281 / 351
第八章 再び北へ
8.18 それぞれの、心の裡は
しおりを挟む
「元気そうで、良かった」
ベッドの隅に腰掛けたリュカに、サシャが微笑む。
リュカの横にサシャが腰掛けた次の瞬間、リュカはぎゅっとサシャの両手を掴んだ。
「サシャ」
震えるリュカの声に、身構える。
「サシャは、ぼくやセルジュの又従兄弟だって、本当?」
次に響いた、リュカの言葉に、トールの呼吸は数瞬、止まった。
「セルジュから、聞いたの?」
擦れてしまったサシャの声に、リュカが頷く。
王太子であったセルジュの兄が亡くなったことは、『冬の国』から戻って来てすぐ、リュカの母である北辺守護セレスタン閣下から聞いて知っている。セルジュが新しい若王になることも。そのセルジュが、何故、サシャのことをリュカに話す? 疑問は、しかし次のリュカの言葉で解けた。
「セルジュが、陛下と話しているの、聞いたの」
北都に流れたサシャの中傷の原因は、小さな妬心が故にセルジュが発した、小さな言葉。その言葉が大きくなってしまい、結果としてサシャを北都から追い出してしまったことに自責の念を覚えていたのだろう。自分は、王には相応しくない。そう思ったセルジュは、自分の父に、自分の罪と、サシャが王族の血を受けている、すなわち父の従兄オーレリアンの息子であることを告げた。清廉、かつ八都中のみならず『冬の国』の事情まで知っているサシャの方が、王に相応しいとも。
「サシャ、覚えてる?」
そこまで告白したリュカが、不意に、サシャをじっと見つめる。
「ぼくが神帝候補に選ばれた時、他に候補がいる、って、ザハリアーシュ様が仰っていた、こと」
まさか。早鐘を打つサシャの胸の鼓動に、思わず唸る。
「ザハリアーシュ様が仰ってた、ぼくより相応しい『神帝候補』、って」
トールの予想と寸分違わぬ、リュカの言葉に、トールは目を閉じて首を横に振った。確かに、もしもサシャの父オーレリアンが双子の弟を返り討ちにしていたら、サシャは、北向の王族として何不自由なく育っていただろう。だが。現在、神帝候補として選ばれているのは、リュカ。それは、誰にも変えられない、事実。……セルジュが王位に就くことも。
「リュカ。僕はね」
サシャを見つめるリュカの、真摯な瞳に、サシャが首を横に振る。
「神帝になったリュカの宰相になりたいの」
本心を口にしたサシャに、リュカの瞳が大きくなった。
「……良いの、サシャ?」
「はい」
目を瞬かせたリュカに、サシャが微笑む。
「本当に?」
「はい」
「……ありがとう」
小さくなってしまった声と共に、リュカはサシャの腰に自分の腕を回した。
「セルジュの、ことも、ね」
リュカの身体で見えなくなってしまったサシャの頬の色を確かめたいと思うトールの耳に、サシャの、優しい声が響く。
「セルジュが、北向の王になったら、きっと、みんな、今まで通り穏やかに暮らせるようになると思うんだ」
「うん」
サシャの声に頷いたリュカが、サシャをぎゅっと抱き締めてから身を離す。
「もう、夕方だね」
落ち着きを取り戻したリュカの声に、トールは安堵の息を吐いた。
「明日、王宮に来て」
立ち上がったリュカが、再びサシャの手を掴む。
「セルジュに、さっきと同じこと、言ってあげて」
「はい」
見送りは良いから。来た時よりも軽くなった影が、身軽に部屋を出て行く。
一人取り残されたサシャは、再び、すこしオレンジ色に染まった湖面の方へと顔を向けた。
[サシャ]
湖面を見ていない、沈んだ赤色の瞳に、小さく声を掛ける。サシャの言葉は、間違っていない。だが、……どうしても「もしも自分が」と思ってしまうのだろう。もしも、トールがあの日本海側の街で生まれて、伊藤より先に小野寺と仲良くなっていたら。幼馴染みと一緒にいたいという想いを振り切って、両親も通っていた総合大学を受験していたら。そう、トールが思ってしまうように。
[サシャ]
自分の「もしも」を脳裏から忘れるために、背表紙に文字を並べる。
[外、行こう]
「えっ」
ここで、小さく泣いているよりも、外で気分転換した方が良い。理屈にならない理屈を、背表紙に並べる。
「そう、だね」
そのトールに僅かに頷いたサシャの、血の気が戻らない顔色に、トールは無意識に首を横に振っていた。
ベッドの隅に腰掛けたリュカに、サシャが微笑む。
リュカの横にサシャが腰掛けた次の瞬間、リュカはぎゅっとサシャの両手を掴んだ。
「サシャ」
震えるリュカの声に、身構える。
「サシャは、ぼくやセルジュの又従兄弟だって、本当?」
次に響いた、リュカの言葉に、トールの呼吸は数瞬、止まった。
「セルジュから、聞いたの?」
擦れてしまったサシャの声に、リュカが頷く。
王太子であったセルジュの兄が亡くなったことは、『冬の国』から戻って来てすぐ、リュカの母である北辺守護セレスタン閣下から聞いて知っている。セルジュが新しい若王になることも。そのセルジュが、何故、サシャのことをリュカに話す? 疑問は、しかし次のリュカの言葉で解けた。
「セルジュが、陛下と話しているの、聞いたの」
北都に流れたサシャの中傷の原因は、小さな妬心が故にセルジュが発した、小さな言葉。その言葉が大きくなってしまい、結果としてサシャを北都から追い出してしまったことに自責の念を覚えていたのだろう。自分は、王には相応しくない。そう思ったセルジュは、自分の父に、自分の罪と、サシャが王族の血を受けている、すなわち父の従兄オーレリアンの息子であることを告げた。清廉、かつ八都中のみならず『冬の国』の事情まで知っているサシャの方が、王に相応しいとも。
「サシャ、覚えてる?」
そこまで告白したリュカが、不意に、サシャをじっと見つめる。
「ぼくが神帝候補に選ばれた時、他に候補がいる、って、ザハリアーシュ様が仰っていた、こと」
まさか。早鐘を打つサシャの胸の鼓動に、思わず唸る。
「ザハリアーシュ様が仰ってた、ぼくより相応しい『神帝候補』、って」
トールの予想と寸分違わぬ、リュカの言葉に、トールは目を閉じて首を横に振った。確かに、もしもサシャの父オーレリアンが双子の弟を返り討ちにしていたら、サシャは、北向の王族として何不自由なく育っていただろう。だが。現在、神帝候補として選ばれているのは、リュカ。それは、誰にも変えられない、事実。……セルジュが王位に就くことも。
「リュカ。僕はね」
サシャを見つめるリュカの、真摯な瞳に、サシャが首を横に振る。
「神帝になったリュカの宰相になりたいの」
本心を口にしたサシャに、リュカの瞳が大きくなった。
「……良いの、サシャ?」
「はい」
目を瞬かせたリュカに、サシャが微笑む。
「本当に?」
「はい」
「……ありがとう」
小さくなってしまった声と共に、リュカはサシャの腰に自分の腕を回した。
「セルジュの、ことも、ね」
リュカの身体で見えなくなってしまったサシャの頬の色を確かめたいと思うトールの耳に、サシャの、優しい声が響く。
「セルジュが、北向の王になったら、きっと、みんな、今まで通り穏やかに暮らせるようになると思うんだ」
「うん」
サシャの声に頷いたリュカが、サシャをぎゅっと抱き締めてから身を離す。
「もう、夕方だね」
落ち着きを取り戻したリュカの声に、トールは安堵の息を吐いた。
「明日、王宮に来て」
立ち上がったリュカが、再びサシャの手を掴む。
「セルジュに、さっきと同じこと、言ってあげて」
「はい」
見送りは良いから。来た時よりも軽くなった影が、身軽に部屋を出て行く。
一人取り残されたサシャは、再び、すこしオレンジ色に染まった湖面の方へと顔を向けた。
[サシャ]
湖面を見ていない、沈んだ赤色の瞳に、小さく声を掛ける。サシャの言葉は、間違っていない。だが、……どうしても「もしも自分が」と思ってしまうのだろう。もしも、トールがあの日本海側の街で生まれて、伊藤より先に小野寺と仲良くなっていたら。幼馴染みと一緒にいたいという想いを振り切って、両親も通っていた総合大学を受験していたら。そう、トールが思ってしまうように。
[サシャ]
自分の「もしも」を脳裏から忘れるために、背表紙に文字を並べる。
[外、行こう]
「えっ」
ここで、小さく泣いているよりも、外で気分転換した方が良い。理屈にならない理屈を、背表紙に並べる。
「そう、だね」
そのトールに僅かに頷いたサシャの、血の気が戻らない顔色に、トールは無意識に首を横に振っていた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。
ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。
※短いお話です。
※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
悪役令嬢は大好きな絵を描いていたら大変な事になった件について!
naturalsoft
ファンタジー
『※タイトル変更するかも知れません』
シオン・バーニングハート公爵令嬢は、婚約破棄され辺境へと追放される。
そして失意の中、悲壮感漂う雰囲気で馬車で向かって─
「うふふ、計画通りですわ♪」
いなかった。
これは悪役令嬢として目覚めた転生少女が無駄に能天気で、好きな絵を描いていたら周囲がとんでもない事になっていったファンタジー(コメディ)小説である!
最初は幼少期から始まります。婚約破棄は後からの話になります。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】王子は聖女と結婚するらしい。私が聖女であることは一生知らないままで
雪野原よる
恋愛
「聖女と結婚するんだ」──私の婚約者だった王子は、そう言って私を追い払った。でも、その「聖女」、私のことなのだけど。
※王国は滅びます。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる