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6話 ツキと六文銭
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ヴェスナは至極ご機嫌だった。
「所詮寂れた商店街の当たりくじだと期待せずに来たが……存外賑わっているものだな。見ろハル、旅館もなかなか立派だぞ、ほら」
「……」
行きの列車で神経を磨り減らしていた晴澄はすでに疲弊している。溜息すら出ないほどだ。
腕を引かれるがまま旅館でチェックインを済ませ、一通り説明を終えた仲居が部屋を去ってからも、警戒を解く気にはならない。
確かに、乾燥した食事を提供され6人で雑魚寝をさせられた修学旅行と比較するのが失礼なくらいまともな旅館だった。
当然ながら客室のグレードも高い。
清潔な木と畳のにおい、森に面した大きな窓──少しくぐもった、湯の流れる音。
贅沢なことに、この部屋には源泉掛け流しの露天風呂がついていた。
「よし、早速堪能するとしよう。家の風呂より広いから寛げるなあ、ハル」
「好きにしろ」
「誘ってやっているのではないか」
「まだ昼だろう」
「風呂に、だ。このむっつりスケベ」
早く脱げとシャツの襟に手をかけてくるが、そういう類の下心がないほうが晴澄には恐ろしい。
腕を払いのけ、緩んだボタンを閉めて、座椅子から立ちあがる。
「ちょっと出てくるから、露天風呂はお前ひとりで楽しめばいい」
「はあ? 着いて早々別行動だと? 一体何を企んでいる」
「こっちのセリフだ」
「あ、おいこらハル!」
次の憎まれ口が飛んでくる前に部屋の外へ出てしまう。
ヴェスナを目の届かないところで放置しておくこともまた落ち着かなくはあるのだが、皮膚の下を走るぞわぞわとした嫌な感じを抑えるには、彼の傍を離れたほうがいいに違いない。
いつもとは異なる環境に放り込まれ、実感が深まる。避けるべきは傍迷惑なトラブルより、心の鍵穴を無遠慮にまさぐられるストレスだ。
ポケットからスマホを取り出す。気を遣われているのだろう、会社の人間はメッセージひとつ送ってこない。
唯一の逃避先に門戸を閉ざされ、せめて職場への土産を探すことで気を紛らわそうと、晴澄は売店へ向かうことにした。
旅館の規模を裏切らず、1階ロビー横の土産物屋は店舗面積も広く品揃えも豊富だった。普通の宿泊客は温泉街に繰り出す時間帯なのだろう、晴澄以外にそれらしき姿は見当たらない。
人影というならレジカウンターにふたつ。
店員の女性に向かって、スーツを着た女性が何やら訴えかけている。
ただならぬその雰囲気にそっと距離を取るが、ほぼ無人の店内でひそひそ声は浮いており、意に反して聴覚が会話を拾いあげてしまう。
「──二重にしたらいいじゃない。お土産はそうしてるわよ」
「予備が大量にあるならそうしますけど……」
「ないの? じゃあもうお客さんに事情話して、別のに変えてもらうしかなくない?」
「無理なんですよ……これ、ご家族さまがデザインされた特注品なんですって。絶対何とかしてって言われちゃいます……!」
「特注ねえ。はあ、何を入れるのかちゃんと考えてから作ってくれないかしらね……破れたり割れたりして、縁起悪いってケチがつくのは自分たちなんだから」
彼女たちが検めているのは白を基調とした上品な紙袋。なお、晴澄が自主的に確認したわけではない。通りすがりに見えただけだ。
そのついでに、カウンターの奥に佇んでいる店員の女性とも目が合ってしまった。
繕った声がいらっしゃいませを発すると同時に、スーツの女性がこちらを振り返る。
糊のきいたシャツ。控えめながら隙のない化粧。直前のやりとりから察してはいたが、とても温泉旅館にリラックスしにきた旅行者の格好ではない。
それを裏付けるかのように、女性は瞬時に微笑を浮かべ、すっと背筋を伸ばしてみせた。
「ご来店ありがとうございます。何かお困りのことがございましたらお伺いしますが……」
「あ、いえ……」
困っているのはこちらではなく彼女だろう。
いや、晴澄も困っているといえば困っているのかもしれない。解決策に心当たりがあるせいで。
換えのきかない特注品。二言目には縁起の話。土壇場のトラブルが多いわりには熟考の時間は与えられず、けれど些細なミスも許されない状況。
実るものこそ正反対であるものの、おそらく彼女は同じ畑の人間だ。
「──紙袋の補強、お手伝いしましょうか」
女性は式場担当者らしい模範的な立ち姿のまま、その目にわずかな驚きを滲ませた。
「所詮寂れた商店街の当たりくじだと期待せずに来たが……存外賑わっているものだな。見ろハル、旅館もなかなか立派だぞ、ほら」
「……」
行きの列車で神経を磨り減らしていた晴澄はすでに疲弊している。溜息すら出ないほどだ。
腕を引かれるがまま旅館でチェックインを済ませ、一通り説明を終えた仲居が部屋を去ってからも、警戒を解く気にはならない。
確かに、乾燥した食事を提供され6人で雑魚寝をさせられた修学旅行と比較するのが失礼なくらいまともな旅館だった。
当然ながら客室のグレードも高い。
清潔な木と畳のにおい、森に面した大きな窓──少しくぐもった、湯の流れる音。
贅沢なことに、この部屋には源泉掛け流しの露天風呂がついていた。
「よし、早速堪能するとしよう。家の風呂より広いから寛げるなあ、ハル」
「好きにしろ」
「誘ってやっているのではないか」
「まだ昼だろう」
「風呂に、だ。このむっつりスケベ」
早く脱げとシャツの襟に手をかけてくるが、そういう類の下心がないほうが晴澄には恐ろしい。
腕を払いのけ、緩んだボタンを閉めて、座椅子から立ちあがる。
「ちょっと出てくるから、露天風呂はお前ひとりで楽しめばいい」
「はあ? 着いて早々別行動だと? 一体何を企んでいる」
「こっちのセリフだ」
「あ、おいこらハル!」
次の憎まれ口が飛んでくる前に部屋の外へ出てしまう。
ヴェスナを目の届かないところで放置しておくこともまた落ち着かなくはあるのだが、皮膚の下を走るぞわぞわとした嫌な感じを抑えるには、彼の傍を離れたほうがいいに違いない。
いつもとは異なる環境に放り込まれ、実感が深まる。避けるべきは傍迷惑なトラブルより、心の鍵穴を無遠慮にまさぐられるストレスだ。
ポケットからスマホを取り出す。気を遣われているのだろう、会社の人間はメッセージひとつ送ってこない。
唯一の逃避先に門戸を閉ざされ、せめて職場への土産を探すことで気を紛らわそうと、晴澄は売店へ向かうことにした。
旅館の規模を裏切らず、1階ロビー横の土産物屋は店舗面積も広く品揃えも豊富だった。普通の宿泊客は温泉街に繰り出す時間帯なのだろう、晴澄以外にそれらしき姿は見当たらない。
人影というならレジカウンターにふたつ。
店員の女性に向かって、スーツを着た女性が何やら訴えかけている。
ただならぬその雰囲気にそっと距離を取るが、ほぼ無人の店内でひそひそ声は浮いており、意に反して聴覚が会話を拾いあげてしまう。
「──二重にしたらいいじゃない。お土産はそうしてるわよ」
「予備が大量にあるならそうしますけど……」
「ないの? じゃあもうお客さんに事情話して、別のに変えてもらうしかなくない?」
「無理なんですよ……これ、ご家族さまがデザインされた特注品なんですって。絶対何とかしてって言われちゃいます……!」
「特注ねえ。はあ、何を入れるのかちゃんと考えてから作ってくれないかしらね……破れたり割れたりして、縁起悪いってケチがつくのは自分たちなんだから」
彼女たちが検めているのは白を基調とした上品な紙袋。なお、晴澄が自主的に確認したわけではない。通りすがりに見えただけだ。
そのついでに、カウンターの奥に佇んでいる店員の女性とも目が合ってしまった。
繕った声がいらっしゃいませを発すると同時に、スーツの女性がこちらを振り返る。
糊のきいたシャツ。控えめながら隙のない化粧。直前のやりとりから察してはいたが、とても温泉旅館にリラックスしにきた旅行者の格好ではない。
それを裏付けるかのように、女性は瞬時に微笑を浮かべ、すっと背筋を伸ばしてみせた。
「ご来店ありがとうございます。何かお困りのことがございましたらお伺いしますが……」
「あ、いえ……」
困っているのはこちらではなく彼女だろう。
いや、晴澄も困っているといえば困っているのかもしれない。解決策に心当たりがあるせいで。
換えのきかない特注品。二言目には縁起の話。土壇場のトラブルが多いわりには熟考の時間は与えられず、けれど些細なミスも許されない状況。
実るものこそ正反対であるものの、おそらく彼女は同じ畑の人間だ。
「──紙袋の補強、お手伝いしましょうか」
女性は式場担当者らしい模範的な立ち姿のまま、その目にわずかな驚きを滲ませた。
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