平民男子と騎士団長の行く末

きわ

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 すっかり慣れた幌馬車に揺られて向かっているのは、これまた通い慣れた城なわけで、俺はもうため息しか出ない。
 ジルにもう会わないようにタイミングを見て、あの日別れを告げたのに。まあ、会うとは限らないしジルが執務室にいないかもしれないし……、いるかもしれないけど。
 だからものすごく、気が重たい。

「さっきからため息ばっかりだな。大丈夫か?」
「うん。大丈夫といえば大丈夫。ちょっと考え事。ごめんな?」
「いや、別にいいんだけど……」

 心配してくれるレオンには申し訳ないが、意識せずに出ちゃうからどうにもならない。
 早くこの配達を終わらせたい。
 来月にならないと納品はなかったはずなのに急ぎの注文が入って、今日までに絶対届けないといけないらしい。馬や馬車関連の用具が多かったから、どこか遠方で軍事訓練でもするのかも。
 王国領の端の方では少数民族が農村襲って家畜や食料を奪ったり、大森林と呼ばれる広大な森に面してるところでは大型で凶暴な獣が出てきたりするから、長距離を移動しての軍事演習はわりとある。これで食料の注文が出たら間違いない。

 ……ジルも参加するのかな。

 っと、危ない。別れるのを決めてから、逆にジルのことばかり考えてしまっている。我ながら未練たらしいと思う。こればっかりはもう、時間が解決してくれるのを待つしかない。ズキズキと胸は痛んで苦しいけど、これもそのうち治まるだろう。

 とにかく、今日を乗り切ろう。

「本当に大丈夫かエリオット。送別会行けるか?」
「はは。大丈夫だって。体調悪いわけではないから」

 そう。この仕事もこれで最後。職場の人たちが送別会をやってくれることになってる。
 申し訳ないよねぇ。自分の都合で、しかもそれがジルに会わないためという理由で辞めるから。もちろん退職理由にジルのことは一言も言ってない。ちょっと罪悪感あったからやらなくていいって言ってんだけど、押し切られてしまった。




 そうこうしているうちに城に到着してしまい、訓練場に来てしまった。
 ああああああ。ヤバい。なんか緊張してる。部屋にはレオンに行ってもらおうかな。

「エリオットさん」
「はい?」

 珍しく、従者の人に話しかけられた。
 ほとんど会話したことがない。それこそ初めて会ったときにお互い自己紹介したくらいで、正直、名前も覚えていない。どうしよう。別の意味でも緊張してきた。名前を呼ばずにやり過ごせるか?
 騎士団の従者が着る紺色のお仕着せに身を包んだその人は、たぶん俺とそんなに年齢も変わらないくらいで、やたらニコニコと微笑んでいる。

「これからしばらく注文が多くなりそうなので、内容の確認も兼ねて執務室で書類を受け取って下さい」
「はい、承知しました。あと、すみません。俺、じゃなかった、私は今日で退職することになりまして。今までお世話になりました」
「おや、そうなのですか。それは寂しくなりますね。お元気で過ごされて下さいね。こちらこそ、お世話になりました」

 少し驚いたように肩を上げたけど、すぐに丁寧なお辞儀をされて、俺も慌てて頭を下げた。
 そして執務室に向かうわけだが、もう、心臓が大変。息苦しくなるくらいに鼓動が早い。

 どうか!
 どうかジルがいませんように!
 他の誰かであってくれ!

 祈るような気持ちで扉をノックすると、中から聞き間違えるはずのないジルの声で返答があった。
 
 待って。ジルいるって。どうしたらいい? 
 顔合わせられないって、本当に。
 頭の中は大混乱で、体は動かないし、なにをどうすればいいのか、全く分からない。

「エリー?」

 扉を叩く音だけさせて反応がないから不審に思ったんだろう。ジルが自ら戸を開けた。そして、俺を見て苦笑した。
 俺は今、どんな顔してるのか……。きっと情けない表情なんだろうなぁ。

「とにかく入れ」

 促されて、室内に入る。
 不思議なことにジルが俺の背中に手を当てると、さっきまであんなに硬かった体がすんなりと動き出す。
 あ~、体が正直で嫌になる。そして相変わらず、ジルの香りが良すぎる。なんだろう。馴染み過ぎてて、気持ちが落ち着いてくるのが分かる。ジルの大きな手から温もりが伝わってきて辛い。早く帰りたい。

「これ、発注の予定リストだが、種類も数も多くなるから今のうちに準備してほしい」

 バサリと紙の束を渡された。
 うん、普通だ。普通に業務連絡って感じ。
 貴族ともなると、別れた相手だろうがいつも通りに振舞えるのか。それとも訓練で鍛えられた鋼の精神か。
 意識している俺が馬鹿みたいだ。

 手にした書類にさっと目を通しただけでも、確かにけっこうな数だ。今まで納めてなかった物の名前も入ってるから、前もって知らせてもれるのは助かる。
 て、俺は今日までだった。

「遠方で訓練?」
「まあ……そんなもんだ」

 紙をめくりながら思わずもれた声に、ジルは明らかに返事をぼやかした。
 ハッキリと言えないのは仕方ない。俺のような平民が詳しく知っているのは良くないだろうから。

「分かった。親方に伝え――」

 言葉の途中、紙をもっていないほうの手をジルが包み込むように握ってきた。
 ジルの深い緑の瞳が、俺をじっと見ている。
 呼吸の音すら聞こえるくらいの近さ。
 俺はまた、動けなくなる。

「一目ぼれだったんだ」
「うん?」

 ジルの急な発言に俺は戸惑う。だってついさっきまで、仕事の話をしてたのに。
 一目ぼれって、なにに?

「初めてエリーを見たとき、あまりにも俺の好みにピッタリで、どうにかして近づきたくて、すごく焦っていた」
「……」

 え? 俺? 
 一目ぼれって俺のこと?
 待って待って。ジルはなにを言ってる?

「誰かに取られるかもと気ばかりが逸って、順番を間違えてしまったんだ。本当に申し訳ないと思っている。すまなかった」

 順番って、なんの順番かよく分からないけど、今のこの状況を順を追って説明してほしい。
 ただ、取られた手だけが温かい。

「俺はそもそも、見かけだけの結婚をするつもりはないし、女性に興味がないことも俺の家族は知っている」
「えっ……」
「実は近いうちにエリーのことを家族に紹介したいと思っていた」
「え! いや、それは……」

 名門伯爵家の方々に、平民の俺を引きわせようと!?
 無理無理。
 それは無理です。俺の精神が持ちません!!
 思わず一歩下がろうとしたところをジルが力強く抱きしめてきた。
 書類ごと。

「俺が愛してるのはエリー、君だけだ。仕事以外は不器用な人間だが、君への気持ちに偽りはない。どうか、俺を信じてほしい」

 抱きしめる腕にさらに力がこもってジルの高い体温と逞しく脈打つ心音が直に伝わってくる。
 ジルの香り。
 ジルの心地いい低い声。

「少しだけ、俺に時間を与えてほしい。身分も性別も、誰にもなにも言われないようにするから。だから……」

 俺だって本当は離れたくなかった。
 好きだから、負担になりたくなかったから……。
 今さらそんなこと言われても。
 一度だって、好きなんて言ってことなかっただろ。
 そのやり方は、ズルい。

「……ジル。俺はなんの力もない平民なんだよ。それがどういう意味か本当に分かってるか? ジルじゃない別の貴族が、たとえば公爵様みたいなすげえ貴族が、俺のこと邪魔だと思ったら簡単に消される。家族ごと」
「それは、絶対にない! そんな愚かな権力の行使なんて、貴族の恥だ」
「理由なんて、でっち上げられるだろ」
「…………」
「俺は、自分だけでなく家族も守りたい」
「エリー、お願いだ。君も、君の家族も必ず守るから」

 ジルの胸に手をついて力を入れると、難なく体を放すことができた。
 見上げると、ジルは今までに見たことがない辛そうな顔をしていた。
 俺だって、辛いんだよ。

「仕事に戻るよ、ジル」

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