上 下
14 / 18
魔法を知らない苦学生と、居場所を見つけた古の魔導書

しおりを挟む
 次の朝も、すっきりと目覚める。
 買い置きして個室に置いてある常温保存可能なパンをかじり、あてがわれた個室近くの誰もいない洗面所で身支度を調えてから、徹は『魔導書』と共に、昨夜の喧噪が残る階下の娯楽室をすり抜け、大学へと向かった。
[パン一個でよく昼まで保つよな]
 寮から一歩離れたところで、腕に抱えた魔導書の表紙にいつもの文字が躍る。
[魔法、いるか?]
「いい」
 揶揄する金文字の下に踊る細い銀色を、徹は今日も無視した。
 お風呂は壊れたまま放っておかれている寮だが、冷蔵庫は、小さなものが、簡単な台所備品と共に寮の娯楽室に設えられている。だが、名前が書かれているものでも、冷蔵庫にあるものは全て先輩達が勝手に食べてしまうため、自分のものは全て鍵のかかる自分の個室に置いておく。それは、数学を学ぶために大きな大学のあるこの街に一人来て二ヶ月で学んだことの一つ。朝はパン、昼は大学の食堂、夜はバイト先の賄い御飯。特に朝は物足りなさを覚える時もあるが、仕方が無い。朝の大学売店でのバイトと、夜の大学食堂と家庭教師のバイトで生活費は何とかなっているとはいえ、贅沢はできない。高い学費を出してもらっている叔父に、これ以上の無心はできない。だから、ぼろぼろかつ無慈悲な先輩がひしめくあの寮で、我慢するしかない。
[いつも思うんだが]
 徹の決意を知ってか知らずか、大学が見える交差点の前で、魔導書がいつもの文字を小口に躍らせる。
[あんな大きな鉄の塊が、魔法も馬も無しに動くのは不思議だな]
「ガソリンの高騰とか、環境汚染とか、問題は色々あるけどね」
 ここはスクランブル交差点だから、歩行者信号が全て青になった時のみ大学側へと渡ることができる。だが、時折、歩行者信号が青なのに飛び出してくる車がいるから要注意。青信号と、全ての車が止まっていることを慎重に確認してから、徹は魔導書と共に交差点を斜めに渡った。
 魔導書は、自分のことは一切話さない。徹が暮らす『現代』のあらゆることに珍しさを感じ、疑問を徹にぶつけ、そして徹が困っている時に魔法で解決することを提案するだけ。それが、徹には少し不満だった。『魔法』を使うことができる魔導書が何故、魔法とは全く縁の無いこの世界に居るのか。何故徹と行動を共にしているのか。きっと深刻な事情があるに違いない。困っているのなら、助けたいと思う。魔導書と行動を共にしてまだ二週間ほどだが、その思いは日増しに少しずつ強くなっていた。
[あの寮、出た方が良いんじゃないか]
 やはり徹の心を一つも忖度しない金文字が、徹の目を射る。古ぼけた表紙に首を横に振ると、徹は誰も居ない大学構内に歩を進めた。
 寮を出ることは、何度も考えている。管理している大学にもお金が無いらしく、空調も風呂も壊れたまま。洗濯機も無いので、洗濯は、近所の銭湯に行くついでに銭湯横にあるコインランドリーを使っている。設備だけではなく、学生の管理も杜撰すぎる。先輩達が夜昼となく騒ぐのは日常茶飯事。お金や物が盗まれたといちゃもんをつけられたこともある。だが。
〈ここの学費だけでも、叔父さんに迷惑掛けてる〉
 大学のある街から電車で二時間ほど掛かる田舎町に暮らす、叔父の青白い顔が脳裏を過ぎる。数学が好きで、大学院まで行った叔父だが、身体を壊した今は、非常勤講師で細々と稼ぎながら親から譲られた小さな家でつましく暮らしている。その叔父に、生活費まで頼むことはできない。
 浮気の末に喧嘩別れをした両親のどちらにも養育を拒否された徹にとって、母方の叔父は、『保護者』だと言える唯一人の存在。数学が好きになったのも、大学で数学を勉強したいと思うようになったのも、叔父の影響が大きい。徹にあらゆるものを、自分の身を削って贈ってくれ続けている叔父を、これ以上頼るのは。
[お金のことなら、俺の魔法でなんとでもなるぞ]
 古びた表紙に踊る金文字の下に、細い銀文字が躍る。銀文字の言葉を唱えれば、全ては解決する。しかし徹は、その文字を無視した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

ぼくらの森

ivi
ファンタジー
かつて、この大陸には魔界軍と戦う二人の英雄がいた。青いドラゴンに乗って空を駆けるドラゴン乗り「空の英雄ジアン・オルティス」と、白黒斑毛の小さな馬に乗る騎士「地上の英雄レイ・ホートモンド」だ。  地上の征服を企む魔界軍に立ち向かう彼らのおかげで、今日もこの国は守られている。  ……誰もがそう信じていた。  しかし、その平和は長く続かなかった。魔界軍に止めを刺すべく出陣した遠征軍が消息を断ち、ついに誰一人として帰って来なかったのだ。  大草原遠征の指揮を取っていた二大英雄はたちまち「逃げ出した英雄」という汚名に染まり、二人を失った地上は、再び魔界軍の脅威にさらされることとなる。  ――あの遠征から四年。  人々の記憶から英雄の存在が薄れつつある今、一人の青年に大陸の運命が託されようとしていた。

白花の咲く頃に

夕立
ファンタジー
命を狙われ、七歳で国を出奔した《シレジア》の王子ゼフィール。通りすがりの商隊に拾われ、平民の子として育てられた彼だが、成長するにしたがって一つの願いに駆られるようになった。 《シレジア》に帰りたい、と。 一七になった彼は帰郷を決意し商隊に別れを告げた。そして、《シレジア》へ入国しようと関所を訪れたのだが、入国を断られてしまう。 これは、そんな彼の旅と成長の物語。 ※小説になろうでも公開しています(完結済)。

処理中です...