上 下
29 / 36
第六章 義姉の逆襲

6-4

しおりを挟む
ワゴンを押す彼と一緒にリビングへと向かう。

「お待たせしました」

「おっそーい。
あんまり遅いからアフタヌーンティのケータリング頼んだわ」

文句を言いつつ典子さんの視線は携帯から動かない。

「……は?」

一音発し、作り笑顔のまま宣利さんが固まる。
一瞬のち、言われた意味を理解したのか深いため息を吐き出した。

「勝手なことをしないでいただけますかね?」

頭が痛そうに彼は額に指先を当てているが、まあそうなるだろう。
目配せされ、あいているひとり掛けのソファーに腰掛ける。
宣利さんはとりあえずといった感じでお茶をサーブし始めた。

「なぁに?
宣利が私を待たせるからいけないんでしょ?
それに私が奢ってあげるのに、文句あるの?」

典子さんの文句は続くが、家の人間に断りもなくケータリングなんて、迷惑以外のなにものでもない。
それにあの典子さんの奢りだなんて、なにか企んでいるのではと考えてしまう。

「ありますよ。
それに姉さんの奢りはあとで高くつきますからね」

またため息をついた宣利さんは、私と同じ考えのようだ。

「どこのアフタヌーンティを頼んだんですか?」

「港近くのホテル。
エーデルシュタインは断られちゃった。
倉森の人間相手に失礼じゃない?」

典子さんは怒っているが、失礼なのは彼女のほうだ。
会員なのは宣利さん個人であって、倉森の家ではない。
当然、典子さんは会員ではないのだ。
なのに、注文するなんて厚かましすぎる。
そもそもエーデルシュタインは配達をやっていない。

「まったく失礼じゃないですよ。
……すみません、倉森ですが……」

宣利さんは呆れつつ、携帯を操作して通話をはじめた。
きっと守衛に連絡してホテルから来る配達の人を通すようにお願いしているのだろう。

「せっかくケーキを出したのに、無駄になってしまいました」

再び宣利さんがため息をつく。
というかそれしかできないんだと思う。

「あら。
それもいただくわ」

典子さんが寄越せと催促をする。
最後に会ったとき、太ったからダイエットしないといけないと言っていた気がするが、そのダイエットとやらは成功したんだろうか。

「それで。
なんの用ですか、姉さん」

早く帰っていただこうと、宣利さんが早速話を切り出す。

「なんの用って、そちらこそ私に用があるんじゃないの?
特に、花琳さんが」

にたりと嫌らしく典子さんの目が歪み、身体をぞわぞわと鳥肌が駆け上がってきた。
でも、なんで私が?
嫁教育を再開してくれと頼めとでもいうんだろうか。
けれど今のところ、まったく困っていない。

「お父さん、ツインタワーへの出店、断られたそうじゃなぁい?」

ざらざらと耳障りな声が身体に纏わりつく。
どうして典子さんが知っているの?
違う、典子さんは〝知る立場〟にある人間なのだ。

「……あなたが、なにかしたんですか」

お腹の中が怒りでふつふつと沸騰した。

「別になにもしてないわ。
宣利と一緒で知り合いのお店を紹介しただけ」

素知らぬ顔で典子さんはお茶を飲んでいるが、絶対にそれだけではないはずだ。
宣利さんだってなにかがおかしいと言っていた。

「本当にそれだけなんですか!」

怒りに飲まれれば、負けだとわかっている。
それでも、あんなつらそうな母を目の当たりにさせられ、黙っていられるわけがない。

「それだけって言ってるでしょ?」

いたって冷静な典子さんが私を見る目はじっとりとしており、獲物を前にした蛇そのものだった。

「義姉を疑うなんて、やはりまだ教育が必要ね」

彼女の視線が私の身体に絡みつき、雁字搦めにしてしまう。
瞬く間に私は、恐怖の海へと溺れさせられた。

「花琳!」

急になにも見えなくなり、意識が目の前へと戻ってくる。

「たか……とし……さん?」

「いい子だ。
ゆっくり、息をして」

私を抱き締める彼の手が、促すようにゆっくりと背中をさする。
それにあわせて息をしようと努力しているうちに、あんなに苦しかった呼吸が楽になった。

「うん、落ち着いたね。
もう部屋で休んでて」

それに額を擦りつけるようにして首を横に振る。

「……嫌」

「花琳」

宣利さんの声は、私を咎めている。
それでも、譲る気はない。

「これは私自身の問題だから。
だから、ちゃんと自分で解決しないといけないんです」

何度も、私の心が折れるまで怒鳴られた。
折れたあとは従順になるように躾けられた。
あんな短い間でも、心は典子さんに従うべきだって思い込んでいる。
でも、そんなの、嘘。
本当は嫌だってもうひとりの私が叫んでいた。
今なら、宣利さんもいる。
きっと、なんとかなる。

「だからー、そういうこと言われると反対できなくなるだろ」

私を身体から離し、彼が顔をのぞき込む。

「さっき、無理はしないって約束したよね?」

「うっ」

それを持ち出されるとなにも言えなくなってしまう。

「もう一回、約束して。
無理はしない。
興奮して感情的にならない。
また、今みたいになったら強制退場だからね」

厳しい顔をしながらも、私の目尻を拭う彼の指は優しい。

「……はい」

そうだよね、私だけが苦しいならいいけれど、赤ちゃんも苦しくなっちゃうもんね。

「よし」

頷いた彼はスツールを極力寄せ、私に密着するように座った。

「宣利がそうやって甘やかせるから、つけあがるのよ」

はんと小バカにするように典子さんが鼻で笑う。

「……あ?」

宣利さんから彼の見た目に似合わない、ドスの利いた声が出る。
眼鏡の奥ですーっと細くなった目は、触れるだけで切れそうな日本刀を思わせた。

「愛する妻を甘やかせてどこが悪いんです?
それに花琳は誰かと違って、きちんと常識を身に着けていますからね」

宣利さんの発する声は冷気となり、その場の空気がビキビキと凍りついていく。
私はもちろん、典子さんも動けなくなっていた。
硬直した時間が続く。
それを壊したのは、チャイムだった。

「ああ。
姉さんが頼んだアフタヌーンティが来たようですね」

何事もなかったかのように宣利さんが立ち上がり、ようやく緊張が緩む。

「おいで、花琳」

「あっ」

私の手を引き、彼が強引に立たせる。
そのままなにか言いたげな典子さんを残して玄関へと向かった。
彼女とふたりきりにしない気遣いは大変助かる。

「ご無理を言って大変申し訳ありません」

宣利さんは丁寧に謝罪し、配達されてきたものを受け取った。

「近いうちにお礼にお伺いするとお伝えください」

彼に頭を下げられ、配達に来た男性スタッフは恐縮しきったまま帰っていった。

「お茶はさすがに葉っぱだから、また淹れないといけないね」

面倒くさそうに宣利さんがため息をつく。

「なにがいい?
どうせカフェインレスとかじゃないし、花琳の好きなのを淹れてあげるよ」

さすがに両手に引き出物クラスの紙袋を提げては手を繋げないので、彼はちょいちょいと手で中に戻るように指示した。
ふたりで一緒にキッチンへ来たが、また典子さんを放置だけれどいいんだろうか。

「ちょっとワゴンを回収してくるね」

ヤカンを火にかけ、宣利さんは私を置いてリビングへ行ってしまった。

「お茶の準備、しておこうかな」

新しいカップを出し、茶葉の準備をする。
甘いもの相手だし今度はさっぱりめの、レモンフレーバーのルイボスティにしようかな。

「花琳は座っててよかったのに」

戻ってきた宣利さんは、用意をしている私を見て不満そうだ。

「これくらいはしますよ」

それに苦笑いで答えた。
彼はどうも、私のお茶を淹れるのは自分の仕事だと思っている節がある。

典子さんにはついてきたお茶を、私たちはレモンフレーバーのルイボスティを淹れる。
お茶と届いたアフタヌーンティの箱、取り皿をワゴンに乗せてリビングへ戻った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

(完結)戦死したはずの愛しい婚約者が妻子を連れて戻って来ました。

青空一夏
恋愛
私は侯爵家の嫡男と婚約していた。でもこれは私が望んだことではなく、彼の方からの猛アタックだった。それでも私は彼と一緒にいるうちに彼を深く愛するようになった。 彼は戦地に赴きそこで戦死の通知が届き・・・・・・ これは死んだはずの婚約者が妻子を連れて戻って来たというお話。記憶喪失もの。ざまぁ、異世界中世ヨーロッパ風、ところどころ現代的表現ありのゆるふわ設定物語です。 おそらく5話程度のショートショートになる予定です。→すみません、短編に変更。5話で終われなさそうです。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【完結】お荷物王女は婚約解消を願う

miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。 それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。 アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。 今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。 だが、彼女はある日聞いてしまう。 「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。 ───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。 それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。 そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。 ※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。 ※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。

【完結】夫は王太子妃の愛人

紅位碧子 kurenaiaoko
恋愛
侯爵家長女であるローゼミリアは、侯爵家を継ぐはずだったのに、女ったらしの幼馴染みの公爵から求婚され、急遽結婚することになった。 しかし、持参金不要、式まで1ヶ月。 これは愛人多数?など訳ありの結婚に違いないと悟る。 案の定、初夜すら屋敷に戻らず、 3ヶ月以上も放置されーー。 そんな時に、驚きの手紙が届いた。 ーー公爵は、王太子妃と毎日ベッドを共にしている、と。 ローゼは、王宮に乗り込むのだがそこで驚きの光景を目撃してしまいーー。 *誤字脱字多数あるかと思います。 *初心者につき表現稚拙ですので温かく見守ってくださいませ *ゆるふわ設定です

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

処理中です...