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雨宿り

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「……弱ったなぁ……」
 立て続けに落ちてくる大粒の雨粒を目で追いながら、楓理ふうりは小さく溜息をついた。
 何とか、雨宿りできそうな石造りの家の軒先に避難はしたものの、突然の大雨に、何の準備もしていなかった楓理の服は上から下まで既にびしょ濡れだ。しかも、空を見る限り、雨は中々止みそうにない。
 ここは天楚てんその隣国、四路よんろ国内にある中世の宿場町六角郷。天楚大学大学院総合教養科の院生である楓理は、自分の専攻である中世史の研究を行う為にこの町へとやって来たのだが、町にある、かつての支配者六角公の屋敷跡を見学しようとした途端にこの土砂降りの雨である。
〈……困ったなぁ〉
 全身の震えが、止まらない。このままの状態では、酷い風邪をひいてしまう。楓理は恨めしげに雨の降り続く空を見上げた。
 と。
「……あらあら」
 涼やかな声に、はっとして振り向く。
 楓理のすぐ横にあった古い扉から、中年の女の人がこちらを見ていた。どこかで見たような髪の色をしている。雨に濡れてぼうっとした視界の先で、楓理はふとそんなことを思った。
「そんなところにいては、風邪をひいてしまいますよ」
 その言葉と共に、その女性は楓理の目の前に立つ。
 雨に濡れた楓理の手を取るとそのまま、楓理を家の中へ誘うように引っ張って行く。その強引さに、楓理は思わず身を引いた。
「……あ、あの」
 戸惑いの言葉が、口をついて出る。
「あら、遠慮することないのよ」
 楓理の言葉に、女性はそう言って優しく微笑んだ。
 目元と口元の笑い皺が、その表情を優しげに見せている。軽く掴まれた手の暖かさも、楓理の警戒心を解くには十分だった。
 だから、誘われるままに、楓理は石造りの屋敷の中に入っていった。
 だが。
「……客人か?」
 屋敷に入った途端、そう声をかけられる。その、低い男の声に顔を上げた瞬間、楓理の心に疑問が広がった。男の着ている丈の長い上着は、どうみても中世のもの。そういえば、女の人の着ている服も、楓理がよく読む資料に出てくる形に似ている、ような気がする。この人たちは、一体? 楓理は思わず首を傾げた。
「ええ、そう」
 だが、そんな楓理をよそに、女性は男に微笑すると、玄関すぐ脇にある扉を開け、楓理にその中に入るようにと誘った。入ってみると、そこは質素な作りの部屋。壁に設えられた暖炉の周りにベンチがいくつか置いてあり、老人達がそこに座って談笑しているのが見えた。
「さあ、濡れた服は脱いだり脱いだり」
 慣れた手つきで、上着が脱がされる。戸惑う間もなく、楓理の上着もズボンも暖炉の前の椅子に掛けられてしまった。裸に近い楓理の肩には、温かくて丈の長いショールが掛けられる。その布にすっぽりとくるまりながら、布はいつ用意されたものだろうかと楓理は首を傾げた。
 震えが来るほど寒かったので、促されるままに暖炉の傍の椅子に腰掛ける。
 と。
「……お前さん、異国の人かね?」
 暖炉の火に手をかざしたところに突然声を掛けられ、楓理はびっくりして振り向いた。
 先ほどまで談笑していた老人達が、いつの間にか楓理の周りに集まってきている。
「あ、いえ……」
 いぶかしみながら、そっと首を振る。楓理の生まれはこの四路国だし、別に変わった格好はしていないつもりなのに、何故彼らはそんなことを聞くのだろうか?
「あ、いや、上着の形が見たことのないものだったんでな」
「……他所から来た方を困らせるものではありませんわ」
 老人達の声に女の人の声が被る。ほっとして振り向くと、先ほどの女性が湯気の立つコップを幾つか載せたお盆を持って立っていた。
 不思議な匂いのするコップを老人達に渡してから、楓理の手にも、温かいコップをそっと乗せてくれる。
「子供達の余りで悪いんですけど」
 微笑を浮かべる女の人に促されるように、そっと口をつけてみる。微かにピリッとした甘い味が、口の中一杯に広がった。

 上着が乾く頃には、雨はすっかり上がっていた。
「雨宿り、ありがとうございます」
 玄関先まで見送ってくれた女の人にそう挨拶する。
「また来てくださいね」
 その言葉にゆっくり頷いてから、屋敷を出る。そしてもう一度、女の人に挨拶しようとした楓理は、目にした光景にしばし唖然とした。
「……あれ?」
 そこにあったのは、壊れてぼろぼろになった扉。先ほどまで滞在していた屋敷は、一体何処へ? ……まさか、夢? しかし、乾いた服と胸にまだ残っている生姜湯の温かさが、確かに、今までの体験を証明している。
 楓理はしばらく、屋敷の跡を呆然と見つめるほか、なかった。

 宿に帰ってから、一つだけ思い出したことがある。
 楓理を館へと誘った女の人とそっくりな肖像画が、大学の図書室に飾ってあったことを。
 『白き手の乙女』と呼ばれたその人は、中世の『魔法革命』時代に六角郷で診療所を開き、その知識と能力で人々の病や怪我を癒した、そうである。
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