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第七章 東の理

7.9 『団長』の正体

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「また、面倒な奴に掴まったな」

 からっとした声に、呪縛が解ける。

 サシャの部屋に滑り込むように入ってきた色素の薄い影、『冬の国ふゆのくに』にルーツを持つ帝都ていとの製本師カレヴァに、一人と一冊は同時に安堵の息を吐いた。古代の神々を信奉する『狂信者』と、唯一神を信奉しない『冬の国』出身者を忌避し、出身地が同じ者同士で徒党を組んで他国と見えない小競り合いを繰り返すようになった帝都から追い出されるように引っ越しを決めたカレヴァを、製本が縁で既知の間柄であったグスタフ教授が東雲しののめに招いたいきさつは、秋都あきとから東雲までの旅の途中でアラン教授から聞いている。

「あの、あの方は」

 机に付属した座り心地の良さそうな椅子に腰掛けたカレヴァに、サシャが小さな声で質問する。

「ああ」

 サシャの声に頷いたカレヴァは、次に、驚くべき言葉を口にした。

「この東雲の王太子、いや、この前の秋分祭しゅうぶんのまつりに王が身罷られたから、即位式は済んでないが『王』になるのか」

「え……」

 あの人が、秋都のユドークス教授が散々愚痴っていた「東雲の、王にならないぐうたら王太子リーンハルト」。突然のことに、言うべき言葉を忘れてしまう。黒剣団所属の部下達への指示の適切さといい、怪我と毒の所為で体力を失っているサシャを丁寧にこの場所まで運んでくれた優しさといい、黒鎧は、為政者となっても特に問題ない人物だと、トールは思う。なのに、何故、様々な人に文句を言われながらも、あの黒鎧は、王になることを拒んでいるのだろうか?

「ま、こちらとしては、この街に何か言ってこない限り誰が為政者でも構わないんだが」

 カレヴァの言葉に、思考を止める。カレヴァの言う通り、この街に落ち着きさえすれば、もう、「王になるかもしれない人物」に関わることは無くなるだろう。サシャの安全のためにも、その方が良い。

「そうそう」

 疲れているのか、枕に頭を埋めたサシャに、カレヴァがにこりと笑う。

「紙作りも、印刷術も、少しずつ進んでいるぞ」

 そう言いながら、カレヴァは、サシャが上着とエプロンを脱ぐのを手伝ってくれた。

「鞭傷か。酷いな」

 エプロンの胸ポケットに入ったままのトールと一緒にサシャの服をまとめて机の上に置いたカレヴァが、露出したサシャの背中の傷を確かめる。

「回復したら、でいいから、俺の工房でまた色々アイデアを出してくれると嬉しい」

「はい」

 ここは安全だから、安心していい。そう言い残したカレヴァの影が、サシャの部屋を出る。

 カレヴァの言う通り、グスタフ教授の庇護下なら、サシャは安心して勉学に励むことができるだろう。寝息を立て始めたサシャを机の上に置かれたサシャの服の隙間から確かめ、小さく微笑む。同時に過ったのは、帝都でサシャが白竜騎士団を追い出された次の日の、グスタフ教授とヴィリバルトとの会話に出てきた『リーン』という名前。

 東雲の王太子の名前である『リーンハルト』は、ヴィリバルトがサシャを東雲に移せない理由として挙げていた『リーン』という名前に似ている。あの時ヴィリバルトが話していたのは、サシャを丁寧にここまで運んでくれたあの、『団長』と呼ばれていた黒鎧のこと、なのだろうか? 微かな違和感に首を傾げる。悪い人には、みえなかった。だが、ヴィリバルトがわざわざ挙げるくらいだから、きっと、なにか理由があるのだろう。やはり、油断は禁物。小さく頷いたトールは、首を横に振ることで襲ってきた睡魔を追い払った。
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