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10 王都 1

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 シャミルの戦いから数日。
 戦艦Cガストニアは延々と続く山間の谷間を通り過ぎようとしていた。

 哨戒から戻り、ジンはブリッジに上がる。
「異常無しだ。この谷を越えれば王都か」
 操艦を指示しながら頷くヴァルキュリナ。
「ああ。流石にここの先には魔王軍も入りこめない筈だ。ようやく安心できる所まで辿り着いた」
 それを聞き、ジンの脳裏を不吉な物が掠めた。
(……今の一言で嫌な展開になりそうな予感だが……まさか、な)

 夕方、谷を抜ける手前の小さな村の側で、艦は停まった。今日はここで夜を明かし、明日、早くに王都へ着くという。
 ジン達三人とゴブオ、リリマナは夕食をとるため、村へ出かける事にした。
 艦の食堂は日替わりでメニューが変わるとはいえ、毎週同じ献立を繰り返す。全員、食にはうるさくない方だが、やはりたまには気分を変えたい。

 村にある食堂は野外テーブルへ酒と軽食を提供する、屋台みたいな酒場だけだった。その酒と軽食も一種類ずつしかない。
 村人が一仕事終えてから立ち寄る「呑み屋」であり、あちこちのテーブルには農夫達が数人ずつ固まっていた。
(魔法かロボが関わらない分野の文明レベルは地球の中世だか近世だか程度か。ファンタジー世界の基本かもしれんが……)
 そう考えつつテーブルの一つについて、とりあえず食事を注文するジン。
 なんだかんだで久々に外での食事なのだ。それだけでも機嫌は上向きになるというもの。
 ゴブリンやリザードマンがいるからだろう、農夫達は奇異の目を向けてきてはいる。だが面と向かって何か言っては来なかった。

 ほどなく、警戒も露な肥えた親父によって運ばれてきたのは、蜂蜜色の酒と赤茶色のスープ、そしてパン。スープはペーストに近く、いろいろ具が入っているようだが――
「さぁ、食べよう!」
 リリマナが嬉しそうにリンゴの切り身を齧る。彼女だけは別に果物を一皿頼んでいた。
「うん、美味しいよ!」
 スープを口に運んで喜ぶナイナイ。
 実のところ、艦で出る日替わり料理の方が一段上という食事なのだが……旅先で変わった物を食べる、というのは実際以上に美味く感じさせるものだ。
「どれどれ……」
 ジンも食事に手を伸ばす。

 まず酒に口をつけてみた。
(……梅酒だ、これ!)
 本当に梅なのかどうかはわからない。だがジン程度の舌では、味も喉越しもそうとしか思えなかった。
 スープを試す。
(カレー!? トマト入ってるカレー?)
 ジンの表現できる範疇だと、そういう味である。肉は鶏としか思えない。他の具もジャガイモとタマネギだ――それらがこの村で何と呼ばれているのか、本当はどんな動植物なのかは知らないが。
 そしてパンはと言えば。
(……ナンというか、餅っぽいというか)
 予想していたような食感とは全く違い、とまどいを覚えずにはいられなかった。

 だがナイナイは機嫌よく食べている。
 ダインスケンは普段と変わる事なくもりもり食っている。
 ゴブオもいつも通り、ベチャベチャと行儀悪く食べていた。
「今日は星が綺麗ねェ」
 空を見上げながらさくらんぼを齧るリリマナ。天が暗さを増すとともに、頭上には数えきれない星がちりばめたように瞬く。
「ま、こういうのも悪くはねぇか」
 言いながらジンは酒のカップを手にした。


 ――が、口につけずテーブルへ置いた。
 ダインスケンも食事が終わっていないというのに、スプーンをテーブルに置く。


 二人の態度に戸惑うナイナイ。
 だがテーブルの向こうにいる集団を、その先頭にいる男を見て絶句した。
 その男が声をかけてくる。
「久しぶりだな」
「ま、マスターウインド……!?」
 ゴブオが目を剥いて呻いた。

「ここまでどうやって入り込んだんだ」
 肩越しに訊くジンに、マスターウインドは不敵な笑みを浮かべた。
「時間と手間をかけて、ゆっくりとな。もしお前達が先を急いでいたら、こうして会う事もなかったかもしれないが」
 はあ、とため息をつくジン。
「やれやれ……ターン数が関わる分岐でも仕込まれていたのかよ」

 マスターウインドは悠然と言い放つ。
「これが最後のチャンスだ。魔王軍に来い」
「断るからよ」
 即答するジン。
 マスターウインドの後ろにいた者達がいっせいにマントを脱ぐ。ダークエルフやスケルトンソルジャーといった、人間と同体格の、だが中級にランクする魔物達だった。
 農夫達が悲鳴をあげて逃げ出す。

 そしてマスターウインドは――片手をあげて魔物達を止め、言葉を続けた。
「前にも言ったが、お前達の体を戻せるのは魔王軍だけだ」
「そんなの、わかんないじゃない!」
 ジンの肩で憤慨するリリマナ。
 だがマスターウインドは首を横にふった。


「魔王軍四天王の一人が、新たな強化兵士を造ろうとしてな。魔物を含む幾多の生物の細胞を用いて生物を合成した。その中には……魔王軍が召喚した聖勇士パラディンのうち、能力的に劣る個体もあった。そしてできた試作体16人からデータを集め、新型強化兵士を完成させるつもりだったそうだ」

 その場こそが、ジン達が眠っていた砦だった。

「16人は全員別の世界の者。また改造に使われた生物も様々。だが共通して、必ずの細胞だけは使われ、遺伝子にも組み込まれた。いわば――16人は全員、人口の兄弟姉妹。片親を同じとする一族」

 ジン達三人の共通点――ケイオスレベルの上昇速度やエースボーナス等――は、同族であるが故だったのだ。

「同じ一族であり、ある種の感応能力を有して連携する。それでいながら能力自体はある程度多様化され、様々な役割を個々が受け持つ。交配も可能であり、繁殖して次世代以降の人員を確保する」

 各個体が集団を一個とするための存在であり、分業するための機能を持って部品として生まれる。それはアリやハチといった、真社会性の生物も有する能力である。
 
「魔王軍のために、新たな魔物の種族を品種改良して生み出す。それが超個体戦闘員スーパーオーガニズムコンバタント計画らしい」


 マスターウインドの、長くはあっても淡々とした説明。
 それを聞いてナイナイは小さな声で呻いた。
「そんな……僕らの、人の体を勝手に……」
 しかしマスターウインドがそれに応えて言うには――
「お前達三人の体は、まだある」

聖勇士パラディンもまた合成の材料に過ぎなかった。お前達の元の体はまだ残っている。今のその体は、各人の細胞を材料に使った別の体なのだ」
 そう言われて自分の体を見下ろすジン。
「今の体は元の体のクローン……そんな所か。そうなると、本物の俺がまた別にいる……と?」
 だがそれには「いいや」と言って、マスターウインドは否定した。
「元の体は生ける屍になって保管されているはず。人造のその体が本人として覚醒しているのは――魔術により、本人の魂を移動させたからだ。俺は魔術の事はよくわからんが、お前の魂はこの世に一つ……という事を変えられんらしい。言い換えれば、お前達三人には元の体に戻るチャンスがある。今ならまだな。だがここで逆らえば、本物の体は処分されてしまうだろう」

 改めて、低くはっきりとした声でマスターウインドは問う。
「もう一度言おう。これが最後のチャンスだ。魔王軍に来い」

 少しの間、場は静まり返った。
 リリマナが困惑して訊く。
「どうするの、ジン……」
「ナイナイ、ダインスケン。お前らはどうだ?」
 ジンは他の二人に訊いた。

「ぼ、僕は……」
 口籠るナイナイ。
「この変な体は、嫌だけど……でも……」
 迷ってはいた。
 だがそれでも、意を決して言う。
「元の体を人質にされて、悪い人達のいいなりになるのは、それも嫌なんだ……もっと嫌だ!」

 ダインスケンは「ゲッゲー」と鳴いた。

 ニヤリと笑うジン。
「そうか。なら決まりだな。マスターウインド、やはり俺達はお前らの軍門には降れねぇ」
「ジンはいいの?」
 リリマナが訊くが、それにははっきりと頷く。
「若返って腹も引っ込んで髪もふさふさで活きが良くて飯も大量に食える。この体が元の体に劣っている所がマジで一つも無いからよ。魔王の手先になってどこぞの国へ侵攻する道とじゃ、選択肢として成り立ってねぇ」

 兵士達を制止していた手を、マスターウインドは降ろす。
「そこまで腹を括ったならもう言葉は無用か。ならば見せるしかあるまい……闘う事は己の処刑と同義だと謳われた、舞葬琉拳まいそうりゅうけんの神髄を!」
 鋭い声で己の流派を名乗りながら、拳法の構えを見せた。

 そして――夕闇の下で戦いが始まった!


 血飛沫があがった。
 最初の犠牲者は先頭にいたワーウルフ。顔面を縦に両断された狼男は悲鳴もあげられずに絶命する!
 そいつを仕留めたダインスケンは、自分を取り囲もうとする魔物の群れへと背を低くして身構えた。
 その背後へ回ろうとした魔族の戦士が、飛んできたナイフを肩に受けて剣を落とす。盾にしたテーブルの陰からナイナイが投げた物だ。
「ええい、小僧が!」
 ダークエルフが苛つきながらその掌に火球を作り出し、ナイナイへ投げようとした――が、その腕がダインスケンの爪に斬り飛ばされた。エルフは絶叫しながら地面を転がる。

 田舎村の片隅に、突如として生まれた血みどろの地獄。
 屋台の陰で頭を抱えて震える店主以外、村人は全て逃げ去っていた。ゴブオも一緒に逃げてしまってどこにもいない。
 そして夜空に退避していたリリマナが悲鳴をあげた。
「ジン!」

 マスターウインドの鋭く素早い連続蹴りを受け、ジンがほぼ真横に吹っ飛ばされたのだ。
 ぶつかったテーブルが派手な音を立てて壊れる。

 だが――マスターウインドもまた吹っ飛ばされ、地の上を転がっていた。
 身を起こすも、胸を押さえて膝をつく。
 そこにたった一撃だけ入ったジンの拳が、それだけのダメージを与えていた。

「こ、この男……!」
 呻き驚くマスターウインド。
 以前は優勢だったというのに……この場で互いに与えたダメージは互角だ。

 ジンも少々ふらつきながら立ち上がり、改めて身構える。
「まさか、手加減してるだとか様子見だとか今から本気出すだとか……しょっぱい事は言わないな?」
 ジンは理解していた。いまだにスピードではマスターウインドに分がある事を。
 だから多少防御に隙ができても、敵の攻撃へ捨て身でぶつかっていったのだ。相打ち覚悟で攻撃をぶつけ合わないと、ジンの拳はまともに命中しないと踏んで、だ。
 そして――ジンの思惑は大体当たった。
「まぁ言論は自由だから、言うのはあんたの勝手だが」
 ジンはマスターウインドへ大股で近づく。
 マスターウインドはギリリと歯を食いしばって立ち上がった。
「随分と、腕をあげたものだな……」
 その形相にもはや余裕は無い。
 一方、ジンは不適な笑みを浮かべた。
「ちょっと前に敵千匹斬りで鍛えたからよ」

 また一匹、魔王軍の兵士が首を刎ねられて倒れた。
 もはや半数をきった敵群を前に、ダインスケンが「ケケェーッ!」と吠え声をあげる。
 彼自身、無傷では無いのだが――魔王軍は見た。刀傷が、魔法で焼かれた部位が、徐々に新たな鱗と皮に覆われていくのを。
「こ、こいつ、再生能力リジェネレイト持ちか!」
 有角の鬼戦士がおののいて叫んだ。

 マスターウインドはまた膝をついた。
 対峙するジンは……よろめきはしたが、立っている。
 幾度か攻撃をぶつけあう中、流れに僅かな変化が生じていた。
 荒い息を吐きながら立ち上がるマスターウインドを前に、ジンは言う。
「言論は自由だから勝手に言わせてもらうが……既に俺の勝ちだからよ」
「なにぃ!?」
 怒りでジンを睨みつけるマスターウインド。

 耐久合戦となれば互いに消耗は避けられない。
 だが――ジンにもダインスケンほどでなはいにしろ、再生能力リジェネレイトがあったようだ。瞬時に傷が塞がったりはしないが、打撃からの回復は本人が思っている以上に早かった。
 互いにダメージを与え、体力を削りあっているならば……単純な話である。体力差がそのまま勝敗に繋がるのだ。

 しかしジンが勝利を確信しているのは、むしろ別に理由があった。
「こっちは三人だぞ。俺一人と五分な時点でお前に勝ちは無いだろうが」
 そう言ってチラと仲間を横目で見るジン。
 魔王軍は最後の兵士がダインスケンと戦っている最中だった。後ろ回し蹴りを受けて吹き飛ばされている兵士の命など、もはや風前の灯火であったが。

(バカな!? 以前のこいつらなら確実に仕留める事ができた筈……!)
 避けられない敗北を前に愕然とするマスターウインド。
 ジン達と直に手合わせした経験から、必勝を確信した戦力である。それがこうも完全に敗れるとは?
「俺は……こんな所で死ぬわけにはいかん!」
 余力を振り絞り、マスターウインドは跳んだ。

 後ろに跳びながら投げた、二本の短剣。
 片方はダインスケンが――最後の敵兵士を倒した、その直後に――避け、もう片方はジンの右腕が弾く。
 だが避けた方が地面に、弾いた方が腕の甲殻に触れた途端、巨大な黒い球体が生じて辺りを呑み込んだ!
「な、何なの!?」
 ナイナイの悲鳴があがる。

 そしてジン達は……黒い球体から歩いて出てきた。
 全員、特にダメージを受けた様子は無い。
「なんだ、この黒いのは?」
 首を傾げるジン。
 リリマナが「あっ!」と叫んだ。
「暗闇を作り出す魔法! 一種の目くらましだよ。幻覚系の初歩だけど、視界は遮るから、逃げる時とかによく使われる……」

 確かに。
 マスターウインドの姿はもうどこにも無かった。
 ジン達を倒した後、場合によっては軍の兵士達に追われるかもしれない。その為にマスターウインドが用意していたアイテムなのだが、予定とは全く違う使い方になってしまったのだ。

「何よアイツ、散々偉そうにしておいて!」
 憤慨するリリマナ。
 一方、ジンは腕組みをしてじっと黙っている。
 ナイナイがジンを見上げた。
「ジン? 何を考えてるの?」
「うん、いや……既にスイデン国内に入っているのに、厄介な奴と連続で遭遇するもんだと思ってな」
 前回戦った無限増援の使い手・マスターコルディセプスの事も、ジンは思いだしていたのだ。
(敵の幹部クラスがほいほいうろつけるって、どういう事だ? 抜け道でも造られてるんじゃねぇのか)
 実際にどうなのかはわからない。
 だが安全圏に入ったというヴァルキュリナの言葉が、完全に覆された事はわかった。ジンの悪い予感が当たった事になる。


 店もメチャクチャでもはや食事どころではない。ジン達は艦へと戻る。
 だが帰還を報告するためにブリッジへ入るや、ヴァルキュリナが焦りながら大声をあげた。
「すまない、急いで支度してくれ! これより王都へ急行する!」
「あ、ああ。別にいいが……そんなに慌ててどうした?」
 戸惑うジン達に叫ぶヴァルキュリナ。
「王都が! 襲撃されているんだ! 魔王軍に!」

 最奥の最重要拠点へ、敵の軍が直接乗りこんできたのである。

「はあぁ? マジでこの国の防衛はどうなってんだ!?」
 ジンも思わず叫んでいた。
 一つの悪い予感が二度も続けて的中した。
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