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3.初恋、だったんです
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だからその日、大宮を飲みに誘った。
連れてきたのは、このあいだの焼き肉屋。
「とうとう俺と、付き合ってくれる気になりましたか?」
嬉しそうに笑う大宮に胸が痛む。
……違うんだ、今夜は。
「いや。その、大宮。
……そろそろ諦めないか?」
「なんで諦めなきゃいけないんですか!?」
ガツッ、乱暴に大宮がジョッキを置く。
大丈夫、まだそんなに飲んでいない。
冷静に話ができるはず。
「悪いが私はおまえと付き合うつもりはない。
いや、おまえだけじゃない。
誰とも付き合うつもりはないから」
「……なんですか、それ」
眼鏡の奥の目がじろりと睨んできたが、視線を逸らして自分のジョッキに口を付ける。
「仕事が恋人、っていうか。
だから」
「わけわかんないですよ、それ」
「すまん」
ごくごくと喉を鳴らして一気にジョッキに残っていたビールを飲み干すと、大宮はため息ともつかない息を長く吐き出した。
「……俺。
一目惚れだったんです」
「は?
誰に?」
「柏原課長に。
っていっても、きっと覚えてないでしょうけど――」
……俺の通っていた高校の近く、婆ちゃんがひとりでやっている小さい文具屋があるんです。
受験が近づいてきたその日、鉛筆買いに行ったら若い女の人が店内の大掃除しているんですよ。
婆ちゃんと楽しそうに話しながら。
で、俺に気付いて「いらっしゃいませー」って。
その笑顔にどきってなりました。
それで鉛筆選んでいたら、「受験生?」って後ろから声かけられて。
あのとき、ふんわり香る香水の匂いに滅茶苦茶どきどきしました。
黙って頷いたら、そっと鉛筆の箱を差し出してきて、「これがいいよ」って。
「五角の鉛筆だから合格鉛筆なの。
私もこれ使って大学合格したから効果は間違いないよ」
もう俺、親切に勧めてくれているのになにも言えなくて、熱い顔でその箱掴んで金払って、逃げるみたいに帰りました。
でもやっぱり気になって、婆ちゃんが雇った店員なのかと思って次の日行ったら、いないんです。
聞いたら、問屋の人間なんだと教えてくれました。
それに、彼女みたいな人がいるから、婆ちゃんはこの店続けていけるんだって。
嬉しそうに笑っている婆ちゃんがすごく印象に残りました。
俺も、鉛筆のおかげか大学合格できましたし。
だから、ああいうふうに人に喜ばれる仕事がしたいな、って。
それで俺、その人――柏原課長を追ってこの会社に入ったんです。
照れたように笑う大宮に、胸がぎゅっと締め付けられた。
……そうか。
大宮はあのころの私の仕事、褒めてくれるんだ。
小売店、一軒一軒を大事にする私のやり方は、当時の同僚たちには莫迦にされた。
時間の無駄だって。
……ただひとり、あの人を除いて。
確かにそういうやり方は時間がかかったし、残業も多かった。
けれどそれが実を結び、いまの課長という地位がある。
それに、同じやり方をしている大宮だって部内トップ成績という実績を作った。
そんな大宮に、プライドの問題で私の本当の理由を話さないのはフェアじゃない。
「あのな、大宮。
……私、この年になるまで誰とも付き合ったことがないって言うと……引くか?」
「はい?」
大宮の目がレンズの幅一杯一杯まで見開かれ、瞳は点になった。
口だって、間抜けにも半開きになっている。
「だから。
いままで誰とも付き合ったことがないんだ」
「それってまだ処……ごふっ」
恥ずかしいことを口走りそうだった大宮に思いっきり肘鉄を食らわせた。
大宮は腹を押さえて悶絶しているが、……そういうのは恥ずかしいんだって。
熱い顔ですっかり温くなったビールを喉に流し込む。
「そういうわけで、男と付き合うのが怖いんだ。
だから、誰とも付き合うつもりはない。
おまえには悪いが」
……いままで。
たった一度しか、人を好きになったことはなかった。
それこそ、大宮が私を好きになってくれた当時の、……上司。
私のやり方を唯一褒めてくれた人。
でも、その人はすでに結婚していて、私は自分の気持ちをひた隠しにした。
課長昇進が決まったとき、この店に連れてきてくれたのもあの人だった。
最初で最後のふたりっきり。
なぜか「ごめん」とあやまられた。
もしかしたらあの人は、私の気持ちに気付いていたのかもしれない。
帰って泣いたことを覚えている。
きっと、あれが最初で最後の恋だと思っていた。
なのに、いま。
「理由はわかりました。
でも、俺は柏原課長の正直な気持ちが知りたいです」
人差し指でブリッジを押し上げて眼鏡の位置を直し、大宮が迫ってくる。
真剣な眼差しにごくりとつばを飲み込んだ。
「怖いから付き合わないなんて断る理由になりません。
重要なのは好きか嫌いかってことです」
「わ、私は」
自分から出た声は酷く震えていて笑いたくなる。
「大宮のことが、その、あの、……好き、だ」
かぁーっとあたままで上った熱のせいで、言葉は尻すぼみになって消えていく。
恥ずかしくて恥ずかしくて、もう消えてしまいたい。
それなのに。
「聞こえなかったので、もう一度お願いします」
平然と聞いてくる大宮になにかがぷつんと切れた。
「好きなんだよ、大宮が!
ああ悪かったね、十も年上の私がおまえのことが好きだなんて!
しかも、いまだに処女とか重くてさ!
でも、好きになってしまったもんはしょうがないだろ!」
言い切った途端に涙がぽろぽろこぼれ落ちる。
……ああもう、最悪だ。
喧嘩腰でこんなことを言った上に、泣くなんて。
「やっぱり可愛いですね、柏原課長は」
「可愛い言うな、莫迦」
腕を伸ばしてきた大宮に、素直に抱きしめられた。
好きな男の、腕の中がこんなに暖かくて安心できるものだって初めて知った。
「だって、可愛いですもん。
……やっぱりあなたが好きですよ、柏原課長」
大宮の低い声が優しく響く。
……あれ?
なんでだろ?
あたまがふわふわする。
そんなに飲んでいないはずなんだけど……。
「柏原課長?
柏原……」
困惑気味の大宮の声が次第に遠くなっていく……。
連れてきたのは、このあいだの焼き肉屋。
「とうとう俺と、付き合ってくれる気になりましたか?」
嬉しそうに笑う大宮に胸が痛む。
……違うんだ、今夜は。
「いや。その、大宮。
……そろそろ諦めないか?」
「なんで諦めなきゃいけないんですか!?」
ガツッ、乱暴に大宮がジョッキを置く。
大丈夫、まだそんなに飲んでいない。
冷静に話ができるはず。
「悪いが私はおまえと付き合うつもりはない。
いや、おまえだけじゃない。
誰とも付き合うつもりはないから」
「……なんですか、それ」
眼鏡の奥の目がじろりと睨んできたが、視線を逸らして自分のジョッキに口を付ける。
「仕事が恋人、っていうか。
だから」
「わけわかんないですよ、それ」
「すまん」
ごくごくと喉を鳴らして一気にジョッキに残っていたビールを飲み干すと、大宮はため息ともつかない息を長く吐き出した。
「……俺。
一目惚れだったんです」
「は?
誰に?」
「柏原課長に。
っていっても、きっと覚えてないでしょうけど――」
……俺の通っていた高校の近く、婆ちゃんがひとりでやっている小さい文具屋があるんです。
受験が近づいてきたその日、鉛筆買いに行ったら若い女の人が店内の大掃除しているんですよ。
婆ちゃんと楽しそうに話しながら。
で、俺に気付いて「いらっしゃいませー」って。
その笑顔にどきってなりました。
それで鉛筆選んでいたら、「受験生?」って後ろから声かけられて。
あのとき、ふんわり香る香水の匂いに滅茶苦茶どきどきしました。
黙って頷いたら、そっと鉛筆の箱を差し出してきて、「これがいいよ」って。
「五角の鉛筆だから合格鉛筆なの。
私もこれ使って大学合格したから効果は間違いないよ」
もう俺、親切に勧めてくれているのになにも言えなくて、熱い顔でその箱掴んで金払って、逃げるみたいに帰りました。
でもやっぱり気になって、婆ちゃんが雇った店員なのかと思って次の日行ったら、いないんです。
聞いたら、問屋の人間なんだと教えてくれました。
それに、彼女みたいな人がいるから、婆ちゃんはこの店続けていけるんだって。
嬉しそうに笑っている婆ちゃんがすごく印象に残りました。
俺も、鉛筆のおかげか大学合格できましたし。
だから、ああいうふうに人に喜ばれる仕事がしたいな、って。
それで俺、その人――柏原課長を追ってこの会社に入ったんです。
照れたように笑う大宮に、胸がぎゅっと締め付けられた。
……そうか。
大宮はあのころの私の仕事、褒めてくれるんだ。
小売店、一軒一軒を大事にする私のやり方は、当時の同僚たちには莫迦にされた。
時間の無駄だって。
……ただひとり、あの人を除いて。
確かにそういうやり方は時間がかかったし、残業も多かった。
けれどそれが実を結び、いまの課長という地位がある。
それに、同じやり方をしている大宮だって部内トップ成績という実績を作った。
そんな大宮に、プライドの問題で私の本当の理由を話さないのはフェアじゃない。
「あのな、大宮。
……私、この年になるまで誰とも付き合ったことがないって言うと……引くか?」
「はい?」
大宮の目がレンズの幅一杯一杯まで見開かれ、瞳は点になった。
口だって、間抜けにも半開きになっている。
「だから。
いままで誰とも付き合ったことがないんだ」
「それってまだ処……ごふっ」
恥ずかしいことを口走りそうだった大宮に思いっきり肘鉄を食らわせた。
大宮は腹を押さえて悶絶しているが、……そういうのは恥ずかしいんだって。
熱い顔ですっかり温くなったビールを喉に流し込む。
「そういうわけで、男と付き合うのが怖いんだ。
だから、誰とも付き合うつもりはない。
おまえには悪いが」
……いままで。
たった一度しか、人を好きになったことはなかった。
それこそ、大宮が私を好きになってくれた当時の、……上司。
私のやり方を唯一褒めてくれた人。
でも、その人はすでに結婚していて、私は自分の気持ちをひた隠しにした。
課長昇進が決まったとき、この店に連れてきてくれたのもあの人だった。
最初で最後のふたりっきり。
なぜか「ごめん」とあやまられた。
もしかしたらあの人は、私の気持ちに気付いていたのかもしれない。
帰って泣いたことを覚えている。
きっと、あれが最初で最後の恋だと思っていた。
なのに、いま。
「理由はわかりました。
でも、俺は柏原課長の正直な気持ちが知りたいです」
人差し指でブリッジを押し上げて眼鏡の位置を直し、大宮が迫ってくる。
真剣な眼差しにごくりとつばを飲み込んだ。
「怖いから付き合わないなんて断る理由になりません。
重要なのは好きか嫌いかってことです」
「わ、私は」
自分から出た声は酷く震えていて笑いたくなる。
「大宮のことが、その、あの、……好き、だ」
かぁーっとあたままで上った熱のせいで、言葉は尻すぼみになって消えていく。
恥ずかしくて恥ずかしくて、もう消えてしまいたい。
それなのに。
「聞こえなかったので、もう一度お願いします」
平然と聞いてくる大宮になにかがぷつんと切れた。
「好きなんだよ、大宮が!
ああ悪かったね、十も年上の私がおまえのことが好きだなんて!
しかも、いまだに処女とか重くてさ!
でも、好きになってしまったもんはしょうがないだろ!」
言い切った途端に涙がぽろぽろこぼれ落ちる。
……ああもう、最悪だ。
喧嘩腰でこんなことを言った上に、泣くなんて。
「やっぱり可愛いですね、柏原課長は」
「可愛い言うな、莫迦」
腕を伸ばしてきた大宮に、素直に抱きしめられた。
好きな男の、腕の中がこんなに暖かくて安心できるものだって初めて知った。
「だって、可愛いですもん。
……やっぱりあなたが好きですよ、柏原課長」
大宮の低い声が優しく響く。
……あれ?
なんでだろ?
あたまがふわふわする。
そんなに飲んでいないはずなんだけど……。
「柏原課長?
柏原……」
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