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番外編
セルジュの過去①
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シレントの街にある貧困層が住む区画には、いつも鼻につんと来るような臭いが漂っていた。
食べ物を探して中央区画からゴミを持って帰ってくる人が多いので、生ゴミが腐った臭いなのかもしれない。
あるいは道端にある何かの死体が腐った臭いなのかもしれないし、その両方なのかもしれない。
セルジュは蝿に集られる老人に聞いたが、勿論返答はない。老人は肉体を虫に食われている。それは道端にある何かの死体と同じ光景だった。
二度と口を開くことのない老人を静かに見やる。
彼は母親を亡くしたセルジュを何かと気にかけてくれた。この貧困街にいる人々は皆その日暮らしていくのに精一杯で、他人に気を掛ける余裕など無い。それでもこの老人は、少ないが食事の面倒を見てくれ、体の成長に合わせて服を作ってくれた。
「じいさんはどうしてそこまでしてくれるの?」
一度聞いた事があった。
老人とセルジュには何の関係もない赤の他人だ。血が繋がっていても自分の事で精一杯な貧民は、他人を想う余裕は無い。
穏やかな笑みを浮かべて老人は答える。
「子は未来そのものだからなぁ。わしら老いぼれは死んでいくのを待つしかないが、セルジュのような子ども達には未来がある。未来ある若芽を枯らすことはならんのじゃ」
老人はそう言って笑い声を上げた。
セルジュは母親とこの地区で暮らしていたが、病によって母親を亡くしてしまう。
泣きながら遺体を外に出し、どこかに埋葬出来ないかと考えを巡らせている所に老人と出会った。
老人は母親を埋葬するのを手伝ってくれるだけでなく、そこからセルジュの面倒を見始めたのだ。
老人がどうして貧困街に住むようになったのかは分からない。過去に何があったのか。そもそも名前すら知らなかった。だが、一緒にいるうちにずっと前から知り合っていたような気持ちになる。
セルジュの母親は娼婦だった。父親はいない。母親に聞いても誰か分からないと答えるだけ。きっと客の誰かなのだろう。身籠った母親は娼館を解雇され、日雇いの仕事に就いた。しかし、娼婦時代に罹ったと思われる病によって倒れてしまう。
老人はセルジュの新しい家族だった。その老人も今やセルジュを置いて行ってしまった。
セルジュのような子どもが稼ぐには、街で施しをして貰うか、ゴミを拾って使えそうな物を業者に売り渡すかくらいしか方法は無い。後者は貧困層のほとんどの子どもが行っており、競争率が高いうえに貰える報酬もかなり少なかった。
セルジュは前者を選んだ。街の中央区画に出向き、空き缶を持って立つ。他にも何人か同じように恵んでもらおうと立っている人々がいた。
街を歩くほとんどの人間はセルジュを見ることすらしない。むしろ邪魔者のように扱う。
「皆綺麗な格好をして、美味しい物をたらふく食べているんだな……」
楽しそうに街を訪れる人々は幸福な表情を浮かべている。セルジュは自分達と同じような人間と見比べた。
貧民には笑顔が無い。それもそのはず、ここで施しを貰えなければ飢えて死ぬのだ。死が身近にある貧民は笑みを浮かべる余裕すら無い。いつも険しい顔をして、俯いている。
そして、幸福そうな人々はそんな貧民達を見てみぬ振りをしていた。
セルジュの事は見えていないかのように振る舞う。
「ほらよ」
その時通りすがりの男性が何かを入れてくれた。
空き缶の中を見やる。金は入っていない。代わりにゴミが入っていた。
少し離れた場所で男性の笑い声が聞こえてくる。
この世は不公平だ。ここに居るはずの自分が見えていないように振る舞う人々は、飢えることもなく凍えることもない。自分には稼ごうにも手段がないのだ。真っ当な手段は取れないだろう。ならば、見えない存在であることを生かそうと決めた。
セルジュは先程の男性を追い掛けた。音を立てずに近付くのは得意分野である。
先程の男性は屋台の女性と楽しそうに話し込んでいた。セルジュが後ろに回っても気づく様子が無い。
「今晩どう? 美味しいディナーをご馳走するよ」
男性は女性を口説くのに夢中だ。会話の内容が聞こえてくる距離にまでセルジュが近付いても気付かない。
ズボンの後ろポケットにそっと手を伸ばす。ゆっくりと財布を抜き出すと、自分の服の下に隠した。
そのままその場を去っていく。遠く離れた所で財布が消えたことにようやく気付いた男性が騒いでいたが、セルジュは捕まらなかった。誰も自分の事は見えていないから。
家に戻り、外から見えないように財布の中を見た。中には金銭がたんまりとあり、これなら半月以上は持ちそうだった。
セルジュはほくそ笑み、財布を抱き締める。
楽勝じゃないか。ゴミを漁らなくても、施しを乞うこともしなくて良い。それらの方法を選択するよりも金銭を得ることが出来た。
幸福な人々は金を持っている。財布を盗んだとしても、まだどこかにあるはずだ。だったら裕福な人々からくすねた所で、大した損害にはならない。
人の命を奪うわけでもない。彼等と違ってセルジュが生きるにはこれしかないのだ。
食べ物を探して中央区画からゴミを持って帰ってくる人が多いので、生ゴミが腐った臭いなのかもしれない。
あるいは道端にある何かの死体が腐った臭いなのかもしれないし、その両方なのかもしれない。
セルジュは蝿に集られる老人に聞いたが、勿論返答はない。老人は肉体を虫に食われている。それは道端にある何かの死体と同じ光景だった。
二度と口を開くことのない老人を静かに見やる。
彼は母親を亡くしたセルジュを何かと気にかけてくれた。この貧困街にいる人々は皆その日暮らしていくのに精一杯で、他人に気を掛ける余裕など無い。それでもこの老人は、少ないが食事の面倒を見てくれ、体の成長に合わせて服を作ってくれた。
「じいさんはどうしてそこまでしてくれるの?」
一度聞いた事があった。
老人とセルジュには何の関係もない赤の他人だ。血が繋がっていても自分の事で精一杯な貧民は、他人を想う余裕は無い。
穏やかな笑みを浮かべて老人は答える。
「子は未来そのものだからなぁ。わしら老いぼれは死んでいくのを待つしかないが、セルジュのような子ども達には未来がある。未来ある若芽を枯らすことはならんのじゃ」
老人はそう言って笑い声を上げた。
セルジュは母親とこの地区で暮らしていたが、病によって母親を亡くしてしまう。
泣きながら遺体を外に出し、どこかに埋葬出来ないかと考えを巡らせている所に老人と出会った。
老人は母親を埋葬するのを手伝ってくれるだけでなく、そこからセルジュの面倒を見始めたのだ。
老人がどうして貧困街に住むようになったのかは分からない。過去に何があったのか。そもそも名前すら知らなかった。だが、一緒にいるうちにずっと前から知り合っていたような気持ちになる。
セルジュの母親は娼婦だった。父親はいない。母親に聞いても誰か分からないと答えるだけ。きっと客の誰かなのだろう。身籠った母親は娼館を解雇され、日雇いの仕事に就いた。しかし、娼婦時代に罹ったと思われる病によって倒れてしまう。
老人はセルジュの新しい家族だった。その老人も今やセルジュを置いて行ってしまった。
セルジュのような子どもが稼ぐには、街で施しをして貰うか、ゴミを拾って使えそうな物を業者に売り渡すかくらいしか方法は無い。後者は貧困層のほとんどの子どもが行っており、競争率が高いうえに貰える報酬もかなり少なかった。
セルジュは前者を選んだ。街の中央区画に出向き、空き缶を持って立つ。他にも何人か同じように恵んでもらおうと立っている人々がいた。
街を歩くほとんどの人間はセルジュを見ることすらしない。むしろ邪魔者のように扱う。
「皆綺麗な格好をして、美味しい物をたらふく食べているんだな……」
楽しそうに街を訪れる人々は幸福な表情を浮かべている。セルジュは自分達と同じような人間と見比べた。
貧民には笑顔が無い。それもそのはず、ここで施しを貰えなければ飢えて死ぬのだ。死が身近にある貧民は笑みを浮かべる余裕すら無い。いつも険しい顔をして、俯いている。
そして、幸福そうな人々はそんな貧民達を見てみぬ振りをしていた。
セルジュの事は見えていないかのように振る舞う。
「ほらよ」
その時通りすがりの男性が何かを入れてくれた。
空き缶の中を見やる。金は入っていない。代わりにゴミが入っていた。
少し離れた場所で男性の笑い声が聞こえてくる。
この世は不公平だ。ここに居るはずの自分が見えていないように振る舞う人々は、飢えることもなく凍えることもない。自分には稼ごうにも手段がないのだ。真っ当な手段は取れないだろう。ならば、見えない存在であることを生かそうと決めた。
セルジュは先程の男性を追い掛けた。音を立てずに近付くのは得意分野である。
先程の男性は屋台の女性と楽しそうに話し込んでいた。セルジュが後ろに回っても気づく様子が無い。
「今晩どう? 美味しいディナーをご馳走するよ」
男性は女性を口説くのに夢中だ。会話の内容が聞こえてくる距離にまでセルジュが近付いても気付かない。
ズボンの後ろポケットにそっと手を伸ばす。ゆっくりと財布を抜き出すと、自分の服の下に隠した。
そのままその場を去っていく。遠く離れた所で財布が消えたことにようやく気付いた男性が騒いでいたが、セルジュは捕まらなかった。誰も自分の事は見えていないから。
家に戻り、外から見えないように財布の中を見た。中には金銭がたんまりとあり、これなら半月以上は持ちそうだった。
セルジュはほくそ笑み、財布を抱き締める。
楽勝じゃないか。ゴミを漁らなくても、施しを乞うこともしなくて良い。それらの方法を選択するよりも金銭を得ることが出来た。
幸福な人々は金を持っている。財布を盗んだとしても、まだどこかにあるはずだ。だったら裕福な人々からくすねた所で、大した損害にはならない。
人の命を奪うわけでもない。彼等と違ってセルジュが生きるにはこれしかないのだ。
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