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7話 若き葬儀屋の悩み

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 いつ死んでもいいと、物心ついたときから思っていた。

 積極的に死にたいわけではない。かといって前向きに生きたいわけでもない。自分がいようがいまいが地球は変わらず回るのだから、どちらでも構わない。
 朝起きて、学校に行き、嫌がらせを受け、放課後に家業を手伝い、夜眠る日々を繰り返していると、そんな思いは強まる一方だった。

「……これが最期の日か」

 鞄と靴、そして自分自身も冬の川に投げ込まれ、河川敷でほとんど意識を失っていたその日さえ、気持ちは穏やかだった。
 だから草を踏み分ける音がして、花を抱えた少女が現れたとき、天使が迎えにきたのだと目の前の光景を疑いもしなかったのだ。
 おかしな話だ。天国も極楽も信じておらず、そういった都合のいい存在がいるだなんて想像したこともなかったのに。

 それほどまでに、その少女が異質だったのだろう。

「綺麗ね」

 彼女は微笑を浮かべてみせた。今にも音を立てずに壊れてしまいそうな、繊細なガラス細工のような笑みだった。しかし不思議と声はよく通り、天のお告げを思わせた。

 そのためか、言葉の違和感に気付いたのはしばらく経ってからだった。

 綺麗──彼女は自分自身を称賛する生き物ではないように見える。厚い灰色の雲に覆われた空も、轟音を立てる濁った水流も、綺麗とは到底言いがたい。いったい何が綺麗なのだろう。

 瞬きを繰り返し、泥のついた指がもてあそぶ白い花に目を留める。

「その花が、ですか」

 何の変哲もない、道端に生えている野花のようだったが、とにかくやっとのことで問いかえすと、少女は首を横に振った。

「いいえ。生きているあなたが綺麗だと言ったの」

 答えの不可解さに眉をひそめつつ、確かな失望で腹の底が重くなる。

 ──ということは、残念ながら、この身はまだ死んではいないらしい。

 馬鹿げた妄想をしたものだ。凍りついた体を無理矢理起き上がらせる。これが現実だというのなら、少なくとも彼女はここにいるべきではないだろう。

「……早く帰ったほうがいいですよ。自分なんかと一緒にいるところを見られるのはよくない」
「いいえ。いいかよくないかはわたしが決めるわ」

 先程よりも強い、絶対的な響き。少女は押しつけるような格好で花を差し出し、こちらの目をまっすぐに覗きこんだ。

「いつもご贔屓ありがとうございます、錠野じょうのさん。サンズフラワー、天道風花てんどうふうかがお花のお届けにまいりました」

 生涯忘れることのできない、妻との出会いである。


 ◆ ◆ ◆


 何も考えたくないときはセックスに限る。

 絵に描いたような現実逃避だと自嘲しながら、晴澄はるすみはヴェスナの肉体に溺れ、眠りに就くタイミングを逃した。

 朝の光が窓から射し込んでくる。時間切れだ。
 悪あがきでアラームを無視し、なめらかな肌を食みつづけていたが、さすがにうるさかったのかスマホを放り投げられそうになったので、回収して音を止めた。

「──もういいのか?」

 甘く掠れた悪魔の誘惑。シーツに髪を散らしたヴェスナは疲労を滲ませるどころか一層の淫靡さすら漂わせ、吐息に似た囁きで晴澄の耳朶をくすぐる。

「いや……やっぱり……」
「仮病を使うか? ふん、こうもおまえがぐずるとはな。余程父親が苦手と見える」
「……どうもありがとう、現実を突きつけてくれて」

 おかげで萎えて服を着る気になった。
 背中に巻きつく腕を未練とともに剥がし、ベッドを下りる。

 何も父だけが会社で待ち構えているわけではないのだ。仕事が、日常が、晴澄を待っている。いつもどおりであることを望むなら、今日も今日というものを開始しなければならない。
 そう自分に言い聞かせてはみるものの、ネクタイを結ぶ指は鈍い。

「手伝ってやろうか」
「いい、構うな。そもそも結べないだろう」
「やってやれないことはないんだがな。ふふ、かわいいやつ」

 冷たくあしらわれてもヴェスナは上機嫌だ。
 微塵も理解できないが、旅行中言っていたとおり「かわいくないところがかわいく思える」という理屈なのだろう。いっそ全力で彼に甘えたほうが余計な関心を呼び起こさずに済むのだろうが、それができないからこうして事態がややこしくなっている。

 そのややこしい男を逃げ場にしている現状に溜息をついたところで、ふと彼の言葉の続きが思い出された。

「ヴェスナ、お前……」
「んー?」
「おまえが欲するものは何だって与えてやりたい、とか何とか言っていたな」
「そこは聞いていたのだったか? 確かに言いはしたが」
「頼みがある」

 拳を握りこむ晴澄に、ヴェスナも無言でソファに座りなおし、話を聞く姿勢を見せた。

「……少しの間でいいから平穏がほしいんだ」

 うむ、と相槌とも了承ともつかない声が返ってくる。具体的な要求があるのをわかっていて、先を促しているようでもあった。

「だから当分、うちの会社には来るな」

 なぜこんな当たり前のことを改まって頼まなければならないのだろうか、という疑問が生じたのは、家を出てバイクに跨ってからだった。
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