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第6章 プレ新婚生活or軟禁?
2.父と婚約者の茶番
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朝はまた、ルームサービスで朝食を食べた。
「本当にそれだけでいいの?」
春熙の心配は当然かもしれない。
私の前には少しだけフルーツの入ったヨーグルトのみだから。
「食欲、なくて」
でも心配しないでと笑ってみたものの、ますます春熙は顔を曇らせた。
「医者、呼ぼうか」
「そんな、大げさだよ。
昨日、食べ過ぎたのかも」
元気だよとさらに笑ってみせる。
「心配なんだよ。
帰ったら病院に行こう」
「……うん」
過保護な春熙にますます食欲はなくなっていき、ヨーグルトすら半分残した。
走る車の、流れていく窓の外をぼーっと見ていた。
「やっぱり体調、悪い?」
私の身体を案じてか、今日の春熙の運転は酷く丁寧だ。
「あ、ううん。
大丈夫」
「朝からずっと、元気がないから心配だよ」
なんでその原因が、自分だとわからないんだろうか。
春熙がかまえばかまうほど、私は憂鬱になっていくというのに。
「それより、先にどっちに行くの?」
無理にでも笑って話題を変える。
楽しいフリをしていればきっと楽しくなる、そう自分に言い聞かせて。
「お義父さんにはもう、連絡済み。
一緒に昼食を取ろうって言ってくれたよ」
「そうなんだ」
手放しに喜んでいる父の姿が容易に想像できる。
それほどまでに春熙は、父にとって可愛い存在だから。
その春熙が愛娘ととうとう結婚するのだ。
これほど嬉しいことはないだろう。
「父さんは夜、時間を取ってくれるって。
今日中に入籍できないのは残念だけど」
「……そう」
ほんの少しだけ、春熙と夫婦になるのが先延ばしになってほっとした。
「愛乃も残念?」
「そうだね。
早くはるくんと夫婦になりたかったな」
嘘ばっかり。
でもきっとこれから、私は嘘しかつけなくなる。
春熙は私を家に送り届け、一度家に帰っていった。
「ただいまー」
「おかえり、愛乃!」
玄関から入った途端、待ちかまえていた父に抱きつかれた。
春熙の車のエンジン音を聞きつけて、急いで出てきたのだろう。
「ん?
春熙君は?」
私の背後に春熙がいないのを不審そうに、父がきょろきょろとあたりを見渡す。
「一度帰って着替えてくるそうです」
「そんなに気を遣わなくていいのにな。
私と春熙君の間なのに」
肩を抱いて促すので、一緒にリビングへと行く。
すぐに永沼さんが紅茶を淹れて運んできてくれた。
「とうとう春熙君と結婚するそうだな。
おめでとう」
「ありがとうございます」
予想通り、父はいままで見たことがないほど上機嫌だった。
「去年の春に延期になってからもうすぐ一年半か。
長かったな」
「……そうですね」
もし、もしも。
あのとき、おばさまが亡くならなくて、結婚が延期ならなければ。
私はこんなに悩んでいなかったのだろうか。
春熙の愛情をなにも考えずに受け入れて、幸せな花嫁になれていたんだろうか。
もし、もしも。
考えても仕方ない考えばかりが、あたまの隅を掠めていく。
「……淋しくなるな」
「お父様……」
ぽつりと呟いた父は酷く淋しそうで、父にもそんな感情があったのだと初めて知った。
春熙が着替えてくるのに私が普段着などダメだろうと、無理矢理着替えさせられた。
「真夏に振り袖は暑いんだけどな……」
礼装なんだから仕方ないとわかっていても、苦笑いしかできない。
訪問着なら夏用の絽があるが、振り袖にはたぶんない。
しかも着せられたのは総手絞りの着物で、普通の着物より布地が多い分、さらに暑い。
「我慢だよね……」
せめてもの救いは、節電なんてどこ吹く風でがんがんエアコンで冷やされていること。
いや、それで返って寒いくらいだから、これで正解なのかも。
「本日はお時間いただき、ありがとうございます」
しばらくして、春熙が我が家を訪ねてきた。
真夏だというのにスーツを着てきっちり首もとまでネクタイを締め、ジャケットまで羽織っているが暑くないのだろうか。
そのうえ、いつ準備したのかわからない、大きなバラの花束を抱えているが。
「愛乃」
「私に!?」
ひざまずいて差し出された花束を無邪気に喜んで受け取る。
自分でも白々しいなと思いながら。
「僕の愛の形だよ」
「ありがとう」
涙で瞳を潤わせ、微笑んで春熙を見上げる。
本当に酷すぎる芝居だ。
彼は父の目の前だというのに、私にちゅっと唇を重ねてきた。
「昼食の準備をしてある。
食べながら話そう」
移動した食堂には、まるでパーティでもするかのように飾り付けがしてあった。
父がどれだけハイテンションになっているのかうかがえる。
奥にスーツに着替えた父と訪問着の母が並んで座り、向かい合うように手前側に私と春熙が並んで座る。
「その。
お食事の前にお話をいいですか」
「なんだ?」
父は緩みそうになる顔を必死に保っているのが、妙に厳格な顔で頷いた。
「愛乃さんとの結婚を許可してください」
立ち上がった春熙が勢いよくあたまを下げるから、私も立ち上がってあたまを下げた。
「君は愛乃を幸せにすると約束できるのか」
「はい、必ず幸せにすると約束します」
これはなんの茶番なんだろうか。
結婚の許可は去年の春の時点ですでに取ってある。
ただ延び延びになっていただけで。
「そこまでいうなら君に愛乃をやろう」
「ありがとうございます」
再び春熙があたまを下げる。
その光景を妙に冷めた目で見ていた。
和やかに食事は進んでいく。
「式はいつにするんだ?」
「早急に調整して、なるべく早くしようと思っています」
「それがいい。
またなにかあって延期になったらたまらんからな」
男ふたりは楽しそうに話していたが、私は曖昧な笑みを貼り付けて座っていたし、母は無表情に淡々と食事を続けていた。
いまの母の姿は未来の私の姿だ。
私も遅かれ早かれ、きっとああなるのだと思うとぞっとした。
「それで入籍はすぐにでもしようと思うんです。
今日は無理ですが、明日にでも」
「いくらなんでも早すぎやしないか。
なにか理由でもあるのか」
「ええ、まぁ……」
春熙は笑って、返事をごまかしてきた。
でも私も気になっていた、急に春熙が結婚を早めようとした理由。
前に私が春がいいと言ったとき、そんなに待てないと言いながらもここまで焦っていなかった。
ここ最近、いったいなにがあったんだろう。
「それこそまたなにかあって延びたら嫌ですし。
先に入籍さえ済ませてしまえば安心かな、って」
「まあそれもそうだな。
それでもただ焦ってするのは芸がないだろう。
……そうだ、二十八日は愛乃の誕生日だ。
それに併せて入籍したらどうだ?
愛乃もそれがいいだろ?」
「あっ、はい。
そうですね」
ぼーっと聞いていたところに急に話を振られて焦ってしまう。
「……愛乃がそれでいいなら」
春熙は不服そうだけど、これで時間が少し延びた。
延びたところで私にはなにもできないけれど、それでも少し、安心した。
「本当にそれだけでいいの?」
春熙の心配は当然かもしれない。
私の前には少しだけフルーツの入ったヨーグルトのみだから。
「食欲、なくて」
でも心配しないでと笑ってみたものの、ますます春熙は顔を曇らせた。
「医者、呼ぼうか」
「そんな、大げさだよ。
昨日、食べ過ぎたのかも」
元気だよとさらに笑ってみせる。
「心配なんだよ。
帰ったら病院に行こう」
「……うん」
過保護な春熙にますます食欲はなくなっていき、ヨーグルトすら半分残した。
走る車の、流れていく窓の外をぼーっと見ていた。
「やっぱり体調、悪い?」
私の身体を案じてか、今日の春熙の運転は酷く丁寧だ。
「あ、ううん。
大丈夫」
「朝からずっと、元気がないから心配だよ」
なんでその原因が、自分だとわからないんだろうか。
春熙がかまえばかまうほど、私は憂鬱になっていくというのに。
「それより、先にどっちに行くの?」
無理にでも笑って話題を変える。
楽しいフリをしていればきっと楽しくなる、そう自分に言い聞かせて。
「お義父さんにはもう、連絡済み。
一緒に昼食を取ろうって言ってくれたよ」
「そうなんだ」
手放しに喜んでいる父の姿が容易に想像できる。
それほどまでに春熙は、父にとって可愛い存在だから。
その春熙が愛娘ととうとう結婚するのだ。
これほど嬉しいことはないだろう。
「父さんは夜、時間を取ってくれるって。
今日中に入籍できないのは残念だけど」
「……そう」
ほんの少しだけ、春熙と夫婦になるのが先延ばしになってほっとした。
「愛乃も残念?」
「そうだね。
早くはるくんと夫婦になりたかったな」
嘘ばっかり。
でもきっとこれから、私は嘘しかつけなくなる。
春熙は私を家に送り届け、一度家に帰っていった。
「ただいまー」
「おかえり、愛乃!」
玄関から入った途端、待ちかまえていた父に抱きつかれた。
春熙の車のエンジン音を聞きつけて、急いで出てきたのだろう。
「ん?
春熙君は?」
私の背後に春熙がいないのを不審そうに、父がきょろきょろとあたりを見渡す。
「一度帰って着替えてくるそうです」
「そんなに気を遣わなくていいのにな。
私と春熙君の間なのに」
肩を抱いて促すので、一緒にリビングへと行く。
すぐに永沼さんが紅茶を淹れて運んできてくれた。
「とうとう春熙君と結婚するそうだな。
おめでとう」
「ありがとうございます」
予想通り、父はいままで見たことがないほど上機嫌だった。
「去年の春に延期になってからもうすぐ一年半か。
長かったな」
「……そうですね」
もし、もしも。
あのとき、おばさまが亡くならなくて、結婚が延期ならなければ。
私はこんなに悩んでいなかったのだろうか。
春熙の愛情をなにも考えずに受け入れて、幸せな花嫁になれていたんだろうか。
もし、もしも。
考えても仕方ない考えばかりが、あたまの隅を掠めていく。
「……淋しくなるな」
「お父様……」
ぽつりと呟いた父は酷く淋しそうで、父にもそんな感情があったのだと初めて知った。
春熙が着替えてくるのに私が普段着などダメだろうと、無理矢理着替えさせられた。
「真夏に振り袖は暑いんだけどな……」
礼装なんだから仕方ないとわかっていても、苦笑いしかできない。
訪問着なら夏用の絽があるが、振り袖にはたぶんない。
しかも着せられたのは総手絞りの着物で、普通の着物より布地が多い分、さらに暑い。
「我慢だよね……」
せめてもの救いは、節電なんてどこ吹く風でがんがんエアコンで冷やされていること。
いや、それで返って寒いくらいだから、これで正解なのかも。
「本日はお時間いただき、ありがとうございます」
しばらくして、春熙が我が家を訪ねてきた。
真夏だというのにスーツを着てきっちり首もとまでネクタイを締め、ジャケットまで羽織っているが暑くないのだろうか。
そのうえ、いつ準備したのかわからない、大きなバラの花束を抱えているが。
「愛乃」
「私に!?」
ひざまずいて差し出された花束を無邪気に喜んで受け取る。
自分でも白々しいなと思いながら。
「僕の愛の形だよ」
「ありがとう」
涙で瞳を潤わせ、微笑んで春熙を見上げる。
本当に酷すぎる芝居だ。
彼は父の目の前だというのに、私にちゅっと唇を重ねてきた。
「昼食の準備をしてある。
食べながら話そう」
移動した食堂には、まるでパーティでもするかのように飾り付けがしてあった。
父がどれだけハイテンションになっているのかうかがえる。
奥にスーツに着替えた父と訪問着の母が並んで座り、向かい合うように手前側に私と春熙が並んで座る。
「その。
お食事の前にお話をいいですか」
「なんだ?」
父は緩みそうになる顔を必死に保っているのが、妙に厳格な顔で頷いた。
「愛乃さんとの結婚を許可してください」
立ち上がった春熙が勢いよくあたまを下げるから、私も立ち上がってあたまを下げた。
「君は愛乃を幸せにすると約束できるのか」
「はい、必ず幸せにすると約束します」
これはなんの茶番なんだろうか。
結婚の許可は去年の春の時点ですでに取ってある。
ただ延び延びになっていただけで。
「そこまでいうなら君に愛乃をやろう」
「ありがとうございます」
再び春熙があたまを下げる。
その光景を妙に冷めた目で見ていた。
和やかに食事は進んでいく。
「式はいつにするんだ?」
「早急に調整して、なるべく早くしようと思っています」
「それがいい。
またなにかあって延期になったらたまらんからな」
男ふたりは楽しそうに話していたが、私は曖昧な笑みを貼り付けて座っていたし、母は無表情に淡々と食事を続けていた。
いまの母の姿は未来の私の姿だ。
私も遅かれ早かれ、きっとああなるのだと思うとぞっとした。
「それで入籍はすぐにでもしようと思うんです。
今日は無理ですが、明日にでも」
「いくらなんでも早すぎやしないか。
なにか理由でもあるのか」
「ええ、まぁ……」
春熙は笑って、返事をごまかしてきた。
でも私も気になっていた、急に春熙が結婚を早めようとした理由。
前に私が春がいいと言ったとき、そんなに待てないと言いながらもここまで焦っていなかった。
ここ最近、いったいなにがあったんだろう。
「それこそまたなにかあって延びたら嫌ですし。
先に入籍さえ済ませてしまえば安心かな、って」
「まあそれもそうだな。
それでもただ焦ってするのは芸がないだろう。
……そうだ、二十八日は愛乃の誕生日だ。
それに併せて入籍したらどうだ?
愛乃もそれがいいだろ?」
「あっ、はい。
そうですね」
ぼーっと聞いていたところに急に話を振られて焦ってしまう。
「……愛乃がそれでいいなら」
春熙は不服そうだけど、これで時間が少し延びた。
延びたところで私にはなにもできないけれど、それでも少し、安心した。
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20230208
追記:梶峰さん(ヒーロー)視点は★をつけます。

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