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前日譚1 大きい人と、小さい人
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「……全く、なんで泳げないのに川なんか飛び込むんだよ」
自分が作った焚火の向こうへ、そう、声を掛ける。
返事は、無い。だが、火の向こう側に見える小さな、ジェイより四、五歳くらい年下に見える少年が我が身の危険を顧みず川へ飛び込んだ理由は、ジェイ自身明確に知っている。今現在ジェイが抱いて温めている子供が溺れているのを助けようとしたからだ。結局のところ、同時に溺れそうになっていた子供と少年を、ジェイが助けたわけだが。泳ぎも、溺れた人の救助も、海辺の漁師村出身の自分には経験として身に付いている。家出してしまう程反発しながらも身体に叩き込まれた経験や知識が、流浪する傭兵の真似事をしている今になって役に立った。そのことが、ジェイには少し悔しく、しかし嬉しかった。
「寒いだろ」
つと立ち上がり、焚火を回って少年の方へ行く。虚弱そうな裸の身体にジェイのマントを巻き付けて座っている少年は顔の青白さと髪の白さも相まってか、とても具合が悪そうに見えた。
「子供を抱いてりゃ、互いの体温で温かくなるぜ」
その少年の腕に、抱えていた子供を抱かせる。少年は無言のまま、眠っている子供をそっと抱き締めた。
「助けてくれて、ありがとう」
血の気の無い少年の唇から、小さな声が漏れる。
「別に良いさ」
そう言いながら、ジェイは少年に横になって休むよう、言った。
「疲れてるんだろ? 顔色悪いぜ」
まだ太陽は高い位置にある。濡れた上着から下着まで全ての服が乾いてから子供の親を捜しても、時間的に余裕があるだろう。万が一、親が見つからないまま夜になってしまっても、干されている服から察するにこの少年は森の近くにある商業都市兼聖堂都市ヴェクハールの神官見習いだ。二人分の夕飯と寝床ぐらいは都合つけてくれるだろう。
ジェイの言葉に従い、少年は無言のまま、川原傍の柔らかな草の上に横になった。勿論、助けた子供も少年の腕の中、だ。
「助かって、良かった」
子供の柔らかそうな髪を撫でながら呟かれた少年の言葉が、ジェイの耳に優しく響く。
少年が眠りにつくまで、ジェイは少年のキラキラと光る髪を眺めていた。
と。
微かな殺気に、焚火の側に置きっ放しにしていた戦斧を掴む。獣か? それとも、最近世間を騒がせている小鬼か? それとも、……人か? 風も無いのにざわざわと動く茂みに向かって、ジェイは戦斧を構えた。
だが。茂みから出て来たのは、背は高いがほっそりとした人影。身に付けている青色の袖無し服の紋章から、ヴェクハールの神官だと分かる。神官なら、大丈夫だ。ジェイはほっと息を吐いた。獣や小鬼はともかく、最近多い、影のようなモノに取り付かれて正気を無くした人間を相手にするのは、できれば避けたかった。相手が強いからではない。得体の知れないモノは正直怖い。ただ、それだけ。
だが。
「……ティア!」
ジェイの方を見て鋭い叫びを上げた人影が、腰の剣を抜きながらジェイに向かって突進してくる。
「なっ!」
度肝を抜かれたジェイだが、しかしすぐに握っていた戦斧を持ち上げ、襲って来た刃を辛うじて受け止めた。
「貴様っ! ティアに何をしたっ!」
怒りの形相が、眼前に迫る。
何か、誤解がある。ジェイは冷静にそう判断した。が、その先は、重い刃が自分に当たらないよう、止めるだけで精一杯。この細い身体のどこに、こんな馬鹿力があるんだ? 目の前の白皙の青年に、ジェイは正直驚いて、いた。
と。
「ヴァリス!」
か細い声が、ジェイと青年の間に割って入る。あの、少年だ。ジェイがそう認識するより早く、少年はジェイの戦斧に絡まっていた青年の剣を手にした短剣で易々と外し、ジェイに裸の背を向けて青年と対峙した。
「ティア!」
ジェイが戦斧を構え直すより早く、青年が剣を捨てて少年を抱き締める。
「大丈夫か? 怪我は無いか? まさかあいつに何かされた……」
要らぬ誤解で青年に睨みつけられるより早く、ジェイは焚火の方を示した。
「あの子供を助けようとして溺れたコイツを、助けただけだ」
「な……」
ジェイの言葉を聞いた青年の顔が、驚愕に歪む。
次の瞬間。
「なんでそんな危ないことを!」
青年はつかんでいた少年の肩を強く揺さぶった。
「え、だって、溺れてたんだよ。助けなきゃ」
青年の方向違いの言葉と、戸惑いながら呟かれた少年のある意味真っ当な台詞に、当惑より先に場違いな可笑しさが込み上げてくる。この青年、少年のことしか考えていない。堪えきれず、ジェイはぷっと吹き出した。
「何が可笑しい」
だがすぐに、睨みつける青年の視線を感じ、真顔になる。
「別に」
ジェイは青年の視線を外すと、焚火の傍に戻り、まだ生乾きの服を着た。
自分善がりな奴に構っていると、こちらが悪者にされるだけだ。こんな奴とは、早く縁を切るに限る。
少年、ティアの懇願に負けた神官の青年ヴァリスに協力があったのが良かったのか、溺れかけた子供の親は、拍子抜けする程あっさり見つけることができた。
子供の親を見つけた時点で、ジェイはこの二人と別れようと思っていたのだが。
「ヴェクハールに来てよ。もう夕方だし」
無邪気なティアの言葉に頷いてしまったのが運の尽き、今更去る理由も見つけられず、ジェイはティアと、未だ仏頂面を崩さないヴァリスと共に、疎らになった木々の間を歩いていた。
「ごめんね」
不意に、小さな声が耳に入る。見下ろすと、ティアの銀色の髪が微かに震えているのが、横に見えた。
「ヴァリス、良い人なんだけど、僕のことになるといつもああなんだ」
言葉足らずのティアの台詞に、首を横に振る。
「良いさ。俺は気にしていない」
まだ先のことだろうが、自分にも守りたい程大切な人ができたら、気付かないうちにヴァリスのような言動をとってしまうかもしれない。だからジェイは、ヴァリスを許そうと決めた。
それに。ジェイの言葉に明るく笑ったティアをもう一度見つめ、そっと思う。この、見た目と違って激しい心を持ち、そして武の素養がありそうな少年の成長を、見てみたい。その為なら、一つ所に落ち着くのも良いだろう。自分の心を確かめるように、ジェイはうんと一つ、頷いた。
自分が作った焚火の向こうへ、そう、声を掛ける。
返事は、無い。だが、火の向こう側に見える小さな、ジェイより四、五歳くらい年下に見える少年が我が身の危険を顧みず川へ飛び込んだ理由は、ジェイ自身明確に知っている。今現在ジェイが抱いて温めている子供が溺れているのを助けようとしたからだ。結局のところ、同時に溺れそうになっていた子供と少年を、ジェイが助けたわけだが。泳ぎも、溺れた人の救助も、海辺の漁師村出身の自分には経験として身に付いている。家出してしまう程反発しながらも身体に叩き込まれた経験や知識が、流浪する傭兵の真似事をしている今になって役に立った。そのことが、ジェイには少し悔しく、しかし嬉しかった。
「寒いだろ」
つと立ち上がり、焚火を回って少年の方へ行く。虚弱そうな裸の身体にジェイのマントを巻き付けて座っている少年は顔の青白さと髪の白さも相まってか、とても具合が悪そうに見えた。
「子供を抱いてりゃ、互いの体温で温かくなるぜ」
その少年の腕に、抱えていた子供を抱かせる。少年は無言のまま、眠っている子供をそっと抱き締めた。
「助けてくれて、ありがとう」
血の気の無い少年の唇から、小さな声が漏れる。
「別に良いさ」
そう言いながら、ジェイは少年に横になって休むよう、言った。
「疲れてるんだろ? 顔色悪いぜ」
まだ太陽は高い位置にある。濡れた上着から下着まで全ての服が乾いてから子供の親を捜しても、時間的に余裕があるだろう。万が一、親が見つからないまま夜になってしまっても、干されている服から察するにこの少年は森の近くにある商業都市兼聖堂都市ヴェクハールの神官見習いだ。二人分の夕飯と寝床ぐらいは都合つけてくれるだろう。
ジェイの言葉に従い、少年は無言のまま、川原傍の柔らかな草の上に横になった。勿論、助けた子供も少年の腕の中、だ。
「助かって、良かった」
子供の柔らかそうな髪を撫でながら呟かれた少年の言葉が、ジェイの耳に優しく響く。
少年が眠りにつくまで、ジェイは少年のキラキラと光る髪を眺めていた。
と。
微かな殺気に、焚火の側に置きっ放しにしていた戦斧を掴む。獣か? それとも、最近世間を騒がせている小鬼か? それとも、……人か? 風も無いのにざわざわと動く茂みに向かって、ジェイは戦斧を構えた。
だが。茂みから出て来たのは、背は高いがほっそりとした人影。身に付けている青色の袖無し服の紋章から、ヴェクハールの神官だと分かる。神官なら、大丈夫だ。ジェイはほっと息を吐いた。獣や小鬼はともかく、最近多い、影のようなモノに取り付かれて正気を無くした人間を相手にするのは、できれば避けたかった。相手が強いからではない。得体の知れないモノは正直怖い。ただ、それだけ。
だが。
「……ティア!」
ジェイの方を見て鋭い叫びを上げた人影が、腰の剣を抜きながらジェイに向かって突進してくる。
「なっ!」
度肝を抜かれたジェイだが、しかしすぐに握っていた戦斧を持ち上げ、襲って来た刃を辛うじて受け止めた。
「貴様っ! ティアに何をしたっ!」
怒りの形相が、眼前に迫る。
何か、誤解がある。ジェイは冷静にそう判断した。が、その先は、重い刃が自分に当たらないよう、止めるだけで精一杯。この細い身体のどこに、こんな馬鹿力があるんだ? 目の前の白皙の青年に、ジェイは正直驚いて、いた。
と。
「ヴァリス!」
か細い声が、ジェイと青年の間に割って入る。あの、少年だ。ジェイがそう認識するより早く、少年はジェイの戦斧に絡まっていた青年の剣を手にした短剣で易々と外し、ジェイに裸の背を向けて青年と対峙した。
「ティア!」
ジェイが戦斧を構え直すより早く、青年が剣を捨てて少年を抱き締める。
「大丈夫か? 怪我は無いか? まさかあいつに何かされた……」
要らぬ誤解で青年に睨みつけられるより早く、ジェイは焚火の方を示した。
「あの子供を助けようとして溺れたコイツを、助けただけだ」
「な……」
ジェイの言葉を聞いた青年の顔が、驚愕に歪む。
次の瞬間。
「なんでそんな危ないことを!」
青年はつかんでいた少年の肩を強く揺さぶった。
「え、だって、溺れてたんだよ。助けなきゃ」
青年の方向違いの言葉と、戸惑いながら呟かれた少年のある意味真っ当な台詞に、当惑より先に場違いな可笑しさが込み上げてくる。この青年、少年のことしか考えていない。堪えきれず、ジェイはぷっと吹き出した。
「何が可笑しい」
だがすぐに、睨みつける青年の視線を感じ、真顔になる。
「別に」
ジェイは青年の視線を外すと、焚火の傍に戻り、まだ生乾きの服を着た。
自分善がりな奴に構っていると、こちらが悪者にされるだけだ。こんな奴とは、早く縁を切るに限る。
少年、ティアの懇願に負けた神官の青年ヴァリスに協力があったのが良かったのか、溺れかけた子供の親は、拍子抜けする程あっさり見つけることができた。
子供の親を見つけた時点で、ジェイはこの二人と別れようと思っていたのだが。
「ヴェクハールに来てよ。もう夕方だし」
無邪気なティアの言葉に頷いてしまったのが運の尽き、今更去る理由も見つけられず、ジェイはティアと、未だ仏頂面を崩さないヴァリスと共に、疎らになった木々の間を歩いていた。
「ごめんね」
不意に、小さな声が耳に入る。見下ろすと、ティアの銀色の髪が微かに震えているのが、横に見えた。
「ヴァリス、良い人なんだけど、僕のことになるといつもああなんだ」
言葉足らずのティアの台詞に、首を横に振る。
「良いさ。俺は気にしていない」
まだ先のことだろうが、自分にも守りたい程大切な人ができたら、気付かないうちにヴァリスのような言動をとってしまうかもしれない。だからジェイは、ヴァリスを許そうと決めた。
それに。ジェイの言葉に明るく笑ったティアをもう一度見つめ、そっと思う。この、見た目と違って激しい心を持ち、そして武の素養がありそうな少年の成長を、見てみたい。その為なら、一つ所に落ち着くのも良いだろう。自分の心を確かめるように、ジェイはうんと一つ、頷いた。
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——
本編最終話には創音さんから頂いた、イラストを掲載しました!
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