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第16章 囚われた王女と失われた記憶
第190話 苦難と失う恐怖
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「では、私に口づけをしてそれを証明していただけますか?」
「え……あの……」
「妻となるのです。構わないでしょう?」
エリー王女が自分で決めた道ではあったが、簡単に心を切り替えられるわけではない。心にセイン王子を残したまま、口づけをすることなど出来なかった。
「そ、それは……まだ……。あの……そのようなことは婚儀を行ってからだと思うのですが……。そういうものではないのですか……?」
「そうですか。なんと慎ましやかなことか。そういう恥じらう姿もまたいい……。では、婚儀は一ヶ月後に行います。その時にじっくりとあなたの愛を示して頂きましょう」
ディーン王子は指の背でエリー王女の唇を辿り、そのまま胸の脇を辿る。恍惚とした表情から、それは卑猥な意味も含まれていることだとわかる。身の毛もよだつほど体が拒否をしていたが、ディーン王子を逆なでしないよう、平然を装った。
「はい……わかりました……」
自分さえ我慢すれば……。
それが正しい選択ではないかもしれない。だけど、国も父も……セイン様も、今は悪魔の手の中にある。誰も傷ついてほしくない……。
そう思いながらも、助けてほしいと泣き叫んでいる自分も感じていた。
「あ、あの……ディーン様。父や側近等を解き放っては頂けないでしょうか?」
「ああ、そうですね。ですが、今はまだ出来ませんよ。分かるでしょう? 陛下には部屋に籠もってもらいますが操ることはしません。ただ、三人はこのまま私の役に立ってもらいます。ですが悪くないでしょう? エリーには普段どおり過ごして欲しいですからね?」
「……ありが……とうございます……」
笑顔の奥で威圧的なものを感じ、エリー王女は声を絞り出す。
「ああ、そうだ。ソルブが皆を見張っていることだけは忘れないでください」
ディーン王子がエリー王女の頭を引き寄せ、耳元で囁いた。
◇
エリー王女がディーン王子のもとに行っている間、階下にいるシトラル国王は己の愚かさを悔やんでいた。
―― 人を許し、柔軟な心で見れる者には苦難を乗り越えられる ――
これはアトラス王国で代々引き継がれてきた教えの一つである。逆を言えば、人を許すことが出来ず、柔軟な心で見なければ苦難は乗り越えれない。または……苦難が訪れるのだと意味していた。
シトラル国王がセイン王子を許さなかったことで、ローンズ王国との確執が生まれた。その確執を利用されたのだ。何も見えてはいなかった。いや、見えなくなっていたのだ。そして、信用してはならない者を信用してしまった。その結果、民や配下、そして大切な娘までをも危険に晒している。
今更気づいても遅い……。
近隣の国を全て敵に回し、悪魔がこの国を収めてしまった。手も足も出ない状況である。不甲斐ない自分に絶望と共に気力を失い、うな垂れた。
「シトラル陛下。エリーから結婚の意志を頂きました。明朝、この件について布告を出すようお願い致します」
「……エリー……すまない……」
シトラル国王の口から小さく声が溢れた。
◇
「エリー様、大変お似合いです!」
そう言ったのは婚儀で着用するためのドレスを仕立てた男だった。
あれから一週間が経ち、婚儀の準備でエリー王女は忙しい毎日を過ごしていた。今日は仮縫いが出来たとのことで、フィッティングを行っている。
確かに素晴らしいドレスではあったが、これほど胸が沈んでいくドレスは今までになかった。しかし、男にもドレスにも悪意はない。だからエリー王女は無理して微笑んでみせた。
「ありがとう。とても素敵なドレスです」
男は満足そうにドレスを持って部屋を出て行く。部屋にはマーサだけが残り、エリー王女を見つめていた。こんな婚姻は嫌だとマーサに泣きつきたいのを必死で堪えているため、エリー王女はマーサの目を見ない。マーサもそれが分かっているからか、この件に関しては何も触れないようにしているようだった。
外からの日差しは明るいものの、部屋の中はずっしりと暗く重い。
そこに扉を叩く鈍い音が聞こえてきた。マーサが扉を開けると、アランが立っている。
「入っても宜しいでしょうか?」
「エリー様、アラン様です。では、私はこれで……」
マーサがエリー王女に確認してからアランを中に招き入れ、マーサは部屋から出て行った。エリー王女は窓の外を眺めており、アランの方へは振り向かなかった。
「エリー、セインが目覚めたそうだ」
「セイン様がっ……そう……ですか……。それは良かったです……。きっと、現状も耳にしたでしょうね……」
絞り出すようにエリー王女は応えた。セイン王子に会わせる顔はない。彼を想うだけで胸が張り裂けそうだった。
「今、ローンズと共にあの二人の――」
「もう良いのです……。これ以上争わないよう伝えてください。ローンズとは今まで通り同盟を組んでいただくだけで良いと……」
エリー王女の震える声が聞こえてくる。
「エリーは何をそんなに弱気になっているんだ。あのような者達に国を渡すなど本気で考えているのか? リアム陛下も協力してくださると……」
アランはゆっくりとエリー王女に近付き、後ろに立つ。窓に映るエリー王女を見据えるとパッと目を反らされた。
「アラン……私はもう誰も傷付いて欲しくないのです。特にセイン様には……。もう……あのような思いはしたくありません……。私は……民や国のためと言いながら……」
振り返りアランを見つめた。
「自分のことしか考えていないのです。とにかくセイン様が無事でいられることが私の優先事項。戦うことは望んでおりません」
目に沢山の涙を浮かべ訴えてくるその姿に思わずエリー王女を抱きしめた。
「何故いつもそうやって自己完結するんだ。何故もっと俺を頼ってくれない。全て一人で抱え込むな。レイは……いや、セインはエリーを必ず助けに来る。だから希望を捨てるな」
「ですから……助けに来て欲しくないのです! 私はセイン様を失いたくはありません!」
アランの胸の中で泣きながら何度も小さく胸を叩くエリー王女。それでもアランは離さなかった。
「分かっている……分かっているから……。俺だってあんな思いは二度とごめんだ。だが、このままあんなやつと結婚したらあいつはどうなる? あいつの気持ちも考えてやれ」
セイン王子の気持ちは勿論考えた。しかし、それよりも失う方が怖かった。だからこそ自分のことしか考えていないのだとアランに伝えたかったが、もう言葉にならなかった。
とにかく泣いて泣いて泣き崩れた。
「え……あの……」
「妻となるのです。構わないでしょう?」
エリー王女が自分で決めた道ではあったが、簡単に心を切り替えられるわけではない。心にセイン王子を残したまま、口づけをすることなど出来なかった。
「そ、それは……まだ……。あの……そのようなことは婚儀を行ってからだと思うのですが……。そういうものではないのですか……?」
「そうですか。なんと慎ましやかなことか。そういう恥じらう姿もまたいい……。では、婚儀は一ヶ月後に行います。その時にじっくりとあなたの愛を示して頂きましょう」
ディーン王子は指の背でエリー王女の唇を辿り、そのまま胸の脇を辿る。恍惚とした表情から、それは卑猥な意味も含まれていることだとわかる。身の毛もよだつほど体が拒否をしていたが、ディーン王子を逆なでしないよう、平然を装った。
「はい……わかりました……」
自分さえ我慢すれば……。
それが正しい選択ではないかもしれない。だけど、国も父も……セイン様も、今は悪魔の手の中にある。誰も傷ついてほしくない……。
そう思いながらも、助けてほしいと泣き叫んでいる自分も感じていた。
「あ、あの……ディーン様。父や側近等を解き放っては頂けないでしょうか?」
「ああ、そうですね。ですが、今はまだ出来ませんよ。分かるでしょう? 陛下には部屋に籠もってもらいますが操ることはしません。ただ、三人はこのまま私の役に立ってもらいます。ですが悪くないでしょう? エリーには普段どおり過ごして欲しいですからね?」
「……ありが……とうございます……」
笑顔の奥で威圧的なものを感じ、エリー王女は声を絞り出す。
「ああ、そうだ。ソルブが皆を見張っていることだけは忘れないでください」
ディーン王子がエリー王女の頭を引き寄せ、耳元で囁いた。
◇
エリー王女がディーン王子のもとに行っている間、階下にいるシトラル国王は己の愚かさを悔やんでいた。
―― 人を許し、柔軟な心で見れる者には苦難を乗り越えられる ――
これはアトラス王国で代々引き継がれてきた教えの一つである。逆を言えば、人を許すことが出来ず、柔軟な心で見なければ苦難は乗り越えれない。または……苦難が訪れるのだと意味していた。
シトラル国王がセイン王子を許さなかったことで、ローンズ王国との確執が生まれた。その確執を利用されたのだ。何も見えてはいなかった。いや、見えなくなっていたのだ。そして、信用してはならない者を信用してしまった。その結果、民や配下、そして大切な娘までをも危険に晒している。
今更気づいても遅い……。
近隣の国を全て敵に回し、悪魔がこの国を収めてしまった。手も足も出ない状況である。不甲斐ない自分に絶望と共に気力を失い、うな垂れた。
「シトラル陛下。エリーから結婚の意志を頂きました。明朝、この件について布告を出すようお願い致します」
「……エリー……すまない……」
シトラル国王の口から小さく声が溢れた。
◇
「エリー様、大変お似合いです!」
そう言ったのは婚儀で着用するためのドレスを仕立てた男だった。
あれから一週間が経ち、婚儀の準備でエリー王女は忙しい毎日を過ごしていた。今日は仮縫いが出来たとのことで、フィッティングを行っている。
確かに素晴らしいドレスではあったが、これほど胸が沈んでいくドレスは今までになかった。しかし、男にもドレスにも悪意はない。だからエリー王女は無理して微笑んでみせた。
「ありがとう。とても素敵なドレスです」
男は満足そうにドレスを持って部屋を出て行く。部屋にはマーサだけが残り、エリー王女を見つめていた。こんな婚姻は嫌だとマーサに泣きつきたいのを必死で堪えているため、エリー王女はマーサの目を見ない。マーサもそれが分かっているからか、この件に関しては何も触れないようにしているようだった。
外からの日差しは明るいものの、部屋の中はずっしりと暗く重い。
そこに扉を叩く鈍い音が聞こえてきた。マーサが扉を開けると、アランが立っている。
「入っても宜しいでしょうか?」
「エリー様、アラン様です。では、私はこれで……」
マーサがエリー王女に確認してからアランを中に招き入れ、マーサは部屋から出て行った。エリー王女は窓の外を眺めており、アランの方へは振り向かなかった。
「エリー、セインが目覚めたそうだ」
「セイン様がっ……そう……ですか……。それは良かったです……。きっと、現状も耳にしたでしょうね……」
絞り出すようにエリー王女は応えた。セイン王子に会わせる顔はない。彼を想うだけで胸が張り裂けそうだった。
「今、ローンズと共にあの二人の――」
「もう良いのです……。これ以上争わないよう伝えてください。ローンズとは今まで通り同盟を組んでいただくだけで良いと……」
エリー王女の震える声が聞こえてくる。
「エリーは何をそんなに弱気になっているんだ。あのような者達に国を渡すなど本気で考えているのか? リアム陛下も協力してくださると……」
アランはゆっくりとエリー王女に近付き、後ろに立つ。窓に映るエリー王女を見据えるとパッと目を反らされた。
「アラン……私はもう誰も傷付いて欲しくないのです。特にセイン様には……。もう……あのような思いはしたくありません……。私は……民や国のためと言いながら……」
振り返りアランを見つめた。
「自分のことしか考えていないのです。とにかくセイン様が無事でいられることが私の優先事項。戦うことは望んでおりません」
目に沢山の涙を浮かべ訴えてくるその姿に思わずエリー王女を抱きしめた。
「何故いつもそうやって自己完結するんだ。何故もっと俺を頼ってくれない。全て一人で抱え込むな。レイは……いや、セインはエリーを必ず助けに来る。だから希望を捨てるな」
「ですから……助けに来て欲しくないのです! 私はセイン様を失いたくはありません!」
アランの胸の中で泣きながら何度も小さく胸を叩くエリー王女。それでもアランは離さなかった。
「分かっている……分かっているから……。俺だってあんな思いは二度とごめんだ。だが、このままあんなやつと結婚したらあいつはどうなる? あいつの気持ちも考えてやれ」
セイン王子の気持ちは勿論考えた。しかし、それよりも失う方が怖かった。だからこそ自分のことしか考えていないのだとアランに伝えたかったが、もう言葉にならなかった。
とにかく泣いて泣いて泣き崩れた。
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