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第四章 帝都の日々

4.12 帝都の北側に潜む影

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「この辺り、ちょっと傾斜きついよ」

 ブラスの言葉に頷いたサシャの、息の上がり具合を確かめる。サシャとトールが出会った北辺ほくへんは、山に囲まれていたが、生活範囲では山に登ることはなかった。帝都ていとの北側郊外に位置する丸い丘の一つに登るサシャの前を進むブラスの、細い背を見上げ、トールは小さく唸った。歴史の教授の手伝いで丘に登り慣れている所為か、あるいは『守人もりと』候補に課せられた武術訓練の賜物なのか、身体は細いが、ブラスにはしっかりとした体力がある。サッカーの試合でフィールドを跳ね回っていた小野寺おのでらのスレンダーな影を、トールは知らず知らず、ブラスの背に重ねて見ていた。

「丘の中腹に、遺跡、多いんだ」

 小休憩のつもりなのだろう、立ち止まったブラスに頷いたサシャが、手近の石に腰を下ろす。眼下に広がる、がっしりとした城壁に囲まれた帝都は、意外に広い。サシャとブラスが登っている丘の一つ向こう、一際背の高い丘の上に見える、『星読みほしよみ』用の円筒に見える砦を確かめ、トールは小さく息を吐いた。黒竜こくりゅう騎士団副団長フェリクスが斡旋してくれているはずだが、北都では自由に出入りできていた『星読み』の館に、ここ帝都ではサシャは出入りすることができていない。『星読み』が行っていた複雑な計算を苦にしていなかったサシャの笑顔が脳裏を過り、トールはもう一度息を吐いた。おそらく、自由七科の資格を取っていないサシャにはまだ『力が無い』と思われているのだろう。文武両道を是とする白竜はくりゅう騎士団に移ったのだから、頑張るサシャをもっと応援しなければ。

「古代の人々、帝都周辺では、丘の中腹に遺跡を作っているんだね」

 帝都の南側郊外でも、丘の中腹に草に埋もれた遺跡があった。そのことを思い出したのだろう、トールと同じように帝都を見下ろしたサシャが言葉を紡ぐ。

「帝都の中にある、あの丘の中腹にも、遺跡、あるのかな」

「どうだろう?」

 城壁に囲まれた帝都でただ一つ緑色が濃い部分、こんもりとした低めの丘の方に視線を向けて首を傾げたサシャの質問に唸ったブラスの声が、トールの耳を揺らした。帝都の中にある丘の上に見えるのは、木々に埋もれ、崩れかけたようにみえる小さな石造りの城だけ。神帝じんていの就任儀式と、神帝の葬儀の時にだけ使われるその城の地下には、代々の神帝が眠る墓所がある。前にヴィリバルトに連れられて足を踏み入れた質素で荘厳な場所の、乾いた冷たい空気を思い出し、トールの背は小さく震えた。

 その時。

〈……小野、寺?〉

 サシャが座る石の横に、この世界では見られない様々な色をした服をまとう人影が映る。教員免許を取るためにトールも参加していた、グループ学習を主とする講義を受けていた大教室の光景。柔らかい色のカーディガンを羽織った小野寺の姿は、簡単に見つけることができた。女性が多いグループで、話し合いの結果をまとめているのであろう、ノートの上でペンを忙しなく動かしている。その小野寺の横にいるのは、トールや小野寺と同じグループで活動していた、名前も所属も思い出せない男子。グループ活動の度に小野寺の横に座りたがるので、気付いた時にはいつも、トールが二人の間に割って入るようにして座っていた。しかしトールがいない今、その男子は堂々と小野寺の横に、小野寺の膝に自分の膝をくっつけるようにして座っている。

「何をしている!」

 頬を打つような強い声に、幻影が消える。

「……マルシアル教、授」

 急に萎んでしまったブラスの声に、トールはサシャと同時に声の方を見た。

「あ、あの、ごめんなさい」

 今にも振りかざしそうな様子で杖を握り締めた、背の高い影に、ブラスが大きく頭を下げる。

「ごめんなさい、教授」

 そのブラスをトールが確かめるより先に、サシャは素早くブラスの前に立ち、背の高い影に頭を下げた。

「ブラスに、遺跡を見せて欲しいと頼んだのは、僕です、教授」

「そう」

 気の無くなった返事が、トールの胸を安堵させる。とにかく、サシャが無事で、良かった。それ以上何も言わず、丘を登って草の間に消えていった、どこか不気味な感じのある影に、トールは無意識に首を横に振っていた。

「大丈夫?」

 ブラスに微笑むサシャを確かめてから、ブラスの方を再び見やる。

「う、うん」

 サシャを丘に案内した時とは打って変わった、血の気を失ったブラスの頬に、トールの背は一瞬で緊張した。

「来ていらっしゃるとは、思わなかった」

 再び念入りに、あの背の高い影がいないことを確かめるトールの耳に、憔悴したブラスの声が響く。背の高い影、マルシアルは、神学部で歴史を教える秋津あきつ出身の教授。同じ秋津出身のブラスに目をかけており、ブラスも、教授が遺跡を調査する時は手伝っているらしい。

 震えを帯びたブラスの声に、北辺ほくへんの修道院で時折サシャが口にしていた諦めの声が重なる。おそらく、マルシアルという名の教授も、北辺の修道院の副院長であったジルドがサシャを扱き使っていたように、ブラスを扱き使っているのだろう。機を見て、ブラスの兄のバジャルドに相談するよう、サシャに言ってみよう。そう考え、頷いたトールの思考は、しかし別の方向を漂っていた。……小野寺は、大丈夫だろうか。

「今日は、もう、帰ろう」

 丘の緩い斜面を下り始めたブラスの、小さくみえる背に、小野寺を見てしまう。辺りを見回しても、見えるのは、傾き始めた陽の光に揺れる背の高い草だけ。遺跡も、幻影も、見えない。そのことに安堵して、……良いのだろうか。普段以上に速く聞こえるサシャの胸の鼓動に、トールは大きく首を横に振っていた。
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