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1章
1話
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その前の日、僕の体に何かが入ってくる感覚があった。
作り替えられるようで、元に戻るような心地よさ。
僕になろうとしているのか。
それはとんでもない憎悪を懐いているように感じた。
少しの抵抗の後、それは僕の憎悪に混ざって一つになった。
今までの鬱憤が嘘だったかのように現状を俯瞰できる。
ぼくは、ボクは、僕は……。
僕は都内の中学校に通う普通の中学生だ。2年生も後期に入り、特に目立たない可もない不可もないカーストにいた僕は何故かいじめの対象になった。
SNSで悪口を書かれ、クラスのグループからはぶかれ、物を隠され、背後から蹴り飛ばされ、靴を隠されるなんてことは常時で、カツアゲやら云々……。
教育指導の教員や担任、校長にまで相談したが、碌な改善が図られることはなかった。
僕の父母は僕に興味がないようで、面倒くさいから警察などに相談するなと公言しやがった。
昼休み、明らかに少量にされた給食をぶちまけられ、5人組に美味しいからそれを舐め取れと背後から蹴られた。それは周囲の机にまで波及し、辺りの机にも被害が及んだ。
で、蹴って来たそいつがサッカー部でエース級に未来を嘱望されていたやつだったんだ。
まだ蹴る構えをしていたので、腹に誘い、案の定、腹をけって来た。それを、片腕で抱えて、もう片方の腕の肘で、何度も肘鉄を足の甲から脛辺りまで何発も入れてあげた。
7発も入れれば泣き叫んで自然と倒れ込んだよ。
まあ、それを黙ってみているわけもなく、そこからは乱闘。
向こうは箒やらなんやらを振り回して、僕は痛みには慣れていたので最低限、防いだり避けたりして、残りは全力で4人に殴った。
心は酷く怒っているのに、頭はとても冷ややかだった。
狙いは頭、顔、首、指先、脛。
クラスの女どもが何故か泣き喚いているが、俺はそこら中から血を流しながら、砕けた前歯を血反吐と共に吐き出し、椅子を放り投げると、転がっている男の手を、何度も踏みつけぐりぐりと潰した。
ゴリッ!
何かが砕ける音がした。
まだ動けそうなやつが匍匐で逃げようとしているから、その背中に踵を落としてやるとグフッと息を漏らして、荒い呼吸になった。
最初に、僕を蹴った男の後ろ襟をつかみ、すっかりグチャグチャになった給食だったものに顔ごとつけてやる。
「たーんとお食べ?美味しいんだろ?」
僕の口から漏れた言葉はそれだった。
その男は呻いている。よほど美味しかったんだろう。感動のあまり涙を流していた。
「や、やめろぉ~!!!」
その内に、クラスの陰キャ男子がトチ狂って殴りかかって来たが、半身で受け流し、そのまま体を開いた方の手でその腕をつかみ、反対の腕でその陰キャの顔面に肘鉄を2発入れた。
3発目は顎に入ってしまい、膝蹴りをその胴体におまけとして叩き込むと、簡単に崩れ落ちた。
「なにこれ?」
感触からして鼻が折れたと思う。肋骨ももしかしたら日々くらいは入っているかもしれないくらいだ。
意味の分からない参戦者に思わず声を上げてしまう。
お腹が減ったのでその辺で放置されていた誰のものかもしれない無事なお椀のスープを豪快に飲み干した。
「そうでもないな……」
醤油ベースのスープだったがそこまで美味しくはなかった。
そこまでくると誰かが教師を呼びに行っていたようで応急手当もされぬままドナドナと生徒指導室に連れ込まれた。
外からは救急車の音が聞こえてくる。
生徒指導室は教室の3分の1ほどの広さだ。
生徒指導室の中には教頭、担任、生徒指導部長だかの体育教師。そして僕。
「おい真田。何であんなことをした!」
「だから言ってますよね?給食を食べようとしたら、あの集団にトレイ毎落とされ、拾おうとしたら後ろから蹴られ、舐め取れと命令された。その後も蹴られたので抵抗して一人を伸したところ乱戦になったと。正当防衛ですよ」
「暴力はいかんだろ!暴力は!」
「だから、最初に暴力を振るわれたのは僕ですって!それとも、ただ黙って惨めにいじめられろと?」
そんな無駄なやり取りを僕の前に座ってさも当然の如く宣っているのは生徒指導の高田だ。
「だから、実際に彼らは酷い怪我を負っているのだ!」
「アホですか?僕だって、酷い怪我を負っているのが見えませんか?」
「加害者にそんなもんは関係ない!」
「加害者はあちらでしょう?」
「お前が悪い!!!」
そう生徒指導の高田は僕の襟首を持って怒鳴りつけた。僕の首が閉まる。
ゴン!
むかついたので俺はそのまま高田の額に頭突きをしたつもりだったが、鼻へのアタックになってしまった。まあいい。
高田は「いててて……」と呻いている。
「おうおう、真っ赤におめかししちゃって。この後合コンかな?さて、サイコ男が黙ったところで、池森先生も人の形をしたゴミと同じ意見ですか?」
池森先生とは、長らく僕の声を無視し続けた担任の男だ。
「……」
「沈黙ですか……。それは最近生まれたお子さんに誇れる仕事ですか?そうですか。数年後、パパの仕事はいじめをもみ消して、いじめられている方を悪者にするかっこいいお仕事だよと教えてください。誇れるんでしょ?」
「……暴力はいけない。御両親だって……」
「あの人たちは僕に興味がありません。いじめを相談した際、警察なんかに届けるなと言われたくらい自身の身の保身と外聞にしか興味がない仕事主義の自己中心的な連中なので。あなた方と同じ屑ですよ」
「相談くらい……」
「もみ消したのは学校側ですよ?」
そう言うと口を詰まらせた。
未だに高田は悶えている。
「真田君。話は聞かせてもらった」
「三番手は教頭ですか」
「先生を……、まあいい。総括すると君はいじめられていて、今回は給食をトレイ毎こぼされ、更に蹴られたところを返り討ちにしたら、倒れている者を含めて1対6の戦いになり、その全てを返り討ちにしたと?」
「まあ、大筋合っていますが、池宮だけは違います」
池宮とは、意味不明に襲い掛かって来た陰キャだ。
「では彼は、君が顔面攻撃をしたわけではないと?」
「まあ、アレの顔を芸術的にしたのは僕ですけれど、5人を叩きのめした後に何故か、襲い掛かって来たんですよね。反射で叩きのめした後に、関係ないはずなのになんでだろうと疑問に思いました……」
「ふざけているのか?」
「いや、まじめに意味が分からないんですって。本当に」
「???」
僕も教頭も、意味の分からない顔を見合わせるような沈黙を過ごすことになった。僕の表情を見て本当に分からないということを信じてもらえたのだろう。
「というか、僕へのいじめの隠蔽に教頭も関与していたんですか?担任や校長、そこの高田には直接相談して隠蔽された結果こうなりましたが、教頭には直接話していなかったので確認です」
「知ってはいたよ。だが、この学園の運営と太いパイプを持つ校長がそれを認めるのを拒んだのだ。評価されて、とっとと運営入りしたいとね。そんな連中に盾突けば先生たちだって只じゃすまない。私とて家族を養わなければいけない立場にいるのだからそれは難しいことだ。私立の学校の先生はサラリーマンなのだよ」
「つまり、職責よりも、生活を取ったと?」
「職責……か。難しい言葉を知っているね。上の娘が今年大学受験、下の息子も高校受験。一家を支える父親としてはお金がないなんて言えないのさ。序に高校2年生の娘はカナダに留学中。高校1年生の息子もいる」
「グローバルですね。で、そこの高田も似たような理由で?」
僕はそこで未だに痛がっている高田に目を向けた。
「先生を付け……。いや、これにそんな価値はないか。たしか、高田先生はもう8年もこの学校に務めている。系列の学校への強制的な配置換えもそろそろだがね、長くいると大きな顔が出来るのさ」
「つまり、学校内で大きな顔をしたいがために、校長か誰かと取引をしたと?」
「まあ、そうだろうね。でもまあ、先生としては他にもありそうだけれど?」
「盗撮やセクハラ、パワハラ、横領……まあ、そのどれかでしょう」
「うーん。それが本当で表沙汰になったら先生激務で死んじゃうんだけど……」
「禊とでも思ってみては?」
「手厳しい。あ、因みに君の担任の池森先生は、子育てに加え、無計画に購入した自宅や車のローンが残っているうえに、そもそも、自分のクラスの問題を明るみに出したくなかったとかどうとか……」
当の池森は突っ立って、沈黙を貫いている。
「やはり、ただの屑でしたね。主犯格の誰かから袖の下でも受け取っているんでしょうよ」
「教師なんてただの人間さ。これから、どちらにしても激務なら、気持ちのいい方がいい。少なくとも先生はいじめがあったことを隠す気はない」
「きょ、望月教頭!?」
今度は池森が反応した。
「だが、示談で済むようにしよう。少なくとも教頭である先生の口からいじめに関する詳しい話は外聞されることはない。その代わり、今回のことは両者とも訴えず、向こうが真田君に対して1人1200万程払うという形にだ」
「ほう。勿論先生たちも口止め料を請求するんでしょう?」
「あ~、口止め料なんて言ってはいけないよ?先生たちは助言をして、お心遣いをいただくんだ。おそらく、沢山稼いでいる星野君の家からになると思うがね」
「いい買い物ですね。彼らは息子さんの人生と会社の名前をお金で買うんですから」
「真田君、中々そっちの方向に向いているね。将来は政治家かな?」
教頭はお道化てそう言った。
「ところで、本当によく分からない池宮に関しては?」
「先生としては、状況に混乱して暴れてしまったという解釈で登校できるようになってから2週間ほどの期間、生徒指導室登校でよいのではと考えているんだが……。君はどうしたい?」
「まあ、その考え通りなら、それでいいと思うんですけど、彼らの裏の主犯が池宮だったとか、池宮が何らかの理由で僕を攻撃しなければならなかったとか、そんな事情があれば対応を変えざるを得ませんが」
本当にあいつだけは分からない。
「そうだねぇ。君の心情の全てを慮ることはできないけれど、そこまで気が回っていなかった。済まないね」
「いえ。素直に謝罪される先生がいるとは驚きました。教頭先生」
「こんな私を教頭先生と呼んでもらえるとは……。まだ捨てたもんじゃなさそうだ」
「今思い出したんですがね、僕の前にいじめられていたのが池宮です」
「君が勝ったからまた自身にターゲットが移るかもしれないと危惧して凶行に及んだと?」
「明確な意思はなくとも、直情的にそう感じて殴り掛かって来ても否定できません。少なくとも、僕にされていたレベルのことを彼はされていませんでしたから……」
教頭先生が「というと?」と先を促した。
「SNSで悪口を書かれ、クラスのグループからはぶかれ、物を隠され、階段付近で背後から蹴り飛ばされ、教科書やノートに落書き、カツアゲやら辺りまではまあ、普通だと思うんですが」
「うん。大分普通じゃないね」
「SNSで身元や個人情報を晒され、ネット上に痴漢云々のデマを広められたりだとか、今回のように給食をこぼされて食べろと命令されたりだとか、根性焼きの1つや2つは当たり前。多分、抵抗しなかったらリンチに遭っていたでしょうね」
「普通に犯罪だね。うん。そのデマとか大丈夫だった?」
「僕、自転車通学なんで、そもそもバスとか電車に縁がないんですよ。ですから不発でした」
「それは何より。でも、個人情報が晒されたんでしょ?」
「前の家の住所ですが何か?イタ電が止まらなくなったのでスマホは機種替えをしました。クソ面倒でした。両親には物の管理をしないお前が悪いと言われましたし」
「両親もクソかな?」
「クソですよ?」
僕と教頭先生は分り合えた気がした。
「ともあれ、池宮君に関しては事情を加味して請求するかどうかは決めるとしましょう」
教頭先生はそう締めくくった。
その後は休校やら保護者説明会やらなんやらがあり、僕が病院で治療を受け、検査入院した後、結局両親は僕に会いに来なかった。
僕の内臓もかなりまずい状態だったらしく、医者が焦って処置をしているのを呆然と眺めていた。
その晩、件の件から2日後の夕方、教頭先生が僕の所に来て、アタッシュケースに入った1億円を置いて行った。どうも、社長をやっている星野の親が全員分色を付けて肩代わりしたらしい。
教員たちにも口止め料が配られたそうな。
その後の保護者会で、ただの喧嘩で両者が病院送りになった。ただそれだけでいじめなどはなかったということを発表したらしい。
勿論生徒たちには緘口令を出したらしいが。
「いじめを隠すつもりはなかったのでは?」
「1人10本も貰ってしまえばね」
「貰ったのは校長と教頭先生と、担任と高田ですか?」
「まあ、そのようなところです。まあ、その他根回しにお金をばらまいたようですが、真田君を訴えるような考えは懐いていないようです」
「意外ですね」
「まあ、いじめを口外するとか、数的優位にある状態で息子さんが負けた不名誉を喧伝したいならばどうぞとは囁きましたが」
「素晴らしい。流石は教頭先生です」
「まあ、向こうも大事な時期ですから。消費者にスキャンダルを流出して購買意欲が下がるなんてことになったら倒産もあり得る。それと比べたら2億や3億くらいどうってことないのでしょう」
教頭先生はそう言うと、備え付けの椅子に座った。
確か、季節の食品系の企業で業界シェアの3割を占めているとかいう話しだったからいじめなんてことが公になればどれほどの損害になるのかは想像すらできない。
「最初に見舞いに来てくれた人が教頭先生だとは……」
「おや、ご両親はやはり?」
「ええ。着替えなどを手持ちの金で揃えるはめになりました」
教頭先生は肩をすくめ、首を横に振った。
「ああ、それから生徒指導室で君が疑っていた高田先生、いえ、高田元先生に関することです。女性教員があの後、調べたところ校内の数か所の女子トイレに隠しカメラが仕掛けられていました。警察の捜査で高田が犯人であることが分かり、直ぐに逮捕されましたがそっちの件もあって、てんやわんやです。報道は数日後になる見込みですから、それまではオフレコで。また仕事が増えましたよ」
「あ~、まあ、高田があの中学校に縋りついていたのはそんな理由があったのでしょう。ところで、池宮については?」
そう聞いたところで教頭先生は再び顔を顰めた。
「彼は親御さんを説得して転校することになりました。どうも、薬物に手を出していたようなのでその隠蔽を兼ねています。治療を終えてしばらくすれば公立の中学校に転校するでしょう」
「僕に襲い掛かって来たのは次のターゲットが自分になるからとかそんなことではなく、薬物により判断能力が低下したことによる錯乱が原因だったと?」
「はい。彼の荷物から薬物と一緒に注射器が発見されました。そちらの方面でも警察にお世話にならないように隠蔽しつつ、闇医者にぶち込むことになりました」
「大変ですね。教頭先生が」
「ええ、大変ですとも」
普通の学校なら5年に一度あるかどうかの厄事がいくつも重なった形だ。
「因みに校長は?」
「学校のことは放り出して、自身がしでかした児童買春の隠蔽に奔走していると……」
「それこそ、燃えた方がいいのでは?」
「そこからもお金を絞れそうなので泳がせています」
「沢山絞れるといいですね」
教頭先生は思ったよりも悪辣だった。
「それはさておき、真田君はこれからどうしますか?」
「ほとぼりが冷めるまでは家で大人しくしていようかと。丁度、軍資金は手に入れましたし」
「いいと思いますよ。3年になってから登校再開という形で。先生としては勉強をおろそかにしない範囲で美術館や博物館に行ってみるのも面白いかもしれませんね。趣味を見つけてみるのもいいでしょう。引きこもるのは勿体ないですからアクティブなオフになることを祈っています」
「はい」
とりとめのない会話を交わし、教頭先生は軽い足取りで去って行った。
作り替えられるようで、元に戻るような心地よさ。
僕になろうとしているのか。
それはとんでもない憎悪を懐いているように感じた。
少しの抵抗の後、それは僕の憎悪に混ざって一つになった。
今までの鬱憤が嘘だったかのように現状を俯瞰できる。
ぼくは、ボクは、僕は……。
僕は都内の中学校に通う普通の中学生だ。2年生も後期に入り、特に目立たない可もない不可もないカーストにいた僕は何故かいじめの対象になった。
SNSで悪口を書かれ、クラスのグループからはぶかれ、物を隠され、背後から蹴り飛ばされ、靴を隠されるなんてことは常時で、カツアゲやら云々……。
教育指導の教員や担任、校長にまで相談したが、碌な改善が図られることはなかった。
僕の父母は僕に興味がないようで、面倒くさいから警察などに相談するなと公言しやがった。
昼休み、明らかに少量にされた給食をぶちまけられ、5人組に美味しいからそれを舐め取れと背後から蹴られた。それは周囲の机にまで波及し、辺りの机にも被害が及んだ。
で、蹴って来たそいつがサッカー部でエース級に未来を嘱望されていたやつだったんだ。
まだ蹴る構えをしていたので、腹に誘い、案の定、腹をけって来た。それを、片腕で抱えて、もう片方の腕の肘で、何度も肘鉄を足の甲から脛辺りまで何発も入れてあげた。
7発も入れれば泣き叫んで自然と倒れ込んだよ。
まあ、それを黙ってみているわけもなく、そこからは乱闘。
向こうは箒やらなんやらを振り回して、僕は痛みには慣れていたので最低限、防いだり避けたりして、残りは全力で4人に殴った。
心は酷く怒っているのに、頭はとても冷ややかだった。
狙いは頭、顔、首、指先、脛。
クラスの女どもが何故か泣き喚いているが、俺はそこら中から血を流しながら、砕けた前歯を血反吐と共に吐き出し、椅子を放り投げると、転がっている男の手を、何度も踏みつけぐりぐりと潰した。
ゴリッ!
何かが砕ける音がした。
まだ動けそうなやつが匍匐で逃げようとしているから、その背中に踵を落としてやるとグフッと息を漏らして、荒い呼吸になった。
最初に、僕を蹴った男の後ろ襟をつかみ、すっかりグチャグチャになった給食だったものに顔ごとつけてやる。
「たーんとお食べ?美味しいんだろ?」
僕の口から漏れた言葉はそれだった。
その男は呻いている。よほど美味しかったんだろう。感動のあまり涙を流していた。
「や、やめろぉ~!!!」
その内に、クラスの陰キャ男子がトチ狂って殴りかかって来たが、半身で受け流し、そのまま体を開いた方の手でその腕をつかみ、反対の腕でその陰キャの顔面に肘鉄を2発入れた。
3発目は顎に入ってしまい、膝蹴りをその胴体におまけとして叩き込むと、簡単に崩れ落ちた。
「なにこれ?」
感触からして鼻が折れたと思う。肋骨ももしかしたら日々くらいは入っているかもしれないくらいだ。
意味の分からない参戦者に思わず声を上げてしまう。
お腹が減ったのでその辺で放置されていた誰のものかもしれない無事なお椀のスープを豪快に飲み干した。
「そうでもないな……」
醤油ベースのスープだったがそこまで美味しくはなかった。
そこまでくると誰かが教師を呼びに行っていたようで応急手当もされぬままドナドナと生徒指導室に連れ込まれた。
外からは救急車の音が聞こえてくる。
生徒指導室は教室の3分の1ほどの広さだ。
生徒指導室の中には教頭、担任、生徒指導部長だかの体育教師。そして僕。
「おい真田。何であんなことをした!」
「だから言ってますよね?給食を食べようとしたら、あの集団にトレイ毎落とされ、拾おうとしたら後ろから蹴られ、舐め取れと命令された。その後も蹴られたので抵抗して一人を伸したところ乱戦になったと。正当防衛ですよ」
「暴力はいかんだろ!暴力は!」
「だから、最初に暴力を振るわれたのは僕ですって!それとも、ただ黙って惨めにいじめられろと?」
そんな無駄なやり取りを僕の前に座ってさも当然の如く宣っているのは生徒指導の高田だ。
「だから、実際に彼らは酷い怪我を負っているのだ!」
「アホですか?僕だって、酷い怪我を負っているのが見えませんか?」
「加害者にそんなもんは関係ない!」
「加害者はあちらでしょう?」
「お前が悪い!!!」
そう生徒指導の高田は僕の襟首を持って怒鳴りつけた。僕の首が閉まる。
ゴン!
むかついたので俺はそのまま高田の額に頭突きをしたつもりだったが、鼻へのアタックになってしまった。まあいい。
高田は「いててて……」と呻いている。
「おうおう、真っ赤におめかししちゃって。この後合コンかな?さて、サイコ男が黙ったところで、池森先生も人の形をしたゴミと同じ意見ですか?」
池森先生とは、長らく僕の声を無視し続けた担任の男だ。
「……」
「沈黙ですか……。それは最近生まれたお子さんに誇れる仕事ですか?そうですか。数年後、パパの仕事はいじめをもみ消して、いじめられている方を悪者にするかっこいいお仕事だよと教えてください。誇れるんでしょ?」
「……暴力はいけない。御両親だって……」
「あの人たちは僕に興味がありません。いじめを相談した際、警察なんかに届けるなと言われたくらい自身の身の保身と外聞にしか興味がない仕事主義の自己中心的な連中なので。あなた方と同じ屑ですよ」
「相談くらい……」
「もみ消したのは学校側ですよ?」
そう言うと口を詰まらせた。
未だに高田は悶えている。
「真田君。話は聞かせてもらった」
「三番手は教頭ですか」
「先生を……、まあいい。総括すると君はいじめられていて、今回は給食をトレイ毎こぼされ、更に蹴られたところを返り討ちにしたら、倒れている者を含めて1対6の戦いになり、その全てを返り討ちにしたと?」
「まあ、大筋合っていますが、池宮だけは違います」
池宮とは、意味不明に襲い掛かって来た陰キャだ。
「では彼は、君が顔面攻撃をしたわけではないと?」
「まあ、アレの顔を芸術的にしたのは僕ですけれど、5人を叩きのめした後に何故か、襲い掛かって来たんですよね。反射で叩きのめした後に、関係ないはずなのになんでだろうと疑問に思いました……」
「ふざけているのか?」
「いや、まじめに意味が分からないんですって。本当に」
「???」
僕も教頭も、意味の分からない顔を見合わせるような沈黙を過ごすことになった。僕の表情を見て本当に分からないということを信じてもらえたのだろう。
「というか、僕へのいじめの隠蔽に教頭も関与していたんですか?担任や校長、そこの高田には直接相談して隠蔽された結果こうなりましたが、教頭には直接話していなかったので確認です」
「知ってはいたよ。だが、この学園の運営と太いパイプを持つ校長がそれを認めるのを拒んだのだ。評価されて、とっとと運営入りしたいとね。そんな連中に盾突けば先生たちだって只じゃすまない。私とて家族を養わなければいけない立場にいるのだからそれは難しいことだ。私立の学校の先生はサラリーマンなのだよ」
「つまり、職責よりも、生活を取ったと?」
「職責……か。難しい言葉を知っているね。上の娘が今年大学受験、下の息子も高校受験。一家を支える父親としてはお金がないなんて言えないのさ。序に高校2年生の娘はカナダに留学中。高校1年生の息子もいる」
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「まあ、そうだろうね。でもまあ、先生としては他にもありそうだけれど?」
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「禊とでも思ってみては?」
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「だが、示談で済むようにしよう。少なくとも教頭である先生の口からいじめに関する詳しい話は外聞されることはない。その代わり、今回のことは両者とも訴えず、向こうが真田君に対して1人1200万程払うという形にだ」
「ほう。勿論先生たちも口止め料を請求するんでしょう?」
「あ~、口止め料なんて言ってはいけないよ?先生たちは助言をして、お心遣いをいただくんだ。おそらく、沢山稼いでいる星野君の家からになると思うがね」
「いい買い物ですね。彼らは息子さんの人生と会社の名前をお金で買うんですから」
「真田君、中々そっちの方向に向いているね。将来は政治家かな?」
教頭はお道化てそう言った。
「ところで、本当によく分からない池宮に関しては?」
「先生としては、状況に混乱して暴れてしまったという解釈で登校できるようになってから2週間ほどの期間、生徒指導室登校でよいのではと考えているんだが……。君はどうしたい?」
「まあ、その考え通りなら、それでいいと思うんですけど、彼らの裏の主犯が池宮だったとか、池宮が何らかの理由で僕を攻撃しなければならなかったとか、そんな事情があれば対応を変えざるを得ませんが」
本当にあいつだけは分からない。
「そうだねぇ。君の心情の全てを慮ることはできないけれど、そこまで気が回っていなかった。済まないね」
「いえ。素直に謝罪される先生がいるとは驚きました。教頭先生」
「こんな私を教頭先生と呼んでもらえるとは……。まだ捨てたもんじゃなさそうだ」
「今思い出したんですがね、僕の前にいじめられていたのが池宮です」
「君が勝ったからまた自身にターゲットが移るかもしれないと危惧して凶行に及んだと?」
「明確な意思はなくとも、直情的にそう感じて殴り掛かって来ても否定できません。少なくとも、僕にされていたレベルのことを彼はされていませんでしたから……」
教頭先生が「というと?」と先を促した。
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「普通に犯罪だね。うん。そのデマとか大丈夫だった?」
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「それは何より。でも、個人情報が晒されたんでしょ?」
「前の家の住所ですが何か?イタ電が止まらなくなったのでスマホは機種替えをしました。クソ面倒でした。両親には物の管理をしないお前が悪いと言われましたし」
「両親もクソかな?」
「クソですよ?」
僕と教頭先生は分り合えた気がした。
「ともあれ、池宮君に関しては事情を加味して請求するかどうかは決めるとしましょう」
教頭先生はそう締めくくった。
その後は休校やら保護者説明会やらなんやらがあり、僕が病院で治療を受け、検査入院した後、結局両親は僕に会いに来なかった。
僕の内臓もかなりまずい状態だったらしく、医者が焦って処置をしているのを呆然と眺めていた。
その晩、件の件から2日後の夕方、教頭先生が僕の所に来て、アタッシュケースに入った1億円を置いて行った。どうも、社長をやっている星野の親が全員分色を付けて肩代わりしたらしい。
教員たちにも口止め料が配られたそうな。
その後の保護者会で、ただの喧嘩で両者が病院送りになった。ただそれだけでいじめなどはなかったということを発表したらしい。
勿論生徒たちには緘口令を出したらしいが。
「いじめを隠すつもりはなかったのでは?」
「1人10本も貰ってしまえばね」
「貰ったのは校長と教頭先生と、担任と高田ですか?」
「まあ、そのようなところです。まあ、その他根回しにお金をばらまいたようですが、真田君を訴えるような考えは懐いていないようです」
「意外ですね」
「まあ、いじめを口外するとか、数的優位にある状態で息子さんが負けた不名誉を喧伝したいならばどうぞとは囁きましたが」
「素晴らしい。流石は教頭先生です」
「まあ、向こうも大事な時期ですから。消費者にスキャンダルを流出して購買意欲が下がるなんてことになったら倒産もあり得る。それと比べたら2億や3億くらいどうってことないのでしょう」
教頭先生はそう言うと、備え付けの椅子に座った。
確か、季節の食品系の企業で業界シェアの3割を占めているとかいう話しだったからいじめなんてことが公になればどれほどの損害になるのかは想像すらできない。
「最初に見舞いに来てくれた人が教頭先生だとは……」
「おや、ご両親はやはり?」
「ええ。着替えなどを手持ちの金で揃えるはめになりました」
教頭先生は肩をすくめ、首を横に振った。
「ああ、それから生徒指導室で君が疑っていた高田先生、いえ、高田元先生に関することです。女性教員があの後、調べたところ校内の数か所の女子トイレに隠しカメラが仕掛けられていました。警察の捜査で高田が犯人であることが分かり、直ぐに逮捕されましたがそっちの件もあって、てんやわんやです。報道は数日後になる見込みですから、それまではオフレコで。また仕事が増えましたよ」
「あ~、まあ、高田があの中学校に縋りついていたのはそんな理由があったのでしょう。ところで、池宮については?」
そう聞いたところで教頭先生は再び顔を顰めた。
「彼は親御さんを説得して転校することになりました。どうも、薬物に手を出していたようなのでその隠蔽を兼ねています。治療を終えてしばらくすれば公立の中学校に転校するでしょう」
「僕に襲い掛かって来たのは次のターゲットが自分になるからとかそんなことではなく、薬物により判断能力が低下したことによる錯乱が原因だったと?」
「はい。彼の荷物から薬物と一緒に注射器が発見されました。そちらの方面でも警察にお世話にならないように隠蔽しつつ、闇医者にぶち込むことになりました」
「大変ですね。教頭先生が」
「ええ、大変ですとも」
普通の学校なら5年に一度あるかどうかの厄事がいくつも重なった形だ。
「因みに校長は?」
「学校のことは放り出して、自身がしでかした児童買春の隠蔽に奔走していると……」
「それこそ、燃えた方がいいのでは?」
「そこからもお金を絞れそうなので泳がせています」
「沢山絞れるといいですね」
教頭先生は思ったよりも悪辣だった。
「それはさておき、真田君はこれからどうしますか?」
「ほとぼりが冷めるまでは家で大人しくしていようかと。丁度、軍資金は手に入れましたし」
「いいと思いますよ。3年になってから登校再開という形で。先生としては勉強をおろそかにしない範囲で美術館や博物館に行ってみるのも面白いかもしれませんね。趣味を見つけてみるのもいいでしょう。引きこもるのは勿体ないですからアクティブなオフになることを祈っています」
「はい」
とりとめのない会話を交わし、教頭先生は軽い足取りで去って行った。
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言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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