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第六章 西からの風

6.42 川原で、再び

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 冬らしい曇り空が、視界を覆う。

〈……ここ、は?〉

 聞こえてきた川の水音と、曇り空の端に映る薄茶色の岩壁に、トールは唸るように幻の手足を弛緩させた。異世界の『本』の姿に、戻っている。

 脳裏を過るのは、白い服を着て写真に収まっていた小野寺おのでら伊藤いとうの、幸せそうな笑顔。二人が幸せならばそれで良いという気持ちと、嫉妬心が、トールの心の中で入り乱れる。古代の神殿が映す幻影だと分かっていても、心の整理が追いつかない。……そうだ、サシャは?

 気持ちを切り替えるように、大きく辺りを見回す。

[サシャっ!]

 すぐに目に入ってきたぐったりとした影に、トールは思わず誰にも聞こえない叫び声を上げた。

 トールのすぐ横、石の粒が粗い川原に横たわるサシャの頬は、薄い皮膚が破れて赤黒い血に染まっている。川原に投げ出されている左手も、服から出ている部分は、頬と同じようにじんわりと血の色に染まっている。狂信者達の所為で負ってしまった火傷の痕がようやく目立たなくなってきていたのに。痛々しい光景に、トールは唇を噛み締めた。

 とにかく、サシャを助けなければ。胸の冷たさを振り切るように、薄茶色の岩崖を見上げる。人影は、ここからでは見えない。どうすれば、サシャを助けることができる? 絶望に、トールの全身は震えに震えていた。

 その時。

〈……?〉

 視線を感じ、幻の首を横に曲げる。

 おそらく崖の上へと続く道があるのだろう、岩壁の間から現れた小さな黒い影に、トールは思わず微笑んだ。サシャを気に入っている黒犬、ペロが来てくれた。と、すると。

「……サシャ、か?」

 ペロに続いて現れた小山のような影、ナシオに、ほっと息を吐く。

「これは……!」

 サシャの横に膝をついたナシオは、サシャの髪に手を伸ばしかけ、しかしすぐに立ち上がった。

「上に運ぶか。いや先に綺麗な水で川の毒を洗い流さねば」

 不意に、唸るような小刻みな地響きが、トールの全身を揺らす。見上げた先、崖の上に現れた黒い旗に、トールの全身は熱を取り戻した。黒地に銀の竜が描かれた旗は、かつてサシャがお世話になっていた、八都はちとを守る黒竜こくりゅう騎士団のもの。そして。

「……サシャ?」

 ただ一つ見えた、黒地に金の竜が描かれた旗が止まると同時に、懐かしい声がトールの耳に響く。

「丁度良い。綺麗な水を運ぶのを手伝ってくれ」

 崖から顔を出した神帝じんていヴィリバルトに叫び返すナシオの遠慮の無い声に、トールは現在の状況を忘れて笑いたくなってしまった。
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