58 / 351
第二章 湖を臨む都
2.16 クリスの提案②
しおりを挟む
二日後。
「うわぁ!」
トールとサシャは、北都の北東に広がる森の中に来ていた。
「どっしりとした木、多いね」
「そうか?」
辺りを見回して目を瞬かせるサシャに、前をスタスタと歩いていたクリスが呆れ半分で首を傾げる。確かに、サシャの言う通り、この森の木々は、サシャが暮らしていた北辺の森の木々よりも幹が太い。北都を守るように湖の北東に聳え立つ壁のような岩山が強い風を防いでいるからだろうか? サシャのエプロンのポケットの中で、トールは首を傾げた。茂った葉が陽の光を遮る森は、少しじめっとしているように感じる。
「足下、気をつけろよ」
普段通りに生意気なクリスの声に頷くサシャを、確かめる。
北都の東側を流れる『星の河』の東、名前の無い森があるこの辺りは、人があまり住みたがらない土地であると、北辺の修道院の図書館で読んだ本には書いてあった。星の河に架かる橋は北都よりもずっと離れた川上にしか無いから、サシャとトールは、クリスがつかまえてくれた渡し船で河を渡った。北辺に向かう道こそ星の河の左岸に刻まれているが、湖沿いにある僅かな平地にすら、住んでいる人は殆どいない。木々の間に見える湖の色は、北都や、サシャが寄宿する修道院から見えるものと同じなのに。何故だろう?
「あ、これこれ」
トールが首を傾げる前に、前を歩くクリスが、太い木に絡むしなやかな蔓を指差す。
「この蔓を叩いて柔らかくしてから、網に編み込むってマルクさんは言ってた」
クリスが引っ張ってみせた蔓を、サシャの小さな手が掴む。『冬の国』の住人タトゥがくれた短刀が、サシャの小指ほどの太さがある蔓を滑らかに断ち切った。
「まだあるぜ」
「はい」
[最初は実験用だから、少なくて大丈夫]
サシャの叔父ユーグが木の皮で編んでくれたまだ新しい籠に、しなやかな蔓を押し込むように入れるサシャに、小さく助言する。
[クリスがいなくてもここまで来ることができるように、道を覚えないと]
「そうだね」
不意に近づいたサシャの唇の温かさに、トールは小さく微笑んだ。
「これくらいで良いよ。ありがとう」
「どういたしまして」
大きく笑うクリスを確かめ、サシャが籠を背負う。
次の瞬間。
「わっ!」
驚くサシャの声と同時に、トールの視界が空を向く。
「痛ったぁ……」
「サシャ!」
小さく呻くサシャの声に、少し上方から聞こえてきたクリスの声が混ざった。
「足下に気をつけろって言ったろ!」
「はい……」
幸いなことに、サシャは尻餅をついただけのようだ。小さなクリスの短い服の裾の揺れが視界に映っているから、落ちた距離も少しのはず。サシャは、大丈夫。そのことを確かめたトールの視界は、不意に、別の視界に遮られた。
〈あ……!〉
この、景色は。記憶が、揺さぶられる。この、油染みに薄汚れた壁は、大学のサテライトキャンパスでの授業の前に伊藤と一緒に昼食を取っていた、駅前商店街のハンバーガーショップ。そして。夏の日差しが照りつける窓際を避けて座っている見知った影に、トールの息は止まった。
〈伊藤〉
俯きがちな姿勢で、美味しくなさそうにハンバーガーを貪る友人の幻覚を、ただただ見つめる。向かいの椅子に無造作に置かれている大きめのディパックは、伊藤が高校時代から通学に使っていた物。
〈ちゃんと、授業、出てるんだ〉
安堵の息が、トールの口から漏れる。
トールがサテライトキャンパスで開催される講義を受講した理由は、地元の名士達が地方の問題についてオムニバス形式で話すその講義を受講するよう、伊藤の父に勧められたから。伊藤の方は、自分の父の熱心さに幾分引いていたようにトールの目には見えたが、それでも、……友人が普通に生活していることが、嬉しい。
「大丈夫か、サシャ?」
トールの目の前に現れた小麦色の腕に、我に返る。
「歩けるか?」
「うん」
差し出されたクリスの腕を小さく掴み、殆ど自力で立ち上がったサシャの身体の揺れに、トールはほっと息を吐いた。
と、その時。
「うわぁ!」
トールとサシャは、北都の北東に広がる森の中に来ていた。
「どっしりとした木、多いね」
「そうか?」
辺りを見回して目を瞬かせるサシャに、前をスタスタと歩いていたクリスが呆れ半分で首を傾げる。確かに、サシャの言う通り、この森の木々は、サシャが暮らしていた北辺の森の木々よりも幹が太い。北都を守るように湖の北東に聳え立つ壁のような岩山が強い風を防いでいるからだろうか? サシャのエプロンのポケットの中で、トールは首を傾げた。茂った葉が陽の光を遮る森は、少しじめっとしているように感じる。
「足下、気をつけろよ」
普段通りに生意気なクリスの声に頷くサシャを、確かめる。
北都の東側を流れる『星の河』の東、名前の無い森があるこの辺りは、人があまり住みたがらない土地であると、北辺の修道院の図書館で読んだ本には書いてあった。星の河に架かる橋は北都よりもずっと離れた川上にしか無いから、サシャとトールは、クリスがつかまえてくれた渡し船で河を渡った。北辺に向かう道こそ星の河の左岸に刻まれているが、湖沿いにある僅かな平地にすら、住んでいる人は殆どいない。木々の間に見える湖の色は、北都や、サシャが寄宿する修道院から見えるものと同じなのに。何故だろう?
「あ、これこれ」
トールが首を傾げる前に、前を歩くクリスが、太い木に絡むしなやかな蔓を指差す。
「この蔓を叩いて柔らかくしてから、網に編み込むってマルクさんは言ってた」
クリスが引っ張ってみせた蔓を、サシャの小さな手が掴む。『冬の国』の住人タトゥがくれた短刀が、サシャの小指ほどの太さがある蔓を滑らかに断ち切った。
「まだあるぜ」
「はい」
[最初は実験用だから、少なくて大丈夫]
サシャの叔父ユーグが木の皮で編んでくれたまだ新しい籠に、しなやかな蔓を押し込むように入れるサシャに、小さく助言する。
[クリスがいなくてもここまで来ることができるように、道を覚えないと]
「そうだね」
不意に近づいたサシャの唇の温かさに、トールは小さく微笑んだ。
「これくらいで良いよ。ありがとう」
「どういたしまして」
大きく笑うクリスを確かめ、サシャが籠を背負う。
次の瞬間。
「わっ!」
驚くサシャの声と同時に、トールの視界が空を向く。
「痛ったぁ……」
「サシャ!」
小さく呻くサシャの声に、少し上方から聞こえてきたクリスの声が混ざった。
「足下に気をつけろって言ったろ!」
「はい……」
幸いなことに、サシャは尻餅をついただけのようだ。小さなクリスの短い服の裾の揺れが視界に映っているから、落ちた距離も少しのはず。サシャは、大丈夫。そのことを確かめたトールの視界は、不意に、別の視界に遮られた。
〈あ……!〉
この、景色は。記憶が、揺さぶられる。この、油染みに薄汚れた壁は、大学のサテライトキャンパスでの授業の前に伊藤と一緒に昼食を取っていた、駅前商店街のハンバーガーショップ。そして。夏の日差しが照りつける窓際を避けて座っている見知った影に、トールの息は止まった。
〈伊藤〉
俯きがちな姿勢で、美味しくなさそうにハンバーガーを貪る友人の幻覚を、ただただ見つめる。向かいの椅子に無造作に置かれている大きめのディパックは、伊藤が高校時代から通学に使っていた物。
〈ちゃんと、授業、出てるんだ〉
安堵の息が、トールの口から漏れる。
トールがサテライトキャンパスで開催される講義を受講した理由は、地元の名士達が地方の問題についてオムニバス形式で話すその講義を受講するよう、伊藤の父に勧められたから。伊藤の方は、自分の父の熱心さに幾分引いていたようにトールの目には見えたが、それでも、……友人が普通に生活していることが、嬉しい。
「大丈夫か、サシャ?」
トールの目の前に現れた小麦色の腕に、我に返る。
「歩けるか?」
「うん」
差し出されたクリスの腕を小さく掴み、殆ど自力で立ち上がったサシャの身体の揺れに、トールはほっと息を吐いた。
と、その時。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~
しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」
病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?!
女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。
そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!?
そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?!
しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。
異世界転生の王道を行く最強無双劇!!!
ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!!
小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!
美少女に転生して料理して生きてくことになりました。
ゆーぞー
ファンタジー
田中真理子32歳、独身、失業中。
飲めないお酒を飲んでぶったおれた。
気がついたらマリアンヌという12歳の美少女になっていた。
その世界は加護を受けた人間しか料理をすることができない世界だった
辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~
雪月 夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。
辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。
しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。
他作品の詳細はこちら:
『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】
『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】
『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる