上 下
29 / 36
7話 若き葬儀屋の悩み

2

しおりを挟む
 風花が現れたからといって、私の意識や生活が瞬時に変化したわけではない。
 ただ彼女の存在は無色の毎日をほんの少し彩ってくれた。それだけのことが、私にとってはありがたかった。

 生まれつき体が弱くほとんど学校にも通えていないことは、あとで本人に聞いた。
 サンズフラワーとは付き合いが深いのに同年代の娘がいるのを知らずにいたのは、そういう事情があるからのようだった。

「主の御許に召されれば、すべての苦痛から解き放たれる。何も心配することはないわ」

 彼女のために作られた小さな温室で、風花はまじないのようにそう唱えては微笑んでみせた。信仰の篤さゆえだろうか、線の細い外見に反し、その声はどんなときも力強く感じられた。

 死を恐れない彼女と、生に執着しない私。
 葬儀屋に生まれた私は特定の宗教に帰依しておらず、常に自身の死と隣りあわせである彼女に共感できるわけもなかったのだが、彼女の考え方は好ましかった。

 はじめは、最期の訪れを静かに待っているだけの、破滅的な関係だったかもしれない。
 しんしんと降る雪のように、ふたりきりで過ごす時間が積もっていき、やがて大人になった私たちは気がついた。
 ふたりの目に映る景色が、わずかに変わっていることに。

 その話を切り出したのは風花だった。
 彼女はいつもどおりにアネモネの手入れをしながら、厳かに唇を動かした。

広澄ひろすみさん、わたしね。いつ天に召されても構わないつもりでいたけど、その前に叶えたいことができてしまって。
 協力してくれる?」

 私は黙って頷いた。
 彼女の要求はいくつか予想できていたが、それ以外の何が来たとしても、全身全霊で応えようと思っていた。

「子どもがほしいの」

 ──とはいえさすがにこれは想定外で、しばらく言葉を失ってしまった。

「そう、なんですか」

 間の抜けた相槌だけを返し、私はその場に立ち尽くす。
 私の反応を待っている様子の風花だったが、ややあって痺れを切らしたように、しかめっ面で前髪をいじってみせた。

「ほかのひとにこんなことはお願いしないわ。あなただから言ってるのよ」
「……僕の子どもがほしい?」
「あなたとわたしの、子どもがほしい。あなたはほしくない?」

 私は人生で初めて、胸の高鳴りというものを知った。

 結婚に反対する者はいなかった。錠野の家は言わずもがな賛成で、天道の父母は近いうちに訪れるであろう別れを危惧していたようだが、最終的には娘の数少ない望みを優先した。

 結果、祝福を受けた私たちは、奇跡的に健康な男の子をもうけることができた。彼女が私の名前から一文字取りたいと主張したので、晴澄と名付けた。

 けれど私たちは充分に息子を愛することができなかった。
 出産が原因だったのか、お腹の子を守ろうとする想いだけがこれまでの彼女を支えていたのかはわからない。
 ほどなくして、風花はベッドから起き上がれなくなったのだ。

 覚悟していたことだ。信徒である彼女が長く待ち望んでいたことでもある。お迎えが来れば、刺すような胸の痛みや心を蝕む苦しみから解放され、永遠の安らぎを得られるのだから。

「大丈夫、何も心配することはないわ。何も怖くない、何も……」

 風花もいつもどおりに繰り返していた──最期の一度を除いては。

 花に囲まれた病室。乾いた唇を震わせ、弱々しい声で、彼女は祈るように呟いた。

「──何もかも嘘。死にたくない」

 私は涙に濡れた手で、彼女の冷たい頬を拭った。

 葬儀は教会で執り行われた。
 彼女が愛したアネモネの花で棺を埋めて、私が天へと送り出した。


 ◆ ◆ ◆


 久しぶりの帰郷だ。父は挨拶回りに忙しく、あまり会社には顔を出さなかった。翌日も、翌々日も。
 ヴェスナも退屈そうではあったが、律儀に言いつけを守っており、職場付近で目撃されることはなかった。

 このまま何も起こらず時が過ぎ、用事を終えた父は何も知らずに東京へ戻るのだろう。晴澄も普段の生活に戻れるのだと、そんな油断をしはじめていた。

 当然、油断などするべきではなかった。

 1週間の終わりのことである。
 宿直の飛鳥あすかが、出社するなり神妙な様子で受話器を持ち上げた。

「親父、今日のお通夜が終わったら家に戻れるか? 話があってさ──うん、晴澄から」

 誰からと言ったか。

 事務処理をしていた晴澄が顔を上げると、電話を切った飛鳥もこちらを見つめていた。熱のこもった、隠しきれない喜びに煌めく眼差しで。

「ヴェスナくん、家で待ちたいって言うから、とりあえずお前さんの部屋に通しておいたよ。あ、実家の部屋な。お袋がたまに掃除してくれてるから綺麗だぜ」
「は……?」
「秘密にしつづけるもんだと思ってたからびっくりしたけど……話せるんならそりゃそのほうがいいもんなあ」

 うんうんとひとり頷き、晴澄の頭に手を置く。

「大丈夫大丈夫、案外うまくいくって」
「やめてください」

 思わず邪険にしてしまった晴澄だったが、緊張していると思ったのだろう、飛鳥には苦笑されるだけだった。
 そう、八つ当たりだ。飛鳥は悪くない。
 悪いのは例によってあの男なのだ。
 いや──“開く者”の悪魔っぷりを嫌というほど知っているはずなのに、詰めの甘い自分が悪いのか。

「……会社には来るなと言ったが……」

 実家に行くな、とは言わなかったのだ。

 宇宙の瞳を爛々と輝かせるヴェスナの顔が脳裏に浮かび、晴澄は拳をデスクに打ちつけた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「…俺の大好きな恋人が、最近クラスメイトの一人とすげぇ仲が良いんだけど…」『クラスメイトシリーズ番外編1』

そらも
BL
こちらの作品は『「??…クラスメイトのイケメンが、何故かオレの部活のジャージでオナニーしてるんだが…???」』のサッカー部万年補欠の地味メン藤枝いつぐ(ふじえだいつぐ)くんと、彼に何故かゾッコンな学年一の不良系イケメン矢代疾風(やしろはやて)くんが無事にくっつきめでたく恋人同士になったその後のなぜなにスクールラブ話になります♪ タイトル通り、ラブラブなはずの大好きないつぐくんと最近仲が良い人がいて、疾風くんが一人(遼太郎くんともっちーを巻き込んで)やきもきするお話です。 ※ R-18エロもので、♡(ハート)喘ぎ満載です。ですがエッチシーンは最後らへんまでないので、どうかご了承くださいませ。 ※ 素敵な表紙は、pixiv小説用フリー素材にて、『やまなし』様からお借りしました。ありがとうございます!(ちなみに表紙には『地味メンくんとイケメンくんのあれこれ、1』と書いてあります♪) ※ 2020/03/29 無事、番外編完結いたしました! ここまで長々とお付き合いくださり本当に感謝感謝であります♪

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

好色サラリーマンは外国人社長のビックサンを咥えてしゃぶって吸って搾りつくす

ルルオカ
BL
大手との契約が切られそうでピンチな工場。 新しく就任した外国人社長と交渉すべく、なぜか事務員の俺がついれていかれて「ビッチなサラリーマン」として駆け引きを・・・? BL短編集「好色サラリーマン」のおまけの小説です。R18。 元の小説は電子書籍で販売中。 詳細を知れるブログのリンクは↓にあります。

えっちな美形男子〇校生が出会い系ではじめてあった男の人に疑似孕ませっくすされて雌墜ちしてしまう回

朝井染両
BL
タイトルのままです。 男子高校生(16)が欲望のまま大学生と偽り、出会い系に登録してそのまま疑似孕ませっくるする話です。 続き御座います。 『ぞくぞく!えっち祭り』という短編集の二番目に載せてありますので、よろしければそちらもどうぞ。 本作はガバガバスター制度をとっております。別作品と同じ名前の登場人物がおりますが、別人としてお楽しみ下さい。 前回は様々な人に読んで頂けて驚きました。稚拙な文ではありますが、感想、次のシチュのリクエストなど頂けると嬉しいです。

潜入した僕、専属メイドとしてラブラブセックスしまくる話

ずー子
BL
敵陣にスパイ潜入した美少年がそのままボスに気に入られて女装でラブラブセックスしまくる話です。冒頭とエピローグだけ載せました。 悪のイケオジ×スパイ美少年。魔王×勇者がお好きな方は多分好きだと思います。女装シーン書くのとっても楽しかったです。可愛い男の娘、最強。 本編気になる方はPixivのページをチェックしてみてくださいませ! https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21381209

潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話

あかさたな!
BL
潜入捜査官のユウジは マフィアのボスの愛人まで潜入していた。 だがある日、それがボスにバレて、 執着監禁されちゃって、 幸せになっちゃう話 少し歪んだ愛だが、ルカという歳下に メロメロに溺愛されちゃう。 そんなハッピー寄りなティーストです! ▶︎潜入捜査とかスパイとか設定がかなりゆるふわですが、 雰囲気だけ楽しんでいただけると幸いです! _____ ▶︎タイトルそのうち変えます 2022/05/16変更! 拘束(仮題名)→ 潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話 ▶︎毎日18時更新頑張ります!一万字前後のお話に収める予定です 2022/05/24の更新は1日お休みします。すみません。   ▶︎▶︎r18表現が含まれます※ ◀︎◀︎ _____

こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件

神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。 僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。 だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。 子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。   ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。 指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。 あれから10年近く。 ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。 だけど想いを隠すのは苦しくて――。 こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。 なのにどうして――。 『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』 えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)

逢瀬はシャワールームで

イセヤ レキ
BL
高飛び込み選手の湊(みなと)がシャワーを浴びていると、見たことのない男(駿琉・かける)がその個室に押し入ってくる。 シャワールームでエロい事をされ、主人公がその男にあっさり快楽堕ちさせられるお話。 高校生のBLです。 イケメン競泳選手×女顔高飛込選手(ノンケ) 攻めによるフェラ描写あり、注意。

処理中です...