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第二章 楽しいワルイコト

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そのあとはこれからについて相談した。

「入籍と式はまだ先だが、とりあえず俺の家に移ってきたらいい」

「えっと……。
結婚が決まっているとはいえ、嫁入り前の娘が男性と同棲だなんて、許されるんでしょうか」

なぜか炯さんは、カップを持ち上げたまま固まっている。

「……それ、本気で言ってるのか?」

「え?」

僅かな間のあと、眼鏡の奥で何度か瞬きして彼はカップをソーサーに戻した。
私としては至極当たり前の意見だったが、なにか変だったんだろうか。

「……はぁーっ」

まるで気が抜けたかのように炯さんは大きなため息をついた。

「あんな大胆な行動ができるかと思えば、これだもんな。
まったく」

ちらりと彼の視線がこちらを向く。
それは呆れているようでも喜んでいるようでもあった。

「あのさ」

「はい」

次になにを言われるのかわからなくて、どきどきしながら続く言葉を待つ。

「もう俺ら、寝た仲だろ?
いまさらじゃないか」

少しのあいだ言われた意味を吟味し、私は嫁入り前なのに結婚相手とは違う人間――だとあのときは思っていた――とそういう行為におよんでしまったのだと思い至った。

「ソ、ソウデスネ」

あの夜を思い出し、声はぎこちなくなる。
震える手でグラスを掴み、ストローを咥えた。

「まあいいから、俺の家に移ってこい?
それで俺がいっぱい、悪いこと教えてやるからさ」

「……え?」

つい、炯さんの顔をまじまじと見ていた。
悪いことを教えるとはどういう意味なんだろう?
「まさか、楽しい悪いことがあれだけだと思ってるのか?
世の中には一生かかっても遊び尽くせないくらい、楽しい悪いことがあるの。
俺が可能な限り、教えてやる」

私の気持ちがわかっているのか、炯さんが力強く頷く。
結婚すれば今度は良家の奥様という役割を押しつけられ、そのように振る舞うように強制されるものだと思っていた。
なのに彼は、私に自由をくれるというのだろうか。

「時間を無駄にしたくないからな。
だから早く俺の家に移ってきて、一緒に悪いことやろうぜ」

右頬を歪め、実に人の悪い顔で彼が笑う。
でもそれが私には、酷く眩しく見えた。

「は、はい……!」

嬉しくて胸がいっぱいになる。
浮かんできた涙は気づかれないように、さりげなく拭った。
結婚を待たずにすぐにでも越してこいなんてきっと、少しでも早く私をあの窮屈な生活から解放してやろうという彼の心遣いだ。
結婚相手になんの期待もしていなかった。
ただ、暴力を振るう人じゃなかったらいいな、くらいにしか思っていなかった。
でも、私は本当にいい人と結婚するんだな。

雑談を交えながら引っ越しの相談をする。
炯さんは郊外の一軒家に住んでいるが、忙しいときは都心のマンションで過ごしているらしい。

「凛音はどっちに住みたい?
街へのアクセスのよさならマンションだが、こっちは基本、寝に帰るだけだ。
ゆっくりしたい休日などは家に帰るが、少し街から離れているから不便ではある」

「そうですね……」

今だって街まですぐなんて場所に住んでいるわけではない。
それに疲れて帰ってきたら、ひとりになりたいかも?
だったら郊外の家のほうかな。
などと悩んでいたが。

「あ、あと。
俺はあまり家に帰らない。
海外出張が多いんだ。
わるいな」

本当に申し訳なさそうに彼が詫びてくる。
忘れていたわけではないが、彼は海運業会社の社長なのだ。
父の会社の石油運輸も請け負っており、それも彼が結婚相手になる要因にもなった。
海外が仕事の現場となれば、出張が多いのは当たり前だ。

「……そうなんですね」

それでも、これからの彼との楽しいあれやこれやに思いをはせていただけに、落胆を隠しきれない。
悪いとわかってはいたが、落ち込んでしまう。

「そんな顔をするな」

目の前が少し暗くなったかと思ったら、わしゃわしゃと柔らかく髪を撫でられた。

「俺まで悲しくなる」

顔を上げると、炯さんは困ったように笑っていた。
お仕事なのに私はなんてことを。
猛烈に後悔が襲ってくる。

「ごめんなさい」

椅子の上で身を小さく縮こまらせる。
彼だって申し訳なく思っているから、先に断って詫びてくれた。
なのに、不満に思うなんて最低だ。

「だから。
そんな顔するなって」

完全に困惑した顔で、どうしたらいいのかわからないのか、炯さんは後ろ頭を掻いている。
彼を困らせているのはわかっているが、そうしている自分が情けなくて、ますます落ち込んでいった。

「ほら。
なんか食べて機嫌直せ。
パフェか?
ケーキか?
それとも別の店に行くか?」

スタッフに持ってきてもらったメニューを、彼が私の前に広げる。
……ああ、そうか。
炯さんは私を落ち込ませたと後悔しているんだ。
だったら、私の今の態度はよくない。

「すみません、大丈夫なので」

精一杯、安心させるように彼に笑いかける。
いつまでも浮かない顔をしていたら、炯さんを困らせるだけだ。

「本当か?
なんでも頼んでいいんだぞ?」

それでもまだ、彼は心配そうに私の顔をのぞき込んだ。

「はい。
すみません、困らせてしまって」

「いや、いい。
それだけ俺との生活を楽しみにしてくれていたのは、嬉しかったからな」

僅かに、彼の口もとが緩む。
それで私も嬉しくなるのはなんでだろう?
「でも、なんか頼め?
というか俺がケーキを食べたいから付き合ってくれ」

「はい」

メニューを見ながらちらりと彼をうかがう。
こんなに気遣ってくれるなんて、炯さんは本当に素敵な人だ。
私も炯さんに釣りあう人間になりたいな……。
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