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第八章 再び北へ

8.2 北からの異変

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 少しだけ春めいた森を抜けると、まだ春であるとは言い難い荒野に出る。かつて一人と一冊が森から修道院へと通っていた道も、全然変わっていない。変わらないものもあるのだな。空を確かめ、早足になったクリスに遅れまいと足を速めたサシャの、僅かに速くなった鼓動に、トールは少しだけ肩を竦めた。

 変わらないと言えば。灰色をした丈の高い草の向こうに見える二つの建物へと目を向ける。左側にあるのは、かつてサシャが手伝いをしていた北辺ほくへんの修道院、そして右手の、緑が見えない岩山の崖の途中に乗っかっているのが、サシャの恩人の一人である北向きたむくの王子セレスタンが守る小さな砦。

 リュカは、元気なのだろうか? 砦を見ながら、セレスタンの息子で北向の神帝候補であるリュカの、セルジュと同じ髪の色を思い出す。セルジュは、……落ち込んではいないだろうか? 北向の老王、セルジュの祖父は、冬至祭とうじのまつり柔星祭やわぼしのまつりの間に亡くなった。だから現在は、セルジュの父が老王となり、セルジュの病弱な兄が新たな若王となっている。だが。東雲しののめでお世話になっているグスタフ教授が用意してくれた馬車にサシャと一緒に乗り込んだセルジュの、血の気が無くなってしまった頬を思い出す。セルジュの兄、病弱な王太子も健康を損ねていることを一人と一冊が知ったのは、北辺でユーグを看取った後。

「あれ?」

 唐突なクリスの声に、思考が中断する。

「サシャ、あそこ、見て」

 クリスが指差した方向、『冬の国ふゆのくに』へと向かう山道へと繋がる場所へ、目を凝らす。木も草もない岩だらけの坂道を降りてくる複数の人影に、一人と一冊の鼓動は一瞬、止まった。春とはいえ、『冬の国』との国境沿いは未だ雪に埋もれている。修道院の向こうに連なる白い山々を確認する。そんな場所からこちらへと降りてくる人々は、いるのか?

「あれは、……まさか、ジャン?」

 段々と荒野へと降りてくる人影の塊の中から、この場所で共に学んだ幼馴染みの姿を確かめたサシャの背が、ピンと伸びる。

「応援要りそう。修道院に、頼んできて、クリス」

「分かった!」

 サシャの声に頷いたクリスが、荒野を蹴って走り出す。何かあった。坂道を降りる、時折蹌踉めく人影の方へと走り出したサシャのエプロンの胸ポケットの中で、トールの胸は、嫌な予感に震えていた。
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