の命を奪い、肉を手に入れてきた。
なのになぜ、頑なに恋人は断る?

「そうだね。
でも僕は、死ぬよりも忘れられるのが怖い」

俺をじっと見る、恋人の目はどこまでも真剣だった。

「僕はずっと、君に僕を覚えておいてほしい。
そうすれば永遠に、君と一緒にいられる」

恋人のいわんとするところはわかった。
しかしそれと、人魚の肉を俺が食べるのとは繋がらない。

「じゃあ、これを食べればいいじゃないか。
それでオマエが俺を覚えておいてくれれば、永遠に一緒にいられる」

「それじゃダメなんだ」

彼が首を振って俺の言葉を否定する。

「僕は人魚の彼を知らない。
僕が生き続けたところで、人魚の彼を覚えていてあげられないんだ」

「でも、アイツはそんなこと、ひとことも……」

彼が俺の手を握り、またううんと首を振る。

「きっと人魚の彼だって、君に覚えていてほしいと願っていたはずだよ。
だって、ライバルだからね、それくらいわかる」

悪戯っぽく笑って彼が頷く。
恋人はどこまで知っているのだろう。
それでも俺は、オマエのために友人に手をかけるほど、深く愛しているのに。

「だから、ね。
これは君が食べて」

恋人が、テーブルの上の料理を俺のほうへと押す。

「そして永遠に生きて、僕とその友人を覚えていてよ。
お願いだ」

縋るように彼が俺を見る。
愛する彼に懇願され、断るなんてできなくなった。

「わかった」

食器を手に取り、スプーンを握る。
俺は友人だったものの肉を食べた。
それは酷く、苦かった。


【終】
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