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充電、したい
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――最近、課長が綺麗になったと話題だ。
「前からいい男だったけど、最近は艶が増したというか……」
「男の俺でもあの色香には思わず、抱いてくれと言いそうになる」
「眼鏡を変えたからなのかしら?」
なーんて絶賛、話題の人なのだ。
三十一歳、独身。
長身で余分な脂肪は一切ついていない、引き締まった身体。
ラフにセットされているのに一切の乱れがない黒髪、切れ長で涼やかな目もとにはほくろがひとつ、と元々が社内随一の美しい男なのだ、課長は。
それに最近、眼鏡を変えた。
いままでの黒縁スクエアから、銀縁スクエアに。
同じスクエアでも銀縁の方が上品なデザインなのでその分、色気が上がるのはわかる。
がしかし、彼が最近、妙に艶っぽい理由はそれではない。
「神代」
突然、伸びてきた手が私を部屋の中へ引き込む。
「充電、させろ」
気づいたときには壁に押さえつけられ、男――課長を見上げていた。
「朝、来たときに充電しましたよね?」
さりげなく胸を押し、拘束を解こうとするものの。
「もう切れる。
つべこべ言わずに充電させろ」
あっ、とか思ったときにはもう遅く、彼の唇が重なっている。
しかも、強引に私の唇をこじ開け、侵入してきた。
『はい、『エタンセル』です。
いつもお世話になっております』
『三井さーん、三番でーす』
一枚壁を隔てた向こうでは、みんないつもどおり仕事をしている。
なのに、私は。
「……ん、……んん」
密やかにふたりの空間に淫靡な吐息が満ちていく。
「……」
唇が離れ、課長を見上げる。
「充電、完了」
レンズ越しに目のあった彼は、ニヤリと右の口端を持ち上げた。
「なにが充電完了ですか!
いい加減会社でこんなことをするのはやめろとあれほど……!」
彼のネクタイをぐいっ、と掴んだら、降参だと手が上がる。
「だって、充電切れたら動けなくなるだろ」
「少し前のスマホか!?今日日のスマホ並みに保たせろ!」
いくら私が噛みついたところで、彼は全く堪えていない。
それがさらに、私をヒートアップさせる。
「えー、グラフィックの綺麗なソシャゲやったら、すぐに充電切れるだろうが」
「営業はソシャゲか!」
「うるさい。
そんなに言うなら……本格充電するぞ」
カチリ、と課長の手がベルトにかかり、ネクタイから手を離した。
「それは無し。
無しで」
今度は私の方がホールドアップし、彼からそろっと離れる。
「そうか、残念だな。
……充電終わったし、さっさと仕事に戻れ」
戻れって、あなたが引きずり込んだんですよね!?なんて口から出かかったが、かろうじて抑えた。
「……はい。
そうします」
握りしめた拳をぶるぶると震わせながら会議室を出る。
――課長が最近、綺麗になった理由。
それはこうやって、頻繁に私から充電しているからなのだ。
そもそもにおいて、課長と私がこういう関係になったのは、半月ほど前の話だ。
「……疲れた。
もう充電切れる」
時刻は夜の九時を過ぎようとしていた。
部内に残っているのは私と課長のふたりだけになっている。
「すみません、こんな時間まで付き合わせて」
「いや、神代に押しつけて帰った大西が悪い。
好きな、アイドルの出る番組をリアルタイムで観たいからって、どうせ録画してるんだろうに」
「は、はは」
はぁーっ、と課長が呆れたようにため息を落とし、とりあえず笑っておいた。
『リアサちゃんが今日、初めてテレビに出るんだ!
これはリアルタイムで観ないとダメだよね!?
ね、神代さんだってわかるでしょ?
じゃ、あとよろしく!』
と、明日、必要な書類の資料を私の机に詰んで、帰っていくのはいい。
大西さんの推しである地下アイドル、リアサちゃんがテレビに出るとなれば一大事なのはわかるし。
しかしながら、ならばなぜ、前もって仕事を片付けておかなかった?
そこは課長も同じらしくて。
「大西は明日、きつーく言わないとな」
ふ、ふふふっ、とか笑っている課長はまるで悪魔のようで、あんなに不平を漏らしていた私でも大西さんの無事を祈ってしまった。
「コーヒーでも淹れますから、休憩しますか」
「そうだな」
こきこきと凝り固まっていたであろう肩を、課長が動かす。
集中しすぎてあたまもふらふら、一息つかないと効率も落ちそうだ。
真っ暗な廊下を、非常灯を頼りに進み、給湯室の電気をつける。
もう火は落としてあるので、電気ポットに水を入れてスイッチを入れた。
「課長じゃないけど、充電切れそう」
『鹿江商事』さんの過去実績をまとめてほしい、と大西さんから渡されたのは三年分の資料だった。
でも正確さを期すならば取り引きのはじまった五年前からの方がいいのでは?
なんてやりだしたので、自業自得ともいえなくもない。
「終電までには帰れるかなー」
カップにインスタントコーヒーの粉を入れ、ぼーっとお湯が沸くのを待つ。
「神代」
「あ、はい!」
不意に課長から声をかけられ、驚いた。
「悪いな、オマエにさせて」
「いえ、別……うわっ!?」
いきなり、ぱっと電気が消え、悲鳴が漏れる。
身を小さく縮こませたまま、辺りをうかがった。
電気ポットの電気も消えているところを見るに、蛍光灯が切れたわけではなさそうだ。
「停電、かな。
そういやさっき、雷が」
課長の声は冷静だけれど。
「……課長、そこにいますよね?」
そろりと壁伝いに動き、手探りで彼を探す。
「いるけど?」
指先が彼の手らしきものにあたり、少し迷ってそれを掴んだ。
「神代?」
「えっ、あっ」
「もしかして、暗いの怖いのか?」
瞬間、掴んでいた手が私を引き寄せた。
「これで怖くないか?」
課長の腕が、私を包み込む。
香水の匂いと僅かに混ざった彼の体臭がふわりと香る。
その匂いに。
――胸が、ドキドキと高鳴った。
「意外だな、神代が暗いところが苦手だなんて。
……あ、ついた」
パチパチと蛍光灯が瞬き、明るくなる。
「……ありがとう、ございました」
熱い顔で彼から離れようとしたものの。
「……なあ。
キス、していいか?」
私をホールドしたまま、彼の手は緩まない。
それどころか壁ドン姿勢を取り、私の顎を持ち上げた。
「……え?」
無理矢理視線をあわせさせられた先、そこには艶を帯びた瞳が見える。
「なにを、言って」
「神代が可愛かったから、キスしたい。
ダメ、か?」
私をダメにする香りを纏わせ、魅惑的な瞳で見つめられればなにも言えなくなった。
黙っている私にかまわずに、眼鏡を外した彼の顔が傾きながら近づいてくる。
「……!」
唇が重なり、間抜けにも僅かに開いていた隙間から舌が侵入してくる。
すぐにそれは私を見つけ、ぬるりと絡められた。
「……ん」
思わず、鼻から甘ったるい息が抜けていく。
それを合図にするように、腰に回った課長の手が、ぐいっ、と私を引き寄せた。
わざとらしく音を立て、彼が私の舌を唾液ごと啜る。
壁に指を立て、それに耐えた。
課長の熱が私を満たし、体温を上げていく。
こんな熱いキス、私は――知らない。
「……」
唇が離れ、まだままならない息で課長を見上げた。
「……なあ。
充電したいんだけど、充電コード突っ込んでいい?」
眼鏡をかけた彼が私の鼓膜を甘い重低音で揺らし、あたまを痺れさせる。
「なに、を……?」
「これ」
私の手を取り、課長が触れさせたそこはきつそうに張り詰めていた。
「優奈の中へ入れて、充電したい」
「あっ」
耳たぶを甘噛みされ、思わず声が漏れる。
「ダメか?」
問いながらも再び唇が重なった。
了解だとばかりに、自分から彼を求める。
そして――。
「大丈夫か」
「……まあ」
ふらふらの私を、倒れないように課長が支えてくれる。
「なんというか、あれだ。
神代のおかげで充電できた。
助かった」
「……まあ、それは私も、同じなので」
「仕事、終わらせるか」
「そうですね」
なんか微妙な空気のまま、残りの仕事をこなし、何事もなかったかのようにこの日は帰った。
きっとあれは吊り橋効果って奴だったんだと思う。
苦手な真っ暗闇のあとで、課長にときめいただけ。
そもそも、あんなイケメンにときめかない方がおかしいんだし。
しかしながらその日から、課長に充電と称して関係を迫られるようになった。
断ればいいんだろうけれど、あの香りに包まれてレンズの奥から艶を帯びた瞳で見つめられたら、催眠術にでもかかっているかのように承知してしまう。
さすがに、課長曰く〝充電コード〟とやらを会社で挿させてやったのは、あの一回きりだが。
手軽に充電ができるようになった課長といえば、お肌つやつや、髪もさらさらと、その美しさに磨きをかけているというわけだ。
「神代。
充電させろ」
今日も商談から帰ってきて電池を大量消費した課長は、私を人気のない物陰に引きずり込んだ。
――しかしながら。
「課長にとって私は、ただの充電バッテリーですか?」
もう一方的に課長から、関係を求められるのは嫌なのだ。
私はものではない、人間だから。
「は?」
一言発した状態で、彼は固まっている。
やはり、そうだったのだと落ち込んだものの。
「いや、恋人だと思っているが?」
「は?」
予想外の言葉に、今度は私が固まった。
「俺は優奈が好きだからキスしたいし、そういう関係になりたいと思ったんだが、優奈は違うのか?」
「え?」
違うのかって、そりゃ……好きですが?
だからこそセフレだって割り切れなくて、こんなにもやもや悩んでいたわけだし。
でも課長だって一言もそんなことを言ってくれなかったわけで。
「わるい、優奈ってもしかして、好きでもない男に抱かれる軽い女……だったのか?」
「そんなことあるかー!」
「ぐふっ!」
繰り出した拳は、華麗に課長の腹へ決まった。
悶絶している彼を、ふん!と鼻息荒く見下ろす。
「好きですよ?
好きですが?
これでいいんですよね、これで!」
「あー、なにを怒っているのか全くわからんが、これで機嫌を直せ」
不意打ち的に軽く課長がキスしてくる。
それに反射的に出した拳は、今度は避けられた。
「それがムカつくんじゃー!
だいたい、好きなら好きとちゃんと言わんかー!」
私は怒っているのに、課長は全くの平常運転だ。
「あれ?
言ってなかったか?
優奈、好きだ、愛してる」
軽い調子で再び、彼が唇を重ねてくる。
それになにか言おうとしたが、……諦めた。
「……うん。
もーいいです」
「じゃあ、充電させろ」
空気なんか読まずに、彼が唇を貪ってくる。
離れて、今日はぎゅーっと抱き締められた。
「……なあ。
いつもワイヤレス充電で一〇〇%ならないから、家でコード繋いで充電したい」
ニヤリ、と課長の右の口端が持ち上がる。
その問いに、私は。
【終】
「前からいい男だったけど、最近は艶が増したというか……」
「男の俺でもあの色香には思わず、抱いてくれと言いそうになる」
「眼鏡を変えたからなのかしら?」
なーんて絶賛、話題の人なのだ。
三十一歳、独身。
長身で余分な脂肪は一切ついていない、引き締まった身体。
ラフにセットされているのに一切の乱れがない黒髪、切れ長で涼やかな目もとにはほくろがひとつ、と元々が社内随一の美しい男なのだ、課長は。
それに最近、眼鏡を変えた。
いままでの黒縁スクエアから、銀縁スクエアに。
同じスクエアでも銀縁の方が上品なデザインなのでその分、色気が上がるのはわかる。
がしかし、彼が最近、妙に艶っぽい理由はそれではない。
「神代」
突然、伸びてきた手が私を部屋の中へ引き込む。
「充電、させろ」
気づいたときには壁に押さえつけられ、男――課長を見上げていた。
「朝、来たときに充電しましたよね?」
さりげなく胸を押し、拘束を解こうとするものの。
「もう切れる。
つべこべ言わずに充電させろ」
あっ、とか思ったときにはもう遅く、彼の唇が重なっている。
しかも、強引に私の唇をこじ開け、侵入してきた。
『はい、『エタンセル』です。
いつもお世話になっております』
『三井さーん、三番でーす』
一枚壁を隔てた向こうでは、みんないつもどおり仕事をしている。
なのに、私は。
「……ん、……んん」
密やかにふたりの空間に淫靡な吐息が満ちていく。
「……」
唇が離れ、課長を見上げる。
「充電、完了」
レンズ越しに目のあった彼は、ニヤリと右の口端を持ち上げた。
「なにが充電完了ですか!
いい加減会社でこんなことをするのはやめろとあれほど……!」
彼のネクタイをぐいっ、と掴んだら、降参だと手が上がる。
「だって、充電切れたら動けなくなるだろ」
「少し前のスマホか!?今日日のスマホ並みに保たせろ!」
いくら私が噛みついたところで、彼は全く堪えていない。
それがさらに、私をヒートアップさせる。
「えー、グラフィックの綺麗なソシャゲやったら、すぐに充電切れるだろうが」
「営業はソシャゲか!」
「うるさい。
そんなに言うなら……本格充電するぞ」
カチリ、と課長の手がベルトにかかり、ネクタイから手を離した。
「それは無し。
無しで」
今度は私の方がホールドアップし、彼からそろっと離れる。
「そうか、残念だな。
……充電終わったし、さっさと仕事に戻れ」
戻れって、あなたが引きずり込んだんですよね!?なんて口から出かかったが、かろうじて抑えた。
「……はい。
そうします」
握りしめた拳をぶるぶると震わせながら会議室を出る。
――課長が最近、綺麗になった理由。
それはこうやって、頻繁に私から充電しているからなのだ。
そもそもにおいて、課長と私がこういう関係になったのは、半月ほど前の話だ。
「……疲れた。
もう充電切れる」
時刻は夜の九時を過ぎようとしていた。
部内に残っているのは私と課長のふたりだけになっている。
「すみません、こんな時間まで付き合わせて」
「いや、神代に押しつけて帰った大西が悪い。
好きな、アイドルの出る番組をリアルタイムで観たいからって、どうせ録画してるんだろうに」
「は、はは」
はぁーっ、と課長が呆れたようにため息を落とし、とりあえず笑っておいた。
『リアサちゃんが今日、初めてテレビに出るんだ!
これはリアルタイムで観ないとダメだよね!?
ね、神代さんだってわかるでしょ?
じゃ、あとよろしく!』
と、明日、必要な書類の資料を私の机に詰んで、帰っていくのはいい。
大西さんの推しである地下アイドル、リアサちゃんがテレビに出るとなれば一大事なのはわかるし。
しかしながら、ならばなぜ、前もって仕事を片付けておかなかった?
そこは課長も同じらしくて。
「大西は明日、きつーく言わないとな」
ふ、ふふふっ、とか笑っている課長はまるで悪魔のようで、あんなに不平を漏らしていた私でも大西さんの無事を祈ってしまった。
「コーヒーでも淹れますから、休憩しますか」
「そうだな」
こきこきと凝り固まっていたであろう肩を、課長が動かす。
集中しすぎてあたまもふらふら、一息つかないと効率も落ちそうだ。
真っ暗な廊下を、非常灯を頼りに進み、給湯室の電気をつける。
もう火は落としてあるので、電気ポットに水を入れてスイッチを入れた。
「課長じゃないけど、充電切れそう」
『鹿江商事』さんの過去実績をまとめてほしい、と大西さんから渡されたのは三年分の資料だった。
でも正確さを期すならば取り引きのはじまった五年前からの方がいいのでは?
なんてやりだしたので、自業自得ともいえなくもない。
「終電までには帰れるかなー」
カップにインスタントコーヒーの粉を入れ、ぼーっとお湯が沸くのを待つ。
「神代」
「あ、はい!」
不意に課長から声をかけられ、驚いた。
「悪いな、オマエにさせて」
「いえ、別……うわっ!?」
いきなり、ぱっと電気が消え、悲鳴が漏れる。
身を小さく縮こませたまま、辺りをうかがった。
電気ポットの電気も消えているところを見るに、蛍光灯が切れたわけではなさそうだ。
「停電、かな。
そういやさっき、雷が」
課長の声は冷静だけれど。
「……課長、そこにいますよね?」
そろりと壁伝いに動き、手探りで彼を探す。
「いるけど?」
指先が彼の手らしきものにあたり、少し迷ってそれを掴んだ。
「神代?」
「えっ、あっ」
「もしかして、暗いの怖いのか?」
瞬間、掴んでいた手が私を引き寄せた。
「これで怖くないか?」
課長の腕が、私を包み込む。
香水の匂いと僅かに混ざった彼の体臭がふわりと香る。
その匂いに。
――胸が、ドキドキと高鳴った。
「意外だな、神代が暗いところが苦手だなんて。
……あ、ついた」
パチパチと蛍光灯が瞬き、明るくなる。
「……ありがとう、ございました」
熱い顔で彼から離れようとしたものの。
「……なあ。
キス、していいか?」
私をホールドしたまま、彼の手は緩まない。
それどころか壁ドン姿勢を取り、私の顎を持ち上げた。
「……え?」
無理矢理視線をあわせさせられた先、そこには艶を帯びた瞳が見える。
「なにを、言って」
「神代が可愛かったから、キスしたい。
ダメ、か?」
私をダメにする香りを纏わせ、魅惑的な瞳で見つめられればなにも言えなくなった。
黙っている私にかまわずに、眼鏡を外した彼の顔が傾きながら近づいてくる。
「……!」
唇が重なり、間抜けにも僅かに開いていた隙間から舌が侵入してくる。
すぐにそれは私を見つけ、ぬるりと絡められた。
「……ん」
思わず、鼻から甘ったるい息が抜けていく。
それを合図にするように、腰に回った課長の手が、ぐいっ、と私を引き寄せた。
わざとらしく音を立て、彼が私の舌を唾液ごと啜る。
壁に指を立て、それに耐えた。
課長の熱が私を満たし、体温を上げていく。
こんな熱いキス、私は――知らない。
「……」
唇が離れ、まだままならない息で課長を見上げた。
「……なあ。
充電したいんだけど、充電コード突っ込んでいい?」
眼鏡をかけた彼が私の鼓膜を甘い重低音で揺らし、あたまを痺れさせる。
「なに、を……?」
「これ」
私の手を取り、課長が触れさせたそこはきつそうに張り詰めていた。
「優奈の中へ入れて、充電したい」
「あっ」
耳たぶを甘噛みされ、思わず声が漏れる。
「ダメか?」
問いながらも再び唇が重なった。
了解だとばかりに、自分から彼を求める。
そして――。
「大丈夫か」
「……まあ」
ふらふらの私を、倒れないように課長が支えてくれる。
「なんというか、あれだ。
神代のおかげで充電できた。
助かった」
「……まあ、それは私も、同じなので」
「仕事、終わらせるか」
「そうですね」
なんか微妙な空気のまま、残りの仕事をこなし、何事もなかったかのようにこの日は帰った。
きっとあれは吊り橋効果って奴だったんだと思う。
苦手な真っ暗闇のあとで、課長にときめいただけ。
そもそも、あんなイケメンにときめかない方がおかしいんだし。
しかしながらその日から、課長に充電と称して関係を迫られるようになった。
断ればいいんだろうけれど、あの香りに包まれてレンズの奥から艶を帯びた瞳で見つめられたら、催眠術にでもかかっているかのように承知してしまう。
さすがに、課長曰く〝充電コード〟とやらを会社で挿させてやったのは、あの一回きりだが。
手軽に充電ができるようになった課長といえば、お肌つやつや、髪もさらさらと、その美しさに磨きをかけているというわけだ。
「神代。
充電させろ」
今日も商談から帰ってきて電池を大量消費した課長は、私を人気のない物陰に引きずり込んだ。
――しかしながら。
「課長にとって私は、ただの充電バッテリーですか?」
もう一方的に課長から、関係を求められるのは嫌なのだ。
私はものではない、人間だから。
「は?」
一言発した状態で、彼は固まっている。
やはり、そうだったのだと落ち込んだものの。
「いや、恋人だと思っているが?」
「は?」
予想外の言葉に、今度は私が固まった。
「俺は優奈が好きだからキスしたいし、そういう関係になりたいと思ったんだが、優奈は違うのか?」
「え?」
違うのかって、そりゃ……好きですが?
だからこそセフレだって割り切れなくて、こんなにもやもや悩んでいたわけだし。
でも課長だって一言もそんなことを言ってくれなかったわけで。
「わるい、優奈ってもしかして、好きでもない男に抱かれる軽い女……だったのか?」
「そんなことあるかー!」
「ぐふっ!」
繰り出した拳は、華麗に課長の腹へ決まった。
悶絶している彼を、ふん!と鼻息荒く見下ろす。
「好きですよ?
好きですが?
これでいいんですよね、これで!」
「あー、なにを怒っているのか全くわからんが、これで機嫌を直せ」
不意打ち的に軽く課長がキスしてくる。
それに反射的に出した拳は、今度は避けられた。
「それがムカつくんじゃー!
だいたい、好きなら好きとちゃんと言わんかー!」
私は怒っているのに、課長は全くの平常運転だ。
「あれ?
言ってなかったか?
優奈、好きだ、愛してる」
軽い調子で再び、彼が唇を重ねてくる。
それになにか言おうとしたが、……諦めた。
「……うん。
もーいいです」
「じゃあ、充電させろ」
空気なんか読まずに、彼が唇を貪ってくる。
離れて、今日はぎゅーっと抱き締められた。
「……なあ。
いつもワイヤレス充電で一〇〇%ならないから、家でコード繋いで充電したい」
ニヤリ、と課長の右の口端が持ち上がる。
その問いに、私は。
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