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第八章 ワルイコトにピンチです
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午後からは……ベーデガー教授のところへお届けが入っていた。
「あの。
誰か代わってもらえませんか?」
彼とふたりっきりとか絶対になりたくない。
事務所にいる人たちに声をかける。
「それ、城坂さんの仕事でしょ?
私たちが行っても、ベーデガー教授の話し相手はできないし」
すぐにひとりが顔を上げ、素っ気なく私に言ってきた。
私の仕事にはベーデガー教授専任だとか、ましてや彼の話し相手だとかはない。
事実上、そうなっている部分はあるけれど。
ちらりと奥に座る副館長をうかがうが、さっと目を逸らされた。
今朝、あんな報告をしてきた女性職員をひとりで加害者の元へ行かせるなんて、正気なんだろうか。
「あ、私が一緒に……」
「島西さんは急ぎの仕事、まだ終わってないでしょ?
それにあれくらい、ひとりで持てる」
「うっ」
せっかく島西さんが助け船を出そうとしてくれたのに、先輩スタッフに止められた。
島西さんは私に視線を向けて片手で軽く謝ってきたが、気にしないでと私も首を横に振る。
その気遣いだけでもありがたい。
「早く行ってきてよ。
まだ仕事、あるんだし」
「……はい」
先輩スタッフに促され、仕方なく本を抱えて事務所を出る。
重い足を引きずってベーデガー教授の部屋へと向かった。
もしかして島西さん以外のスタッフは全員、ベーデガー教授から何らかの供与を受けているんだろうか……?
などと私が疑っても、おかしくない。
『ベーデガー教授、ご依頼の本をお持ちしました』
『入ってー』
留守にしてくれていればいいのにと願ったが、ノックするとすぐに中から声が返ってくる。
『……失礼します』
おそるおそる部屋に入ると、ベーデガー教授がこちらに向かってきているのが見えた。
『ご依頼の本です!
じゃあ!』
手近な棚に叩きつけるように本を置き、速攻で出ていこうとする。
『待って!』
しかし私がドアを開けるよりも早く、彼の手が私の手首を掴んだ。
『あれから大丈夫だった?』
教授の声は心配そうだが、そもそも原因を作ったのは彼だ。
なのに、白々しい。
『彼に酷いことをされなかったかい?』
離してくれと手を振るが、彼の手は離れない。
「は、離して……!」
恐怖で身体が硬直する。
また、無理矢理キスされるんじゃないか。
いや、キスだけならまだいい。
ふたりっきり、しかも鍵のかかる室内、それ以上の行為におよばれても不思議ではない。
もう、あの一件から彼は私の中で困った人から、警戒しなければならない加害者に代わっていた。
『僕は凛音があの男から、虐待されてないか心配なんだ』
「……ひゅっ」
強引に教授から抱き締められ、喉が変な音を立てて呼吸が止まる。
『女の子をあんなに睨みつけるとか、本当に酷いよね。
あんな人間が凛音を大事にしているとは思えないよ』
……息が、苦しい。
上手く呼吸ができない。
そのせいか頭がぼーっとして、ベーデガー教授がなにを言っているのか、よく聞き取れなかった。
『ねえ、凛音。
あんな男となんか別れて、僕のところへおいでよ。
僕なら凛音を幸せにしてあげられるよ』
私を自分のほうへ向かせ、教授が顔をのぞき込む。
涙が滲んでよく周りが見えない。
それでもただ、私を幸せにできるのは炯さんだけだと、声にならない声で反論していた。
『凛音……』
彼の顔がゆっくりと近づいてくる。
押し退けたいのに、身体に力が入らない。
……キスなんて絶対、されたくない。
ただなすすべもなく、教授の顔を見つめる。
彼の唇が私の唇に触れる――直前。
ブー! ブー! ブー! ブー! と、耳をつんざくようなけたたましい音が私のエプロンの中から聞こえてきた。
『なんだ!?』
さすがのベーデガー教授も酷く驚いた様子で、私から離れる。
支えがなくなり、私はガクンとその場に座り込んだ。
『ほんとに、なんだ!?』
音にかき消され、教授の声はほとんど聞こえない。
彼は音の元を特定しようと、私の身体――エプロンに触ってきた。
「い、いや」
かろうじてそれだけを絞り出し、逃げようと後退する。
しかし、すぐに棚にぶち当たってしまった。
『これか』
抵抗する私のエプロンから彼が取り出したのは、――私の携帯、だった。
『くそっ、止まらない!』
教授は音を止めようと四苦八苦やっているが、一向に止まらない。
それどころか。
「ベーデガー教授!
なんの音ですか!?」
音を聞きつけ集まってきた人たちがドアを叩いた。
「スミマセン、警報装置ガ誤作動ヲ起コシタミタイナンデスヨ」
ドアを開け、爽やかに笑って彼は説明している。
……誰か、助けて。
そう願うものの、ドアがちょうど目隠しになり、私の姿は彼らには見えなかった。
「止メ方ガワカラナカッタンデスガ、説明書ガ出テキタノデ、スグニ止メマス。
本当ニスミマセン」
「わかりました、よろしくお願いしますよ」
教授の説明で納得したのか、ドアが閉まる。
足音が遠ざかると同時に彼は携帯を床に落とした。
ガツッ、と勢いよく革靴の踵が携帯に叩き込まれ、音が静かになる。
『ほんとに、うるさいったらありゃしない』
はぁっと面倒臭そうにため息をつき、彼は私の前にしゃがみ込んだ。
『あんなものを持たされているなんて、可哀想だね』
彼の手が私を顎にかかり、無理矢理、眼鏡越しに目をあわせさせる。
どこか愉しそうな碧い瞳を、怯えて見ていた。
「あの。
誰か代わってもらえませんか?」
彼とふたりっきりとか絶対になりたくない。
事務所にいる人たちに声をかける。
「それ、城坂さんの仕事でしょ?
私たちが行っても、ベーデガー教授の話し相手はできないし」
すぐにひとりが顔を上げ、素っ気なく私に言ってきた。
私の仕事にはベーデガー教授専任だとか、ましてや彼の話し相手だとかはない。
事実上、そうなっている部分はあるけれど。
ちらりと奥に座る副館長をうかがうが、さっと目を逸らされた。
今朝、あんな報告をしてきた女性職員をひとりで加害者の元へ行かせるなんて、正気なんだろうか。
「あ、私が一緒に……」
「島西さんは急ぎの仕事、まだ終わってないでしょ?
それにあれくらい、ひとりで持てる」
「うっ」
せっかく島西さんが助け船を出そうとしてくれたのに、先輩スタッフに止められた。
島西さんは私に視線を向けて片手で軽く謝ってきたが、気にしないでと私も首を横に振る。
その気遣いだけでもありがたい。
「早く行ってきてよ。
まだ仕事、あるんだし」
「……はい」
先輩スタッフに促され、仕方なく本を抱えて事務所を出る。
重い足を引きずってベーデガー教授の部屋へと向かった。
もしかして島西さん以外のスタッフは全員、ベーデガー教授から何らかの供与を受けているんだろうか……?
などと私が疑っても、おかしくない。
『ベーデガー教授、ご依頼の本をお持ちしました』
『入ってー』
留守にしてくれていればいいのにと願ったが、ノックするとすぐに中から声が返ってくる。
『……失礼します』
おそるおそる部屋に入ると、ベーデガー教授がこちらに向かってきているのが見えた。
『ご依頼の本です!
じゃあ!』
手近な棚に叩きつけるように本を置き、速攻で出ていこうとする。
『待って!』
しかし私がドアを開けるよりも早く、彼の手が私の手首を掴んだ。
『あれから大丈夫だった?』
教授の声は心配そうだが、そもそも原因を作ったのは彼だ。
なのに、白々しい。
『彼に酷いことをされなかったかい?』
離してくれと手を振るが、彼の手は離れない。
「は、離して……!」
恐怖で身体が硬直する。
また、無理矢理キスされるんじゃないか。
いや、キスだけならまだいい。
ふたりっきり、しかも鍵のかかる室内、それ以上の行為におよばれても不思議ではない。
もう、あの一件から彼は私の中で困った人から、警戒しなければならない加害者に代わっていた。
『僕は凛音があの男から、虐待されてないか心配なんだ』
「……ひゅっ」
強引に教授から抱き締められ、喉が変な音を立てて呼吸が止まる。
『女の子をあんなに睨みつけるとか、本当に酷いよね。
あんな人間が凛音を大事にしているとは思えないよ』
……息が、苦しい。
上手く呼吸ができない。
そのせいか頭がぼーっとして、ベーデガー教授がなにを言っているのか、よく聞き取れなかった。
『ねえ、凛音。
あんな男となんか別れて、僕のところへおいでよ。
僕なら凛音を幸せにしてあげられるよ』
私を自分のほうへ向かせ、教授が顔をのぞき込む。
涙が滲んでよく周りが見えない。
それでもただ、私を幸せにできるのは炯さんだけだと、声にならない声で反論していた。
『凛音……』
彼の顔がゆっくりと近づいてくる。
押し退けたいのに、身体に力が入らない。
……キスなんて絶対、されたくない。
ただなすすべもなく、教授の顔を見つめる。
彼の唇が私の唇に触れる――直前。
ブー! ブー! ブー! ブー! と、耳をつんざくようなけたたましい音が私のエプロンの中から聞こえてきた。
『なんだ!?』
さすがのベーデガー教授も酷く驚いた様子で、私から離れる。
支えがなくなり、私はガクンとその場に座り込んだ。
『ほんとに、なんだ!?』
音にかき消され、教授の声はほとんど聞こえない。
彼は音の元を特定しようと、私の身体――エプロンに触ってきた。
「い、いや」
かろうじてそれだけを絞り出し、逃げようと後退する。
しかし、すぐに棚にぶち当たってしまった。
『これか』
抵抗する私のエプロンから彼が取り出したのは、――私の携帯、だった。
『くそっ、止まらない!』
教授は音を止めようと四苦八苦やっているが、一向に止まらない。
それどころか。
「ベーデガー教授!
なんの音ですか!?」
音を聞きつけ集まってきた人たちがドアを叩いた。
「スミマセン、警報装置ガ誤作動ヲ起コシタミタイナンデスヨ」
ドアを開け、爽やかに笑って彼は説明している。
……誰か、助けて。
そう願うものの、ドアがちょうど目隠しになり、私の姿は彼らには見えなかった。
「止メ方ガワカラナカッタンデスガ、説明書ガ出テキタノデ、スグニ止メマス。
本当ニスミマセン」
「わかりました、よろしくお願いしますよ」
教授の説明で納得したのか、ドアが閉まる。
足音が遠ざかると同時に彼は携帯を床に落とした。
ガツッ、と勢いよく革靴の踵が携帯に叩き込まれ、音が静かになる。
『ほんとに、うるさいったらありゃしない』
はぁっと面倒臭そうにため息をつき、彼は私の前にしゃがみ込んだ。
『あんなものを持たされているなんて、可哀想だね』
彼の手が私を顎にかかり、無理矢理、眼鏡越しに目をあわせさせる。
どこか愉しそうな碧い瞳を、怯えて見ていた。
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