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第五章 南への追放
5.14 月明かりの告白
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月明かりだけの小さな部屋に、扉が開く音が響く。
こんな夜更けに、誰だろう? 熱が下がったからだろう、安らかに眠るサシャの息を確かめると同時に、トールは幻の首を、サシャとトールが滞在している矢狭間のある小さな部屋の入り口の方へと向けた。あの、恰幅の良い影は。緊張は、すぐに解ける。アラン師匠、ではなく、アラン教授。だが、月明かりで半ば影になったアランの、いつになく険しい顔立ちに、トールは再び身体を硬くした。
アランは何故、眠るサシャの部屋に? 部屋の真ん中に置かれた、サシャが眠るベッドの左側にある椅子に腰掛けたアランを、ベッドの右側にある腰棚の上から確認する。この部屋に運び込まれてすぐ、アランはサシャの左肩の傷を確かめ、このラドヴァン所有の砦にある薬草で治療してくれている。それなのに。
「熱は、大丈夫そうだな」
居心地が悪くなったトールの耳に、アランの、懸念を含んだ声が響く。
「怪我も」
サシャの額を撫でたアランの手は、次に、包帯が巻かれたサシャの左肩に伸びた。
その時。
「あ……」
アランが触れた所為で傷の痛みを覚えたのだろう。閉じていたはずのサシャの瞳が、ゆっくりと開く。
「アラン師、……教授」
「起こしてしまったか」
先程のトールと同じ言い間違いをしてしまったサシャに、アランが僅かに口角を上げる。
「心配は要らない。ラドヴァンは、信頼できる騎士だ」
夏炉の王であるリエトも、ここにいる限り、暗殺の心配は無い。再び、サシャの白い髪を撫でたアランは、サシャが昼間トールに囁いた懸念をあっさりと解決してくれた。
「だが」
不意に険しくなったアランの声に、トールの背がピンと伸びる。
「リエト陛下のことよりも、俺は、サシャのことが心配だ」
目を瞬かせたサシャに、アランは、サシャの左肩の傷を指差し、次に右肩の後ろの、冬の口頭試問の後に襲われた時の古傷を指差した。
「昼間、ラドヴァンに、行方不明になった時の話をしていただろう、サシャ」
夏炉と春陽の国境近くに位置する森で敏捷な影に襲われた。昼間、アランの治療を受けながら、サシャはラドヴァンにそう話した。
「柔星祭の後の事件も、俺は、セルジュではなくサシャを狙った襲撃ではないかと危惧している」
確かに。口頭試問の後の事件のことを、脳裏で反芻する。あの時は、セルジュを助けてすぐに襲撃を受けたから、セルジュを庇ったサシャが凶刃を受けたと判断した。だが、あの毒を塗った刃が、サシャを狙っていたものだとしたら? 不意の震えに、トールは首を横に振っていた。
「今回の傷に入っていた毒も、西海にしかない植物から作られたものだった」
サシャの左肩に触れたアランの言葉が、トールの震えを増幅させる。白さを増したサシャの頬に、トールは何度も、首を横に振った。とにかく、サシャは今、無事でここにいる。考えるのは、これからのこと。
「ヴィリバルトも警告していたが、誰がサシャを狙ってるのかは分からない」
久しぶりに耳にした神帝猊下の名に、唇を横に引き結ぶ。誰が、サシャを暗殺しようとしているのだろうか? ヴィリバルトの策略に嵌まって壊滅の憂き目をみた夏炉の狂信者? それとも、自分達の虚栄心のためにサシャに狂信者の汚名を着せようとした帝都の大学の人々? どちらにせよ、用心しなければならない。
「まあ、ここにいる限り、襲われることはないだろう」
少しだけ口角を上げたアランが、蒼白になったサシャの頬を撫でる。そのアランの手は、次に、サシャの、引き攣れた左腕をそっと掴んでいた。
「サシャに、謝らないといけないことがある」
小さくなったアランの声に、全身を耳にする。
「この火傷の件で、俺は、エフラインを責めることができなかった」
続くアランの、トールには突拍子もない言葉に、トールは目を瞬かせた。
そのトールの耳に、アランの声が響く。
「北向のあの聖堂で、俺がした話、覚えているか?」
「はい」
「あの話の、帝都で俺が契りを結びたかった相手が、……エフラインだ」
アランの告白に、一瞬、息が止まってしまう。あの、高慢な医師に、アランが思いを寄せていたとは。
「だが、オルフェオの気持ちに気付いてしまってな」
オルフェオとエフラインは、帝華で共に自由七科の勉学に励んだ仲。そのことを知っていたアランは、身を引いて『冬の国』への伝道に志願した。北向の聖堂でのアランの告白を思い返す。
「帝都で医術を学んでいた時、一度、狂信者の燔柴の犠牲になった人を看たことがある」
続くアランの告白を、息を止めて聞く。
狂信者達は、燔柴の際、古代の神に好まれる匂いを犠牲者に付けるために特別な木を薪にする。その木が含んでいる油の所為で、犠牲者の火傷は、普段以上に酷くなる。燔柴の犠牲者を看ることで、アランもエフラインもその知識を得ていたはずだった。だが、サシャの火傷を治療する際、神帝の侍医だった指導教授を手伝っていたエフラインは、サシャの火傷の原因が燔柴の薪にあることを知っていて適切な治療を施さなかった。サシャの治療をする時にエフラインの怠惰に気付いたアランは、指導教授の落ち度は責めたが、しかしエフラインに関しては、昔の情が邪魔をして責めることはできなかった。
「その結果、サシャを苦しめて……」
話すアランの声が、不意に止まる。
続いてトールの耳に響いたのは、安らかなサシャの寝息。
「眠ったのか」
トールと同じようにサシャの寝息を確かめたアランが、小さく肩を竦める。
矢狭間から見える月明かりだけが、眩しい。
眠っているサシャを確かめたアランは、来た時と同じように静かに、サシャとトールの小さな部屋を去って行った。
こんな夜更けに、誰だろう? 熱が下がったからだろう、安らかに眠るサシャの息を確かめると同時に、トールは幻の首を、サシャとトールが滞在している矢狭間のある小さな部屋の入り口の方へと向けた。あの、恰幅の良い影は。緊張は、すぐに解ける。アラン師匠、ではなく、アラン教授。だが、月明かりで半ば影になったアランの、いつになく険しい顔立ちに、トールは再び身体を硬くした。
アランは何故、眠るサシャの部屋に? 部屋の真ん中に置かれた、サシャが眠るベッドの左側にある椅子に腰掛けたアランを、ベッドの右側にある腰棚の上から確認する。この部屋に運び込まれてすぐ、アランはサシャの左肩の傷を確かめ、このラドヴァン所有の砦にある薬草で治療してくれている。それなのに。
「熱は、大丈夫そうだな」
居心地が悪くなったトールの耳に、アランの、懸念を含んだ声が響く。
「怪我も」
サシャの額を撫でたアランの手は、次に、包帯が巻かれたサシャの左肩に伸びた。
その時。
「あ……」
アランが触れた所為で傷の痛みを覚えたのだろう。閉じていたはずのサシャの瞳が、ゆっくりと開く。
「アラン師、……教授」
「起こしてしまったか」
先程のトールと同じ言い間違いをしてしまったサシャに、アランが僅かに口角を上げる。
「心配は要らない。ラドヴァンは、信頼できる騎士だ」
夏炉の王であるリエトも、ここにいる限り、暗殺の心配は無い。再び、サシャの白い髪を撫でたアランは、サシャが昼間トールに囁いた懸念をあっさりと解決してくれた。
「だが」
不意に険しくなったアランの声に、トールの背がピンと伸びる。
「リエト陛下のことよりも、俺は、サシャのことが心配だ」
目を瞬かせたサシャに、アランは、サシャの左肩の傷を指差し、次に右肩の後ろの、冬の口頭試問の後に襲われた時の古傷を指差した。
「昼間、ラドヴァンに、行方不明になった時の話をしていただろう、サシャ」
夏炉と春陽の国境近くに位置する森で敏捷な影に襲われた。昼間、アランの治療を受けながら、サシャはラドヴァンにそう話した。
「柔星祭の後の事件も、俺は、セルジュではなくサシャを狙った襲撃ではないかと危惧している」
確かに。口頭試問の後の事件のことを、脳裏で反芻する。あの時は、セルジュを助けてすぐに襲撃を受けたから、セルジュを庇ったサシャが凶刃を受けたと判断した。だが、あの毒を塗った刃が、サシャを狙っていたものだとしたら? 不意の震えに、トールは首を横に振っていた。
「今回の傷に入っていた毒も、西海にしかない植物から作られたものだった」
サシャの左肩に触れたアランの言葉が、トールの震えを増幅させる。白さを増したサシャの頬に、トールは何度も、首を横に振った。とにかく、サシャは今、無事でここにいる。考えるのは、これからのこと。
「ヴィリバルトも警告していたが、誰がサシャを狙ってるのかは分からない」
久しぶりに耳にした神帝猊下の名に、唇を横に引き結ぶ。誰が、サシャを暗殺しようとしているのだろうか? ヴィリバルトの策略に嵌まって壊滅の憂き目をみた夏炉の狂信者? それとも、自分達の虚栄心のためにサシャに狂信者の汚名を着せようとした帝都の大学の人々? どちらにせよ、用心しなければならない。
「まあ、ここにいる限り、襲われることはないだろう」
少しだけ口角を上げたアランが、蒼白になったサシャの頬を撫でる。そのアランの手は、次に、サシャの、引き攣れた左腕をそっと掴んでいた。
「サシャに、謝らないといけないことがある」
小さくなったアランの声に、全身を耳にする。
「この火傷の件で、俺は、エフラインを責めることができなかった」
続くアランの、トールには突拍子もない言葉に、トールは目を瞬かせた。
そのトールの耳に、アランの声が響く。
「北向のあの聖堂で、俺がした話、覚えているか?」
「はい」
「あの話の、帝都で俺が契りを結びたかった相手が、……エフラインだ」
アランの告白に、一瞬、息が止まってしまう。あの、高慢な医師に、アランが思いを寄せていたとは。
「だが、オルフェオの気持ちに気付いてしまってな」
オルフェオとエフラインは、帝華で共に自由七科の勉学に励んだ仲。そのことを知っていたアランは、身を引いて『冬の国』への伝道に志願した。北向の聖堂でのアランの告白を思い返す。
「帝都で医術を学んでいた時、一度、狂信者の燔柴の犠牲になった人を看たことがある」
続くアランの告白を、息を止めて聞く。
狂信者達は、燔柴の際、古代の神に好まれる匂いを犠牲者に付けるために特別な木を薪にする。その木が含んでいる油の所為で、犠牲者の火傷は、普段以上に酷くなる。燔柴の犠牲者を看ることで、アランもエフラインもその知識を得ていたはずだった。だが、サシャの火傷を治療する際、神帝の侍医だった指導教授を手伝っていたエフラインは、サシャの火傷の原因が燔柴の薪にあることを知っていて適切な治療を施さなかった。サシャの治療をする時にエフラインの怠惰に気付いたアランは、指導教授の落ち度は責めたが、しかしエフラインに関しては、昔の情が邪魔をして責めることはできなかった。
「その結果、サシャを苦しめて……」
話すアランの声が、不意に止まる。
続いてトールの耳に響いたのは、安らかなサシャの寝息。
「眠ったのか」
トールと同じようにサシャの寝息を確かめたアランが、小さく肩を竦める。
矢狭間から見える月明かりだけが、眩しい。
眠っているサシャを確かめたアランは、来た時と同じように静かに、サシャとトールの小さな部屋を去って行った。
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