朝と夕には食卓を囲んで

駒野沙月

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悩める夜にチョコプリンをどうぞ

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「おい、生きてるか」
「……人間そんな簡単に死にません」

 ほんの少し開いた扉のこちら側から声をかければ、いつもと変わらない、でもよくよく聞いてみれば微かにどこか自嘲するような響きの籠もった声が返ってくる。
 冗談に冗談で返すくらいの元気は残っているらしいが、これはこれであまりよろしくない状況な気がする。

 今日、午後の比較的早い時間に帰ってきた朝陽は帰宅して早々、自室に籠もってしまった。これが今日だけであれば、別におかしくもなんともないのだが、実はここ一週間くらいはずっとこの調子なのだ。数日くらいならともかく、ここまで続くと流石に心配になってくるというものである。
 原因はなんとなく分かる。体調が云々というよりは、おそらくメンタル的なものだと思う。ここ数日の寒暖差に気圧の乱高下、あと最近やけに忙しそうだったのも影響しているのだろうか。
 まあ、こいつはこの時期は大体こんな感じなので、それもあまり当てにならないが。

「その返しができるだけマシか」
「いやね、もし仮に一人だったらヤバかったとは思うよ? 家に帰って一人じゃないのって、結構ありがたいもんだね」

 久々に見た気がする。仕事モードのあいつが常に貼り付けているのにも似た、不自然な笑顔が音もなくすとんと抜け落ちる瞬間を。
 あれは、本当に時のサインだ。いつもなら、もう少し表情の管理が上手い筈だから。

「ちなみに、甘いもん食うだけの元気は?」
「……ある」

 そういえば、昨日戯れに作ったものがあったのだったなと思い出した。
 それくらいの元気は残っているようなので、味見も兼ねて食わせてみることにする。

 開いた冷蔵庫の中には、バットに乗ったカップが4つ。普通に作るとそれなりに面倒な工程のあるプリンも、ゼラチンを入れると簡単に作れると聞いて、試しに作ってみたものだ。
 うん、しっかり固まってる……が、ちょっと柔らかすぎたかもしれない。

 とりあえず持って行ってみようと朝陽の部屋に入ると、当の本人はラフな部屋着姿でベッドの上で体を起こしていた。
 カップとスプーンを受け取りながら、「わ、プリンだ」と喜ぶ朝陽の姿は、パッと見普段と全く変わらない。でもその顔には、どこか影が落ちているようにも見える。

「へーすごい、プリンって自分で作れるもんなんだ」
「俺が昔作ったケーキとかの方が難易度高いぞ?」
「そういえばそうでした」
「つか悪い、ついついチョコ味にしちまった。嫌だったら別の用意するけど」
「……別におれチョコ好きだけど?」

 意味が分からない、という顔をする朝陽。でも意味が分からないのはこちらも同じだ。
 だって、明日は。

「……あ」
「……もしかして、よくないこと思い出させたか?」

 2月14日。言うまでもないことだが、世間一般ではバレンタインデーとして知られている日。俺は実際にその様子を見たことはないが、この日はこいつの事務所に沢山のファンからの沢山の『贈り物』が届くらしい。
 あいつは何故か、それを『爆弾』と称していた時もあったっけ。その理由は何となく聞けていないけれど、なんとなく想像はつくような気がする。

「それは別に気にしなくていいよ。あとこれ美味しいね、普通のよりぷるぷるしてて」
「……そりゃどうも」

 時期が時期だからか、売り場に大量に出されているチョコをついうっかり買ってしまったのは失敗だったなと反省する。安全そうな市販品に限っては、明日の朝陽が持ち帰ってくる可能性があったというのに。
 曰く、「とりあえずそっちはなんとかなる」らしいが、余計な心配事を増やさせてしまったようで罪悪感がすごい。

「……なんかさあ、今ちょーっとメンタルイかれてるっぽいんだよね。メンタルよわよわ期ってやつ?」
「メンタルよわよわ期」
「そ、ちょっとヘラってるだけだから。少し休めばいつも通りになるって」
「ヘラってる」

 何が面白いのか、そう話す朝陽はずっとへらへらしている。いつも通りと言えばいつも通りだが、これはこれで色々とよくない状態の気がする。
 それに、俺としてはその中にちょこちょこ出てくる謎の語彙が気になるのだが。

「……今のお前、なんかギャルみてえな語彙してるな」
「ギャルなめんなよ」

 スプーン咥えたままドヤるな。危ないから。
 そしてお前はギャルの何を知っているんだ。

「ギャルだって一人の人間だからね。そりゃあ絶望することだってあるし、メンタルがダメダメになる日もあるよね」
「本当にお前は何を言っているんだ」
「心にギャルを飼うのは精神衛生的に良いって言うじゃない? だからちょっと実践してみようかなーと思ったんだけど、それでどうにかなる問題じゃなかった」
「分かったからもう喋んな」

 あと多分、心にギャルを飼うってそういうことじゃないと思う。
 駄目だこいつ、早く休ませた方がいい。

「別にさあ、決定的な『何か』があったわけじゃないんだよね。ちょっと嫌なもの見ちゃったとか、人間の嫌なところばっかり目に入るようになったとか。
 あとは……そうだね、将来に光が見えなくなったとか? ……たぶん、そういうのが積み重なった結果がこれなんじゃないかなあ」
「……まあ、ここ最近色々あったもんなあ」
「それプラス現場の闇ですよ。そりゃヘラりもしますわ」

 喋るなと言ったにも関わらず、またもやへらへらしながらそんなことを話す朝陽。
 気づけば、手の中のカップは既に空だった。
 こんな時でも甘いもんは食うのが早いやつである。「ごちそうさまでした」の声とカップのからりという音を聞きながらぼんやり思った。

「とりあえず、俺ごときにどうこうできるもんじゃねえのは分かった」
「言うなれば俺の個人的な問題だからね。とりあえず落ち着く点さえ見つかれば、いつも通り、しばらくしたら戻ってると思うよ」
「さっさと海堂さんにバレろ。んでついでに一週間くらい休みもぎ取って来い」
「それは無理。この先しばらくスケジュールかっつかつだから」

 てか多分もうバレてると思うよ。当然のことのようにあっさり告げた朝陽の顔は、さっきまでよりも少しだけすっきりしたように見えなくもなかった(俺の希望的観測を多分に含んでいるが)ので、内心少しほっとする。
 確かに、あの人ならそれくらい見抜いていそうではあるけれども。

「分かっててやらせてるんなら、あの人マジで鬼だな」
「まあね。一人だと考え込んじゃうし仕事してた方がマシだからいいけど」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ」

 人間ってさ、めちゃくちゃ面倒くさい生き物だよね。
 でもその割に案外単純で、たった140字の文字列でだって簡単に傷つくし、かと思えば美味しいプリン一つですぐ元に戻るし。なんか今まで悩んできたのも全部、馬鹿らしくなってきちゃった。

 ──でも、それが人間なんだろうね。きっと。

 そう語った朝陽の、どこか悟ったような横顔が、少しだけ憎らしかった。
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