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第09章 責務
第113話 笑顔
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エリー王女は、馬車の中から意識なくぼんやりと外に視線を置く。
アトラスの城下町は寒さなどものともせず活気づいていた。街の人たちの笑顔は、エリー王女にとって薄い幕の向こう側にあるように見える。
音も色も何もかもぼやけていた。
セロードとアランが何の目的で外に連れ出したのか興味はない。ただ、このまま遠くへ行けば消えることが出来るような気がしたのだ。
次々と景色が移り変わり、見覚えのある旧市街で止まった。
灰色の石畳で出来た道に、二階建ての建物がずらりと並んでいる。その景色に胸がきゅっと傷んだ。
「エリー様、着きました」
アランに馬車の外から手を取られ、外へと引っ張り出された。冷たい風が肌を刺激する。
行き交う人々の笑い声と遠くから聞こえる音楽。
何処かから香る様々な匂いに目眩がした。
以前来た時は暑い真夏だった。
以前来た時は胸が踊っていた。
以前来た時はレイがいた……。
じわりと涙が滲んだとき、町の人が三人に気がついた。
「あ、もしかしてアランさん? お久しぶりです!」
「お姉ちゃん!」
一緒にパンを作った女の子とその母親だった。そして、その声に町行く人達が注目し始める。
「あら~、相変わらずいい男だね~」
「アラン様~! 私、結婚式で一緒に踊ったの覚えてます?」
「エリーちゃ~ん。会いたかったよ~!」
次から次へと集まってくる人々は、以前来た時と同じように笑顔で迎えてくれた。
その笑顔が眩しすぎて、エリー王女はぎゅっとアランの腕を掴み俯いた。
「すみません。今日はこの街の老朽化が進んでいると聞き、仕事として見に来ました。どなたかお一人、危険だと思うような所を案内していただきたいのですが」
アランが声を張り上げ、集まってきた人々を見渡すと、一人の男が勢いよく手を上げた。
「俺が案内します!」
人を掻き分けて出てきたのはロンだった。
「この前はお世話になりました。お陰で最高の結婚式になりました! 是非、俺に案内させてください」
ロンはアランとエリー王女と順番に握手を交わすと、セロードを見上げる。
「初めまして、ロンです」
「セロードです。ご協力ありがとうございます」
◇
ロンは、各所を案内してくれた。公園、噴水、学校、店や家……。
柱はぐらつき、外壁は剥がれ落ちている。石畳の石も所々抜けており、躓くこともしばしばあるのだという。
しかし、伝統的な建築方法で作られた町並みは、趣のある美しさがあった。
「ここにレイとよく飲みに来て、皆で騒いでいたんですよ」
案内をしながら、ロンは必ずレイの話も交えた。
「レイはここのおじさんとおばさんの仲を取り持ったんです」
「このお店はレイのお陰で大繁盛したんですよ」
レイとの思い出話を聞くにつれ、エリー王女の心が少しずつ町に向く。すぐ近くにレイがいるような気がして、レイの姿を探し、想像した。
「あはは。見てください。ここはレイが直してくれたんですよ!」
ロンが指差したのは、教会の礼拝堂にある柱。指し示す先を見ると補強材が柱に打ち付けてあり、かなり不格好な柱があった。
「ひどいな……」
アランは顔をしかめるも少し笑ってしまった。あまりにもレイらしく、どんな風にして修理をしていたのか安易に想像ができたからだ。
エリー王女もまた、その柱を見上げる。
「ですよね。ははは。でも、これで完成だ! って言った時の皆の笑い声が今でも忘れられないよ」
懐かしむように柱を眺めるロンの目に涙が浮かぶ。
それでもロンは笑っていた。
「あいつ……本当に死んだなんて信じられないな。今でもひょっこり顔を出して、笑っていそうだもん」
死……。
そう、レイは死んだ……。
現実に引き戻されたエリー王女は目から涙がぽろぽろと溢れてきた。
レイはもういない。
自分に笑いかけてはくれないのだ。
「エリーちゃん……」
泣いたことに気がついたロンが、エリー王女の側に寄る。
「……もしかして痩せたのは悲しくて?」
ロンの問いには答えられず、エリー王女は両手で顔を覆った。
「そっか。だとしたら、それは間違っているよ。エリーちゃん、レイから貰った一番大切なものって何だと思う?」
大切なもの……。
エリー王女は沢山貰いすぎて何が一番なのか決められず首を小さく横に振った。
「あのね。え、が、お。笑顔だよ」
ロンは、満面の笑みを浮かべる。
「あいつは誰にでも笑顔をくれていなかった? この地区に住む人は全員貰ったよ。だから、今でも貰ったものを大切にしている。エリーちゃんもレイから笑顔を貰ったよね?」
レイはいつでも笑顔をくれた。
レイがいたから笑顔になれた。
だけど、今はそのレイはいない……。
「貰った大切なものをエリーちゃんが捨てたらレイは悲しがると思うんだ。あいつは誰よりも人の笑顔が好きだったから」
レイの好きなもの……。
町の人達は今でも同じ笑顔を持ち続けていた。
随所にあった町の思い出の中にはレイがいる。
人と人を繋ぐ。
笑顔で笑顔を呼ぶ。
ここには、レイの想いが溢れている。
――――エリー、笑って?
レイにそう言われた気がした。
エリー王女はレイが直した不格好な柱を見上げ、そっと抱き締めた。瞳を閉じ、レイの笑顔を思い出す。
「はい……」
エリー王女は小さく返事をすると少しだけ口許を上げた。
アトラスの城下町は寒さなどものともせず活気づいていた。街の人たちの笑顔は、エリー王女にとって薄い幕の向こう側にあるように見える。
音も色も何もかもぼやけていた。
セロードとアランが何の目的で外に連れ出したのか興味はない。ただ、このまま遠くへ行けば消えることが出来るような気がしたのだ。
次々と景色が移り変わり、見覚えのある旧市街で止まった。
灰色の石畳で出来た道に、二階建ての建物がずらりと並んでいる。その景色に胸がきゅっと傷んだ。
「エリー様、着きました」
アランに馬車の外から手を取られ、外へと引っ張り出された。冷たい風が肌を刺激する。
行き交う人々の笑い声と遠くから聞こえる音楽。
何処かから香る様々な匂いに目眩がした。
以前来た時は暑い真夏だった。
以前来た時は胸が踊っていた。
以前来た時はレイがいた……。
じわりと涙が滲んだとき、町の人が三人に気がついた。
「あ、もしかしてアランさん? お久しぶりです!」
「お姉ちゃん!」
一緒にパンを作った女の子とその母親だった。そして、その声に町行く人達が注目し始める。
「あら~、相変わらずいい男だね~」
「アラン様~! 私、結婚式で一緒に踊ったの覚えてます?」
「エリーちゃ~ん。会いたかったよ~!」
次から次へと集まってくる人々は、以前来た時と同じように笑顔で迎えてくれた。
その笑顔が眩しすぎて、エリー王女はぎゅっとアランの腕を掴み俯いた。
「すみません。今日はこの街の老朽化が進んでいると聞き、仕事として見に来ました。どなたかお一人、危険だと思うような所を案内していただきたいのですが」
アランが声を張り上げ、集まってきた人々を見渡すと、一人の男が勢いよく手を上げた。
「俺が案内します!」
人を掻き分けて出てきたのはロンだった。
「この前はお世話になりました。お陰で最高の結婚式になりました! 是非、俺に案内させてください」
ロンはアランとエリー王女と順番に握手を交わすと、セロードを見上げる。
「初めまして、ロンです」
「セロードです。ご協力ありがとうございます」
◇
ロンは、各所を案内してくれた。公園、噴水、学校、店や家……。
柱はぐらつき、外壁は剥がれ落ちている。石畳の石も所々抜けており、躓くこともしばしばあるのだという。
しかし、伝統的な建築方法で作られた町並みは、趣のある美しさがあった。
「ここにレイとよく飲みに来て、皆で騒いでいたんですよ」
案内をしながら、ロンは必ずレイの話も交えた。
「レイはここのおじさんとおばさんの仲を取り持ったんです」
「このお店はレイのお陰で大繁盛したんですよ」
レイとの思い出話を聞くにつれ、エリー王女の心が少しずつ町に向く。すぐ近くにレイがいるような気がして、レイの姿を探し、想像した。
「あはは。見てください。ここはレイが直してくれたんですよ!」
ロンが指差したのは、教会の礼拝堂にある柱。指し示す先を見ると補強材が柱に打ち付けてあり、かなり不格好な柱があった。
「ひどいな……」
アランは顔をしかめるも少し笑ってしまった。あまりにもレイらしく、どんな風にして修理をしていたのか安易に想像ができたからだ。
エリー王女もまた、その柱を見上げる。
「ですよね。ははは。でも、これで完成だ! って言った時の皆の笑い声が今でも忘れられないよ」
懐かしむように柱を眺めるロンの目に涙が浮かぶ。
それでもロンは笑っていた。
「あいつ……本当に死んだなんて信じられないな。今でもひょっこり顔を出して、笑っていそうだもん」
死……。
そう、レイは死んだ……。
現実に引き戻されたエリー王女は目から涙がぽろぽろと溢れてきた。
レイはもういない。
自分に笑いかけてはくれないのだ。
「エリーちゃん……」
泣いたことに気がついたロンが、エリー王女の側に寄る。
「……もしかして痩せたのは悲しくて?」
ロンの問いには答えられず、エリー王女は両手で顔を覆った。
「そっか。だとしたら、それは間違っているよ。エリーちゃん、レイから貰った一番大切なものって何だと思う?」
大切なもの……。
エリー王女は沢山貰いすぎて何が一番なのか決められず首を小さく横に振った。
「あのね。え、が、お。笑顔だよ」
ロンは、満面の笑みを浮かべる。
「あいつは誰にでも笑顔をくれていなかった? この地区に住む人は全員貰ったよ。だから、今でも貰ったものを大切にしている。エリーちゃんもレイから笑顔を貰ったよね?」
レイはいつでも笑顔をくれた。
レイがいたから笑顔になれた。
だけど、今はそのレイはいない……。
「貰った大切なものをエリーちゃんが捨てたらレイは悲しがると思うんだ。あいつは誰よりも人の笑顔が好きだったから」
レイの好きなもの……。
町の人達は今でも同じ笑顔を持ち続けていた。
随所にあった町の思い出の中にはレイがいる。
人と人を繋ぐ。
笑顔で笑顔を呼ぶ。
ここには、レイの想いが溢れている。
――――エリー、笑って?
レイにそう言われた気がした。
エリー王女はレイが直した不格好な柱を見上げ、そっと抱き締めた。瞳を閉じ、レイの笑顔を思い出す。
「はい……」
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