俺の彼女は俺なんだ

halsan

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俺の彼女は俺なんだ

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「きゃー!」
「すいません!」

 突然の悲鳴に驚いた俺は反射的に慌ててトイレの扉を閉じた。
 俺の部屋のトイレの扉を。
 
 トイレの扉を開けたら、そこに俺がいた。

 わけわかんねえ。
 とりあえず、すっかりモノがなくなった部屋のフローリングにあぐらをかいてみる。
 ここは狭いアパートの一室だ。
 モノがなにもないこともあって、トイレで水を流す音は駄々漏れで響き渡る。

 じゃー。

 しばらくしてから、ゆっくりとトイレの扉が開き、こちらの様子をうかがうように俺? がドアから顔を覗かせた。
 続けて引きつるトイレから顔を出している俺の表情。
 一方の俺は状況が理解できないであぐらをかいている。

 トイレからこちらを伺っている奴は俺だよな?
 じゃあここであぐらをかいている俺は誰なんだ?
 
「ねえ、あなた誰?」
 トイレの俺が、震えるような声で俺に話しかけてきた。
 でも、そう言われても困る、俺は俺だから。

「俺は東郷ヒカルだ。それよりお前こそ誰だ?」
 なんだよその顔は、鳩が豆鉄砲どころじゃねえぞ。
 いいかもう一度聞く。
「お前は誰だ?」
「私? 私は……、東郷ひかるだけど……」

 トイレから顔を出しながら怯えている俺は、女だった。
 
 これは夢か?
 夢だとしたら神様もひどい夢を最後に見せやがる。

 たしかに俺は彼女いない歴と年齢が同じだ。
 だけど、そもそも彼女を欲しいと思ったことも殆ど無い。
 少なくとも、これまでに特定の女を好きになることはなかった。

 そんな俺の前に、最後の最後で女になった俺を立たせるのか。
 夢じゃなければ俺が狂ったということだな。
 どっちにしろ、ろくなもんじゃない。
 
 まあいいか、夢なら夢と認識しておけばいい。
 俺は最後の手仕舞いを続けるだけだ。

「おい、トイレの俺。俺はこれから出かけるから、お前もこの部屋から出て行けよ。この部屋の契約は今日までだからな」
 なんだよ、その驚いたような表情は?
 何でこの部屋の解約日が今日だと知っているんだって?
 当たり前だろ、ここは俺の部屋なんだから。
 
 再びトイレの俺と目があった。

 何だこの感情は。

 無性にあいつに対し興味が湧いてきた。
 どのみちこのままじゃ埒が明かねえな。

「おい、ひかるとやらを名乗る俺、どうせ俺はすぐにいなくなるから、ちょっとこっちに来てみろ」
 ん? やけに素直にこっちに来たな。
 俺が怖くないのか?
 って、お前、Tシャツにジーンズって、何で服装まで俺と同じなんだ? 

 ん? お前は誰だって?
 そんなの俺がお前に聞きたいよ。
 ところで何でお前は女なんだ?
 え? それより何で俺が男なんだって? 何言ってんだお前?
 
 どうも話が噛み合わない。
 互いに同じ疑問を持っているんだが、互いにそれの回答を持っていない。
 どうもこいつは自分自身が俺だと認識しているようだし、だけれども俺が俺なのは間違いないし。

 互いに夢じゃないかとの結論に達し、それぞれの頬をつねったが、返ってくるのは痛みだけ。
 目の前の俺は変わらず俺の目の前でぺたりと女の子座りをしている。

 そう、俺とこいつの違いは、性別と仕草だけ。
 
 まあいいか、最後に面白いもんを見せてもらった。

「おいひかるとやら、俺はこれから出かけるぞ」
 なに? お前も出かけるつもりだったって?
 そりゃちょうどいい。

「最後の最後まで誰かに迷惑は掛けたくない。なら一緒にこの部屋から出ようか」
 俺の提案に、こいつも頷いたんだ。
 俺は不動産屋との約束通り、最後に部屋のフローリングを乾拭きし、玄関に鍵をかけると、ポストにその鍵を入れたんだ。
 不思議だったのは、当然のようにこいつも床を乾拭きして、ポストに鍵を入れようとしたことなんだけどな。
 ただし、こいつは鍵を持っていなかったけれど。
 
 ふん。

 相変わらず灰色に染まった街だ。
 何の面白みもありゃしない。
 へえ、お前もそう思うんだ。
 ああ、つまらない街だよな。

 ん? カフェに寄っていかないかって?
 そうだな、あそこはこの世界で数少ない俺の居場所だったな。
 お前もあの店を知っているんだ。

「エスプレッソマキアートのソロをくれ」

 ん? 何を慌てているんだ? え、財布がないって?
 仕方がねえな、俺が立替えてやる。
 で、お前は何にするんだ? ああ、わかった。

「姉さん、マキアートをもう一つ追加だ」

 普段は一人で座るカウンター。
 今日は向かいに女の俺がいるトールテーブル。

 こうして眺めると、たしかに顔は俺だが、細かいところは色々と違うようだ。
 こいつもそう思っているらしく、遠慮無く俺の姿をじろじろと見つめ返してくる。

 再び俺は目の前の女に尋ねてみた。
「なあ、お前は何者なんだ?」
 結果は、そっちこそ何者なのよって返事が返ってきただけ。
 何となくこいつのことを詮索するのもバカらしくなってきた。

「お客様、お待たせいたしました」
 ああいいよ、俺が取ってくるよ。
 俺はいそいそとマキアートを取りに行こうとしたこいつを制し、二人分の飲み物をテーブルに運んだんだ。
 
 不思議なもんだな。
 座る席が違うだけで、目に映る店の光景が全く異なるものになる。

 カフェインと糖分を摂るためだけにいつの間にか毎日の定番となっていた手元のカップも、今日は苦味と甘味をずいぶんと感じる。
 多分それは目の前の俺のせい。
 表情は俺なのに、それ以外は俺じゃない、目の前のこいつのせいだろう。
 
「そういえば、お前はどこに行くつもりなんだ?」
 そこで目をそらすか。

 でも同じ問いを返されても、俺も答えられないよな。
 これはすまなかった。

「なあ、俺は目的地に出向く前に、繁華街で最後の着替えをしようと思っているんだ。よかったらお前も来るか?」
 へえ、お前も同じことを考えていたのか。
 でも財布がないって?
 大丈夫だよ、俺は今日のために全財産を現金にしてあるからな。
 お前の服くらいなんとかなるよ。
 そんな表情で笑うなよ、俺まで嬉しくなっちゃうじゃないか。
 
 次に俺たちが訪れたのは繁華街のファッションモール。
 これまで俺は服装には余り興味はなかった。
 しかし一度だけやってみたかったことがある。
 だからまずは女の俺が買いものを済ませるのに付き合うことにした。

「まずはお前の服を選ぶとしようか」
 ん? 何をもじもじしているんだ?
 え? あ、ああ、いいぞ。
 というか、お前もそんなことを考えていたんだな。
 それじゃこの店でいいか?
 そうか、お前の好み通りの店か、俺も実は好みなんだよ。
 
 俺は男性店員と女性店員に声を掛けた。
 まずは男性店員に来てもらう。
「予算十万円で、こいつの頭の先から足の先までコーディネイトしてくれ。下着もな」
 次に女性店員も頼む。
「同じく予算十万円で、俺の頭の先から足の先までコーディネイトしてくれ。当然下着もだ」

「お客様のお好みは?」
「街着以外はノーヒント。但し派手なのとフォーマルなのは困る」
「わかりました」

 店員は二人共、俺たちに試されているというのがわかったのだろう。
 男性店員と女性店員は、店内をせわしなく動き始めた。
 この店は一品一万円以下の店だから、これだけの予算があれば、それなりのものは用意するだろう。
 
 ん? 楽しそうだな。
 なになに、こういうのを一度はやってみたかったけれど、なかなか勇気が出なかったって?
 そうだな、言われてみれば確かにそうだ。
 俺もお前がいなければこんなオーダーを試すまでには踏み切れなかったかもしれない。
 お前の微笑みに、俺の口元が釣られているのがわかっちまう。
 
 小一時間ほども待っただろうか。
「お客様、お待たせいたしました」
 男性店員と女性店員がそれぞれの衣装一式を用意してくれた。

「こちらにどうぞ」
 俺たちは店員たちが用意してくれた衣装を試着室で身に纏ったんだ。
 まずは俺の着替えが終了し、試着室の前で、もう一人の俺が出てくるのを待つ。

 その後あいつはすぐに出てきた。
 へえ。
 俺の目の前には、弾けるような笑みを浮かべた、俺の顔を持った可愛らしい娘が、可愛らしい衣装をまとって立っていた。
 
「ありがとうございます。ところでお二人は双子さまですか?」
 店員たちもさすがに瓜二つの俺たちに興味がわいたらしい。
「まあそんなもんだ」
 男性店員の問いに俺が答えている間、あいつは女性店員の問いに答えていた。
 多分俺と同じ回答で。
 
 俺とこいつは、生まれ変わったような衣装をまとい、通りを歩いていく。
 ごく自然に俺とこいつは手をつないでいた。
 他のカップルが当然のようにしているように。
 俺にとっては初めての経験だった。
 だけど、なぜかパニックにはならなかった。

 ただただ穏やかに、こいつの手の温もりに安らいだ。
 
「それじゃ俺は駅に行く」
 俺の言葉と同時にこいつは俺に尋ねた。
 ねえ、あなたはどこに行くの?と。
 そしてこいつはすぐに首を振り、こんなの私から言わなきゃ失礼よねと言い直した。
 この辺の思考も俺とそっくりだ。
 ひかるは俺に言った。

「私、樹海に行きたいの」

 それは、俺の目的地と同じだった。
 
 そう、俺は今日死ぬつもりだった。
 生まれてから今日まで、生きていて良いことなど一つもなかった。
 せいぜい、悪いことを比較して相対的にマシだったとかそんなところだけ。
 それでも社会が俺に押し付ける常識に従い、俺は学校で学び、就職した。
 だけどそこにも何もなかった。
 労働の対価にわずかな円を手にするだけ。
 手にする円の使い道もわからず、細々と貯金していくだけ。

 ある日俺は気づいた。
 こんな人生は植物以下だと。
 俺は光合成すら出来やしないクズだと。
 だから決めた。
 せめて植物の血肉になってやろうと。
 
 財布の中にはそれなりの札束を入れてある。
 これは万一、樹海で死体を発見されてしまった時に、地元の方々に埋葬料として使ってもらうためだ。
 
「そうか、お前も樹海に行きたいのか。わかった」
 俺は二人分の切符を買った。
 
 電車の中で俺達は古びたボックス席に向かい合って座った。
 目の前の女をまじまじと見つめてくる。

 やはり顔は俺だ。
 でも、どこからどう見ても可愛らしい女性だ。

 こいつを見つめているとつい頬が緩む。
 そんな俺にこいつは微笑みをかえす。
 その笑みに俺は魅了される。

「なあ、お前は何で樹海に行きたいんだ?」
「それはね」

 俺は驚いた。
 こいつが樹海に向かう理由が、まさしく俺と同じだったから。
 さらに俺は理解した。
 こいつは俺と同じ。相手の反応を見てから語るのをよしとしない、相手を利用していると思われるのをよしとしない奴なんだと。
 だから自ら先に口を開くのだと。
 自身の不利を顧みずに。
 誰にも甘えないとの意思を示すために。
 
 数時間後、俺達は田舎の駅に到着した。
 ここは観光地だけあって、それなりの賑わいはある。
 あとはバスに乗り、目的地のバス停から碧い樹木の海に歩みを進めるだけ。

 ここに来て足が震える。
 自身の決意に恐怖する。
 
 こんなはずじゃなかった。
 今朝までの俺は、淡々と樹海に足を踏み込めるはずだった。
 でも今の俺は足が前に出ない。

 バス停にバスが来る。
 ドアが開いても動かない俺を怪訝そうな表情で一瞥した運転手は、形式通りのアナウンスをした後、バスを出発させた。
 
 不意に左手が震える温もりに包まれた。
 見ると、あいつが目に涙を浮かべている。
 ああ、俺もきっとそうなんだろう。

「あのね」
 待て、俺が先だ。
 俺はこいつに語らせる前に自ら口を開いた。
 それが俺の矜持だから。

「なあひかる。樹海に行く前に、この街で少し一緒に暮らしてみないか?」
 彼女は俺の目を見つめ、目線を切るように頷いた。
 そこでやっとこいつの手から伝わるこいつの震えも止まったんだ。

 俺達はこの街で家具付きのアパートを借りた。
 職は観光客相手のカフェに二人で潜り込めた。

 俺達は気があった。
 少なくとも孤独ではなかった。

 食事は料理サイトを二人で検索し、二人で必要な買い物をし、二人で料理をこしらえた。
 俺は男としては小食の方。だけどひかるは女性としては多分食べる方なのだろう。
 二人分のレシピが、俺たち二人にはちょうどよかった。
 
 そして夜。
 俺は初めてのはずなのに、こいつのすべてがわかったような気がした。
 一方、俺は初めてのこいつに体の隅々までを愛された。
 それは不思議な感覚。
 男の俺が女の快感を得ているような、女のこいつが俺の快感を得ているような、喜びを共有する世界。
 それはとてもじゃないが、何度も回数を重ねられるものではなかった。
 俺とこいつは一回だけの濃厚な絶頂を迎え、そのまま二人で穏やかな睡魔に包まれた。
 
 こうして月日は過ぎていった。
 俺たちは何度も喧嘩をし、口論した。
 が、それはいつも同じ結末となった。
 相手を責めているうちに何故か自分自身を罵倒しているような感覚にとらわれ、どっちともなしに、謝ることもなく、買い物に出かけようと提案することで終わるようになっていた。

 俺は幸せだった。
 俺の気に入らないものはこいつも気に入らない。
 だから一つの出来事に対してのむかつきは半分で済んだ。
 俺の好きなものはこいつも好んだ。
 だから一つの出来事に対しての喜びは倍になった。
 
 俺たちはカフェのバイトからやがて料理長と店長を任され、そして二人で新たな店をオープンと、やりがいを感じながら二人で階段を登り続けた。
 その階段の名前は「幸せ」というのだろう。
 恥ずかしいけどな。

 何故か俺たちに子供はできなかった。
 俺は別に子供にはこだわりはないが、こいつが欲しいと思っていたら協力しようと思い、こいつに尋ねた。

「子供は欲しいか?」と。
 するとひかるはきょとんとした眼差しで俺を見つめた。

「あなたは子供が欲しいの?」
 そうだ、そうだったな、俺達の思考は近しいんだった。

 俺達は不幸な子供の面倒を見る財団に定期的な寄付を行うことにした。
 たどたどしいお礼の手紙と、それを書いたであろうあどけない子供の写真が俺達のもとに届く。
 俺はそれだけで満足だった。
 俺の横で楽しそうに写真に写る子供について語るこいつも、きっと満足なんだろう。
 
 さらに年月は過ぎた。
 世界的な不況に俺達も巻き込まれ、店を泣く泣く手放すことになった。
 その後の復興で、俺達は再び店を持った。
 二人で働いた。
 二人で泣き笑いした。 
 二人で愛し合った。
 二人で大切な記憶を積み重ねていった。
 二人で長い年月を共に暮らした。
 でも二人の挨拶は変わらない。
「愛しているよ、ひかる」
「愛しているわ、ヒカル」
 俺達は幸せだった。
 
 ここはある特養老人ホームの一室。
 老いた俺たちは店を引き払い、財産を処分して、このホームでの永年生活権を購入し、二人で暮らすことにした。
 穏やかな日々。
 桜の下で柔らかな日差しを共に楽しみ、炎天下を避けるように木陰で寄り添いながら涼を取り、長い夜に二人で月を見つめ、雪の朝に互いの温もりを寄せ合った。
 
 そうしてついにその日が来た。
 
 ベッドにはすっかり老いたひかるが伏せている。
 この姿は、他人から見たらただの婆さんだろう。

 でも、俺にとっては、その表情に刻まれたしわの一本一本が愛おしい存在。
 俺はこいつの右手を握っている。
 でもこいつにはすでに俺の手を握り返す力もなく、ただただ温もりを俺の掌に伝えるだけ。

 不意にこいつが口を開いた。
「ねえ、あなた」
「なんだい?」
「これまで、私を甘えさせてくれてありがとう」
「え? お前、何を言っているんだ?」
「あなたが何者かを考えるのは数十年前にやめてしまったのよ。そんなのつまらないことだからと気づいたから……」
「それは俺もそうだが」

「ねえ、覚えている? 最初の出会いを」
「ああ、ろくでもない出会いだったな」

「ねえ、覚えている? 最初のカフェを」
「ああ、あれは不思議な時間だったな」 

「愛しているわ。これからも永遠にあなたといたい」
「そうか、俺もだ」

「あなたと……、ありがと……」
 ……。

 不意にこいつの手から力が抜けた。
 その瞬間、俺はすべてを思い出した。

 ひかるの胸にうっすらと輝く珠が浮き上がった。
 それはひかるのたましい
 俺はそれを慈しむようにてのひらで受け止め、やさしく胸に抱いた。

「ひかる、お前の望みを叶えてやる」
 続けて俺は部屋に据えられた鏡に向かった。
 
 それはナルシズムかもしれない、コンプレックスかもしれない。
 死を選ぶものは他者に絶望し、自身を見つめる。
 やがて孤独を知り、選んだ通りの死に進む。
 そんな奴に己自身を投影させた、己であり他者である異性を仕向けたらどうなるか。
 
 安直に死を選んだ魂に価値はない。
 天寿を全うし、さらに永遠を望む魂。
 それこそが極上。
 だから俺は「ヒカル」になった。

「さあひかる、お前の望む通り、永遠にお前は俺と一緒だ」

 鏡に俺の姿は映らない。

 俺はドッペルゲンガー。
 人の記憶と姿を模写する悪魔。
 その目的は言わずもがな。

 そう、ひかるの魂は、これから永遠に俺とともにあるのさ。
 天界とやらの輪廻の流れから外れ、地獄の釜の中で永遠にな。
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