混沌の刻へ

風城国子智

文字の大きさ
上 下
61 / 63

前日譚1 大きい人と、小さい人

しおりを挟む
「……全く、なんで泳げないのに川なんか飛び込むんだよ」
 自分が作った焚火の向こうへ、そう、声を掛ける。
 返事は、無い。だが、火の向こう側に見える小さな、ジェイより四、五歳くらい年下に見える少年が我が身の危険を顧みず川へ飛び込んだ理由は、ジェイ自身明確に知っている。今現在ジェイが抱いて温めている子供が溺れているのを助けようとしたからだ。結局のところ、同時に溺れそうになっていた子供と少年を、ジェイが助けたわけだが。泳ぎも、溺れた人の救助も、海辺の漁師村出身の自分には経験として身に付いている。家出してしまう程反発しながらも身体に叩き込まれた経験や知識が、流浪する傭兵の真似事をしている今になって役に立った。そのことが、ジェイには少し悔しく、しかし嬉しかった。
「寒いだろ」
 つと立ち上がり、焚火を回って少年の方へ行く。虚弱そうな裸の身体にジェイのマントを巻き付けて座っている少年は顔の青白さと髪の白さも相まってか、とても具合が悪そうに見えた。
「子供を抱いてりゃ、互いの体温で温かくなるぜ」
 その少年の腕に、抱えていた子供を抱かせる。少年は無言のまま、眠っている子供をそっと抱き締めた。
「助けてくれて、ありがとう」
 血の気の無い少年の唇から、小さな声が漏れる。
「別に良いさ」
 そう言いながら、ジェイは少年に横になって休むよう、言った。
「疲れてるんだろ? 顔色悪いぜ」
 まだ太陽は高い位置にある。濡れた上着から下着まで全ての服が乾いてから子供の親を捜しても、時間的に余裕があるだろう。万が一、親が見つからないまま夜になってしまっても、干されている服から察するにこの少年は森の近くにある商業都市兼聖堂都市ヴェクハールの神官見習いだ。二人分の夕飯と寝床ぐらいは都合つけてくれるだろう。
 ジェイの言葉に従い、少年は無言のまま、川原傍の柔らかな草の上に横になった。勿論、助けた子供も少年の腕の中、だ。
「助かって、良かった」
 子供の柔らかそうな髪を撫でながら呟かれた少年の言葉が、ジェイの耳に優しく響く。
 少年が眠りにつくまで、ジェイは少年のキラキラと光る髪を眺めていた。
 と。
 微かな殺気に、焚火の側に置きっ放しにしていた戦斧を掴む。獣か? それとも、最近世間を騒がせている小鬼か? それとも、……人か? 風も無いのにざわざわと動く茂みに向かって、ジェイは戦斧を構えた。
 だが。茂みから出て来たのは、背は高いがほっそりとした人影。身に付けている青色の袖無し服の紋章から、ヴェクハールの神官だと分かる。神官なら、大丈夫だ。ジェイはほっと息を吐いた。獣や小鬼はともかく、最近多い、影のようなモノに取り付かれて正気を無くした人間を相手にするのは、できれば避けたかった。相手が強いからではない。得体の知れないモノは正直怖い。ただ、それだけ。
 だが。
「……ティア!」
 ジェイの方を見て鋭い叫びを上げた人影が、腰の剣を抜きながらジェイに向かって突進してくる。
「なっ!」
 度肝を抜かれたジェイだが、しかしすぐに握っていた戦斧を持ち上げ、襲って来た刃を辛うじて受け止めた。
「貴様っ! ティアに何をしたっ!」
 怒りの形相が、眼前に迫る。
 何か、誤解がある。ジェイは冷静にそう判断した。が、その先は、重い刃が自分に当たらないよう、止めるだけで精一杯。この細い身体のどこに、こんな馬鹿力があるんだ? 目の前の白皙の青年に、ジェイは正直驚いて、いた。
 と。
「ヴァリス!」
 か細い声が、ジェイと青年の間に割って入る。あの、少年だ。ジェイがそう認識するより早く、少年はジェイの戦斧に絡まっていた青年の剣を手にした短剣で易々と外し、ジェイに裸の背を向けて青年と対峙した。
「ティア!」
 ジェイが戦斧を構え直すより早く、青年が剣を捨てて少年を抱き締める。
「大丈夫か? 怪我は無いか? まさかあいつに何かされた……」
 要らぬ誤解で青年に睨みつけられるより早く、ジェイは焚火の方を示した。
「あの子供を助けようとして溺れたコイツを、助けただけだ」
「な……」
 ジェイの言葉を聞いた青年の顔が、驚愕に歪む。
 次の瞬間。
「なんでそんな危ないことを!」
 青年はつかんでいた少年の肩を強く揺さぶった。
「え、だって、溺れてたんだよ。助けなきゃ」
 青年の方向違いの言葉と、戸惑いながら呟かれた少年のある意味真っ当な台詞に、当惑より先に場違いな可笑しさが込み上げてくる。この青年、少年のことしか考えていない。堪えきれず、ジェイはぷっと吹き出した。
「何が可笑しい」
 だがすぐに、睨みつける青年の視線を感じ、真顔になる。
「別に」
 ジェイは青年の視線を外すと、焚火の傍に戻り、まだ生乾きの服を着た。
 自分善がりな奴に構っていると、こちらが悪者にされるだけだ。こんな奴とは、早く縁を切るに限る。

 少年、ティアの懇願に負けた神官の青年ヴァリスに協力があったのが良かったのか、溺れかけた子供の親は、拍子抜けする程あっさり見つけることができた。
 子供の親を見つけた時点で、ジェイはこの二人と別れようと思っていたのだが。
「ヴェクハールに来てよ。もう夕方だし」
 無邪気なティアの言葉に頷いてしまったのが運の尽き、今更去る理由も見つけられず、ジェイはティアと、未だ仏頂面を崩さないヴァリスと共に、疎らになった木々の間を歩いていた。
「ごめんね」
 不意に、小さな声が耳に入る。見下ろすと、ティアの銀色の髪が微かに震えているのが、横に見えた。
「ヴァリス、良い人なんだけど、僕のことになるといつもああなんだ」
 言葉足らずのティアの台詞に、首を横に振る。
「良いさ。俺は気にしていない」
 まだ先のことだろうが、自分にも守りたい程大切な人ができたら、気付かないうちにヴァリスのような言動をとってしまうかもしれない。だからジェイは、ヴァリスを許そうと決めた。
 それに。ジェイの言葉に明るく笑ったティアをもう一度見つめ、そっと思う。この、見た目と違って激しい心を持ち、そして武の素養がありそうな少年の成長を、見てみたい。その為なら、一つ所に落ち着くのも良いだろう。自分の心を確かめるように、ジェイはうんと一つ、頷いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ダンジョン発生から20年。いきなり玄関の前でゴブリンに遭遇してフリーズ中←今ココ

高遠まもる
ファンタジー
カクヨム、なろうにも掲載中。 タイトルまんまの状況から始まる現代ファンタジーです。 ダンジョンが有る状況に慣れてしまった現代社会にある日、異変が……。 本編完結済み。 外伝、後日譚はカクヨムに載せていく予定です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

お題小説

ルカ(聖夜月ルカ)
ファンタジー
ある時、瀕死の状態で助けられた青年は、自分にまつわる記憶の一切を失っていた… やがて、青年は自分を助けてくれたどこか理由ありの女性と旅に出る事に… 行く先々で出会う様々な人々や奇妙な出来事… 波瀾に満ちた長編ファンタジーです。 ※表紙画は水無月秋穂様に描いていただきました。

異世界営生物語

田島久護
ファンタジー
相良仁は高卒でおもちゃ会社に就職し営業部一筋一五年。 ある日出勤すべく向かっていた途中で事故に遭う。 目覚めた先の森から始まる異世界生活。 戸惑いながらも仁は異世界で生き延びる為に営生していきます。 出会う人々と絆を紡いでいく幸せへの物語。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

ドグラマ3

小松菜
ファンタジー
悪の秘密結社『ヤゴス』の三幹部は改造人間である。とある目的の為、冷凍睡眠により荒廃した未来の日本で目覚める事となる。 異世界と化した魔境日本で組織再興の為に活動を再開した三人は、今日もモンスターや勇者様一行と悲願達成の為に戦いを繰り広げるのだった。 *前作ドグラマ2の続編です。 毎日更新を目指しています。 ご指摘やご質問があればお気軽にどうぞ。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

常世の守り主  ―異説冥界神話談―

双子烏丸
ファンタジー
 かつて大切な人を失った青年――。  全てはそれを取り戻すために、全てを捨てて放浪の旅へ。  長い、長い旅で心も体も擦り減らし、もはやかつてとは別人のように成り果ててもなお、自らの願いのためにその身を捧げた。  そして、もはやその旅路が終わりに差し掛かった、その時。……青年が決断する事とは。 ——  本編最終話には創音さんから頂いた、イラストを掲載しました!

処理中です...