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逃避行 3
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はたと、目覚める。
雲一つ無い青い空と、どこまでも続く草も疎らな大地が、目覚めたエリカを出迎えた。エリカのそばで俯く、リトの、母に似た横顔も。
「済まない、エリカ」
エリカが目覚めたことにすぐに気付いたリトが、エリカに頭を下げる。
「手荒なまねをして」
「……ううん」
母が誰に殺されたにせよ、エリカに危険が及ばないよう、ダリオはエリカをリトに託し、そしてエリカを託されたリトは、ダリオに応える為に、おそらくパキトが持っていた気を失わせる毒をエリカに嗅がせた。ただ、それだけのこと。冷静にそう考え、エリカはリトに首を横に振ってみせた。そのエリカの頬を、涙が伝い落ちる。リトが差し出したハンカチで、エリカは涙を拭いた。
そしておもむろに、辺りを見回す。
「ここが、平原?」
小さな声で尋ねると、リトはこくんと頷いた。
「そう。……そしてあれが、『黒剣隊』の砦」
二人が隠れている小さな窪みの向こうを、リトが指し示す。リトの指の遙か向こうには確かに、小さな灰色の固まりが見えた。
「無人になったのを良いことに、誰かが占領しているらしい」
だから、パキトとチコを偵察に立たせ、リトはエリカのそばについている。リトの説明に、エリカは小さく頷いた。
と。
「隊長」
二人の前に、大柄な影が立つ。
「隊長しか知らない抜け道は、誰も見張っていないようでしたよ」
パキトの観察では、砦に籠もっている奴らの人数もたかが知れているとのことです。リトの部下の一人、チコの言葉に、リトは微笑んで立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
そしてエリカの方へ華奢な手を伸ばす。
その手を掴まずに、エリカは身軽に立ち上がった。
エリカ達が休んでいた窪み近くの、荒野に佇む岩影に設えられた小さな入り口から、地下道へと降りる。荒れた平原は乾いていたが、ここは、少し湿っぽい。人一人が通るのがやっとの通路を、エリカはリトの背を見つめながら進んだ。
「出口はまだですか、隊長?」
時々天井に頭をぶつけているらしいチコの声が、狭い通路に情けなく響く。
「しっ、静かに」
その通路を身軽に通り抜けるリトは、ぼやくチコに宥めるような視線を向けた。
「もう少し、だから」
リトの言葉通り、しばらく進むと、少し錆びた取っ手を持つ木製の扉が見えてくる。その取っ手を少しだけ斜めにひねると、扉はすぐに開き、天井の高い空間が現れた。
「ここは……」
その空間の端に無造作に積み上げられた、本や書類らしきものに、目を見張る。
「ここに戻って来れて良かったよ」
空間を見回し、リトは安堵の息を吐いた。
「撤退を急かされたから、砦にあった本も書類も整理できなくて、ここに置きっぱなしにしたんだ」
と、すると。前にリトが話していた、父が遺した本も、ここにあるかもしれない。期待に、胸が膨らむ。しかし、今は、それよりも。もう一つの扉に耳を澄ませたリトが、頷いて先程と同じように取っ手を斜めに捻る。扉の先には、急な階段。そして階段の先には、リトのもう一人の部下であるパキトが笑みを浮かべていた。
「遅いですぜ、隊長」
ニヤリと笑うパキトにリトも口の端を上げる。
「どうやらここにいるのは、盗賊ではないようですぜ」
階段を登るエリカの耳に、パキトの、小さいがよく通る声が響いた。
「では、誰が?」
「隊長の部屋に行けば分かりますさ」
「分かった」
口の端を上げたままのパキトに、リトは真顔で頷く。そして。不意に、リトは腰に挿した短剣をエリカの手の上に置いた。
「一応の用心。悪いけど、ここでは、自分の身は自分で守って」
「もちろん」
リトの短剣は、エリカが西の街で訓練に使っていた短剣よりもどっしりとしている。しかしリトの小さい手に合わせているのであろう、柄は、エリカの手にしっくりとはまる。これなら、使える。剣を抜き、砦を守る周壁に設えられた塔の最上階に位置するという隊長室への階段を一つ飛ばしで登るリトの背を見つめながら、エリカもパキト達に遅れないよう、身軽に階段を登った。
そして。
「……なんだ」
突然の訪問者に驚いた、最上階の部屋でくつろいでいた髭面の男に剣の切っ先を向けたリトが、剣を下ろして肩を竦める。
「盗賊かと思ったら、ウーゴじゃないか」
どうやら、砦を占領していたのは、リトの部下達だったらしい。リトの顔を見るなり、ウーゴという名の男は、座っていた安楽椅子から飛び降りてリトに向かって平伏した。
「何故ここに? やっぱり殺されそうになったからか?」
「はい……」
平伏した男の目からこぼれた涙が、床を濡らす。ウーゴも、この場所に潜んでいる他の者達も皆、元『黒剣隊』の一員。隊の解散後、帝国のあちこちに散らばり、新しい生活を始めたが、隊の仲間が理不尽に殺されたという噂を聞き、逃げてきた者達。
「まさか、隊長も?」
リトの袖から覗く、解けかけた包帯に、顔を上げたウーゴが目を丸くする。
「まあ、そういうことだ」
「そんな……」
「それでも、今のところは無事だ」
絶句するウーゴに、リトは小さく頷く。そして。
「我々を脅かしている原因が見つかるまで、ここにいた方が良いな」
それで、良い? はっきりとした言葉の次に呟かれた、エリカに対する小さな言葉に、エリカもはっきりと、承諾の頷きを返した。
雲一つ無い青い空と、どこまでも続く草も疎らな大地が、目覚めたエリカを出迎えた。エリカのそばで俯く、リトの、母に似た横顔も。
「済まない、エリカ」
エリカが目覚めたことにすぐに気付いたリトが、エリカに頭を下げる。
「手荒なまねをして」
「……ううん」
母が誰に殺されたにせよ、エリカに危険が及ばないよう、ダリオはエリカをリトに託し、そしてエリカを託されたリトは、ダリオに応える為に、おそらくパキトが持っていた気を失わせる毒をエリカに嗅がせた。ただ、それだけのこと。冷静にそう考え、エリカはリトに首を横に振ってみせた。そのエリカの頬を、涙が伝い落ちる。リトが差し出したハンカチで、エリカは涙を拭いた。
そしておもむろに、辺りを見回す。
「ここが、平原?」
小さな声で尋ねると、リトはこくんと頷いた。
「そう。……そしてあれが、『黒剣隊』の砦」
二人が隠れている小さな窪みの向こうを、リトが指し示す。リトの指の遙か向こうには確かに、小さな灰色の固まりが見えた。
「無人になったのを良いことに、誰かが占領しているらしい」
だから、パキトとチコを偵察に立たせ、リトはエリカのそばについている。リトの説明に、エリカは小さく頷いた。
と。
「隊長」
二人の前に、大柄な影が立つ。
「隊長しか知らない抜け道は、誰も見張っていないようでしたよ」
パキトの観察では、砦に籠もっている奴らの人数もたかが知れているとのことです。リトの部下の一人、チコの言葉に、リトは微笑んで立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
そしてエリカの方へ華奢な手を伸ばす。
その手を掴まずに、エリカは身軽に立ち上がった。
エリカ達が休んでいた窪み近くの、荒野に佇む岩影に設えられた小さな入り口から、地下道へと降りる。荒れた平原は乾いていたが、ここは、少し湿っぽい。人一人が通るのがやっとの通路を、エリカはリトの背を見つめながら進んだ。
「出口はまだですか、隊長?」
時々天井に頭をぶつけているらしいチコの声が、狭い通路に情けなく響く。
「しっ、静かに」
その通路を身軽に通り抜けるリトは、ぼやくチコに宥めるような視線を向けた。
「もう少し、だから」
リトの言葉通り、しばらく進むと、少し錆びた取っ手を持つ木製の扉が見えてくる。その取っ手を少しだけ斜めにひねると、扉はすぐに開き、天井の高い空間が現れた。
「ここは……」
その空間の端に無造作に積み上げられた、本や書類らしきものに、目を見張る。
「ここに戻って来れて良かったよ」
空間を見回し、リトは安堵の息を吐いた。
「撤退を急かされたから、砦にあった本も書類も整理できなくて、ここに置きっぱなしにしたんだ」
と、すると。前にリトが話していた、父が遺した本も、ここにあるかもしれない。期待に、胸が膨らむ。しかし、今は、それよりも。もう一つの扉に耳を澄ませたリトが、頷いて先程と同じように取っ手を斜めに捻る。扉の先には、急な階段。そして階段の先には、リトのもう一人の部下であるパキトが笑みを浮かべていた。
「遅いですぜ、隊長」
ニヤリと笑うパキトにリトも口の端を上げる。
「どうやらここにいるのは、盗賊ではないようですぜ」
階段を登るエリカの耳に、パキトの、小さいがよく通る声が響いた。
「では、誰が?」
「隊長の部屋に行けば分かりますさ」
「分かった」
口の端を上げたままのパキトに、リトは真顔で頷く。そして。不意に、リトは腰に挿した短剣をエリカの手の上に置いた。
「一応の用心。悪いけど、ここでは、自分の身は自分で守って」
「もちろん」
リトの短剣は、エリカが西の街で訓練に使っていた短剣よりもどっしりとしている。しかしリトの小さい手に合わせているのであろう、柄は、エリカの手にしっくりとはまる。これなら、使える。剣を抜き、砦を守る周壁に設えられた塔の最上階に位置するという隊長室への階段を一つ飛ばしで登るリトの背を見つめながら、エリカもパキト達に遅れないよう、身軽に階段を登った。
そして。
「……なんだ」
突然の訪問者に驚いた、最上階の部屋でくつろいでいた髭面の男に剣の切っ先を向けたリトが、剣を下ろして肩を竦める。
「盗賊かと思ったら、ウーゴじゃないか」
どうやら、砦を占領していたのは、リトの部下達だったらしい。リトの顔を見るなり、ウーゴという名の男は、座っていた安楽椅子から飛び降りてリトに向かって平伏した。
「何故ここに? やっぱり殺されそうになったからか?」
「はい……」
平伏した男の目からこぼれた涙が、床を濡らす。ウーゴも、この場所に潜んでいる他の者達も皆、元『黒剣隊』の一員。隊の解散後、帝国のあちこちに散らばり、新しい生活を始めたが、隊の仲間が理不尽に殺されたという噂を聞き、逃げてきた者達。
「まさか、隊長も?」
リトの袖から覗く、解けかけた包帯に、顔を上げたウーゴが目を丸くする。
「まあ、そういうことだ」
「そんな……」
「それでも、今のところは無事だ」
絶句するウーゴに、リトは小さく頷く。そして。
「我々を脅かしている原因が見つかるまで、ここにいた方が良いな」
それで、良い? はっきりとした言葉の次に呟かれた、エリカに対する小さな言葉に、エリカもはっきりと、承諾の頷きを返した。
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