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第三章 これからはじめるワルイコト
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興奮気味に手を引っ張って歩く私に、炯さんは笑いながら付き合ってくれた。
さらに服を二セットと下着にパジャマ、あとは今日履く靴とバッグを買った頃には大満足していた。
「いいお洋服が買えました」
「よかったな」
休憩で入ったコーヒーショップ、にこにこ笑う私の前で、炯さんもにこにこ笑ってアイスコーヒーのストローを咥えている。
私の前には前から飲んでみたかった、呪文みたいな名前のフラッペが置かれていた。
もちろん、コーヒーショップは初体験で、注文は自分でさせてもらった。
「でもこれ、どこで着替えるんですか?」
前回は一式お買い上げしたのもあって、お店の試着室で着替えさせてもらった。
でも今日はもうすでに、買ったショップを出ている。
「いったん、マンションに行く」
「いいんですか?」
それは安心して着替えられそうだけれど、そんな手間をかけさせていいのか気になった。
「明日は休みだし、遅くなってもかまわない。
それに凛音をそのへんのトイレで着替えさせるとか、危険なことできないからな」
「トイレで……着替える?」
炯さんはうんうんと頷いているが、私にとって謎シチュエーションが出てきて頭の中ははてなマークでいっぱいだった。
「着替えスペースがあるトイレとかもあるんだよ。
でも、公共のトイレに行かせるだけでも不安なのに、着替えまではな……」
眼鏡の下で、彼の眉間に深ーい皺が刻まれる。
「でも、トイレって女性だけですし……」
そんなに嫌がるほど、危険なんてないと思うんだけどな。
「バカ。
隙を狙って何食わぬ顔で入ってくるヤツもいるし、そのまま隠れているヤツもいる。
盗撮カメラが仕掛けられていたりする場合もあるしな」
炯さんはどこまでも真剣で、少しも冗談を言っている様子はない。
それを聞いて身体がぶるりと震えた。
「……怖い」
世の女性たちは、そんな恐怖と戦っているんだ。
私は誘拐の危険はあったものの、おかげでボディーガードが傍にいることが多く、そういう危険には怯えなくて……というよりも気にすることなく過ごしてきた。
いかに自分が、恵まれた環境なのか痛感した。
「悪いことしに街に出るのはいいが、誘拐以外にもそういう危険があるんだってよく覚えておけ。
まあ、ミドリを付けてるから大丈夫だとは思うけどな」
「はい、気をつけます」
とはいえ、なにをしていいのかわからないけれど。
フラッペを飲み終わり、荷物を持って車に戻る。
もっとも、荷物は全部、炯さんが持ってくれたが。
だって!
私も持つって言っても、ひとりで持てるから大丈夫だって持たせてくれないんだもの!
「マンションってここから遠いんですか?」
「いや?
十分くらいだ」
黒のSUVは滑るように夕暮れの街を進んでいく。
あの日、車で彼の正体がわかったんじゃないかといわれそうだが、ドイツ製のこのクラスの車なら、ちょっと稼いでる会社の社長くらいなら乗っていてもおかしくない。
聞いたとおり十分程度で、見えてきたタワーマンションの地下に炯さんは車を入れた。
「ここを借りているんだ」
一緒に乗ったエレベーターには、建物の割にボタンが少ない。
どうも高層階住人専用のようだ。
「ようこそ、俺の別宅へ」
「お、お邪魔します……」
招かれた部屋の中へ、おそるおそる足を踏み入れる。
本宅とは違い、こちらはモデルルームかのように作りものめいていた。
まあ、寝るだけのために借りているとか言っていたし、そのせいかもしれない。
「寝室、こっちだから着替えろ」
「はい」
案内された寝室で、先ほど買った服に着替える。
本宅に比べれば狭い寝室には、ベッドとライティングデスクが置いてあった。
髪型も服にあうように変え、メイクを直してリビングへと行く。
「着替えました」
「似合ってるな」
ソファーに座る炯さんが、ちょいちょいと手招きをするので、その隣に座った。
「ちょうど届いてた」
私の左手を取り、手首に彼は腕時計を嵌めた。
「これは……?」
ピンクゴールドの盤面に、薄茶色のバンドのそれは上品で好みだが、そこまでの必要性を感じない。
「今まで着けてた、ブレスレットの進化版といったところかな?」
私がよっぽど不思議そうな顔をしていたからか、炯さんはくすりと小さくおかしそうに笑った。
「スマートウォッチなんだ。
凛音の身体に異常を感知したとき、俺と使用人たちに居場所とともに通知が行くようになってる」
「そうなんですか」
じゃあ、今までの携帯とブレスレットの役割が、これになったと思えばいいのかな。
「あ、言っておくが、異常を感知したときしか俺たちにはそれで凛音の居場所はわからない。
とはいえ、監視しているみたいで申し訳ないが、凛音になにかあったら困るからな」
本当に心配しているようで、炯さんの眉間に力が入る。
でも、そうだよね。
過去に何度か誘拐されそうになっているとか聞かされていたら。
それに一般女性でも普通に生活しているだけで危険があるんだって言っていた。
だったら、これは必要なものなんだって私にだってわかる。
「わかってます。
それに二十四時間監視されているわけでもないですし」
実家にいた頃は携帯で常に、どこにいるのか監視されていた。
でもこれからはなにかあったときだけだ。
別に知られてやましいところへ行く気もないが、それだけで気持ちの開放感が違う。
「わるいな」
本当にすまなそうに彼が、私の頭を軽くぽんぽんと叩く。
それが悪くないなって思っていた。
さらに服を二セットと下着にパジャマ、あとは今日履く靴とバッグを買った頃には大満足していた。
「いいお洋服が買えました」
「よかったな」
休憩で入ったコーヒーショップ、にこにこ笑う私の前で、炯さんもにこにこ笑ってアイスコーヒーのストローを咥えている。
私の前には前から飲んでみたかった、呪文みたいな名前のフラッペが置かれていた。
もちろん、コーヒーショップは初体験で、注文は自分でさせてもらった。
「でもこれ、どこで着替えるんですか?」
前回は一式お買い上げしたのもあって、お店の試着室で着替えさせてもらった。
でも今日はもうすでに、買ったショップを出ている。
「いったん、マンションに行く」
「いいんですか?」
それは安心して着替えられそうだけれど、そんな手間をかけさせていいのか気になった。
「明日は休みだし、遅くなってもかまわない。
それに凛音をそのへんのトイレで着替えさせるとか、危険なことできないからな」
「トイレで……着替える?」
炯さんはうんうんと頷いているが、私にとって謎シチュエーションが出てきて頭の中ははてなマークでいっぱいだった。
「着替えスペースがあるトイレとかもあるんだよ。
でも、公共のトイレに行かせるだけでも不安なのに、着替えまではな……」
眼鏡の下で、彼の眉間に深ーい皺が刻まれる。
「でも、トイレって女性だけですし……」
そんなに嫌がるほど、危険なんてないと思うんだけどな。
「バカ。
隙を狙って何食わぬ顔で入ってくるヤツもいるし、そのまま隠れているヤツもいる。
盗撮カメラが仕掛けられていたりする場合もあるしな」
炯さんはどこまでも真剣で、少しも冗談を言っている様子はない。
それを聞いて身体がぶるりと震えた。
「……怖い」
世の女性たちは、そんな恐怖と戦っているんだ。
私は誘拐の危険はあったものの、おかげでボディーガードが傍にいることが多く、そういう危険には怯えなくて……というよりも気にすることなく過ごしてきた。
いかに自分が、恵まれた環境なのか痛感した。
「悪いことしに街に出るのはいいが、誘拐以外にもそういう危険があるんだってよく覚えておけ。
まあ、ミドリを付けてるから大丈夫だとは思うけどな」
「はい、気をつけます」
とはいえ、なにをしていいのかわからないけれど。
フラッペを飲み終わり、荷物を持って車に戻る。
もっとも、荷物は全部、炯さんが持ってくれたが。
だって!
私も持つって言っても、ひとりで持てるから大丈夫だって持たせてくれないんだもの!
「マンションってここから遠いんですか?」
「いや?
十分くらいだ」
黒のSUVは滑るように夕暮れの街を進んでいく。
あの日、車で彼の正体がわかったんじゃないかといわれそうだが、ドイツ製のこのクラスの車なら、ちょっと稼いでる会社の社長くらいなら乗っていてもおかしくない。
聞いたとおり十分程度で、見えてきたタワーマンションの地下に炯さんは車を入れた。
「ここを借りているんだ」
一緒に乗ったエレベーターには、建物の割にボタンが少ない。
どうも高層階住人専用のようだ。
「ようこそ、俺の別宅へ」
「お、お邪魔します……」
招かれた部屋の中へ、おそるおそる足を踏み入れる。
本宅とは違い、こちらはモデルルームかのように作りものめいていた。
まあ、寝るだけのために借りているとか言っていたし、そのせいかもしれない。
「寝室、こっちだから着替えろ」
「はい」
案内された寝室で、先ほど買った服に着替える。
本宅に比べれば狭い寝室には、ベッドとライティングデスクが置いてあった。
髪型も服にあうように変え、メイクを直してリビングへと行く。
「着替えました」
「似合ってるな」
ソファーに座る炯さんが、ちょいちょいと手招きをするので、その隣に座った。
「ちょうど届いてた」
私の左手を取り、手首に彼は腕時計を嵌めた。
「これは……?」
ピンクゴールドの盤面に、薄茶色のバンドのそれは上品で好みだが、そこまでの必要性を感じない。
「今まで着けてた、ブレスレットの進化版といったところかな?」
私がよっぽど不思議そうな顔をしていたからか、炯さんはくすりと小さくおかしそうに笑った。
「スマートウォッチなんだ。
凛音の身体に異常を感知したとき、俺と使用人たちに居場所とともに通知が行くようになってる」
「そうなんですか」
じゃあ、今までの携帯とブレスレットの役割が、これになったと思えばいいのかな。
「あ、言っておくが、異常を感知したときしか俺たちにはそれで凛音の居場所はわからない。
とはいえ、監視しているみたいで申し訳ないが、凛音になにかあったら困るからな」
本当に心配しているようで、炯さんの眉間に力が入る。
でも、そうだよね。
過去に何度か誘拐されそうになっているとか聞かされていたら。
それに一般女性でも普通に生活しているだけで危険があるんだって言っていた。
だったら、これは必要なものなんだって私にだってわかる。
「わかってます。
それに二十四時間監視されているわけでもないですし」
実家にいた頃は携帯で常に、どこにいるのか監視されていた。
でもこれからはなにかあったときだけだ。
別に知られてやましいところへ行く気もないが、それだけで気持ちの開放感が違う。
「わるいな」
本当にすまなそうに彼が、私の頭を軽くぽんぽんと叩く。
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