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第六章 西からの風
6.39 朝の影
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薄暗がりでトールに触れる冷たい手に、顔を上げて辺りを見透かす。
[サシャ]
音も無くトールを掴み、しっかりと着替えたエプロンの胸ポケットにトールを収めたサシャの、暗がりでも分かる微笑みに、トールは小さく肩を竦めた。部屋の暗さから考えると、夜はまだ明けていない。同じ部屋で眠っているはずのサシャの友人カジミールの寝息を確かめる。こんな時間に、サシャはどこへ行くつもりなのだろうか? 考える間もなく、脳裏に答えが浮かぶ。昨日、この村を差配する家令の息子クレトが教えてくれた、帝都で仲良くなったけど守れなかった友人ブラスのお墓参りに、行くのだろう。仕方が無い。頷いたトールの裏表紙が、久しぶりの感覚を捉える。
〈これ、は!〉
『本』であるトールと一緒にエプロンの胸ポケットに入っているのは、蝋板と鉄筆。そのことを判断するや否や、トールは改めてサシャの、血の気が見えない頬を見つめた。サシャは、バジャルドとの約束も、西海の友人達との約束も、……忘れてはいなかった。
「行こう、トール」
囁くようなサシャの言葉に、大きく頷く。
滑るように部屋を出た一人と一冊は、すぐに、屋敷の外に出ることができた。
「川の水、は、山から流れている、はず」
何も見えない霧の中で立ち止まったサシャが、首を傾げる。
「鉱山、を調べると良いのかな?」
[そう、だな]
トールも、川や海を汚染する『毒』の原因は、ロレンシオが肩入れしているらしい古代の金鉱にあるだろうと予想している。もう少し霧が晴れたら、鉱山へ向かっていそうな山道を探してみよう。マントを羽織っていても寒いのだろう、エプロンのポケットごとトールを抱き締めたサシャの冷たい腕と熱い胸に、トールは自身の判断を背表紙に並べた。
その時。
「おやおや」
霧の中に見えた細い影に、全身が強ばる。
「まだ暗いのに外に出ているとは、駄目な子ですね」
「こちらの手間は省けたがな」
霧の中に見えた影は、一、二、……十人。いつの間にか、すっかり囲まれてしまっている。どうすれば、逃げられる? 震えながらも辺りを見回したサシャが動く前に、細身の影の横にいた複数の大きめの影がサシャの退路を塞いだ。
「……!」
それでも、トールが指示するより早く、しゃがんだサシャの足がサシャを捕まえようとした大きめの影の足を蹴る。
「このっ!」
大きめの影が呻くと同時に、サシャは怯んだ影達の間を通り抜けようとした。だが。
[なっ!]
死角から飛び出した細身の影が、翻ったサシャのマントを掴み、サシャの身体を地面に押し倒す。サシャの首に掛かった細い指を、トールは為す術も無く見つめていた。
「殺したのか」
動かなくなってしまったサシャの、胸の鼓動を確かめる。
「分かってますよ」
服に土の染みを付けた大きめの影に笑いを返した細身の影を、トールはぎっと睨んだ。この影は、確か。昨夜のクレトとカジミールの会話を思い出す。この細身の影は、ロレンシオがこの村にある古代の金鉱を復活させるために派遣した、ミゲルという名の文官!
「殺したら、贄になりませんからね」
細身の影、ミゲルの笑みに頷いた大きめの影の一人が、ぐったりと地面に横たわるサシャを抱き上げる。
こいつら、サシャをどうする気だ? 晴れない霧の向こうに見える大きめの影達の表情の無い顔と、身動き一つしないサシャの弱りつつある鼓動に自分の無力さを覚え、トールはぎゅっと目を閉じた。
[サシャ]
音も無くトールを掴み、しっかりと着替えたエプロンの胸ポケットにトールを収めたサシャの、暗がりでも分かる微笑みに、トールは小さく肩を竦めた。部屋の暗さから考えると、夜はまだ明けていない。同じ部屋で眠っているはずのサシャの友人カジミールの寝息を確かめる。こんな時間に、サシャはどこへ行くつもりなのだろうか? 考える間もなく、脳裏に答えが浮かぶ。昨日、この村を差配する家令の息子クレトが教えてくれた、帝都で仲良くなったけど守れなかった友人ブラスのお墓参りに、行くのだろう。仕方が無い。頷いたトールの裏表紙が、久しぶりの感覚を捉える。
〈これ、は!〉
『本』であるトールと一緒にエプロンの胸ポケットに入っているのは、蝋板と鉄筆。そのことを判断するや否や、トールは改めてサシャの、血の気が見えない頬を見つめた。サシャは、バジャルドとの約束も、西海の友人達との約束も、……忘れてはいなかった。
「行こう、トール」
囁くようなサシャの言葉に、大きく頷く。
滑るように部屋を出た一人と一冊は、すぐに、屋敷の外に出ることができた。
「川の水、は、山から流れている、はず」
何も見えない霧の中で立ち止まったサシャが、首を傾げる。
「鉱山、を調べると良いのかな?」
[そう、だな]
トールも、川や海を汚染する『毒』の原因は、ロレンシオが肩入れしているらしい古代の金鉱にあるだろうと予想している。もう少し霧が晴れたら、鉱山へ向かっていそうな山道を探してみよう。マントを羽織っていても寒いのだろう、エプロンのポケットごとトールを抱き締めたサシャの冷たい腕と熱い胸に、トールは自身の判断を背表紙に並べた。
その時。
「おやおや」
霧の中に見えた細い影に、全身が強ばる。
「まだ暗いのに外に出ているとは、駄目な子ですね」
「こちらの手間は省けたがな」
霧の中に見えた影は、一、二、……十人。いつの間にか、すっかり囲まれてしまっている。どうすれば、逃げられる? 震えながらも辺りを見回したサシャが動く前に、細身の影の横にいた複数の大きめの影がサシャの退路を塞いだ。
「……!」
それでも、トールが指示するより早く、しゃがんだサシャの足がサシャを捕まえようとした大きめの影の足を蹴る。
「このっ!」
大きめの影が呻くと同時に、サシャは怯んだ影達の間を通り抜けようとした。だが。
[なっ!]
死角から飛び出した細身の影が、翻ったサシャのマントを掴み、サシャの身体を地面に押し倒す。サシャの首に掛かった細い指を、トールは為す術も無く見つめていた。
「殺したのか」
動かなくなってしまったサシャの、胸の鼓動を確かめる。
「分かってますよ」
服に土の染みを付けた大きめの影に笑いを返した細身の影を、トールはぎっと睨んだ。この影は、確か。昨夜のクレトとカジミールの会話を思い出す。この細身の影は、ロレンシオがこの村にある古代の金鉱を復活させるために派遣した、ミゲルという名の文官!
「殺したら、贄になりませんからね」
細身の影、ミゲルの笑みに頷いた大きめの影の一人が、ぐったりと地面に横たわるサシャを抱き上げる。
こいつら、サシャをどうする気だ? 晴れない霧の向こうに見える大きめの影達の表情の無い顔と、身動き一つしないサシャの弱りつつある鼓動に自分の無力さを覚え、トールはぎゅっと目を閉じた。
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