氷心、揺れて

風城国子智

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理想と、そして

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 どこまでも続く本棚に、ほうと息を吐く。
 エリオが暮らす小さな領土フルギーラにある大学にも、もちろん図書館はある。だが到底ここには及ばない。連れて来てもらって良かった。エリオはもう一度、感嘆の息を吐いた。
 この国の共同統治者、若王リュカが、エリオが仕える少年領主アキが住む砦に現れたのは、五日ほど前のこと。食べることができず、床に伏せっていたアキを、若王リュカは強引にこの王都へと連れて来た。その供を仰せつかったのは、アキの守り役である老齢の騎士サクとアキの第一の従者を自称する年若い騎士シン、そしてエリオ。
 なぜ、自分などが選ばれたのだろう? 主君アキの選択に、当初は後込みした。そしてその疑問は、今も、心の奥底でくすぶっている。確かにエリオはアキの従者の一人で、アキの学友として彼の傍にいる。だが、アキの父や祖父の頃から仕えている戦士階級出身のサクやシンと違い、エリオは、路地裏に捨てられていた、どこの誰とも分からない、者。運良く拾われて孤児院にいたエリオの才を見込んだ前の領主が、息子であるアキの従者にエリオを加えた。ただ、それだけ。首を強く横に振り、エリオは小さく息を吐いた。
 その時。図書館の壁に掛けられた絵の一つに、目を留める。人物ではなく街が描かれた風景画は、珍しい。しかもこの絵、は。
「平行線は交わらない。それが幾何の定理の一つ」
 突然響いた、落ち着いた声に、はっと顔を上げる。絵に気を取られて、近付いてきた人物に気付けなかった。これでは、アキを守る従者失格だ。一緒にこの王都の図書館に来たアキは若王に呼ばれたとかで、今はいない。それでも、常に用心は必要だと、アキの一の従者として腕を振るっているシンは言っていた。
「しかしこの絵では、平行線は交わっている」
 エリオが思考を巡らせている間に、声の主がエリオの横に立つ。失礼にならないよう、エリオは絵から一歩離れ、まだ若く見える横にいた人物に深く頭を下げた。
「遠近を表すには、必要なことだと、言っていた人がおります」
 勇気を振り絞って、声を出す。若王リュカに従う形での戦闘の合間に、フルギーラの地にあるファイラという街の大学で、エリオはアキと共に幾つかの初歩の講義を受けている。講義の合間には、好奇心に満ちた瞳のアキに随行する形で大学近くの工房を巡り、実用的な武具の作成現場のみならず絵や彫刻を作成する場所も見学した。実際の遠近を絵で表す方法を模索していた絵師も、工房の中にはいた。
「そうか、君は、あの街の大学に通っているのか」
 エリオの話の半分で、目の前の男は大きく頷く。肩幅は広いし、背も高いが、着ているものは裾の長い、ゆったりとしたもの。この図書館の関係者だろうか? 失礼にならないように男を見つめ、エリオはその結論を出した。
「昔、膝に矢を受けてしまってから、実際の旅はしておらぬが」
 そのエリオの観察を無視した風に、男は言葉を紡ぐ。
「確かファイラの街は、葡萄酒と毛織物の取引で栄えた街と聞く」
「はい」
「しかし若い頃訪れた時のファイラ周辺は、羊と葡萄畑よりも蕎麦の花のほうが目立つ土地だった」
 男の言葉に、頷く。確かに、フルギーラの特産は、羊の毛を紡ぎ織って作る毛織物と、暖かな斜面に育つ葡萄を絞って作られる葡萄酒。しかしそれだけでは、腹の足しにはならない。毛織物と葡萄酒を売って小麦を買うことはもちろんできるが、戦乱や治安の悪化などでそれがままならなくなることを考えて、フルギーラの領主はライ麦や蕎麦を植えることを奨励したと、これは昔を知る老騎士サクから聞いた。
「古代より、毛織物と葡萄酒がフルギーラの特産だった」
 そのエリオの耳に、男の声が朗々と響く。
「この国が古代の帝国の一部であった時には、フルギーラの毛織物と葡萄酒は帝国の遍く場所で取り引きされていたそうだが、……今では」
「ええ」
 古代にこの地にあった帝国を、再び。それが、若王リュカの野望。王の命を無視する領主達を力で以て下す若王の言動を、アキはともかくエリオはそう、理解していた。痩せたフルギーラの地で得ることのできる物と主食を恒常的に交換することができれば、無理な農耕をしなくて済む。それが理想だが、実際は。アキに従って戦場に赴き、その目と耳で実際に見聞きした悲惨さが、脳裏を過ぎる。エリオと同じ景色を見ていたアキの顔色が、日毎に血色を無くしていく様も。アキを消耗させてまで、理想の為に戦う必要があるのだろうか? その思考に浸っていたエリオは、自分が古代の帝国について話していたことにも、話していた男が誰かに呼ばれて去って行ったことにも気付かなかった。

 その日の、夕方。
 図書館から一人、リュカによってアキに宛がわれた王宮内の宿舎に辿り着いたエリオを待っていたのは、満面の笑みを浮かべたアキ。
「良かったね! エリオ!」
 そのアキが、エリオの両手を握りしめて叫ぶように言う。
「バルドゥル師が、エリオを王都の大学に受け入れても良いって、言ってくれたの!」
 バルドゥル、師? 突然出てきた名前に、首を傾げる。確かその名は、王都にある大学の筆頭教授の名ではなかったか。まだ若いが、古今東西の知識に長けた、恰幅の良い……。そこまで思い出し、エリオははっとした。まさか、昼間図書館で話した、あの男、が?
「エリオを王都に連れて来て、良かった」
 そして。アキが発した言葉が、胸を抉る。そう、王都の大学に受け入れられたということは、……アキと、この優しい主君と、離れてしまうことになるのだ。
「私の代わりに、たくさんの本を読んでほしい」
 アキの言葉に、頷くこともできない。だが。
「私の我が儘かもしれない、けど」
 何も言わないエリオに顔を曇らせたアキを見て、全ての気持ちを心の奥底に押しやる。戦闘は苦手だが、学問なら。アキの小さな肩を掴み、エリオは力強く、頷いた。それでも、懸念は。
「王都で、立派な教授になって、必ずフルギーラに戻ってきます」
 アキの肩を掴む手に、力を込める。
 だから、それまで、……死なないでください。その言葉を、エリオは再び、心の奥底に押し込めた。
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