彼と私と手まり寿司

駒野沙月

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彼と私と手まり寿司

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「あっ、なぎささん。おかえりなさい」

 珍しく早めに会社から帰ると、キッチンからそんな声が聞こえて来た。
 声の主は、現在同棲中の年下の彼氏だ。

「ただいま、奏斗かなと君。…誰か来るの?こんな時間に」

 迎えてくれた彼の前、ダイニングテーブルの上に置かれていたのは、空の大皿としゃもじが一つ。
 二人暮らしなのにあんなに大きなお皿を出してくるのは珍しいな、と思いつつも聞いてみたけれど、奏斗君は「いえ、誰も」と手を振った。

「久々に手まり寿司でも作ろうかと思って。渚さんも一緒にどうです?」
「手まり寿司?」

 手まり寿司とは、一口大の小さな酢飯の上にお刺身をのせて握ったお寿司のことだ。ころっとした見た目が可愛らしく、上に乗った具材たちも色鮮やかで美しい。非常に写真映えするのもあって、いわゆる"映え"料理としてネット上でも話題だ。

 そのチョイスもさることながら、「久々に」ってことは以前にも作った経験があるということ。

「なにそれかわいい…」

 童顔気味なことを気にしてるみたいだけど、高身長かつ小顔のイケメン。顔も良し、見た目も良し、ついでに声も良し。
 そんな奏斗君が、小さなお寿司をちまちま丸めているのはなんだか可愛いし、本人は怒るかもしれないが凄く様になると思う。

「…確かに似合わないかもですけど。昔おばあちゃんに習ったんです」

 思わず呟いた私の言葉に、彼はきょとんとした顔になったが、私の言わんとすることに彼なりに思い当たったのか、ちょっと拗ねたように返された。

 曰く、奏斗君には幼少期一緒に住んでいた祖母がいて、その頃に教わったのだという。
 おばあちゃん直伝のレシピというのも、「おばあちゃん」呼びも合わせてそれはそれで充分可愛いと思うのだが。…イケメンだからそう思えるのだろうか。

「…なるほど?」
「じゃあ渚さん、これ持ってて」

 と、渡されたのは団扇だった。なんとなくぱたぱたと辺りを扇いでいれば、奏斗君は保温してあったらしいご飯を炊飯ジャーごと持って来る。
 炊飯ジャーの中身はお米が二合と少し。ちょっと多いのでは、と思ったが、二人だしこれくらいいけるでしょ?と返された。確かに、普通じゃ無理な量でもおにぎりにしたら案外ぺろりといけてしまうものだし、寿司でもその理屈は通るかもしれない。

 炊飯ジャーにそのままお酢と砂糖とお塩を入れて、奏斗君はそれを手慣れた様子で混ぜていく。その間の私の役目は、酢飯を団扇で扇ぐだけだ。あと、時々味見。
 口に入れられた酢飯に「うん、美味しい」と頷けば、「良かった」と彼は微笑む。

「じゃあ後は丸めて刺身乗っけるだけですね」
「奏斗君、お刺身も自分で切れるの?」
「できなくはないんですけどね、ちょっとめんどくさいので今日はこれです」

 奏斗君が冷蔵庫から取り出したのは、スーパーで普通に売ってるお刺身の盛り合わせである。マグロとかブリとか、手まり寿司には使いづらいけどエビとかイカとか、色々と入ってるやつだ。サーモンは二人とも好物なのもあってか、それの他にサーモンだけのトレーも一つ買ってある。
 というかさらっと流されたけど、もしかして魚も捌けるのかこの彼氏。有能だな。

「なるほど」
「うちのおばあちゃんもこうしてたんですよね」

 奏斗君に渡されたのはラップだ。おにぎりもそうだけれど、彼はこういう時よくラップを使う。
 最初に一つ、奏斗君がやり方を教えてくれた。
 酢飯を少量ラップに取って、それを丸めてからお刺身をのせる。思っていた以上に簡単そうで内心ほっとする。

 お刺身か酢飯のどっちかがなくなるまで、ということで、二人で黙々と作っていった。
 普通の手まり寿司ならこのお刺身をちょっと小さくするのだろうけど、奏斗君にそのつもりはないらしい。一応大きいものだけは切ってくれるようだけど。
 米とネタのバランスは大丈夫かと心配になるが、曰く「案外適当でも何とかなるもんですよ」とのこと。君、割とそういうとこあるよね。

 でも、そんなこと言ってる割には、彼の作るお寿司は綺麗だった。どれも大きさが揃っているし、形も綺麗なまん丸。手際も良くて、小さなお寿司がころころと量産されていく様子は見ていて楽しい。

「奏斗君の美味しそ…」
「渚さんも上手じゃないですか」

 彼はそう言ってくれるけれど、私のはどうにも形が歪だし、大きさもまちまち。
 物凄く不器用、という訳ではないとは思っていたけれど、正直下手だと思う。奏斗君のに比べれば、その出来栄えは一目瞭然だ。

「別にちょっとくらい大丈夫ですよ。腹に入れば全部一緒ですし」
「またそういうこと言う」

 …というか、それあんまりフォローになってない気がするんだけど?

 そんなことを言い合いつつも、用意してあった大皿はころころとした手まり寿司で埋まっていった。
 先に無くなったのは、マグロやサーモンなどのお刺身の方だった。残った酢飯はおにぎりっぽく握ってみたり、奏斗君が残ったエビやタコで普通のお寿司もどきを作ってくれた。

 テーブルについて、二人揃って手を合わせてから、試しに一つ摘まんで醤油をつけてみる。
 軽く握られた、塩味と甘みのちょうどいい酢飯が口の中でほろほろととろけていくのを感じる。
 スーパーのお刺身も、特段何かした訳ではないが、料理上手の彼氏の手にかかれば名店の味みたいになるのが面白い。どんな食材も、料理人が手間暇かけて調理すれば化けるのかなあと、そう思った。

「偶にはいいでしょ?こういう簡単なレシピも」
「…偶には手伝わせて頂きます」
「あはは、別にそういうつもりじゃなかったんですけどね」

 私は料理ができないわけではないけれど、そこまで得意ではないし、そもそも数年前からは料理上手の彼が近くにいたから。完全にそれに甘えてしまっていた自覚はある。
 なんとなく罪悪感から縮こまりたくなる私の向かいで、ちょんちょんと醤油をつけた手まり寿司をひとつ、口に放り込みながら奏斗君は笑った。
 私が作ったのが一目瞭然な、歪な形のそれを上機嫌そうに飲み込んでから、彼はまた口を開いた。

「うち、親が共働きだったから、おばあちゃんによくご飯とか作ってもらってたんですよね。で、それを時々手伝ってた過程で色々教わって。それである程度できるようになったんですけど」

 唐突な昔話に内心首を傾げつつも、私は何も言わずにその続きを促した。
 …とりあえず言わせてもらうと、ある程度じゃないです。もう少し自信持っていいと思うよ。

「この手まり寿司もその時習って。何回かおばあちゃんと一緒に作ってた時に思ったんですよ。
 おばあちゃんの作ってくれるお漬け物とかふかし芋とか、そういう地味な…は失礼か、素朴?で昔ながらの美味しいメニューもいいけど、こういう皆でできる料理もいいなあって」

 確かに楽しかった。普段料理はほとんどやらない私でも簡単だったし、やろうと思えば火も包丁も使わなくて済むから、子供でも充分できるだろう。

「で、思うんですけど、おじいちゃんとおばあちゃんになった僕らと孫と…3人か4人か分かりませんけど…皆で一緒にお寿司作るのっていいと思いません?」

 って、奏斗君はさらりと、まるでなんでもないことのように言うけれど。
 
…それ、捉えようによっては実質プロポーズなんじゃ。
 おじいちゃんになっても、一緒に居てくれるつもりなの?

「それってどういう…」
「さあ、どういう意味でしょうね」

 そう言って、彼はにっこり微笑む。今日一番の、いい顔だった。
 一方私は、多分赤くなっていたと思う。だって、これだけ顔が熱いのだもの。

「ねえ、奏斗君ってば。教えてよ」
「まだ内緒です。まだね」

 綺麗な外面に覆われた、その内情は外から窺い見ることは難しい。揶揄われてるような気はするけれど、一体どういう意味なの?
 その後、何度か聞き出そうとしてみたけれど、全部のらりくらりとかわされてしまった。年下だけど、こういう時は彼の方が一枚上手なのである。

 この数年で胃袋を完璧に掴まれたことによるものか、はたまた、惚れた弱みというものか。…もしくはどちらもだろうか。
 色んな意味で、私は彼には敵わないのである。本当に。
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