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第八章 ワルイコトにピンチです

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ミドリさんが私を連れてきたのは自宅でもマンションでもなく、炯さんの会社だった。

「凛音……!」

苛々と裏口で待っていた炯さんが、車が止まった途端に抱き抱えるようにして私を降ろしてくれる。

「とりあえず俺の部屋へ行こう」

炯さんに抱っこされたまま、移動する。
人払いでもしてあるのか、社長室に着くまで誰にも会わなかった。

「なんか飲むか。
落ち着くぞ」

私をソファーに下ろそうとした彼に、きつく抱きつく。
そのまま、離れないでと胸に顔をうずめたまま首を振った。

「……わかった」

小さくため息をつき、炯さんは私を抱いたままソファーに座った。

「大丈夫か?
って、大丈夫じゃないよな」

大好きな彼の香りに包まれ、ようやくまともに息ができる気がする。
厚い胸板に、酷く安心する。
しばらくその状態でいて、ようやく落ち着いた。

「すみません、お仕事の邪魔をして」

そろそろと離れて顔を見上げると、炯さんは指先で私の目尻を拭った。

「仕事よりも凛音が大事に決まってるだろ」

レンズの向こうから真っ直ぐに私を見ている瞳は、揺るがない。
しかし、妻を娶ってもかまう暇がないなどと言っていた人間とは思えない台詞だ。
けれどそれだけ、自分は炯さんに愛され、大事にされているのだと胸が熱くなった。

私が落ち着き、炯さんはコーヒーを淹れてくれた。
しかも私がリラックスできるようにか、ミルクを入れた甘めのコーヒーだ。

「それで。
なにがあった?」

飲み終わり、一息ついたところでさりげなく彼が聞いてくる。

「……その。
抱きつかれ、て」

「抱きつかれたぁ?」

不快そうに炯さんの語尾が上がっていく。
これはまた、彼の嫉妬スイッチを押してしまったのかと思ったものの。

「……そうか、抱きつかれたのか」

乾いた笑いを落としながらコーヒーを飲む、彼の手は震えている。
もしかして、前回を反省してものすごく我慢してくれている?

「それで凛音から、別の男のにおいがするんだな」

その言葉で、びくっと身体が震えた。
やはりまた、烈火のごとく嫉妬に狂うんだろうか。

「凛音に移り香を残していいのは、俺だけだ」

カップを置いた彼が、再び私を抱き締めてくる。

「とりあえず、上書きしておかないとな」

まるでマーキングするみたいに身体を擦りつけられた。
私も、全身の空気を入れ換えるかのように彼の匂いを吸い込む。

「……炯さんの匂い、好き……」

凄く安心するし、それに。
――酔ったみたいに頭がくらくらする。

「ん、俺もこの香水の匂い、好きなんだよな」

仕上げなのか、つむじに口付けが落とされた。

「んー、香水の匂いだけじゃなくて、……炯さんの匂い?がするんですよ」

香水なら彼のいない日、淋しくてこっそり借り、枕に振って抱き締めて寝たことがある。
でもあれはなんか違ったのだ。
ぬくもりがないからだといわれればそれまでだが、たぶん香水と汗のにおいだとかが混ざりあった〝炯さんの匂い〟が私にとって、一番心地いい匂いになっているんだと思う。

「なんだよ、それ」

おかしそうに彼は笑っているが、私も上手く説明できないからいい。

「それで。
抱きつかれただけか?」

「はい。
キス、されそうになりましたけど、携帯が鳴り出して」

あれは本当にいいタイミングだったが、なんだったんだろう?

「腕時計が役に立ったな」

「腕時計?」

わけがわからなくて炯さんの顔を見上げる。

「凛音の危険を察知して、俺たちに通知が行くって言っただろ?」

私の左手首を持ち上げ、そこに嵌まる腕時計に炯さんは口付けを落とした。
確かにこの腕時計をもらったときに、言われた。

「凛音の携帯から警報も鳴るようになってるんだ。
こっちから操作しない限り、止まらない」

そうだったんだ。
だから、ベーデガー教授は止められずに携帯を壊した。

「それに今日は、ミドリを近くに待機させていたからな」

「……は?」

さすがにそれには、変な声が出た。
言われれば警報が鳴り出してからミドリさんの登場までさほどなかった。
家から大学まであの時間で来るなんて、瞬間移動でもしない限り無理だ。

「またアイツが凛音に手を出してきたら困るだろ?
だからなにかあってもすぐに対応できるように、ミドリを待機させておいた」

「そうなんですね」

「本当は俺が待機していたかったんだがな」

眼鏡の下で眉間に皺を寄せた彼は後悔しているように見えた。
それが嬉しくて、甘えるようにその胸に額を預ける。

「……ちょっと大騒ぎ、しすぎちゃいましたかね」

いまさらながら、ここまで過剰に反応しなくてもよかったんではないかという気がしてきた。
後ろから抱きつかれただけで、それ以外はなにもされていない。
あ、いや、キスはされそうになったが。

「仕事も放り出してきちゃいましたし」

きちんと早退すると報告もせずに帰ってきてしまった。
あのときはいっぱいいっぱいだったとしても、社会人としては失格だと思う。

「大騒ぎじゃないだろ。
その気もない男に抱きつかれても怖いだけだ。
普通の女じゃ男の力には敵わないんだしな」

慰めるように彼が、私の背中を軽くぽんぽんと叩く。

「ひとつ確認するが。
アイツの件は上司に報告したんだよな?」

「……はい。
したんですけど……」

炯さんに、報告はしたが恋愛は個人の問題だと取りあえってもらえなかったと話す。

「なんだよそれ。
その気のない凛音に無理矢理キスしてきた時点で、犯罪だろ。
それを個人の問題?
しかも加害者の元へ被害者ひとりで行かせる?
正気か、その上司」

「いたっ」

彼はかなりご立腹なようで、私を抱き締めている腕に力が入る。
無意識なので加減を知らず、身体に強い痛みが走った。

「あ……。
ごめん」

すまなそうに彼が詫びてくる。
それにううんと首を振った。
痛かったけれど、それだけ彼が私のために怒ってくれているのは、嬉しい。

「とにかく、弁護士を通じて厳重に抗議する。
凛音が暴行を受けたというのに、疑っていた大学側にもな」

暴行は言いすぎじゃないかと思うが、でもそうなるのかな……。
しかし、上司はベーデガー教授の顔色をうかがって保身を図っていたようだが、それよりももっと大変な人の反感を買ってしまった気がする。

「そんなところなら、あの大学への寄付や優遇は考えたほうがいいかもな」

炯さんは真剣に考えているが、それって?

「あの……」

「ああ。
三ツ星の幹部にはあの大学出身の者が少なからずいる。
その縁もあって工学部の人間を採用したりもしてるが、大学側がこれだとな……」

これで、「三ツ星の若社長の耳に入っている」と言われ、大学職員たちが怯えていた理由がわかった。
あと、私がここの大学で働くのに炯さんが大賛成だった理由も。

「どうする?
これから」

炯さんが私の顔をのぞき込む。
なにを指しているのかわからなくて、何度か瞬きをしてしまった。

「俺としてはあそこ、辞めてほしいんだけど」

そこまで言われてようやく、仕事をどうするかと聞かれているのだと気づいた。

「そう、ですね……」

働きたい気持ちはある。
しかし、ベーデガー教授に会うのは怖かった。
それにまた同じようなことがあっても職場の対応があれだとすれば、不安が残る。

「……辞めよう、かな」

働き始めてあまり経たずに辞めるのは無責任だとは思うが、それよりも身の安全のほうが大事だ。

「そうしたらいい。
こっちで手続きしておくから、凛音はなにもしないでいいからな」

ほっとしたように炯さんが頷く。
そうだよね、あんな職場に私を働きに行かせるとか、安心できないよね。

「でも、荷物とかご挨拶とか」

「いつ、アイツと鉢合わせするかわからないんだぞ?
それにそんな考えの上司と話をしてこれ以上、凛音は不快な思いをしなくていい」

「……ありがとう、ございます」

甘えるように軽く、彼と唇を重ねる。

「お、俺は、当たり前のことをしているだけで……」

珍しく私からキスしてもらえたからか、炯さんは眼鏡の弦のかかる耳を真っ赤に染め、ぽりぽりと人差し指で頬を掻いた。
過保護、だとは思う。
でもその気持ちが、私を幸せにしてくれる。
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