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第七章 東の理

7.29 リーンハルトの申し出を受ける

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 翌日。

「七科の試験、最高点で通っていた」

 熱が引き、身体中に出ていた発疹も少しだけ和らいだサシャに、グスタフ教授が朗報を持って来てくれる。

「いやあ、良かった良かった」

 まだベッドから起き上がれないサシャの手をしっかりと握った、いつになく明るいグスタフの声に、トールもほっと胸を撫で下ろす。これで、サシャの「母と同じ道を行きたい」という願いは、殆ど叶った。本当に良かった。突然の知らせに頬を上気させたサシャの、目元から枕へと流れ落ちた涙に、トールは小さく微笑んだ。

「良かったじゃないか」

 不意に響いた、聞き知った声に、幻の顔をサシャの部屋の入り口へと向ける。

「これで、ユリアンの家庭教師を頼めるな」

 部屋の入り口で影を作るリーンハルトがまとう、普段と同じ黒剣団の鎧に、トールは首を横に振った。リーンハルトの境遇と思いを知った今でも、リーンハルトに対する警戒心は消えない。

「リーンハルト」

 サシャに向かって微笑んだリーンハルトに、グスタフ教授が厳しい目を向ける。

「サシャは、まだ」

「療養を兼ねることができるから、こいつのためにも良いんじゃないか」

 狂信者や、理由無くサシャの命を奪おうとした夏炉かろの神帝候補の秘書レフィの魔の手からも守ることができる。至極真っ当なリーンハルトの申し出に、グスタフの口から小さな唸り声が漏れる。確かに、弱っているサシャを守るために、リーンハルトが差配する東辺とうへんの山の中にサシャを匿うという案は、意外と良いのかもしれない。だが。揺れ動く思考に、トールの幻の口からも聞こえない唸り声が漏れた。

「あの」

 そのトールの耳に、サシャの、遠慮がちな声が響く。

「私は、行ってみたいです、東の端」

 思いがけないサシャの言葉に、トールは耳を疑った。

「そうかっ!」

 サシャの承諾を聞いたリーンハルトが、グスタフの渋面を無視して大声を上げる。

「いやあ、ありがたい」

「春までだぞ」

 にっこりと微笑み、サシャの方へと一歩進んだリーンハルトを、グスタフの厳しい声が止めた。

「春には、サシャを南苑なんえんにやる約束を、南苑王と交わしている」

 トールには初耳のグスタフの言葉に、サシャが目を瞬かせる。

 本を取り扱っているため王宮にも出入りできる南苑の商人ファースが話した、サシャとカレヴァが作成した『印刷機』に興味を持った南苑王レクスが、二人を南苑に招待している。おそらくカレヴァ経由の情報を厳しい声で話すグスタフに、リーンハルトは鼻白んだように肩を竦めた。

「狂信者達がまだ蔓延っている夏炉を経由して南苑に行かせるつもりか?」

「春になれば、海路で行ける」

 あくまで冷徹なグスタフの声に、リーンハルトのへの字に曲がった口がサシャの方を向く。

「じゃ、冬の間だけ預かる。それで良いな」

 サシャの体調が回復する頃を見計らって、迎えに来る。その言葉を残し、リーンハルトは意気揚々とサシャの部屋から去って行った。

「サシャ」

 良いのか? リーンハルトが去った後のグスタフの問いに、サシャが小さく首を縦に振るのを見守る。サシャはおそらく、昨日のリーンハルトの告白に同情してしまったのだろう。東辺に行って大丈夫だろうか? 急に心を覆った不安に、トールは無意識に首を横に振っていた。
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