みちのくニーベルング 奥州黄金奇譚

夢売吉次

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序章

「千代の過客」⑤

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 森閑しんかんとした境内に耳を裂く金属音が鳴り響いた。
 折れた白刃が宙を舞う。
 蜂屋が手にする刀は根本から折られていた。
「むっ!?」
 曾良がかえしの一閃を入れる。刃は蜂屋の鼻先をかすめ、空を切った。
 蜂屋は一足跳びに後退し、曾良からの距離を空ける。
 曾良が懐に隠していたのは小振りの脇差。その一撃で蜂屋の刀は砕かれた。
「……新陰流か」
 蜂屋は折れた刀を投げ捨てる。撃ち合わせの衝撃で痺れたのか、手を何度か握って感覚を確かめた。
 新陰流しんかげりゅう、とは戦国時代の剣豪上泉かみいずみ伊勢守いせのかみが編み出した剣術である。構えなく相手の攻撃を誘い、必殺の一撃で返り討つ。無形の位を極意とする。
 この新陰流は上泉から徳川の剣術指南役である柳生家に継承され、江戸の世に柳生新陰流の名で恐れられていた。
「あいにく、まだ未熟でな。刀に助けられている」
 曾良が手にする脇差は、元幅が広く重ねも分厚い。
 求めたのは絶対の強度。受けに徹して相手の刀を叩き折る。その為だけに作られた異形の短刀である。
 蜂屋が脇差に手を掛けるのと同時に、今度は曾良が一歩踏み込む。だらりと腕を下げ無防備に身体を晒す。
 ガラ空きの胴を薙ごうと抜き放った蜂屋の脇差は、しかし再び曾良の一撃で砕かれた。
 続く曾良の二の太刀。蜂屋は紙一重で交わし、転がるように曾良の背後に回り込む。
 曾良が体を入れ替えるその隙、蜂屋は人の数倍の跳躍を見せて木の上に身を移した。
「いい刀をお持ちだ曾良殿」
 蜂屋は拍手で曾良を称えた。
虎徹こてつ興正おきまさ
 日本刀は、それを仕上げた刀工の名で呼ばれる。虎徹は江戸時代初期を代表する武蔵国現在の東京都と埼玉県の名工。興正はその2代目の名である。
「なるほど。刀の勝負では分が悪い」
 蜂屋は不敵に笑みを浮かべた。
「逃げるつもりか騒速衆」
 曾良の挑発に、蜂屋は腕を組み肩を揺らして笑った。
「──まずは芭蕉を先に片付けるとしよう。貴公は我が蜂と遊んでおるがよい」
「なに!?」
 ビリリと空気の震える音が、周囲の林から一斉に上がる。それはすぐに不快な虫の羽音へと変わった。
「熊すらひと刺しで殺す。秘伝の毒餌で育てたクマンバチスズメバチの方言の群」
 500か1000か。無数の蜂が飛来し、曾良を取り囲む。
「自慢の刀でせいぜい、生きながらえてみよ」
 蜂屋は木々の枝を歩くように飛び移り、殺生石のある小道へと姿を消した。
「貴様…… 待て!!」
 このままでは宗匠の身が危ない。
 焦る曾良だが、自身も死を覚悟する状況になす術はない。
 猛毒の蜂は、曾良の死角を突いて次々と襲いかかった。

「奥州の龍穴…… ええい、次から次へとわからんことを」
「龍穴とは龍の住処すみか。奥州に比べれば那須の龍脈はとでも弱い。だからここに黄龍はいない」
 那珂川でも昔は砂金が取れた。芭蕉はそんな話をどこかで聞いた覚えがある。
 那須の龍脈は目の眩むような光を放つ。これが弱いというのなら、いったい奥州の龍穴とはどれほどのものなのだろうか。
 なにやら、この世を終わらせる元凶だとか、そんな不吉なことも口走っていた気がする。
「黄金と龍脈が同じだとして…… 黄金にそんな馬鹿げた力があるなど聞いたことがない」
「金があればなんでも欲しいものが手に入る。それもまた、馬鹿げた力だと思うがな」
 なにか上手いことを言ったつもりなのだろう。満足そうに殺生石は笑う。
 くだらん屁理屈を。
「……」
 芭蕉は首をひねる。理屈として返せる言葉がなぜか頭に浮かんでこない。
「そう、理屈などないのだ。なぜ黄金が財となり力を持つのか」
 考えるまでもないことは、考えたこともなかった。
 芭蕉はあまり小判こばんに縁がない人生を送ってきた。金といえばぜに銅銭どうせんのことである。小判という物はたくさんの銭に替えられる物、そういう認識だ。
 しかしそれは本来とは逆の認識なのだ。銭とは小判の価値を小分けにするための代替品だいたいひんに過ぎない。小判に価値があるから銭にも価値が生まれる。
 では小判の価値とは。黄金とはいったいなんなのか。
「黄龍は龍脈を通じて人に力を与える。黄金の財とはその力が形を変えたものなのだ」
「うーむ……」
 納得していいものか。だが腑に落ちなくもない。この世には不可思議な力がある。目の前の石がなによりの証明ではないか。
「黄龍は恐ろしいぞ。この世の仕組みすら変えてしまう」
 龍脈の光の筋がゆっくりと消えていく。
「芭蕉、お前は図らずもそんな黄龍の力をめぐる争いに巻き込まれてしまったよな」
「ふむ…… なるほど」
 藤原の黄金。半信半疑だった芭蕉もここでようやく確信を得た。
「それで平泉に石を持っていけ、か。貴様の狙いも藤原の黄金というわけだ」
「おおよそはご明察通りに」
 殺生石は曾良の口調を真似る。
「……茶化しおって」
 おおかた那須の龍脈で味をしめ、今度は奥州の龍穴とやらを狙っておるのだろう。
「私は親として奥州の子らを止めねばならん。あの黄金の力は使ってはならんのだ……」
生憎あいにくワシはこれ以上黄金とやらに関わるつもりはない」
 それに曾良の話ではもう黒脛巾が動いて片が付いたはずである。黄金がどうなろうが芭蕉の知ったことではなかった。
「ところがそうもいかん。じきに奥州の鬼がお前の首を取りに来る。お前はもう逃れられん運命の渦中かちゅうよ」
「なんだと?」
 唐突になにを言い出すのか。
 奥州の鬼とは騒速衆のことか。
「黒脛巾は敗れた。一関に勇んで乗り込み、手痛い反撃を受け、今は金成かんなりで睨み合いをしている」
 金成とは一関のすぐ南。奥州藤原氏の時代、金を採掘するべく全国から集まった坑夫と、それを束ねたひとりの商人が興した町である。
「黒脛巾が敗れただと……」
 騒速衆とは聞く限り黒脛巾の中の一派に過ぎない。であれば本隊である黒脛巾の方が数で勝るはず。負けることなど考えられるのだろうか。
「伊達は抑えられた。あとは光圀を黙らせれば一関の安寧あんねいは保たれる。それには見せしめが必要だな……。騒速衆はそう考えたようだ」
 殺生石は器用に口調を変えて話す。案外に愉快な性格をしている。
「見せしめがワシの首か」
 殺生石はすべてが手に取るようにわかるとうそぶいていた。だが芭蕉にそれを確かめる術はない。
「さあ石を拾え芭蕉。私がお前を守ってやろう」
 疑心暗鬼が鎌首をもたげる。石を拾えばどうなる。よもや我が体を奪うつもりではないのか。
「……いな。それがまことでも刺客より先に曾良に報せが入る」
 狼煙を上げ、鳩を飛ばし、鏡光をかざす。草には山々を越える多様な情報伝達手段がある。それは人や馬が昼夜を問わず駆け抜けるよりも速い。
「それが間に合わぬから言っておる」
「ワシも忍びの端くれでな。そのようなハッタリは効かぬ」
 焦る必要はないのだ。冷静に考えれば殺生石の術中にはまることはない。
 事実なら不本意ながら江戸に逃げ帰る。あとは光圀さまが責任を取ってなんとかしてくれることだろう。
「どこまでも私を疑うのだな……。疑念の目は心まで曇らせるぞ芭蕉」
 また殺生石の声に母の面影がチラつく。
「疑わぬわけがあるまい、貴様は九尾の狐であろう!」
「奥州のために戦い、復讐のために人を捨てた。それがお前たちが九尾の狐と呼んできたモノの正体だ!」
 穏やかだった殺生石の言葉に強い感情がほとばしる。
 九尾の狐が京を荒らし、朝廷の混乱を招いた平安末期。奥州にはその機に乗じて朝廷の支配から逃れた100年の王国があった。
「九尾の狐は奥州藤原が差し向けたというのか……?」
「我らの民はエミシと呼ばれ、鬼とそしられた。だからこそ意地がある。鬼と呼ばれたからこそ矜恃きょうじを持つ。鬼神に横道なし。鬼は決して嘘はつかんのだ!」
 鬼気迫る弁に芭蕉の心は震えた。
 心とはとてももろい。人はその心を隠すために人格を持つ。心が壊れそうな時、人は人格を捨て、感情をあらわにする。
 芭蕉は殺生石から、泣き出しそうなほど脆く気高い心を、たしかに感じ取った。
「あいすまぬ。誇り高きエミシよ」
「……人には親から貰った名しかない。エミシとはお前たちが勝手にそう呼んだのだ」
 その昔、奥州の民は蝦夷エミシと呼ばれ朝廷の統治外にあった。エミシの独立は奥州で金の産出が始まった9世紀ごろまで続く。
 8世紀の終わり頃、奥州の金を欲した朝廷は大軍を差し向け、38年に及ぶ侵略戦争が始まる。奥州に多くの血が流れた。
 エミシを破り、奥州を支配下に置いた最初の征夷大将軍。その者の名は、坂上田村麻呂。
 12世期に100年続いた奥州藤原氏の統治は、この田村麻呂に奪われたエミシの独立を束の間、取り戻したものである。
「奇しくも一関を治めるは田村麻呂の末裔、か」
「田村に恨みはない。アーディルの助命を嘆願したことも知っている」
「ああでぃる? ……アテルイのことか」
 阿弖流為アテルイ、とはエミシを率いた伝説の英雄である。寡兵で奥州胆沢現在の岩手県奥州市に陣取り、朝廷軍を次々と打ち負かした。
 そのアテルイを倒すために遣わされたのが田村麻呂である。一関に陣を敷いた田村麻呂は、胆沢のアテルイと一進一退の攻防を繰り広げた。
 ついに敗北を悟ったアテルイは田村麻呂の説得に応じて降伏する。しかし朝廷はアテルイの降伏を認めず、妻と共に斬首に処した。
 田村麻呂は朝廷にアテルイの助命を願い出たが、聞き届けられることは無かった。
「田村の末裔は健気に、アーディルとの約束を守ろうとしている……。騒速衆も心を打たれて田村に付いた」
「ふむ……」
 田村麻呂はアテルイと何かの約束を交わし、子孫にそれを伝えてきた、ということだろうか。それが田村が隠した黄金の秘密なのか。
「その約束も田村が兵部の代わりに一関を治めたからこそではないか。偶然とは恐ろしいな」
「偶然ではない。すべて運命の巡り合わせというものよ。百地ももちの血を引く芭蕉、お前がここにいることもな」
 芭蕉は首を振る。
「江戸の俳諧師、松尾芭蕉殿とお見受け致す」
 不意に、背後から声がかかる。ズッシリと重い声だ。
 振り返れば4歩ほど先に、旅装の侍といった出で立ちの男が立っていた。
「……何方どなたかな」
「拙者、田村家が家臣。騒速衆は蜂屋染之助と申す者」
 馬鹿な!?
 芭蕉の顔が驚愕で歪む。
「我らが奥州に要らぬ災いを招いた罪、その身をもって償ってもらおう」

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