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フィナロカリ砦の外壁に設えられている塔の最上階が、ティアの病室になっている。
その部屋に入る唯一の方法は、塔の螺旋階段を上ること。部屋に一つだけある窓からは、堀代わりの川が緩く流れているのが見える。
何者かに襲われた時に逃げる場所がない。ティアの病室を決める時、ヴァリスはそう言って反対した。だが。
「うーん、そうだけど」
砦内をよく知っているハルが、ヴァリスに反対するように唸る。
「他の部屋は狭いし、汚れているから、使えない」
つい先日まで、この砦にはハーサ王の部下達が大勢詰めていた。人々は全て首都ヴォーロへと去って行ったが、人が使っていた部屋の方はそう簡単には原状復帰しない。ジェイの諦めの声が、ヴァリスを渋々納得させたのだが、やはり、逃げ場がないのはどうも落ち着かない。
気を取り直して、ベッドの側の椅子に座る。ティアの熱っぽい額に触れると、ティアの、それまで規則正しかった息が少し乱れた。
「あ……」
すぐに、手を引っ込める。しかし、ティアの呼吸は、顔の歪みとともにますます乱れていった。
「ティア!」
苦しそうに胸を掻き毟るティアの左手を押さえて、胸から離す。身体を横向きにして背中をさすると、ティアの震えは徐々に収まっていった。
「……良かった」
大事は、ないようだ。再び規則正しい呼吸をし始めたティアの顔を、今度は手を出さずにじっと見守る。バラ色だったはずの頬は痩せこけ、眼窩は暗く落ち窪んでしまっている。青黒く変色した首筋や力なく投げ出された赤紫色の右腕を見ていると、スーヴァルド神に対する怒りが徐々に湧いてくる。ヴァリスは不意に立ち上がると、落ち着きなく部屋を歩いた。
〈……よし〉
これ以上、ティアを苦しめるわけにはいかない。一人で、勝負をつけてやる。
ヴァリスはティアを少しだけ見つめてから、剣を取りに自分の部屋へと戻った。
砦にも小さな神殿があるにはあるが、そんな所にはあの傲慢な神はいないだろう。そう、当たりをつけたヴァリスが向かったのは、川向こうにある比較的大きな村。その村の真ん中にある神殿に、ヴァリスは抜き身の剣を手にして入った。
皆が外で働いている昼間だからか、壮麗な神殿には人っ子一人いない。好都合だ。ヴァリスは祭壇につかつかと歩み寄ると、掲げてあったスーヴァルドの絵姿に向かって大声で叫んだ。
「出てこい! スーヴァルド!」
「何だ」
拍子抜けするほどすぐに、ヴァリスの前の空間が強く光る。
その光が消えると、ヴァリスの目の前にはすっきりとした姿の優男が立っていた。
「おまえが、スーヴァルドか!」
優男に向かって剣を突きつける。だが、ヴァリスの剣幕にも、鈍く光る剣先にも、優男はびくともしなかった。
そして。
「おまえが、ヴァリストザード。……大きくなったな」
「なっ」
優男から発せられた、親しげな口調に、驚きと憤りを同時に感じる。まさか、こいつが、俺の……? いや、まさか、そんなことが。
「驚くことはない。私は神だ。この世の全てのことを知っている。勿論、おまえのことも。……いや、いつも気に掛けていたよ。父親として」
「な、に……」
衝撃で、剣が手から落ちる。
「そう、私はおまえの父親。母親は、フェイリルーナだ」
戸惑うヴァリスの耳に、優男の声が優しく降ってきた。
「見てごらん。私とおまえ、違うのは髪の色だけだ」
確かに、この優男はヴァリスによく似ている。睨むように上から下まで眺め回してから、ようやく納得するほかないことに気付く。この人が、スーヴァルドが、本当に自分の父親、なのだろうか? だとしたら、自分はどうすべきなのか。迷いで、ヴァリスの心は千々に乱れた。
「ソセアルの森を出たフェイリルーナは、大陸南部の私の神殿で働いていた」
「嘘、だ」
フェイリルーナは、いやソセアルの一族は、程度の差こそあれスーヴァルド神を憎んでいたはずだ。その情報が、ヴァリスをようやく正常に戻す。
だが。
「暴漢に襲われていたところを、私が助けたからな。感謝の意もあったのだろう」
優男の言うことには全て、不可思議な説得力があった。
「昔のことはあったが、私も、フェイリルーナのことは憎からず思っていた」
だから、二人は愛を育み、息子も生まれた。だがある時、フェイリルーナは突然神殿から姿を消してしまった。おそらく、フェイリルーナがソセアルであると気付いたノイトトースの先王が『儀式』の為にさらったのだろう。そう話す優男の声は、微かな諦めを帯びていた。
優男の言葉は、事実だ。そう、判断する。
そうすると、自分は、そして、ルディテレスの罪を償うティア、は……。
「ティアは、罪の子だ」
はっきりとした声が、脳裏に響く。
「純潔を遵守しなければならないはずの、聖堂騎士の息子なのだから」
そう、だ。ティアは……罪によって生まれた、アレイサートとセターニアとの息子。
「罪の子は、苦しむのが定め」
脳内を巡っては響く、荘厳な声に、ヴァリスの心は圧倒された。
その部屋に入る唯一の方法は、塔の螺旋階段を上ること。部屋に一つだけある窓からは、堀代わりの川が緩く流れているのが見える。
何者かに襲われた時に逃げる場所がない。ティアの病室を決める時、ヴァリスはそう言って反対した。だが。
「うーん、そうだけど」
砦内をよく知っているハルが、ヴァリスに反対するように唸る。
「他の部屋は狭いし、汚れているから、使えない」
つい先日まで、この砦にはハーサ王の部下達が大勢詰めていた。人々は全て首都ヴォーロへと去って行ったが、人が使っていた部屋の方はそう簡単には原状復帰しない。ジェイの諦めの声が、ヴァリスを渋々納得させたのだが、やはり、逃げ場がないのはどうも落ち着かない。
気を取り直して、ベッドの側の椅子に座る。ティアの熱っぽい額に触れると、ティアの、それまで規則正しかった息が少し乱れた。
「あ……」
すぐに、手を引っ込める。しかし、ティアの呼吸は、顔の歪みとともにますます乱れていった。
「ティア!」
苦しそうに胸を掻き毟るティアの左手を押さえて、胸から離す。身体を横向きにして背中をさすると、ティアの震えは徐々に収まっていった。
「……良かった」
大事は、ないようだ。再び規則正しい呼吸をし始めたティアの顔を、今度は手を出さずにじっと見守る。バラ色だったはずの頬は痩せこけ、眼窩は暗く落ち窪んでしまっている。青黒く変色した首筋や力なく投げ出された赤紫色の右腕を見ていると、スーヴァルド神に対する怒りが徐々に湧いてくる。ヴァリスは不意に立ち上がると、落ち着きなく部屋を歩いた。
〈……よし〉
これ以上、ティアを苦しめるわけにはいかない。一人で、勝負をつけてやる。
ヴァリスはティアを少しだけ見つめてから、剣を取りに自分の部屋へと戻った。
砦にも小さな神殿があるにはあるが、そんな所にはあの傲慢な神はいないだろう。そう、当たりをつけたヴァリスが向かったのは、川向こうにある比較的大きな村。その村の真ん中にある神殿に、ヴァリスは抜き身の剣を手にして入った。
皆が外で働いている昼間だからか、壮麗な神殿には人っ子一人いない。好都合だ。ヴァリスは祭壇につかつかと歩み寄ると、掲げてあったスーヴァルドの絵姿に向かって大声で叫んだ。
「出てこい! スーヴァルド!」
「何だ」
拍子抜けするほどすぐに、ヴァリスの前の空間が強く光る。
その光が消えると、ヴァリスの目の前にはすっきりとした姿の優男が立っていた。
「おまえが、スーヴァルドか!」
優男に向かって剣を突きつける。だが、ヴァリスの剣幕にも、鈍く光る剣先にも、優男はびくともしなかった。
そして。
「おまえが、ヴァリストザード。……大きくなったな」
「なっ」
優男から発せられた、親しげな口調に、驚きと憤りを同時に感じる。まさか、こいつが、俺の……? いや、まさか、そんなことが。
「驚くことはない。私は神だ。この世の全てのことを知っている。勿論、おまえのことも。……いや、いつも気に掛けていたよ。父親として」
「な、に……」
衝撃で、剣が手から落ちる。
「そう、私はおまえの父親。母親は、フェイリルーナだ」
戸惑うヴァリスの耳に、優男の声が優しく降ってきた。
「見てごらん。私とおまえ、違うのは髪の色だけだ」
確かに、この優男はヴァリスによく似ている。睨むように上から下まで眺め回してから、ようやく納得するほかないことに気付く。この人が、スーヴァルドが、本当に自分の父親、なのだろうか? だとしたら、自分はどうすべきなのか。迷いで、ヴァリスの心は千々に乱れた。
「ソセアルの森を出たフェイリルーナは、大陸南部の私の神殿で働いていた」
「嘘、だ」
フェイリルーナは、いやソセアルの一族は、程度の差こそあれスーヴァルド神を憎んでいたはずだ。その情報が、ヴァリスをようやく正常に戻す。
だが。
「暴漢に襲われていたところを、私が助けたからな。感謝の意もあったのだろう」
優男の言うことには全て、不可思議な説得力があった。
「昔のことはあったが、私も、フェイリルーナのことは憎からず思っていた」
だから、二人は愛を育み、息子も生まれた。だがある時、フェイリルーナは突然神殿から姿を消してしまった。おそらく、フェイリルーナがソセアルであると気付いたノイトトースの先王が『儀式』の為にさらったのだろう。そう話す優男の声は、微かな諦めを帯びていた。
優男の言葉は、事実だ。そう、判断する。
そうすると、自分は、そして、ルディテレスの罪を償うティア、は……。
「ティアは、罪の子だ」
はっきりとした声が、脳裏に響く。
「純潔を遵守しなければならないはずの、聖堂騎士の息子なのだから」
そう、だ。ティアは……罪によって生まれた、アレイサートとセターニアとの息子。
「罪の子は、苦しむのが定め」
脳内を巡っては響く、荘厳な声に、ヴァリスの心は圧倒された。
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