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6話 ツキと六文銭

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「それってお金、なんですよね」

 経帷子に三角頭巾、数珠に頭陀袋。
 死装束の準備中、故人の長男が指差したのは紙の六文銭だった。

「はい。三途の川の渡し賃としてご用意しております」
「その……お恥ずかしい話なんですが、父は無類の賭け事好きだったもんで……持たせても大丈夫でしょうか? 何かよくないことに使っちゃいそうで不安だな……」

 アシスタントとして控えている平坂ひらさかが、周囲に悟られぬようこちらを注視する。
 遺族の素朴な疑問に戸惑っていたのでは葬儀屋は務まらない。晴澄はるすみは長男に向きなおり、六文銭を広げてみせる。
 冥銭とも呼ばれる金銭を模した副葬品には、かつては実際の貨幣が使用されていた。しかし文という通貨がなくなる、火葬への移行で不燃性の副葬品が禁じられるなど、近代化に伴う種々の都合により、今では紙に印刷したものを納めるに留まっている。

「言うなれば乗船券でして、それ以外の使い道はございませんのでご安心ください。よろしければ──」

 死後の世界を信じぬ自分の口からこんな慰めが飛びだすことには薄ら寒さを覚えるが、彼らにはまるで関係のない話だ。
 表情には滲ませず、あくまで真摯に職務を全うする。

「ご家族さまから直接、お声かけとお渡しをお願いできませんでしょうか。大切な方たちから大切なものだとお伝えいただいたほうが、お父さまも心に留めておかれるでしょうから」





「六文って何円ですか?」

 質問するタイミングをずっと窺っていたのだろうか。事務所でコンビニ弁当に手を合わせるや否や話を振った平坂に、飛鳥あすかがパソコンのキーボードを叩くのをやめた。

「文は文だが……それこそバスとか電車の運賃程度らしいな。300円以下ってとこ? あの世の物価は知らねえけど、何百年もお値段据え置きなのは良心的さね」
「あ、安い。そんなもんなんですね。じゃあ余程ツイてる人でないと一発当てるのは難しいか」
「何の話よ」
「いえ、さっき晴澄さんと対応したご葬家そうけが……」

 唐揚げを頬張った平坂の視線に応じて晴澄から経緯を説明すると、飛鳥は愉快そうに肩を揺らした。

「なるほど? 確かに最期に持たせてもらった船賃でギャンブルしたら、一発当てたところで浄土に辿り着ける気はしねえよな」
「ギャンブル自体が悪いとは思わないんですけどねー、オレも夢見るときはあるので。ほら、地獄の沙汰も金次第って言いますし」
「だから浄土行けてねえだろ、それ……って意外だな。平坂くんがギャンブル?」
「宝くじとか、わりと買うほうなんです」

 葬家の懸念に関心を寄せた理由はそこにあるようだ。口の中のものを飲みこんで、少し照れくさそうに眉を下げてみせる。

「別に何億何兆ほしいとかじゃなくて、ちょっと臨時収入があったら嬉しいなあ、たまにはコンビニ弁当じゃなくて小洒落たレストランで食事したいなあ、くらいのちっちゃい夢なんですけど」
「まあその気持ちはわかるぜ。生きとし生けるもの、たまの贅沢は必要だわな」
「あー……死んじゃったら贅沢も夢もなしですよね」
「所持金300円もないんじゃなあ」

 休憩中の、取るに足らない雑談だった。堅実な晴澄にはそもそも縁のないこと。
 そう思って積極的に口出しもせず、会話に区切りがついたあとは綺麗さっぱり忘れ去っていた。

 ──その夜、自宅に帰り着くまでは。

「喜べハル。温泉旅行を当ててやったぞ」
「は?」

 厄介なことに、開く者というのは“開”運もお手の物らしい。





「温泉、いつ行くか決まった?」

 ヴェスナが商店街の福引きで運のよさを披露したニュースは、翌朝出社してみるとなぜか飛鳥の耳に届いていた。

「……あの、それ……どこで……?」
「薬局で特価シャンプー買っただけのスーパーモデルみたいな金髪青年が特賞当てた……ってな噂をっちゃんが聞いたんだと。で、ヴェスナくんじゃないかって僕に連絡が来たの」
「…… 橘月たつき……」

 鬱陶しい前髪をしたサンズフラワーの跡取りが、晴澄の脳内でこちらを指差して笑っている。

「何で飛鳥さんに……」
「お前さんに直接聞いてもごまかされると思ったんだろ。カマかけた僕が言えた義理じゃねえですが」
「あ」

 してやられた。悪いな、と気の毒そうに苦笑されては苦情も言えず、皺の寄った眉間を揉む。

 橘月も飛鳥も正しい。
 ヴェスナとは同居人というだけで恋仲ではなく、誤解を広げたくない晴澄としては、ふたり仲良く旅行に出かけるなんて話を自分から切り出すわけがなかった。そもそも当然のように晴澄が同行する前提になっているが、旅行券はヴェスナが当てたものだ。必ずしも自分が行かなければならないことはない。

 ──という議論を昨夜ヴェスナと小1時間やりあって、埒があかないので物理的に口を塞いで有耶無耶にして今日を迎えている。

「晴澄が旅行なんて高校の修学旅行以来かねえ。ラッキーじゃねえの、仕事のことは忘れてゆっくりしてきな」
「気持ちはありがたいんですが……その、ヴェスナひとりで行かせようと思ってて」
「え、ペアチケットだろ? 温泉嫌なのか?」

 返事に困って目を伏せる。
 温泉という裸の同性に囲まれる状況もやや不安ではあるが、それ以上に、ヴェスナとふたりきりで遠出をするのが嫌だった。

 見知らぬ土地とはすなわち、身を守るすべのない場所。何に巻きこまれ、何を強いられるのか。終始心臓に負担をかけられて、かえって疲れ果てるのが目に見えている。

 しかし晴澄が遠慮していると判断してか、飛鳥も珍しく引き下がろうとはしなかった。

「ヴェスナくんが来てから前より休めてるとはいえさ、お前さんアホほど有休溜まってんだから。この機会に消化しようぜ」
「でも仕事に穴をあけるわけには……」
「大丈夫大丈夫、寒さのピークも過ぎたし、1週間くらいならうちもどうにかなるって。あ、この辺りどうよ、友引前ともまえから次の友引まで」
「いえ……そんな……」

 意味のない否定。
 わかっている。ヴェスナの好運は、晴澄にとって運の尽きだ。

 こうなっては結局、晴澄に逃げ場などないのである。

「……2日あれば充分ですから……」

 半ば呻きながら伝えると、飛鳥はとびきり嬉しそうに笑い、壁のカレンダーに赤マルをつけた。

 かくして寒さの残る3月上旬、晴澄は厄災の元に引きずられ、平和な温泉街に降り立ったのだ。
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