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第六章 西からの風

6.23 秋都への旅路

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 再び見えてきた小さな家の列に、サシャのお腹がぐうと鳴る。

 太陽は、高いところにある。雲が少ない空を確かめる。昼休みにするには丁度良い。そんなことを考えていると、胸ポケットの中のトールを確かめるサシャの紅い瞳がトールの視界に大写しになった。

[お腹、空いてんだろ]

 賑やかさをみせる街道沿いの村の方に顔を向けたサシャに見えるよう、大文字を背表紙に並べる。

[お金、まだあるし、歩けなくなる前に何か腹に入れといた方が良いんじゃないか?]

 西海さいかいの漁師バリーがサシャに渡した小さな巾着袋の中には、秋津あきつで流通している銅貨と銀貨が意外にたくさん入っていた。そのお金を、サシャは「けち」と判断されるほどに慎重に使っている。バリーさんから頼まれた、西海と秋津とを隔てる海峡における不漁と沿岸の病の原因を突き止める前にお金がなくなるのは確かに困るが、原因を突き止める前に空腹や疲労でサシャが倒れるのはもっと困る。説得にも似たトールの言葉に、サシャは小さく頷くと、おそらく青空市が開かれているのであろう、人々の影がたくさん集まっている方へと足を向けた。

 大学の新学期開始日である煌星祭きらぼしのまつりが迫っているためだろう、青空市で食料を見繕っている影の中には若者が多い。確か、津都つとでは法学の研究が盛んで、秋都あきとの方は神学と医学に重点を置いており、秋都と津都で学生の行き来が結構あるらしい。帝都ていとでセルジュが見せてくれた、北向きたむくで共に学んだ友人カジミールの手紙の内容を、トールは脳裏から引っ張り出した。

「おや、秋都へ向かう学生さんかい」

 不意に、道の脇で小さな屋台を営む恰幅の良い影に呼び止められる。

「うちのパンを買っていくと良いよ。中に米が詰まってて、腹持ちが良い」

 秋津では、米が作られている。北辺でふわふわなパンケーキの作り方を教えた時にサシャが言った言葉を思い返す。街道と並行して流れる『星の河ほしのかわ』の方に、トールは幻の視線を向けた。枯れた、葦のような草が、秋の風に揺れている。枯れているのは、秋だからだろうか、それとも、……『星の河』に流れ込み、西海を不漁と病で悩ませる原因となっている『毒』の所為か。

「最近、米が育たなくなって困っているけど、学生さんにはサービス。二個で銅貨一枚な」

 トールが唸っている間に、サシャの方は、恰幅の良い影から掌サイズのパンを二個受け取る。

「ありがとうございます」

「秋都はまだまだ先だが、頑張って行けよ」

 サシャに微笑む恰幅の良い影に頭を下げると、一人と一冊は静かに昼食を食べることができそうな河岸の方へと足を向けた。

「この辺りが、良いかな」

 青空市が見えなくなった、街道から少しだけ下がった草むらに、サシャが腰を下ろす。

「……美味しい」

 両手に持っていた小さなパンをかじり、笑みを浮かべたサシャに胸の疼きを覚え、トールは一瞬だけサシャから目を逸らした。

 サシャが頬張るパンの中身が、トールの視界に入る。あの恰幅の良い影が言うように、少し厚みのあるパンの中に、茶色っぽい粒がぎっしりと詰まっている。このパンには、見覚えがある。小さい頃の記憶を、脳の奥底から引っ張り出す。昔、まだトールが、田畑に囲まれた瀬戸内の小さな村で祖父母や母の姉兄家族達と暮らしていた頃、村から電車で七駅ほど離れた街に働きに出ていた母の姉が、時々、家に居る子供達のために街のデパートで売っているパンを買って帰ってきてくれた。そのパンの中に、今サシャが食べているような、中におにぎりが入ったパンも、あった。パンの中に隠されたおにぎりの醤油味が、トールの幻の口の中に広がる。大人達は不思議がったが、トールは、中におにぎりが入ったこのパンが一番好きだった。
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