上 下
249 / 351
第七章 東の理

7.30 東の端の砦

しおりを挟む
[……!]

 段々とこちらに近づいてくる、崖に貼り付いたような武骨な塔に、馬の背の上で揺れるサシャのエプロンの胸ポケットの中で感嘆の声を上げる。

「あれが目的地だ」

 サシャの前にいる、崖に沿って作られた細い道を危うげなく馬で進む、東雲しののめの治安を維持する騎士団『黒剣団』の団長リーンハルトの声に頷くサシャの、普段以上に蒼白い頬に、トールは小さく首を横に振った。病み上がりなのに、馬に乗って旅をしている。無理をさせているのかもしれない。

 『象牙の塔』からこの東辺の砦までの道のりは、去年の冬、アラン教授と共に秋都あきとから『象牙の塔』へと向かった道と同じくらい長かった。城塞に向かう最後の急峻な坂道の前にある小さな空き地で馬を止めたリーンハルトの平然とした顔に頭を下げる。途中で東雲の都に寄り、サシャの世界の新年祭である『煌星祭きらぼしのまつり』に沸く東都をリーンハルトの引率で見学したので、この小さな砦まで辿り着くまでの日数は、秋都から『象牙の塔』までに掛かった日数より長い。粒熱から回復したばかりのサシャが疲れてしまうのも、当然。

「ここからは、馬が使えない」

 サシャを抱きかかえて馬から下ろしてくれたリーンハルトの言葉に、小さく唸る。この急な坂を、登れというのか。文句を言いそうになったトールは、しかし、エプロンの前後を変えたサシャを身軽に背負ったリーンハルトを見てすぐに、その文句を引っ込めた。

 リーンハルトの背に揺られながら急峻な坂道を登るサシャの、背中の熱を確かめる。近づくと、一人と一冊の目的地である『砦』は、三つの塔とその塔を繋ぐ城壁回廊から成り立つことが分かった。北と南、そして西側、正三角形の頂点部分に塔が一つずつ。そして正三角形の辺の部分が、居住区と回廊を兼ねた城壁。

「ゼバスティアン」

 ようやく辿り着いた、砦の西にある塔に穿たれた小さな玄関口で待っていた大柄な老人に、リーンハルトが頭を下げる。

「これが、新しい療養者だ」

 そう言いながらサシャを下ろしたリーンハルトの笑顔に、トールはエプロンの前後を直すサシャの手の熱さを確かめながら大きく頭を下げた。とにかく、この堅牢そうに見える砦まで無事に辿り着けたのは、リーンハルトのおかげ。

「小麦粉と、冬籠もりに必要な物を持って来た」

 砦の入り口である西の塔の中に足を踏み入れたリーンハルトの声が、吹き抜けの空間に大きく響く。

「麓の村には小麦を差し入れた」

「それは、麓の村でも喜んでいることでしょう」

 リーンハルトの声の聞き慣れない響き方に天井を見上げたサシャと同じように、トールも塔の上方を見上げる。吹き抜けになっている塔だが、緩くカーブした石壁に沿って階段が左回りにぐるりと設えられているのが分かる。一人と一冊の正面には、小さな踊り場が、階段を0.5階分上がった場所とそこから更に0.5階分上がった場所に見える。

「この砦は、北側部分だけ半分だけ低くなっている」

 崖に沿う形で建てられた砦の性質をサシャに小声で説明したリーンハルトが、改めてゼバスティアンに向き直る。

「それで、このサシャの部屋だが」

「客間はあの方のために開けて置いた方が良いでしょう」

 ゼバスティアンの回答に、リーンハルトの声は明らかに不機嫌に変わった。

「『まだ』来てるのか、あいつは」

「去年の冬からは来ていませんが、もうそろそろ」

「ここはユリアンの砦だ」

「しかしユリアン様にこの砦と領地を授けたのは」

「あいつは東雲の王族ではないからな」

 強くなるリーンハルトの声に、思わず身構える。

「手懐けることができる奴にお気に入りの場所を一時的に渡しただけさ」

 ゼバスティアンの言葉にそっぽを向いたリーンハルトは、そこで初めてサシャを見いだしたかのようにその蒼色の瞳を瞬かせた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます

時岡継美
ファンタジー
 初夜に旦那様から「白い結婚」を言い渡され、お飾り妻としての生活が始まったヴィクトリアのライフワークはなんとダンジョンの攻略だった。  侯爵夫人として最低限の仕事をする傍ら、旦那様にも使用人たちにも内緒でダンジョンのラスボス戦に向けて準備を進めている。  しかし実は旦那様にも何やら秘密があるようで……?  他サイトでは「お飾り妻の趣味はダンジョン攻略です」のタイトルで公開している作品を加筆修正しております。  誤字脱字報告ありがとうございます!

【完結】王子は聖女と結婚するらしい。私が聖女であることは一生知らないままで

雪野原よる
恋愛
「聖女と結婚するんだ」──私の婚約者だった王子は、そう言って私を追い払った。でも、その「聖女」、私のことなのだけど。  ※王国は滅びます。

結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください

シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。 国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。 溺愛する女性がいるとの噂も! それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。 それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから! そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー 最後まで書きあがっていますので、随時更新します。 表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

処理中です...