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第0章 予定どおりの離婚
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「離婚しよう」
彼の曾祖父の葬儀が終わり家に帰ってきた途端、彼は私をリビングに留めて目の前にそれを置いた。
……やっぱり、そうなるんだ。
僅かに失望しているのはどこか、期待をしていたんだろうか。
そんなの、無駄なのに。
六つ年上の彼――倉森宣利さんと結婚したのは一年ほど前の話だ。
決まった当初からこの結婚は老い先短い曾祖父を満足させるだけのものなので、曾祖父が亡くなれば別れるとは言われていた。
私もそれに異論はなかったのだ。
しかし一緒に生活していくうちに、宣利さんに惹かれ始めていた。
もしかしたら宣利さんもそうなんじゃないだろうか。
そんなふうに思いもした。
けれど現実は、離婚届という形で目の前に現れている。
じっと目の前に座る彼を見つめる。
センター分けにした前髪を横から後ろに流したオールバックはこんな時間でも乱れはなく、お堅い彼のようだった。
面長な顔にのるオーバルの眼鏡は一見、彼を柔和に見せているが、しかしそのシルバーのフレームと同じく冷たい人だ。
眼鏡の奥の切れ長な目が、下がったところなどついぞ見たことがない。
ただ、身を包む喪服が妙な色香を漂わせていた。
見つめたところで彼の顔色が変わるわけでもない。
心の中で小さくため息をつき、添えてあったペンを取った。
「……わかりました」
淡々と目の前の書類を埋めていく。
この生活ももう終わりなんだ。
思ったよりもよかったんだけれどな。
でも、仕方ないよね。
そういう約束だったんだし。
「じゃあ、これは僕が提出しておく。
引っ越しは急がなくていい。
新居の都合もあるだろうし。
あれなら僕が準備させてもらう」
そうか、離婚したんだから、もうここにはいられないのか。
「いえ、そこまでやってもらうわけにはいかないので。
実家においてもらえると思うので、連絡して今週中には出ていきます」
「そうか」
彼の返事は短く、それだけだった。
「じゃあ、私は先に休ませてもらいますね。
なんか、疲れちゃって」
笑って誤魔化し、その場を去ろうとする。
私の気持ちを彼に、知られてはいけない。
「待て」
「え?」
手を掴まれ、宣利さんを振り返る。
「最後に君を抱いてもいいだろうか」
眼鏡の向こうから彼が私を見つめていた。
結婚してから一度も、そういう営みはなかった。
離婚が前提の仕方ない結婚だから、というのはわかる。
それでも手を出してこないのはやっぱり、やせっぽちで顔はそばかすだらけ、お世辞にも美人とはいえない私は女として魅力がないんだろうなと若干、落ち込みもした。
なんといってもつるっぺただし。
なのに、〝抱いてもいいか〟とは?
あれか、喪服マジックか。
「えっと……。
はい」
なんとなく気恥ずかしくて目を逸らす。
宣利さんがどんなつもりかわからないが、それでも。
――最後に想い出を作らせてもらってもいいよね。
彼の寝室で、ベッドに押し倒された。
「いいんだな」
「はい」
最後の確認をし、眼鏡を置いた彼が私に覆い被さってくる。
すぐに唇が重なった。
……私、宣利さんとキス、してるんだ。
それはまるで夢のようで、まったく現実感がない。
その後も彼は指で、舌で、唇で丁寧に私を愛撫し、何度も私を天国へと連れていった。
……男の人に抱かれるのって、こんなにキモチイイんだっけ?
結婚するより前、大学時代にできた初カレとの体験を思い出すが、あれはただそういうものだという感じしかなかった。
けれど今はひたすら気持ちよくて溺れてしまいそうだ。
そのうち、宣利さんが私の身体の中に入ってきた。
私の身体を揺らすのにあわせて、乱れて落ちてきた彼の前髪が揺れる。
なにかを堪えるように、難しそうに眉の寄せられたその顔に身体の奥がきゅっと締まった。
「かり、ん……!」
私の名を呼んで彼が達する。
同時にどくどくと温かいものが身体の奥へと注ぎ込まれていくのを感じた。
……着けてなかったんだ。
それは誠実な彼らしくない気がしていた。
先にシャワーを譲ってくれたので、浴室で浴びる。
「あ……」
一応は拭いてくれたが、身体を洗っていたら中からどろりと宣利さんが放ったものが出てきた。
「……うん」
そっと、自分の下腹部を撫でてみる。
……できてたらいいな。
そんなの、彼に迷惑をかけるだけだってわかっていた。
もし、そうなったとしても彼に告げるつもりもない。
「そういえば……」
達するとき、宣利さんは私の名を呼んでいた。
プライベートで、名前でよばれるのは初めてだ。
いつもは〝君〟なのに。
なんだったんだろう、あれ?
一晩明けて実家に連絡した。
離婚したと聞いてもなにも言わなかった父は、事情を察していたのかもしれない。
引っ越しは宣利さんがお任せパックを手配してくれた。
最後までお手間を取らせて本当に申し訳ない。
引っ越しの日、宣利さんはいなかった。
「……見送り、してくれないんだ」
わかっていたはずなのに、落ち込んでいる自分がいる。
宣利さんにとって仕事が一番、私は……何番だったんだろう?
離婚してしまった私なんてもはや、ランキングの対象ですらないんだろうけれど。
「おい、行くぞ」
「あ、うん!」
迎えに来てくれた父の車に乗る。
「バイバイ」
バイバイ、一年間だけの我が家。
バイバイ、宣利さん。
もうここに戻ってくることも、会うこともないだろうけれど。
流れていく窓の外をぼーっと眺めながら、この一年――出会いから一年半の生活を思い出していた。
彼の曾祖父の葬儀が終わり家に帰ってきた途端、彼は私をリビングに留めて目の前にそれを置いた。
……やっぱり、そうなるんだ。
僅かに失望しているのはどこか、期待をしていたんだろうか。
そんなの、無駄なのに。
六つ年上の彼――倉森宣利さんと結婚したのは一年ほど前の話だ。
決まった当初からこの結婚は老い先短い曾祖父を満足させるだけのものなので、曾祖父が亡くなれば別れるとは言われていた。
私もそれに異論はなかったのだ。
しかし一緒に生活していくうちに、宣利さんに惹かれ始めていた。
もしかしたら宣利さんもそうなんじゃないだろうか。
そんなふうに思いもした。
けれど現実は、離婚届という形で目の前に現れている。
じっと目の前に座る彼を見つめる。
センター分けにした前髪を横から後ろに流したオールバックはこんな時間でも乱れはなく、お堅い彼のようだった。
面長な顔にのるオーバルの眼鏡は一見、彼を柔和に見せているが、しかしそのシルバーのフレームと同じく冷たい人だ。
眼鏡の奥の切れ長な目が、下がったところなどついぞ見たことがない。
ただ、身を包む喪服が妙な色香を漂わせていた。
見つめたところで彼の顔色が変わるわけでもない。
心の中で小さくため息をつき、添えてあったペンを取った。
「……わかりました」
淡々と目の前の書類を埋めていく。
この生活ももう終わりなんだ。
思ったよりもよかったんだけれどな。
でも、仕方ないよね。
そういう約束だったんだし。
「じゃあ、これは僕が提出しておく。
引っ越しは急がなくていい。
新居の都合もあるだろうし。
あれなら僕が準備させてもらう」
そうか、離婚したんだから、もうここにはいられないのか。
「いえ、そこまでやってもらうわけにはいかないので。
実家においてもらえると思うので、連絡して今週中には出ていきます」
「そうか」
彼の返事は短く、それだけだった。
「じゃあ、私は先に休ませてもらいますね。
なんか、疲れちゃって」
笑って誤魔化し、その場を去ろうとする。
私の気持ちを彼に、知られてはいけない。
「待て」
「え?」
手を掴まれ、宣利さんを振り返る。
「最後に君を抱いてもいいだろうか」
眼鏡の向こうから彼が私を見つめていた。
結婚してから一度も、そういう営みはなかった。
離婚が前提の仕方ない結婚だから、というのはわかる。
それでも手を出してこないのはやっぱり、やせっぽちで顔はそばかすだらけ、お世辞にも美人とはいえない私は女として魅力がないんだろうなと若干、落ち込みもした。
なんといってもつるっぺただし。
なのに、〝抱いてもいいか〟とは?
あれか、喪服マジックか。
「えっと……。
はい」
なんとなく気恥ずかしくて目を逸らす。
宣利さんがどんなつもりかわからないが、それでも。
――最後に想い出を作らせてもらってもいいよね。
彼の寝室で、ベッドに押し倒された。
「いいんだな」
「はい」
最後の確認をし、眼鏡を置いた彼が私に覆い被さってくる。
すぐに唇が重なった。
……私、宣利さんとキス、してるんだ。
それはまるで夢のようで、まったく現実感がない。
その後も彼は指で、舌で、唇で丁寧に私を愛撫し、何度も私を天国へと連れていった。
……男の人に抱かれるのって、こんなにキモチイイんだっけ?
結婚するより前、大学時代にできた初カレとの体験を思い出すが、あれはただそういうものだという感じしかなかった。
けれど今はひたすら気持ちよくて溺れてしまいそうだ。
そのうち、宣利さんが私の身体の中に入ってきた。
私の身体を揺らすのにあわせて、乱れて落ちてきた彼の前髪が揺れる。
なにかを堪えるように、難しそうに眉の寄せられたその顔に身体の奥がきゅっと締まった。
「かり、ん……!」
私の名を呼んで彼が達する。
同時にどくどくと温かいものが身体の奥へと注ぎ込まれていくのを感じた。
……着けてなかったんだ。
それは誠実な彼らしくない気がしていた。
先にシャワーを譲ってくれたので、浴室で浴びる。
「あ……」
一応は拭いてくれたが、身体を洗っていたら中からどろりと宣利さんが放ったものが出てきた。
「……うん」
そっと、自分の下腹部を撫でてみる。
……できてたらいいな。
そんなの、彼に迷惑をかけるだけだってわかっていた。
もし、そうなったとしても彼に告げるつもりもない。
「そういえば……」
達するとき、宣利さんは私の名を呼んでいた。
プライベートで、名前でよばれるのは初めてだ。
いつもは〝君〟なのに。
なんだったんだろう、あれ?
一晩明けて実家に連絡した。
離婚したと聞いてもなにも言わなかった父は、事情を察していたのかもしれない。
引っ越しは宣利さんがお任せパックを手配してくれた。
最後までお手間を取らせて本当に申し訳ない。
引っ越しの日、宣利さんはいなかった。
「……見送り、してくれないんだ」
わかっていたはずなのに、落ち込んでいる自分がいる。
宣利さんにとって仕事が一番、私は……何番だったんだろう?
離婚してしまった私なんてもはや、ランキングの対象ですらないんだろうけれど。
「おい、行くぞ」
「あ、うん!」
迎えに来てくれた父の車に乗る。
「バイバイ」
バイバイ、一年間だけの我が家。
バイバイ、宣利さん。
もうここに戻ってくることも、会うこともないだろうけれど。
流れていく窓の外をぼーっと眺めながら、この一年――出会いから一年半の生活を思い出していた。
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