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最終章 入るor出る?
4.高鷹〝社長〟
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「やっぱりこの傷、病院に行った方がいいと思う」
部長室で私をソファーに座らせ、椎名さんが傷を消毒してくれた。
「でもどうしたの、これ?
それにその格好」
椎名さんが不思議がるのもしょうがない。
着物はあちこち破れて汚れ、草履はなく足袋のみ。
「窓硝子割って脱出したから、それで……」
は、はははと笑うしかできない。
「愛乃ちゃんって、けっこう大胆なのねー」
にやっと、椎名さんは唇をつり上げて笑った。
「ちょっと待ってて。
私の着替え、取ってくるから。
……あ、待って。
ひとりにしといてもし、東藤本部長に押し入られても困るし。
一緒に行こうか」
「はい」
椎名さんと一緒に、人に見つからないように社内を移動する。
「なんかこういうの、興奮するわね」
「私も来るとき、どきどきしました」
椎名さんと笑いあう。
また彼女と、こんなふうに話ができるなんて思ってもいなかった。
更衣室で着替えて会社を出る。
服か大きいのはなんとかなるが、靴が大きいのは歩きにくい。
「病院終わったら一式買ってあげる。
好きな男のために果敢に脱出してきた、愛乃ちゃんにご褒美」
パチンとウィンクしてみせた椎名さんはやっぱり大人の女性で、憧れる。
私も早く、こんなふうになりたいな。
近くの病院で傷を見てもらう。
縫った方が返って痕が残るからとテープで留められた。
その後はさらに移動して椎名さんが私の服を見立ててくれる。
「その、こんなことをしている場合じゃないんじゃ……」
もうすぐ、会議がはじまる時間。
征史さんを信じていないわけじゃないが、それでもやっぱり不安だった。
「あの男が簡単に罪をなすりつけられて、会社を追われるような人間に見える?」
「……見えない、です」
「今回は愛乃ちゃんの事前情報もあって準備は万端、これでやられたらあいつはそれだけの男だったってこと」
言うことは辛辣だけれど、それだけ椎名さんは征史さんを信頼しているんだってうかがわせた。
「だから心配しないで待ってよ。
……ほら、次、これ着て!」
新しい服を押しつけられ、更衣室に押し込められる。
椎名さんにはかなわない。
私もこれくらい、征史さんを信頼しないと。
「こんなに買ってもらってよかったんですか……?」
カフェで遅めの昼食を取る私の横には、いくつも紙袋が並べてある。
「いいの、いいの。
前から愛乃ちゃんを着せ替え人形にして楽しみたいって思っていたから!」
「はぁ……」
苦笑いでアイスティのストローを咥える。
憧れの友達と買い物、憧れの友達とランチの夢が叶い、嬉しくないわけがない。
……まあ、椎名さんは正確には友達じゃないけど。
「それ、似合ってる」
「……ありがとうございます」
つい、行儀悪くストローをぶくぶくさせてしまう。
黒の、甘めのボリューム袖ブラウスにベージュのチノパン、それに黒のヒールサンダルを合わせたコーディネート。
パンツなんて学校のジャージくらいしか着たことない私にとって凄く新鮮。
「痕、残っちゃうかもって言ってたね」
「……はい」
頬の傷はたぶん残るだろうって医者には言われた。
仕方なかったとはいえ、顔に傷を作ってしまったのが悔やまれる。
「落ち込まないの!
名誉の負傷なんだから、それで高鷹部長がなんか言ったら、グーパンしてやればいいよ!」
「そうですね」
ほんとに殴る仕草をする椎名さんに私も笑う。
でもこの傷はこの後、私をさらに後悔させることになる。
――ブブブブッ。
不意にバッグの中で携帯が震え、椎名さんは画面を見ている。
指を走らせ返信が終わったのか、またバッグの中へと戻す。
「そろそろ行こっか」
椎名さんに連れられて会社に戻る。
ただし、出たときとは違い、正門から。
「いいんですか?」
「大丈夫」
道行く社員が私の姿を見てひそひそと話していて、ちょっと居心地が悪い。
「戻りました、高鷹〝社長〟!」
「……椎名。
それは俺をからかっているのか?」
眼鏡の奥からじろりと睨まれたものの、椎名さんは全く気にしていないようだ。
「えー、満場一致で次の社長に決まったって聞きましたけど」
「……誰だ、椎名に教えたのは?」
征史さんの低い声があたりを凍りつかせる。
おそるおそる手を上げたのは、橋川くんだった。
「はーしーかーわー」
「ひぃっ」
地を這う征史さんの声に橋川くんは小さく悲鳴を上げ、がたがたと震えだした。
「だ、だって、どうせすぐにわかることですし。
早くわかった方がいいかなー、って」
はぁっ、小さく征史さんがため息を落とす。
「それもそうだな。
……上層部の退陣が決まり、次の社長には俺が就任することになった。
しばらくは引き継ぎなどでばたばたすることになると思うが、よろしく頼む」
「はい!」
みんなは嬉しそうだけど、私にはいまだに、状況が飲み込めない。
上層部が退陣って、父は、おじさまは、春熙はどうなってしまうんだろう……?
「愛乃、話がある」
「はい」
征史さんに連れられて隣の部長室に移動する。
促されてソファーに座ると、征史さんは私の隣に座った。
「先手を打ってこちらから、上層部の背任行為を明らかにした。
いままで確証は持てなかったんだが、愛乃のおかげで証拠まで見つけて突きつけられた。
ありがとう」
征史さんの役に立てたのは嬉しい。
でもそれは同時に、父や春熙たちを窮地に立たせることでもあって。
「上層部……東藤社長と香芝専務には辞職していただくことになった。
東藤本部長は降格。
彼も遠からず、辞めることになるだろう」
「……はい」
私の犯した罪は。
――あまりにも重かった。
「今回は未遂で終わったこともあって、社長と専務には自らの意思で辞職していただく形になる。
だから気にするな、……と言っても無理だよな」
そっと、征史さんに抱きしめられた。
甘いけどスパイシーな香りに包まれて、出そうになった涙を慌てて引っ込めた。
「愛乃は正しいことをした。
遅かれ早かれこうなるはずだったんだ。
愛乃が苦しむことはない」
「……はい」
「それでも愛乃が苦しむのなら、俺も一緒に背負っていくから」
「……ありがとう、まさくん」
きっともう、父に、おじさまに、――春熙に許してはもらえないだろう。
でもそれでかまわない。
これは私が選んだ道だから。
もう私は、あの溺愛という籠の中には帰らない。
私は、自分自身で羽ばたくんだ……!
部長室で私をソファーに座らせ、椎名さんが傷を消毒してくれた。
「でもどうしたの、これ?
それにその格好」
椎名さんが不思議がるのもしょうがない。
着物はあちこち破れて汚れ、草履はなく足袋のみ。
「窓硝子割って脱出したから、それで……」
は、はははと笑うしかできない。
「愛乃ちゃんって、けっこう大胆なのねー」
にやっと、椎名さんは唇をつり上げて笑った。
「ちょっと待ってて。
私の着替え、取ってくるから。
……あ、待って。
ひとりにしといてもし、東藤本部長に押し入られても困るし。
一緒に行こうか」
「はい」
椎名さんと一緒に、人に見つからないように社内を移動する。
「なんかこういうの、興奮するわね」
「私も来るとき、どきどきしました」
椎名さんと笑いあう。
また彼女と、こんなふうに話ができるなんて思ってもいなかった。
更衣室で着替えて会社を出る。
服か大きいのはなんとかなるが、靴が大きいのは歩きにくい。
「病院終わったら一式買ってあげる。
好きな男のために果敢に脱出してきた、愛乃ちゃんにご褒美」
パチンとウィンクしてみせた椎名さんはやっぱり大人の女性で、憧れる。
私も早く、こんなふうになりたいな。
近くの病院で傷を見てもらう。
縫った方が返って痕が残るからとテープで留められた。
その後はさらに移動して椎名さんが私の服を見立ててくれる。
「その、こんなことをしている場合じゃないんじゃ……」
もうすぐ、会議がはじまる時間。
征史さんを信じていないわけじゃないが、それでもやっぱり不安だった。
「あの男が簡単に罪をなすりつけられて、会社を追われるような人間に見える?」
「……見えない、です」
「今回は愛乃ちゃんの事前情報もあって準備は万端、これでやられたらあいつはそれだけの男だったってこと」
言うことは辛辣だけれど、それだけ椎名さんは征史さんを信頼しているんだってうかがわせた。
「だから心配しないで待ってよ。
……ほら、次、これ着て!」
新しい服を押しつけられ、更衣室に押し込められる。
椎名さんにはかなわない。
私もこれくらい、征史さんを信頼しないと。
「こんなに買ってもらってよかったんですか……?」
カフェで遅めの昼食を取る私の横には、いくつも紙袋が並べてある。
「いいの、いいの。
前から愛乃ちゃんを着せ替え人形にして楽しみたいって思っていたから!」
「はぁ……」
苦笑いでアイスティのストローを咥える。
憧れの友達と買い物、憧れの友達とランチの夢が叶い、嬉しくないわけがない。
……まあ、椎名さんは正確には友達じゃないけど。
「それ、似合ってる」
「……ありがとうございます」
つい、行儀悪くストローをぶくぶくさせてしまう。
黒の、甘めのボリューム袖ブラウスにベージュのチノパン、それに黒のヒールサンダルを合わせたコーディネート。
パンツなんて学校のジャージくらいしか着たことない私にとって凄く新鮮。
「痕、残っちゃうかもって言ってたね」
「……はい」
頬の傷はたぶん残るだろうって医者には言われた。
仕方なかったとはいえ、顔に傷を作ってしまったのが悔やまれる。
「落ち込まないの!
名誉の負傷なんだから、それで高鷹部長がなんか言ったら、グーパンしてやればいいよ!」
「そうですね」
ほんとに殴る仕草をする椎名さんに私も笑う。
でもこの傷はこの後、私をさらに後悔させることになる。
――ブブブブッ。
不意にバッグの中で携帯が震え、椎名さんは画面を見ている。
指を走らせ返信が終わったのか、またバッグの中へと戻す。
「そろそろ行こっか」
椎名さんに連れられて会社に戻る。
ただし、出たときとは違い、正門から。
「いいんですか?」
「大丈夫」
道行く社員が私の姿を見てひそひそと話していて、ちょっと居心地が悪い。
「戻りました、高鷹〝社長〟!」
「……椎名。
それは俺をからかっているのか?」
眼鏡の奥からじろりと睨まれたものの、椎名さんは全く気にしていないようだ。
「えー、満場一致で次の社長に決まったって聞きましたけど」
「……誰だ、椎名に教えたのは?」
征史さんの低い声があたりを凍りつかせる。
おそるおそる手を上げたのは、橋川くんだった。
「はーしーかーわー」
「ひぃっ」
地を這う征史さんの声に橋川くんは小さく悲鳴を上げ、がたがたと震えだした。
「だ、だって、どうせすぐにわかることですし。
早くわかった方がいいかなー、って」
はぁっ、小さく征史さんがため息を落とす。
「それもそうだな。
……上層部の退陣が決まり、次の社長には俺が就任することになった。
しばらくは引き継ぎなどでばたばたすることになると思うが、よろしく頼む」
「はい!」
みんなは嬉しそうだけど、私にはいまだに、状況が飲み込めない。
上層部が退陣って、父は、おじさまは、春熙はどうなってしまうんだろう……?
「愛乃、話がある」
「はい」
征史さんに連れられて隣の部長室に移動する。
促されてソファーに座ると、征史さんは私の隣に座った。
「先手を打ってこちらから、上層部の背任行為を明らかにした。
いままで確証は持てなかったんだが、愛乃のおかげで証拠まで見つけて突きつけられた。
ありがとう」
征史さんの役に立てたのは嬉しい。
でもそれは同時に、父や春熙たちを窮地に立たせることでもあって。
「上層部……東藤社長と香芝専務には辞職していただくことになった。
東藤本部長は降格。
彼も遠からず、辞めることになるだろう」
「……はい」
私の犯した罪は。
――あまりにも重かった。
「今回は未遂で終わったこともあって、社長と専務には自らの意思で辞職していただく形になる。
だから気にするな、……と言っても無理だよな」
そっと、征史さんに抱きしめられた。
甘いけどスパイシーな香りに包まれて、出そうになった涙を慌てて引っ込めた。
「愛乃は正しいことをした。
遅かれ早かれこうなるはずだったんだ。
愛乃が苦しむことはない」
「……はい」
「それでも愛乃が苦しむのなら、俺も一緒に背負っていくから」
「……ありがとう、まさくん」
きっともう、父に、おじさまに、――春熙に許してはもらえないだろう。
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