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7話 若き葬儀屋の悩み
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普段、錠野の家には義母と飛鳥が住んでいる。
晴澄は高校卒業と同時に家を出たきり滅多に寄りつかない。不在の多い父も数えるほどしか寝泊まりをしていないはずだ。
そんな実家を今、ヴェスナが陣取り、父を呼び寄せようとしているらしい。飛鳥の出勤前を狙った、見事な犯行だった。
退路を塞がれた晴澄が取れる行動は限られている。
ヴェスナの思惑通りご丁寧に家族会議を開くか、自分は同席せずヴェスナに好き勝手言わせておくか。いずれにせよ地獄には違いない。
手段はもうひとつ、あるにはあった。少なくともヴェスナの支配下からは逃れられる方法だ。
家に着く前に、父とふたりきりで話しあえばいいのである。
それはそれでヴェスナの掌の上なのだろうが、ほかの選択肢よりはいくらかマシだった。
「父さん。飛鳥さんが言ってたこと、なんですが」
「うん、何か話があるんだったね。うちに帰ろうか」
父の仮面のような微笑が苦手だ。
晴澄自身も感情が表に出にくいタイプだという自覚はある。しかし父はそれ以上に顔面が動かず、何を考えているのかがまるでわからなかった。ともに過ごす習慣もなければ、個人的な相談をした試しもないから、些細な変化を読み取れるほどの技術もない。
会社を離れ、家路を辿る。幸い夜道は暗く、晴澄が苦虫を噛み潰したような顔をしていてもバレることはなかった。
本題に入る前に、意識的に呼吸をしておく。
忌避感が完全に消え去ったわけではないが、変に気負うことでもないだろう。飛鳥が知っているのと同じ情報を渡すだけだ。不名誉な馴れ初めやヴェスナの正体まで明かす必要はない。
躊躇していたらあっという間に家に着いてしまう。怪物の巣食う実家に。
意を決して、口を開いた。
「あの……今、一緒に住んでいる相手がいて……」
「聞いたよ。旅行にも行っていたんだろう?」
先を歩く父の相槌は静かなものだ。晴澄も淡々と説明を続けるしかない。
「……はい。会わせるつもりはなかったんですが、なぜか実家に押しかけてしまったみたいで。すみません、家に着いたらすぐ連れて帰ります」
「どうして?」
そこは疑問に感じたらしく、父は立ち止まって振り向いた。
「遠慮しなくていい。夕飯くらい食べていきなさい」
向こうから晴澄の姿がよく見えているわけもないのに、本能的に視線を避けてしまい、下を向いて唇を噛む。
「なんというか、まともな人間ではなくて……」
本当は人間ですらないのだが──それ以前の問題があまりに多かった。
「……強引で、自分勝手で。出会ってから調子を狂わされてばかりで困ってるんです。世話を焼いてるつもりなのか、面白ければいいのか……。
とにかくこっちの都合なんて考えもしない──そういう、男なんです」
「……」
父の返事は、ない。
長すぎる沈黙に恐る恐る顔を上げた晴澄は、信じられないものを目にした。
街灯に照らされる父の頬に、涙が伝っていたのだ。
「あ……」
耳鳴りがする。胸の鼓動が速くなる。やはり黙っているべきだったのか。
晴澄自身予期できずにいたことだが、さすがに身内の明らかな拒否反応には息苦しさを覚えるものらしい。しかも感情の起伏を見たこともない父の涙だ。その衝撃は、この身ひとつで受け止めるには大きかった。
よろめきそうなのを堪え、晴澄が無言で地面を踏みしめていると、父は慌てて首を振った。
「すまない、晴澄くん。違う、違うんだ、誤解しないでくれ」
しきりに袖で頬を拭っているが、涙は止まらない。その理由がわからない晴澄は父の答えを待つほかない。
「──晴澄くんが大切な人を見つけられたことが、嬉しいんだよ」
父は嗚咽の合間を縫って、ようやく言葉を紡いだ。
「私は風花さんを失って、何もできなくなって……人を愛することの恐ろしさだけ、晴澄くんに植えつけてしまったから」
錠野風花。母の名前だ。
自分が生まれてからはずっと病院にいたそうで、覚えていることはないに等しい。
母が亡くなったとき、父がどんな様子だったかも、当然のように覚えていない。
自分と父は顔を合わせたのだろうか。必死に記憶を手繰っても、葬儀の間、飛鳥が隣で手を握ってくれていたことを思い出しただけだった。
「ぞっとするよ。あのとき星良さんと飛鳥くんが力を貸してくれなかったら、晴澄くんのことも失っていたかもしれない」
初めて聞く自嘲気味な声で、父は呟く。
当時サンズフラワーで働いていた星良は、晴澄の面倒を見るために父と再婚したと聞いている。シングルマザーで経済的に苦しかったから、一緒になるのはちょうどよかったのだと明るく笑っていた。
それは、幼い晴澄をほかの誰かが見ないといけない状況だったことを示している。
仕事の忙しさがゆえだと、これまでは曖昧に解釈していたが、おそらく真実は異なるのだ。
晴澄も本当は理解していた。
父は、母がいなくなったから、父の役割を放棄したのだろう。
「よかった……それでも晴澄くんは、人を愛することができたんだね」
──できていない。できるわけがない。
ここですべてを打ち明けて、父の傷口に塩を塗ってやろうかという残忍な思いも少しはあった。
しかし目を瞑って踏みとどまる。
親の責任にして問題を片づけるには、晴澄は大人になりすぎてしまっていた。
「……、はい」
だから、親子の対話はこれでおしまいにしよう。
涙を流しつづける父を適当な言葉で宥め、ヴェスナを回収するため実家へ歩きだすことにした。
晴澄は高校卒業と同時に家を出たきり滅多に寄りつかない。不在の多い父も数えるほどしか寝泊まりをしていないはずだ。
そんな実家を今、ヴェスナが陣取り、父を呼び寄せようとしているらしい。飛鳥の出勤前を狙った、見事な犯行だった。
退路を塞がれた晴澄が取れる行動は限られている。
ヴェスナの思惑通りご丁寧に家族会議を開くか、自分は同席せずヴェスナに好き勝手言わせておくか。いずれにせよ地獄には違いない。
手段はもうひとつ、あるにはあった。少なくともヴェスナの支配下からは逃れられる方法だ。
家に着く前に、父とふたりきりで話しあえばいいのである。
それはそれでヴェスナの掌の上なのだろうが、ほかの選択肢よりはいくらかマシだった。
「父さん。飛鳥さんが言ってたこと、なんですが」
「うん、何か話があるんだったね。うちに帰ろうか」
父の仮面のような微笑が苦手だ。
晴澄自身も感情が表に出にくいタイプだという自覚はある。しかし父はそれ以上に顔面が動かず、何を考えているのかがまるでわからなかった。ともに過ごす習慣もなければ、個人的な相談をした試しもないから、些細な変化を読み取れるほどの技術もない。
会社を離れ、家路を辿る。幸い夜道は暗く、晴澄が苦虫を噛み潰したような顔をしていてもバレることはなかった。
本題に入る前に、意識的に呼吸をしておく。
忌避感が完全に消え去ったわけではないが、変に気負うことでもないだろう。飛鳥が知っているのと同じ情報を渡すだけだ。不名誉な馴れ初めやヴェスナの正体まで明かす必要はない。
躊躇していたらあっという間に家に着いてしまう。怪物の巣食う実家に。
意を決して、口を開いた。
「あの……今、一緒に住んでいる相手がいて……」
「聞いたよ。旅行にも行っていたんだろう?」
先を歩く父の相槌は静かなものだ。晴澄も淡々と説明を続けるしかない。
「……はい。会わせるつもりはなかったんですが、なぜか実家に押しかけてしまったみたいで。すみません、家に着いたらすぐ連れて帰ります」
「どうして?」
そこは疑問に感じたらしく、父は立ち止まって振り向いた。
「遠慮しなくていい。夕飯くらい食べていきなさい」
向こうから晴澄の姿がよく見えているわけもないのに、本能的に視線を避けてしまい、下を向いて唇を噛む。
「なんというか、まともな人間ではなくて……」
本当は人間ですらないのだが──それ以前の問題があまりに多かった。
「……強引で、自分勝手で。出会ってから調子を狂わされてばかりで困ってるんです。世話を焼いてるつもりなのか、面白ければいいのか……。
とにかくこっちの都合なんて考えもしない──そういう、男なんです」
「……」
父の返事は、ない。
長すぎる沈黙に恐る恐る顔を上げた晴澄は、信じられないものを目にした。
街灯に照らされる父の頬に、涙が伝っていたのだ。
「あ……」
耳鳴りがする。胸の鼓動が速くなる。やはり黙っているべきだったのか。
晴澄自身予期できずにいたことだが、さすがに身内の明らかな拒否反応には息苦しさを覚えるものらしい。しかも感情の起伏を見たこともない父の涙だ。その衝撃は、この身ひとつで受け止めるには大きかった。
よろめきそうなのを堪え、晴澄が無言で地面を踏みしめていると、父は慌てて首を振った。
「すまない、晴澄くん。違う、違うんだ、誤解しないでくれ」
しきりに袖で頬を拭っているが、涙は止まらない。その理由がわからない晴澄は父の答えを待つほかない。
「──晴澄くんが大切な人を見つけられたことが、嬉しいんだよ」
父は嗚咽の合間を縫って、ようやく言葉を紡いだ。
「私は風花さんを失って、何もできなくなって……人を愛することの恐ろしさだけ、晴澄くんに植えつけてしまったから」
錠野風花。母の名前だ。
自分が生まれてからはずっと病院にいたそうで、覚えていることはないに等しい。
母が亡くなったとき、父がどんな様子だったかも、当然のように覚えていない。
自分と父は顔を合わせたのだろうか。必死に記憶を手繰っても、葬儀の間、飛鳥が隣で手を握ってくれていたことを思い出しただけだった。
「ぞっとするよ。あのとき星良さんと飛鳥くんが力を貸してくれなかったら、晴澄くんのことも失っていたかもしれない」
初めて聞く自嘲気味な声で、父は呟く。
当時サンズフラワーで働いていた星良は、晴澄の面倒を見るために父と再婚したと聞いている。シングルマザーで経済的に苦しかったから、一緒になるのはちょうどよかったのだと明るく笑っていた。
それは、幼い晴澄をほかの誰かが見ないといけない状況だったことを示している。
仕事の忙しさがゆえだと、これまでは曖昧に解釈していたが、おそらく真実は異なるのだ。
晴澄も本当は理解していた。
父は、母がいなくなったから、父の役割を放棄したのだろう。
「よかった……それでも晴澄くんは、人を愛することができたんだね」
──できていない。できるわけがない。
ここですべてを打ち明けて、父の傷口に塩を塗ってやろうかという残忍な思いも少しはあった。
しかし目を瞑って踏みとどまる。
親の責任にして問題を片づけるには、晴澄は大人になりすぎてしまっていた。
「……、はい」
だから、親子の対話はこれでおしまいにしよう。
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