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第八章 再び北へ

8.18 それぞれの、心の裡は

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「元気そうで、良かった」

 ベッドの隅に腰掛けたリュカに、サシャが微笑む。

 リュカの横にサシャが腰掛けた次の瞬間、リュカはぎゅっとサシャの両手を掴んだ。

「サシャ」

 震えるリュカの声に、身構える。

「サシャは、ぼくやセルジュの又従兄弟だって、本当?」

 次に響いた、リュカの言葉に、トールの呼吸は数瞬、止まった。

「セルジュから、聞いたの?」

 擦れてしまったサシャの声に、リュカが頷く。

 王太子であったセルジュの兄が亡くなったことは、『冬の国ふゆのくに』から戻って来てすぐ、リュカの母である北辺ほくへん守護セレスタン閣下から聞いて知っている。セルジュが新しい若王になることも。そのセルジュが、何故、サシャのことをリュカに話す? 疑問は、しかし次のリュカの言葉で解けた。

「セルジュが、陛下と話しているの、聞いたの」

 北都ほくとに流れたサシャの中傷の原因は、小さな妬心が故にセルジュが発した、小さな言葉。その言葉が大きくなってしまい、結果としてサシャを北都から追い出してしまったことに自責の念を覚えていたのだろう。自分は、王には相応しくない。そう思ったセルジュは、自分の父に、自分の罪と、サシャが王族の血を受けている、すなわち父の従兄オーレリアンの息子であることを告げた。清廉、かつ八都はちと中のみならず『冬の国』の事情まで知っているサシャの方が、王に相応しいとも。

「サシャ、覚えてる?」

 そこまで告白したリュカが、不意に、サシャをじっと見つめる。

「ぼくが神帝候補に選ばれた時、他に候補がいる、って、ザハリアーシュ様が仰っていた、こと」

 まさか。早鐘を打つサシャの胸の鼓動に、思わず唸る。

「ザハリアーシュ様が仰ってた、ぼくより相応しい『神帝候補』、って」

 トールの予想と寸分違わぬ、リュカの言葉に、トールは目を閉じて首を横に振った。確かに、もしもサシャの父オーレリアンが双子の弟を返り討ちにしていたら、サシャは、北向きたむくの王族として何不自由なく育っていただろう。だが。現在、神帝候補として選ばれているのは、リュカ。それは、誰にも変えられない、事実。……セルジュが王位に就くことも。

「リュカ。僕はね」

 サシャを見つめるリュカの、真摯な瞳に、サシャが首を横に振る。

「神帝になったリュカの宰相になりたいの」

 本心を口にしたサシャに、リュカの瞳が大きくなった。

「……良いの、サシャ?」

「はい」

 目を瞬かせたリュカに、サシャが微笑む。

「本当に?」

「はい」

「……ありがとう」

 小さくなってしまった声と共に、リュカはサシャの腰に自分の腕を回した。

「セルジュの、ことも、ね」

 リュカの身体で見えなくなってしまったサシャの頬の色を確かめたいと思うトールの耳に、サシャの、優しい声が響く。

「セルジュが、北向の王になったら、きっと、みんな、今まで通り穏やかに暮らせるようになると思うんだ」

「うん」

 サシャの声に頷いたリュカが、サシャをぎゅっと抱き締めてから身を離す。

「もう、夕方だね」

 落ち着きを取り戻したリュカの声に、トールは安堵の息を吐いた。

「明日、王宮に来て」

 立ち上がったリュカが、再びサシャの手を掴む。

「セルジュに、さっきと同じこと、言ってあげて」

「はい」

 見送りは良いから。来た時よりも軽くなった影が、身軽に部屋を出て行く。

 一人取り残されたサシャは、再び、すこしオレンジ色に染まった湖面の方へと顔を向けた。

[サシャ]

 湖面を見ていない、沈んだ赤色の瞳に、小さく声を掛ける。サシャの言葉は、間違っていない。だが、……どうしても「もしも自分が」と思ってしまうのだろう。もしも、トールがあの日本海側の街で生まれて、伊藤いとうより先に小野寺おのでらと仲良くなっていたら。幼馴染みと一緒にいたいという想いを振り切って、両親も通っていた総合大学を受験していたら。そう、トールが思ってしまうように。

[サシャ]

 自分の「もしも」を脳裏から忘れるために、背表紙に文字を並べる。

[外、行こう]

「えっ」

 ここで、小さく泣いているよりも、外で気分転換した方が良い。理屈にならない理屈を、背表紙に並べる。

「そう、だね」

 そのトールに僅かに頷いたサシャの、血の気が戻らない顔色に、トールは無意識に首を横に振っていた。
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