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第九章 知識と勇気で
9.13 バジャルドの決意
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[疲れたか?]
神帝との夕食後、案内された客間のベッドに倒れ込むサシャに、エプロンの胸ポケットの中から声を掛ける。
「うん……」
トールの言葉に気付いたサシャは、ベッドから起き上がり、エプロンと上着を脱いでから『本』であるトールを抱き寄せて再びベッドの上に身を沈めた。
やっぱり、疲れているんだろうな。トールを抱き締めるサシャの腕の冷たさに、息を吐く。神帝との会食には、グイドが相伴してくれた。夏炉王リエトの命で神帝ティツィアーノの手助けをしているという、かつて北辺の修道院でサシャに身を守る術を教えてくれたグイドが、時々サシャに話を振る形で北辺の生活を話題にしてくれたおかげで、神帝ティツィアーノとの夕食を無事に終えることができた。神帝の近くに居ると思っていたジルドは居なかったのも良かった。グイドには、今度会ったらお礼を言っておこう。トールの提案に頷いたサシャの、落ち着きを取り戻した鼓動に、トールは安堵の息を吐いた。
眠くなってきたのだろう、柔らかなベッドに敷かれた薄い掛け布を引っ張ったサシャが、その布を無造作に自分とトールの上に乗せる。だが、サシャが瞼を閉じる前に、小さなノックの音がトールの耳に響いた。
「サシャ」
サシャが起き上がる前に、バジャルドの大柄な影が客間に入ってくる。
「起こしてしまったか?」
「大丈夫です」
白竜騎士団長イジドールの息子ノエルと一緒に白竜騎士団の館に戻ったはずのバジャルドが、どうしてまた神帝公邸に? 訝しむトールを余所に、バジャルドは上半身をベッドから起こすサシャに手を貸すと、ベッド横に置かれていた簡素な椅子に腰を下ろした。
そしてしばらく、沈黙が続く。
「あの」
前に沈黙を破ったのは、サシャ。
「今日は、ありがとうございます」
「当然のことをしたまでだ」
神帝候補を守るよう、神帝ティツィアーノから命じられていた。バジャルドの意外な言葉に、一瞬、思考が止まる。神帝ティツィアーノは、トールが考えている以上に賢明な人物なのかもしれない。
「それよりも」
小さく唸ったトールの耳に、躊躇うようなバジャルドの声が響く。
「クレトから、手紙をもらった。……ブラスの墓に、参ってくれたそうだな」
「は、い……」
秋津にあるバジャルドの故郷を守る家令の息子の名と、かつてサシャが守れなかった友人の名に俯くサシャを、トールは悲しく見つめた。
「感謝する」
「い、え……」
頭を下げるバジャルドに、サシャが首を横に振る。
「あれ以来、ロレンシオ閣下は採掘から手を引いたと、クレトの手紙には書いてあった」
そのサシャを沈んだ瞳で見つめたバジャルドは、小さく笑って言葉を続けた。
「私も、セベリノ殿下の世話をする名目で、ロレンシオ閣下の近衛騎士から外された」
だからバジャルドは帝都にいたのか。理由が分かり、ほっとする。だが。バジャルドに帝都に行くよう命じたロレンシオも、守っていたセベリノも亡くなってしまった今、バジャルドは何故帝都に留まっているのだろうか? 新たな疑問に、トールはサシャの腕の間からバジャルドの青ざめた顔を見直した。優秀なバジャルドの能力を白竜騎士団長イジドールが必要としているから。そんな単純な理由から、かもしれない。
「ロレンシオ閣下にも、セベリノ殿下にも、格段の忠誠は持っていなかった」
独り言のように紡がれたバジャルドの言葉の中に、底知れぬ怒りを感じ取る。
「だが、無力なセベリノ殿下を虫けらのように殺した奴らのことは許せない」
神帝の即位式を終えたその夜、セベリノは暗殺された。北都で聞いた黒竜騎士団副団長フェリクスの報告を思い出す。確か、寝所に置かれていた水差しの水に毒が入っていたと、フェリクスさんは言っていた。
「セベリノ殿下を毒殺した犯人を捜すために、私はここに残っている」
「バジャルド、さん」
凄絶さを増したバジャルドの言葉に、トールから離れたサシャの右腕がバジャルドの方へと伸びる。
「だから、私は、……サシャを守れないかもしれない」
そのサシャの手を軽く掴んでサシャの膝へと戻すと、バジャルドは謝るように小さく頭を下げた。
「済まない」
「いいえ」
バジャルドの言葉に、サシャが首を横に振る。
バジャルドの護衛は、期待できない。それは、残念なことだとトールは思う。だが、バジャルドの信念を変えることは、トールにはできない。見守るしか、ないのだろう。もう一度頭を下げ、客間を去るバジャルドの大柄な背に、トールは無意識に首を横に振っていた。
神帝との夕食後、案内された客間のベッドに倒れ込むサシャに、エプロンの胸ポケットの中から声を掛ける。
「うん……」
トールの言葉に気付いたサシャは、ベッドから起き上がり、エプロンと上着を脱いでから『本』であるトールを抱き寄せて再びベッドの上に身を沈めた。
やっぱり、疲れているんだろうな。トールを抱き締めるサシャの腕の冷たさに、息を吐く。神帝との会食には、グイドが相伴してくれた。夏炉王リエトの命で神帝ティツィアーノの手助けをしているという、かつて北辺の修道院でサシャに身を守る術を教えてくれたグイドが、時々サシャに話を振る形で北辺の生活を話題にしてくれたおかげで、神帝ティツィアーノとの夕食を無事に終えることができた。神帝の近くに居ると思っていたジルドは居なかったのも良かった。グイドには、今度会ったらお礼を言っておこう。トールの提案に頷いたサシャの、落ち着きを取り戻した鼓動に、トールは安堵の息を吐いた。
眠くなってきたのだろう、柔らかなベッドに敷かれた薄い掛け布を引っ張ったサシャが、その布を無造作に自分とトールの上に乗せる。だが、サシャが瞼を閉じる前に、小さなノックの音がトールの耳に響いた。
「サシャ」
サシャが起き上がる前に、バジャルドの大柄な影が客間に入ってくる。
「起こしてしまったか?」
「大丈夫です」
白竜騎士団長イジドールの息子ノエルと一緒に白竜騎士団の館に戻ったはずのバジャルドが、どうしてまた神帝公邸に? 訝しむトールを余所に、バジャルドは上半身をベッドから起こすサシャに手を貸すと、ベッド横に置かれていた簡素な椅子に腰を下ろした。
そしてしばらく、沈黙が続く。
「あの」
前に沈黙を破ったのは、サシャ。
「今日は、ありがとうございます」
「当然のことをしたまでだ」
神帝候補を守るよう、神帝ティツィアーノから命じられていた。バジャルドの意外な言葉に、一瞬、思考が止まる。神帝ティツィアーノは、トールが考えている以上に賢明な人物なのかもしれない。
「それよりも」
小さく唸ったトールの耳に、躊躇うようなバジャルドの声が響く。
「クレトから、手紙をもらった。……ブラスの墓に、参ってくれたそうだな」
「は、い……」
秋津にあるバジャルドの故郷を守る家令の息子の名と、かつてサシャが守れなかった友人の名に俯くサシャを、トールは悲しく見つめた。
「感謝する」
「い、え……」
頭を下げるバジャルドに、サシャが首を横に振る。
「あれ以来、ロレンシオ閣下は採掘から手を引いたと、クレトの手紙には書いてあった」
そのサシャを沈んだ瞳で見つめたバジャルドは、小さく笑って言葉を続けた。
「私も、セベリノ殿下の世話をする名目で、ロレンシオ閣下の近衛騎士から外された」
だからバジャルドは帝都にいたのか。理由が分かり、ほっとする。だが。バジャルドに帝都に行くよう命じたロレンシオも、守っていたセベリノも亡くなってしまった今、バジャルドは何故帝都に留まっているのだろうか? 新たな疑問に、トールはサシャの腕の間からバジャルドの青ざめた顔を見直した。優秀なバジャルドの能力を白竜騎士団長イジドールが必要としているから。そんな単純な理由から、かもしれない。
「ロレンシオ閣下にも、セベリノ殿下にも、格段の忠誠は持っていなかった」
独り言のように紡がれたバジャルドの言葉の中に、底知れぬ怒りを感じ取る。
「だが、無力なセベリノ殿下を虫けらのように殺した奴らのことは許せない」
神帝の即位式を終えたその夜、セベリノは暗殺された。北都で聞いた黒竜騎士団副団長フェリクスの報告を思い出す。確か、寝所に置かれていた水差しの水に毒が入っていたと、フェリクスさんは言っていた。
「セベリノ殿下を毒殺した犯人を捜すために、私はここに残っている」
「バジャルド、さん」
凄絶さを増したバジャルドの言葉に、トールから離れたサシャの右腕がバジャルドの方へと伸びる。
「だから、私は、……サシャを守れないかもしれない」
そのサシャの手を軽く掴んでサシャの膝へと戻すと、バジャルドは謝るように小さく頭を下げた。
「済まない」
「いいえ」
バジャルドの言葉に、サシャが首を横に振る。
バジャルドの護衛は、期待できない。それは、残念なことだとトールは思う。だが、バジャルドの信念を変えることは、トールにはできない。見守るしか、ないのだろう。もう一度頭を下げ、客間を去るバジャルドの大柄な背に、トールは無意識に首を横に振っていた。
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