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第三章 嫁教育

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「それで姉さん。
ここへ来た用はなんですか。
まだこの家に未練がおありで、僕に出ていけと?」

すぐに戻ってきた宣利さんは座った途端、口火を切った。

「そりゃ、この家にまだ未練はあるわよ。
次の当主にふさわしいのは私だし、その私がこの家を継ぐのが当然でしょ?
それをお父様もお祖父様も私が女だからって」

わざとらしく典子さんがため息をつく。
当主になれないのは女だからではなくその性格だからでは?
とは思ったが、黙っておこう。

「でも、家の話は一旦、おいておくわ。
私が当主にふさわしいと認められれば、自ずと手に入るんだし。
それまではあなたに預けておいてあ、げ、る」

わざわざ一音ずつ区切り、上から目線で典子さんがにっこりと笑う。
けれど宣利さんはあきらかに面倒くさそうに小さくため息をついただけだった。

「家の話じゃないなら、なんの話です?」

けれど宣利さんはあきらかに面倒くさそうに小さくため息をついただけだった。

「家の話じゃないなら、なんの話です?」

「そこの女の話よ」

ちらりと典子さんが私へ視線を向ける。

「そこの女とはどなたでしょうね?」

「ひっ」

カップをソーサーに戻した宣利さんににっこりと微笑まれ、典子さんが小さく悲鳴を上げる。
が、その気持ちはよくわかった。

「か、花琳さんの話よ」

気持ちを落ち着けたいのか典子さんはカップを持ち上げたが、その手はカタカタと細かく震えていた。
それはいいが、そんなマズいコーヒーは飲まないんじゃなかったんだろうか。
もう忘れているんだろうな。

「倉森の嫁にふさわしくなるように私が教育してあげる」

温かいコーヒーを飲んで幾分、気持ちが落ち着いたのか彼女は自信ありげに微笑んだ。

「ですから。
必要ないと前に申し上げたと思いますが」

理解していないのかと言いたげに宣利さんがため息をつく。
そんなふうに以前、彼に守られていたなんて初めて知った。
それで一度、典子さんからお招きがあったっきり、二度となかったんだ。

「そうね。
でも、前は〝結婚は短い期間だから〟というのがあったけど、今度はそうじゃないわ」

「でも、必要ないですから」

典子さんは果敢に攻めてくるが、宣利さんにはまったく効いていない。

「必要よ。
大おじい様のお葬式のとき、宣利の嫁は酒も注ぎやしないとおじ様たちに不評だったわ。
それで宣利の反対を押し切ってでも、教育しておくべきだったと後悔したの」

頬に手を当て、物憂げに典子さんはため息を吐き出してみせる。
お葬式のとき、陰でそんなふうに言われていたんだ。
それで宣利さんの顔を潰していたのなら、申し訳ないな……。

「花琳は気にしなくていいよ」

宣利さんの手が伸びてきて、私の手を握る。

「そうさせないために僕の傍に置いていたんだから」

「……え?」

意味がわからなくて彼の顔を見上げる。
目のあった彼は慰めるように軽く手をぽんぽんと叩いて離した。

「それこそ余計なお世話ですよ、姉さん。
僕の花琳をあの前時代の遺物たちにキャバ嬢扱いなんてさたくありませんからね」

典子さんに向き直り、宣利さんが真顔で言い放つ。

「宣利、あなた、おじ様たちに対してなんて失礼な……!」

怒りを露わにし、典子さんは軽くテーブルを叩いた。

「失礼もなにも。
ああいう考えは改めてもらわねば困るといつも言っているのに、全然聞いてくださらないじゃないですか。
おかげでいくつも苦情が上がってきていますし、危うく訴訟に発展しそうになったのはお忘れですか」

「うっ」

宣利さんの指摘で典子さんは喉を詰まらせた。
宣利さんの言い分はわかる。
前に勤めていた会社にも「これくらい軽いスキンシップだろ」とか言ってお尻を叩いてくる役員とかいたもの。

「とにかく。
花琳に嫁教育とか不要です。
話はこれで終わりですか?
ではお引き取りを」

宣利さんは立ち上がり、典子さんを変えるように促そうとしたが。

「お父様とお母様の許可は取っているわ!」

「……え?」

さすがにそれは想定外だったみたいで、宣利さんが固まった。

「父さんと母さんが許可を?」

「そうよ」

ふふんと得意げに鼻を鳴らし、勝ち誇ったように典子さんが笑う。

「私に一任くださったわ」

「……はぁーっ」

額に長い指を当て、痛そうに宣利さんは何度か頭を振った。

「……あなたはまた、父さんたちを脅したんですね」

脅したとはいったいどういうことか一瞬考えたが、すぐに合点がいった。
倉森のご両親はよくいえば優しい人たちだが、悪くいえば気が弱いのだ。
それで典子さんから強引に押し切られたのだろう。

「脅したなんて人聞きの悪い。
快く賛成していただいたわ」

涼しい顔で典子さんはカップを口に運んだが、空だと気づいたのかテーブルに戻した。
しかし先ほど、宣利さんが〝また〟と言っていたのからして、しょっちゅうこうやって自分の意志を押し通しているのだろう。

「僕としてはあなたに花琳を関わらせるのは非常に嫌だし、胎教に悪いので避けたいのですが……」

「なによ、酷いわね」

典子さんは不本意みたいだが、これまでの会話を聞いていた人間なら宣利さんに大賛成するに違いない。

「父さんと母さんの顔は立てないといけませんからね。
そんなわけで、花琳。
僕としては大変不本意だし、本当に嫌なんだけど、姉さんから嫁教育とやらを受けてもらえるかな?」

完全に困り切った顔で宣利さんは私を見ている。
こんな顔をされて嫌なんて言えるわけがない。

「わかりました、いいですよ」

内心は不安しかないけれど、できるだけ安心させるように笑って答えた。

「ありがとう、花琳」

ちゅっと軽く、感謝を伝えるように額へ彼が口付けを落とす。
本当は典子さんのところで嫁教育を受けるなんて嫌だ。
けれど今までの会話で宣利さんが私を凄く守ってくれようとしているのはわかった。
だったら、彼が両親の顔を立てるために苦渋の決断をしたように、私も彼の顔を立てるために承知しよう。

「じゃあ、決まりね。
また追って連絡するわ」

自分の要望が通り、典子さんは満足げな顔で帰っていった。
面倒なことになったとは思うが、仕方ない。
でも私はまだ、知らなかったのだ。
これが地獄の始まりだって。
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