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第16章 囚われた王女と失われた記憶
第194話 名前
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青白い空の頂点に太陽が到着した頃、セイン王子がエリー王女の私室にやってきた。
「体が元に戻るのを待ってたら遅くなっちゃった。ごめんね」
「いえ。あの、どうぞこちらへ」
瞳を輝かせ、仄かに頬が染まるエリー王女にセイン王子は柔和な笑みを零す。エリー王女に促されたソファーに腰掛け、マーサが用意してくれた紅茶に手を伸ばした。エリー王女が好んで飲んでいるラースティーである。
「この香り……懐かしいな……」
「はい……。レイがいた頃、よく飲んでいた紅茶です。覚えていてくれたのですね。嬉しいです」
「もちろんエリーのことなら何でも覚えているよ」
「実はこの紅茶、レイがいなくなってからは飲むのをやめておりました。レイを思い出してしまうので……。ですが、今日は久しぶりに淹れてもらったのです」
隣に座るエリー王女が紅茶の香りを楽しむように瞳を閉じた。
「そっか……好きだったのに、ごめんね」
「いえ、またこうして……セイン様と飲めるようになりましたので……。私、嬉しいのです」
花開くように笑うエリー王女を見て、セイン王子の心が軋んだ。
いつまでもこの笑顔を守りたい。
渡したくない。
また悲しい思いをさせたくない。
心の奥で焦りが膨らんでいく。
そんな心を隠すように、笑顔を作った。
「そうそう。大事なことを伝えていなかったね。陛下に記憶を戻すことについて許可を得られたよ。それにエリーに関する記憶については既に思い出していることも伝えた」
「あの……、お父様はなんと……?」
エリー王女はすっと笑顔を曇らせる。
「心配しないで。それほど好きでいてくれたのかと、礼と謝罪を述べてくれた……。悪いのは全部俺なんだけどね」
「違います! 悪いのは私。私なんです……。ごめんなさい……私……」
今にも泣きだしそうなエリー王女の頬に触れ、唇で言葉を塞いだ。
「じゃあ、お互い責任を取って二人でこの国を幸せで平和な国に戻さなくっちゃだね。エリー。今は辛い状況にいるかもしれないけど、絶対に信じて待っていて。ね?」
「……はい。勿論です」
笑って見せるとエリー王女にも笑顔が作られ、二人の唇はもう一度重なる。
ラースティーの懐かしい香りに誘われるように、セイン王子はレイでいた頃を思い出していた。自分の心を認めてしまわないように必死に藻掻いていたあの頃。距離を置いたことで、エリー王女を苦しめていたあの頃。喜びも苦しみもエリー王女が中心だったあの頃を……。
「レイ……」
エリー王女の口からレイの名前がこぼれ落ち、セイン王子は驚いた。
「あっ……ご、ごめんなさい。気を付けるようにしておりましたが……その……」
きっとエリー王女もラースティーの香りに誘われたのだろう。慌てふためくエリー王女が可愛くて、愛おしくて抱きしめた。
「……いいよ、その名前で呼んでも……エリー」
「あぁ……レイ……レイ……」
セイン王子の背中に手をまわし、堰を切ったように何度もレイの名前を呼ぶ。
胸の中で泣いているようだった。
レイはエリー王女にとって特別な存在であることは間違いない。
初めて愛した男の名前。
本当はその名前で呼びたかったのかもしれない……。
セイン王子はその名前を呼ばれると複雑な気持ちがした。自分の中のレイが喜んでいる。しかしもう一方で、セインとして見てほしいと嫉妬している自分がいた。レイも自分であることには変わりないのに……。
「エリー……」
抱き付いているエリー王女をそのまま横抱きにし、ゆっくりと歩き出す。寝室の扉を開け、エリー王女をベッドの上へ降ろした。
もっと自分の名前を刻みたい。
レイではなく、セインという名前を。
少し強引にドレスを乱しながら舌を絡ませ合う。
「んんっ……だめ……セイン様……」
弱々しく、肩を押してくるエリー王女の抵抗に、セイン王子の手が止まった。
「……ごめん、俺じゃダメだった?」
「えっ……いえ、ただ……あの……」
エリー王女が拒んだのは初めてだった。
「ごめん、そうだよね。まだ我慢しなくちゃだよね……」
言い淀むエリー王女の答えを待つ余裕はなく、セイン王子は自ら距離を取り自己完結する。
エリー王女を起こし、ドレスを整えてそっと抱き締めた。
「ごめんね……大好きだよ……」
「セイン様、今日は謝ってばかりおられます……」
「そうだね、そうかもしれない……」
「私もずっと……ずっと……セイン様をお慕いしております……」
「うん……」
セイン王子として、レイとして、エリー王女のことを想う。
失われたたった数年の記憶。
それでも、欠けた記憶の存在は大きかった。
記憶を取り戻すこと。
バフォールを倒すこと。
ディーン王子からエリー王女を救うこと。
それが今やるべきことである。
自分の余裕のなさに苛立ち、抱き締める腕に力がこもった。
「体が元に戻るのを待ってたら遅くなっちゃった。ごめんね」
「いえ。あの、どうぞこちらへ」
瞳を輝かせ、仄かに頬が染まるエリー王女にセイン王子は柔和な笑みを零す。エリー王女に促されたソファーに腰掛け、マーサが用意してくれた紅茶に手を伸ばした。エリー王女が好んで飲んでいるラースティーである。
「この香り……懐かしいな……」
「はい……。レイがいた頃、よく飲んでいた紅茶です。覚えていてくれたのですね。嬉しいです」
「もちろんエリーのことなら何でも覚えているよ」
「実はこの紅茶、レイがいなくなってからは飲むのをやめておりました。レイを思い出してしまうので……。ですが、今日は久しぶりに淹れてもらったのです」
隣に座るエリー王女が紅茶の香りを楽しむように瞳を閉じた。
「そっか……好きだったのに、ごめんね」
「いえ、またこうして……セイン様と飲めるようになりましたので……。私、嬉しいのです」
花開くように笑うエリー王女を見て、セイン王子の心が軋んだ。
いつまでもこの笑顔を守りたい。
渡したくない。
また悲しい思いをさせたくない。
心の奥で焦りが膨らんでいく。
そんな心を隠すように、笑顔を作った。
「そうそう。大事なことを伝えていなかったね。陛下に記憶を戻すことについて許可を得られたよ。それにエリーに関する記憶については既に思い出していることも伝えた」
「あの……、お父様はなんと……?」
エリー王女はすっと笑顔を曇らせる。
「心配しないで。それほど好きでいてくれたのかと、礼と謝罪を述べてくれた……。悪いのは全部俺なんだけどね」
「違います! 悪いのは私。私なんです……。ごめんなさい……私……」
今にも泣きだしそうなエリー王女の頬に触れ、唇で言葉を塞いだ。
「じゃあ、お互い責任を取って二人でこの国を幸せで平和な国に戻さなくっちゃだね。エリー。今は辛い状況にいるかもしれないけど、絶対に信じて待っていて。ね?」
「……はい。勿論です」
笑って見せるとエリー王女にも笑顔が作られ、二人の唇はもう一度重なる。
ラースティーの懐かしい香りに誘われるように、セイン王子はレイでいた頃を思い出していた。自分の心を認めてしまわないように必死に藻掻いていたあの頃。距離を置いたことで、エリー王女を苦しめていたあの頃。喜びも苦しみもエリー王女が中心だったあの頃を……。
「レイ……」
エリー王女の口からレイの名前がこぼれ落ち、セイン王子は驚いた。
「あっ……ご、ごめんなさい。気を付けるようにしておりましたが……その……」
きっとエリー王女もラースティーの香りに誘われたのだろう。慌てふためくエリー王女が可愛くて、愛おしくて抱きしめた。
「……いいよ、その名前で呼んでも……エリー」
「あぁ……レイ……レイ……」
セイン王子の背中に手をまわし、堰を切ったように何度もレイの名前を呼ぶ。
胸の中で泣いているようだった。
レイはエリー王女にとって特別な存在であることは間違いない。
初めて愛した男の名前。
本当はその名前で呼びたかったのかもしれない……。
セイン王子はその名前を呼ばれると複雑な気持ちがした。自分の中のレイが喜んでいる。しかしもう一方で、セインとして見てほしいと嫉妬している自分がいた。レイも自分であることには変わりないのに……。
「エリー……」
抱き付いているエリー王女をそのまま横抱きにし、ゆっくりと歩き出す。寝室の扉を開け、エリー王女をベッドの上へ降ろした。
もっと自分の名前を刻みたい。
レイではなく、セインという名前を。
少し強引にドレスを乱しながら舌を絡ませ合う。
「んんっ……だめ……セイン様……」
弱々しく、肩を押してくるエリー王女の抵抗に、セイン王子の手が止まった。
「……ごめん、俺じゃダメだった?」
「えっ……いえ、ただ……あの……」
エリー王女が拒んだのは初めてだった。
「ごめん、そうだよね。まだ我慢しなくちゃだよね……」
言い淀むエリー王女の答えを待つ余裕はなく、セイン王子は自ら距離を取り自己完結する。
エリー王女を起こし、ドレスを整えてそっと抱き締めた。
「ごめんね……大好きだよ……」
「セイン様、今日は謝ってばかりおられます……」
「そうだね、そうかもしれない……」
「私もずっと……ずっと……セイン様をお慕いしております……」
「うん……」
セイン王子として、レイとして、エリー王女のことを想う。
失われたたった数年の記憶。
それでも、欠けた記憶の存在は大きかった。
記憶を取り戻すこと。
バフォールを倒すこと。
ディーン王子からエリー王女を救うこと。
それが今やるべきことである。
自分の余裕のなさに苛立ち、抱き締める腕に力がこもった。
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