眼鏡フェチな私

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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3.眼鏡じゃないから好きになるわけがない

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放生会が終わると福岡の街は一気に秋になる。

袖まくりだった主任は袖口のボタンを留めるようになり、そのうちジャケットがプラスされた。

袖口から覗く、無骨な腕時計を嵌めた手首にドキドキしないかって言われたら嘘になるけど。

……それ以上に。
主任のことが気になって仕方なくなってる私がいる。

……眼鏡じゃない。
眼鏡じゃないから。

何度も何度もそう否定した。
なのに気が付くと目が主任を追っている。

そして目が合うたびに主任はいたずらっ子みたいに笑うんだけど……その目はやっぱり、私の心を探っている、みたいな。

あの目で見られるたびに自分の知らない、本当の私の気持ちを見抜かれていそうで、怖くなった。



ある日。
いつものように主任を目で追っていた私は、気になることを見てしまった。

……主任が。
中指で鼻の頭を擦る……というか。
あれ、は、まるでずり落ちた眼鏡をあげるような仕草。
無意識、なのか、主任はその後も気にすることなく、書類に向かっていた。


「主任。
もしかして普段、眼鏡掛けたりしてませんか?」

その晩は秋吉と主任と三人で飲みに来ていた。

……放生会以降、主任とふたりで、ってことはない。

けど、時間が合ったりすると誘われて、たびたび三人で飲みに行った。

……私が振った秋吉と、いま気になる存在の主任。
私の気持ちはいつも微妙だ。

「だったらなに?
篠浦さんになにか関係あるの?」

それまで笑っていた主任の目が、すぅーっと細く、冷たくなった。

「……いえ」

……だったら?
だったら私はどうするんだろう?

「なにおまえ、主任が眼鏡だったら好きになるわけ?」

「ち、ちがっ」

「……そんなことで好きになられたって。
全然嬉しくない」

吐き捨てるようにそう言われ。
あとは幾ら飲んでも酔えなかった。



街路樹が色付き始め、薄手のコートが欲しくなってきた頃。

まだ私はもやもや悩んでいた。

……眼鏡じゃない、から。
眼鏡じゃないから好きになるなんてありえない。

何度否定しても、否定しきれない自分がいる。

「……うら。
篠浦!」

「な、なに!?」

突然秋吉に声を掛けられて、慌てて思考を止めた。

「まーた誰かが眼鏡掛けた顔、想像してたんだろ」

「……悪い?」

……そうではないけれど。
主任のことを考えていたなんて、口が裂けても言えない。

「俺にはなにが楽しいのか理解できないがなー」

「秋吉だってほんと眼鏡顔なのに、なんで眼鏡掛けないのよ」

無理に笑って話題を合わせる。

「眼鏡顔とか意味わからん。
……金曜、暇か?」

「……暇ですが?」

「もつ鍋食いに行こうや」

「なんでもつ鍋?」

唐突に出てきたもつ鍋に首を傾げた。
「いや、この間そろそろ鍋が恋しくなってくるとかいう話になって。
そしたら主任、まだもつ鍋食ったことがないって言うからさ」

「じゃあ、いいけど。
店は?」

「おまえが好きな、西中洲の店」

「なら、オッケー」

もつ鍋、結構久しぶりー。
ぐちぐち悩んでいても仕方ない。
金曜日はおなかいっぱい食べて、飲んで、気分転換しよう!



金曜日。
いつもの三人でもつ鍋屋。
いろいろ悩んでいることはあるけれど、今日は忘れることにした。

楽しく飲んで、食べて。
お約束のように、秋吉に眼鏡を掛けれとせまる。
〆のちゃんぽんの前にお手洗いに立った。

……今日はちょっとはしゃぎすぎ、かな。
気付かれてなきゃいいんだけど。

鏡に映る自分に自嘲気味に笑いかけ、席に戻る。

「……賭の方、どうですか?」

「……あー、俺の負けかな。
やっぱ眼鏡じゃないとダメみたい」

席に近づいたとき、聞こえてきた声に足が止まった。
まだ私が戻ってこないと思っているのか、ふたりは笑いながら話している。

「……でっしょー。
なら今日は主任の奢りということで」

「……仕方ないなー」

「……なんの話?」

ふたりの視線が私を捉えると、笑顔のまま固まった。

「そんな賭、してたんだ」

「えっ、あっ、ちょっと待て! 
別に悪気があってじゃなくてな、その、第一おまえ、眼鏡じゃないと絶対好きにならないんだから、最初から賭は成立してないっていうか」

慌てふためいている秋吉とは対照的に、主任は私から視線を逸らすと目を伏せた。

……その態度に。
自分でも説明できない気持ちが沸き上がる。

「最低!!!」


財布の中から一万円札を抜いて、叩き付けるようにテーブルの上に置いた。
そのまま、視線が集まる店内を逃げるように出る。
足早に駅に向かっていたはずの足は次第に遅くなり、代わりに自分の口からは嗚咽が漏れた。

……なんで私はあんなに怒ったんだろう。
なんで私はいま、泣いているんだろう。

……ああ、そうか。
私は眼鏡じゃない人でも好きになれるんだ。

「待って!」

「……」

「待ってって!」

「……」

「待てよ!」

変わった口調に、声に、足が竦んだ。
すかさず主任の手が私の手首を掴む。

「……離して、ください」

「……離すかよ」

振り解こうとしたけれど、主任は痛いくらいに私の手首を掴んだまま歩き出す。
少し歩いて人気のない場所まで来ると、強く手首を引かれた。
そのまま、倒れ込むように主任の腕に抱きしめられる。

「な……」

「……好きなんだ」

突然、耳元で囁かれた重低音に体中の血液が一瞬で沸騰した。
口から出るはずだった言葉は宙に消える。
ただ、なにも言えなくて突っ立ったままの私に、また重低音で囁かれた。

「……雪希ゆきが、好きなんだ」

震える手で、そっと主任のスーツを掴む。
恐る恐る見上げた顔は泣きそうだった。

「……でも、賭、だったんですよね……?」

自分から出た声はみっともなく震えていて、笑いたくなる。

「うん。
賭けてた。
……どうしても雪希に好きになって貰いたくて」

「……意味わかんないです」

「一種の願掛け……かな」

困ったように主任が笑った。

「眼鏡じゃなくても大丈夫、って」

まっすぐに私を見つめる主任の瞳は、また私の心を探っている。
不安げに揺れているその瞳をじっと見つめ返す。

「眼鏡じゃなくても、主任が好き、……たい」

眩しそうに細められた目に、思わず目を閉じた。

……だけど。

口を手で塞がれ、驚いて目を開く。

「さっきもつ鍋食ったばかりだから」

手の上からキスすると、そう言って主任は笑った。
うっかりしていた自分がおかしくて、私も笑う。

〝今日、うちに泊まっていく?〟

そっとそう耳打ちされて、私はただ黙って頷いた――。
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